そのじゅう
――10――
合宿一日目も終わりに近づくと、各々の部屋を彩る喧噪は、巡回の職員が通り過ぎる度に少しだけ小さくなる。なんだか、合宿と言うより普通の修学旅行のようにすら見えて微笑ましい。
そんな彼女たちの部屋を通り過ぎ、空の見える展望台に足を向けた。薄く雲がかかった月が幻想的で、星々の煌めく夜空がなにより美しい。
「観司センセイ、こんなトコロにいましタか」
「レイル先生……?」
そう、長椅子に腰掛けて空を見る私に、レイル先生は軽やかに片手をあげる。
その手に収められているのは、おちょこが二つと酒瓶が一つ。いつの間に持ち出したのやら。
「ドウゾ、一献」
「ふふ、ではお言葉に甘えます」
「ホウ、ダメ元だったのダガ、さすが、我が友ダ」
「そうでしょうか? これくらいの融通が無ければ、生徒たちも息が詰まってしまいます」
もちろん、翌日に残すほどは呑まないけれどね。
そう告げておちょこを手に取ると、レイル先生は中性的な横顔を楽しげに緩ませた。
「“あなたに勧められた杯を、どうして断ることが出来ましょう。花が咲けばその多くが風に散るように、人生とは別れがつきものなのですから”」
「チャイニーズだね。唐の将軍、ダッタかな? 別れる人生ならば、刹那ヲ大事にしろ、トイウものだろう?」
「はい、そうです。レイル先生は私の、大事な友人ですから。杯を断ることなんてできませんよ」
「ハハ、それハ光栄だ」
傾けたおちょこから流れる透明の液体は、仄かに甘く、熱を持つ。
純米吟醸かな? けっこういいやつだ。時子姉とか、すごく好きそうかも。あとでお土産用に確保しておくのも良いかもしれないなぁ。
「君トこうして肩ヲ並べて杯を交ワスなんて、想像もシテいなかったよ」
「ふふ、実は、私もなんですよ。わかり合える日が、いつか、いつか! なんて、そんなものはいつも、ただ願うだけの言葉です。叶うコトなんて滅多に無い、なんて、わかっているのに、口ずさまずにはいられない。そんな、言葉です」
異能者。
魔導術師。
稀少度。
特異魔導士。
いつもいつも、並べる言葉の強さに押し負けて、どこかにあきらめを抱えてしまう。
大魔王が現れて、人々は戦える人とそうでない人に別たれた。無加工の現代兵器は意味を成さず、アメリカが放った核は悪魔を強化し、疫病をまき散らして嘲笑った。
ただ、“特別”を連れてこい。特異な力を持ったものでしか、自分たちの肌を貫くコトは出来ない。アメリカ軍の中で嘲笑した悪魔と、希望を捨てずに立ち向かった兵隊。
彼らは、いったいなんと言っていたか。
『それでも、神は我らを救うだろう! この身が献身の礎となり、悪のことごとくは地上から去る!』
そう、そう叫んだ彼を、助けるものはなかった。
どんなに立ち向かおうとボロボロになって、それでも神は現れず、どんなに信じようとも、神も天使も姿を見せず。
ただ、救いに来た魔法少女に、彼らは絶望も見せずに託してくれた。
「レイル先生――お聞き、してもよろしいでしょうか?」
「――……エエ、なんなりと」
「あなたにとって、“神”とはなんでありますか?」
この合宿の最中。
いいえ、この合宿が始まるよりもずっと前から、私の中では疑問が渦巻いていた。
今、合宿中に時子姉たちが虚堂静間を逮捕することが出来れば、その次は天使たちの問題に切り込んでいくことになるだろう。天使。確かに地上に降り立つ力があるのに、自分たちの信者を平然と切り捨てた集団。
そして今もなお、魔導術師相手に非道を繰り返し、犯罪に荷担し、その目的ですら定かでは無い無法の集団。彼らがなにを成そうとしているのか。彼らの終着地点はどこにあるというのか。わからないことが辛く、歯痒い。
「かつてのボクに道を知らしめ、今のボクの背を押してくれたモノ、かな」
「今のレイル先生、に?」
「ああ、ソウサ。神の、天使の意志無くば、ボクはこの地に訪レなかった。もう決別を決めたからト言って、この気持ちを捨テル必要なんてドコにもないからね。観司センセイ、あなたにとって、神とは?」
そうか。別に、崇め奉ることだけが道では無い。
レイル先生が笑顔で指し示してくれた答えは、自然と胸に落ちるモノだった。確かに、今の天使たちの行動は、とても許容できるモノでは無い。独善的で、歪んだ、押しつけの正義だ。
では、私にとって神とはなんだ? そんなものは決まっている。子供を庇って死んだ私に、もう一度、機会をくれた人。前世の年齢をとっくに過ぎた今でも、あのときのことは覚えている。
――真っ白な空間。
――普通の事務デスク。
――白いヒゲを伸ばしたおじいちゃん。
――ひっつめの黒髪眼鏡に翼を生やしたお姉さん。
『おお、見よ、久々の英雄じゃ。徳々ゲージが振り切っておる』
『直ぐ下界に感化されるのはおやめ下さい、神よ』
『じゃがのう。善行値など、味気ない」
『味気なくてけっこう。それで、その魂はどうなさるので?』
『ひょっほっほっ――なぁお主、もう一回、人生をやってみんか? やり直し、とはいかんがのう』
――笑うおじいちゃん。
――ため息を吐く女性。
――あれよあれよとサインをさせられ。
『まぁ、ちょっと力もつけておいたわ。頑張るんじゃぞ、小さな英雄殿』
――悪戯っぽく笑う彼が、優しげで。
――傍に控えていた女性の声も、穏やかに凪いでいて。
「うん。そう――私にとっても、神とは導いてくれる人、です」
「ソウか……なら、イイじゃないカ。これから天使たちを前ニして、ソノ気持ちが消えるノカ? そうでないノナラ、今までどおりをやり切レバ、それでイイ。違うカ?」
「いいえ――いいえ、違いません」
そうだ。
いくらここでどんなに思い悩んでも、答えは出ない。同時に、どんなに悼ましいものに出会ってしまったとしても、私があの日に抱いた憧憬に、翳りは無い。
だったら、私はそれで良い。
「レイル先生」
呼びかけると、首を傾げる。
月光に空かす銀髪は、星々のそれよりも眩かった。
「ありがとう、ございます」
紡いだ言葉は、純粋な気持ち。
「アア。どういたしましテ」
返る言葉は、優しげで澄んでいて。
「なにに?」
「ヒトツしかないだろう?」
「なら、子供たちの未来に」
かちゃん、と、合わさるおちょこ。
呷る酒の味は、どうしてだろう、最初の一口よりもずっと、熱くて優しかった。
――?――
『後悔はないか』
『やり直すべき世界は無いか』
『君の前に立つその運命は、受け入れられるべきものか』
「否」
『憎しみはあるか』
『憤怒を覚えているか』
『君の成すべきことに、慈愛はあるか』
「是」
『悲嘆はないか』
『あるいは、後戻りすら許されない』
『真なる“神託”に、誠なる“託宣”を下せ』
「――」
『返答は如何に』
「――」
『よろしい、では、これより君は聖人だ』
「――」
『我々は、君の決意を歓迎しよう』
『我々は、君の真意に涙を流そう』
『我々は、君の約束に敬意を払う』
「――」
『そうだね、君の深意は美しい』
『その美に、我々は報いると誓おう』
「もう、後戻りはできない。――なら」
――――――
――――
――
―
・
・
・




