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そのいち




――1――




 秋も終わりに近づくと、山間近い特専はぐっと寒くなる。

 わたしは今、部室の机の上でぐでーんと垂れながら、暖房の温かさに身を任せていたりします。


「おはよー……って鈴理、なにやってんの?」

「夢ちゃん、わたしは貝になるんだ」


 扉を開けて、わたしに次いで二番乗りの夢ちゃんが、わたしの隣に腰を下ろす。


「はぁ? 変なこと言ってないで、起きた起きた。ちゃんと提出、したの?」

「ええっと、希望書? えへへー」

「まだなのね、まったく」

「うぅ、面目ないです」


 あれ、というのはあれだ。

 この時期のイベント。一年生は、去年のリリーちゃんと遭遇することになった“悪魔の間引き”。三年生は、就職に向けた“企業見学”。そして二年生が――“職業体験”。

 わたしに迫られている提出書類とはずばり、どの職種の体験がしたいか、ということだったりする。体験、体験、体験かぁ。そもそもわたしは、将来なにになりたいんだろう?


「夢ちゃんは、将来はどうするの?」

「うーん。母さんみたいにICPO! とも思ってたんだけど、別にそうじゃなくてもイイのかなって今は思ってるよ。例えば」


 夢ちゃんはそう、優しく目を眇めてわたしを見る。


「あんたみたいに道に迷ってる子供を、助けられるようになる、とかね」

「それって、どんな選択肢があるのか……聞いても良い?」

「もちろん。情報通の夢ちゃんにお任せあれ」


 夢ちゃんはそう言うと、大学ノートを広げて見せてくれる。

 まっさらなノートに黒いペンで、カリカリと書き連ねる音が響くと、なんだか師匠に勉強を教えて貰っているときのようだった。


「まずはお巡りさん。警察官ね。とくに、異能や魔導を生かすんだったら、“特異能力及び魔導術師及び異界生物対策課”――通称“特課”ね。覚えてるでしょ?」

「うん、強盗事件のときの、だよね」


 強盗事件。

 いつだったか、師匠が人質としてファミレスで強盗犯に捕まった時にわたしたちが協力させていただいた、警察官の方々だ。くすのき刑事とまさき刑事のお二人は、早々忘れられないだろう。


「それから、世界特殊職務機構管理協会に所属して、異能者や魔導術師を名簿管理。これには確か、罪を犯した人間の逮捕権を持つ部署、通称“ハンターズ”や、犯罪によって身寄りを無くした子供たちの保護や教育を行う部署、通称“セイヴァーズ”なんかもあるから、色々なことをやりたいのならオススメよ」

「へぇぇ、そうなんだ!」


 協会と言えば、リュシーちゃんのお父さんが勤めている組織だ。

 国連と違って、どちらかの至上主義者による討論、みたいなのは聞かない。それだけで国連よりも安心と思ってしまうのは、色々あった身分としては許して欲しかったり。

 もちろん、夢ちゃんのお母さん――乙女さんも、国連所属だということはちゃんと理解しているけれど。


「あとは災害救助だったり、それこそ養護施設経営だったりと多岐にわたるけれど、どう?」

「うん、参考になったよ。ありがとう、夢ちゃん」


 色々と選択肢はある。

 けれど、そう、うん。普段の自分では見られないようなところを見に行って、自分にできることを知る。それから、自分以外の世界を知る。知りたいって、思えるようになってきた。


「よし、決めた!」

「将来の夢?」

「そっちはまだ。ひとまず、職業体験から!」


 提出書に、希望職種を書いてみる。

 なりたいことは見つからない。けれど、未来は決して怖いものでは無いと、知ることが出来たから。


「職業体験希望職種――特課、と」


 まずは、どんな人がどんな悩みを持っていて、どんな世界があるのか。

 この機会に知ることが出来たとしたら、それはとても幸福なことなんじゃ無いかなって、思うんだ。

 そう夢ちゃんに笑顔で伝えると、夢ちゃんは目を丸くしてから微笑んで、優しく頷いてくれた。


「うん。鈴理らしい。いーんじゃない?」

「えへへ、ありがとうっ、夢ちゃん!」


 そうやって、夢ちゃんが既に書いていた提出書類を見せて貰う。

 そこに書かれていたのは、なんともまぁ、似たような言葉だった訳で。


「正式名称、長くて大変じゃない?」

「略すと現地で勉強させられるらしいわよ?」

「ええっ、もう! 早く言ってよ、夢ちゃん!」


 わたしは慌てて、修正テープを引きすぎた。




























――/――




 職業体験。

 この日ばかりは常勤も非常勤も関係ないし、なんだったら大学部の学生だって手を借りることがある。なにせこの体験授業、一チームに一人の教員がついて、色々と護衛も兼ねなければならないのだ。

 本当なら猫の手も借りたい状況だけれど、“妬みの対象になる”という理由で英雄は付き添いに除外。なんでも、大学部の教授をお借りする代わりに、そちらに出勤するそうだ。

 なにかと要領よく吸収する七と獅堂だったから急に大学部に放り込まれても大丈夫なようだけれど、自分で要領のなさを自覚している私としては、放り込まれる立場で無くて良かったと胸をなで下ろした。

 その規模が規模なので、当然、一年生と三年生とは別の日であり、その間、別の学年には休暇を取って貰う形になる。二年生は職業体験のあとに、二日間のお休みだ。


「未知、お疲れ。そろそろランチにしましょう?」

「イルレア……ええ、わかったわ」


 言われて時計を見ると同時、四限終了のチャイムが鳴る。

 色々とこう、学年行事の資料整理やコンプライアンスの確認やらとしていたら、どうやらそれなりに時間が経ってしまっていたようだ。

 お昼休憩は、イルレアに誘われるままに中庭へ。少しだけ奥まったところにシートを敷き、イルレアは大きめのバスケットを取り出した。


「サンドイッチよ。口に合えば良いのだけれど」


 広げてくれたそれの中身は、色とりどりのサンドイッチだった。

 ツナ、ハム、卵の定番に、スモークチキン、イタリアンサンド、BLTにフルーツサンドと華やかだ。女性同士だから量も弁えられていて、数を食べられるように一つ一つは小ぶりな正方形。

 うん、とても美味しそうだ。綺麗で女性ながらに紳士的で、女子力も高い。本当に非の打ち所も無いひとだけれど、どうして私で良いのだろうか? 聞くととても大きな墓穴を掘りそうなので、聞けないけれど。


「でも良かったの? こんなに豪勢なお弁当」

「良いのよ。私が未知に食べて貰いたかったのですもの」

「そう……いえ、わかったわ。ありがとう、イルレア。とても美味しそうで、嬉しいわ」

「ふふ、その言葉が聞きたかったの。未知は私を喜ばせるのが上手ね」


 それはこちらの台詞です。言いたくなる気持ちを抑えて微笑むと、イルレアも上品な百合の花のように嫋やかに微笑んでくれた。

 ……ちょっと色々と細かいことは、本当に気にしないようにしよう。


「……うん、美味しい」

「ふふふ、たぁんとお食べ」


 語尾にハートマークでも付いてそうな、甘い声。

 疲れも吹き飛ぶ、美味しい料理。

 もしも家でイルレアが待っていてくれたら、それはなんて華やかな家庭だろう。


 ――って、ダメダメ。思考が変な方向に行ってる!


「そ、そういえばイルレアは、職業体験は同行するの?」

「ええ、同行できるみたいね。ルナミネージュとアリュシカとフィフィリア。三人一チームを纏めて、異能や魔導を用いた最新技術のカフェに入るようね」


 なるほど、料理人のとエンターテイメント性のある施設の見学、ということかな。

 おそらく、ルナミネージュさんとアリュシカさんは平和利用が目的で、フィフィリアさんは将来家を復興させる際に、どんな形での企業拡大ができるのか、選択肢を増やしておきたいのだろう。


「未知は? 確か、特異魔導士の関係で、鈴理につくことは確定をしているのよね?」

「ええ。昨日の放課後、部室で提出してくれたわ。チームは三人。鈴理さんと夢さんと静音さんで、特課の見学よ」


 確か、海外から正路さんも戻ってきているはずだ。人間関係でやりづらい、ということだけは避けられることだろう。


「特課、というと、警察機構のスペシャルチームね」

「イルレアは、関わったことがあるのかしら?」

「ええ。獅堂と犯罪捜査をしたときは、一時的に所属扱いにしたのよ?」

「なるほど、獅堂と」


 そういえば海外で手を取り合って犯罪者と相対した、んだったかな。

 当時はそれはもう険悪な仲だったようだけれど、今では悪友という言葉がぴったりの仲なのだとか。そういえば私には、悪友と呼べるような気の置けない友人は、そんなにいない。英雄はほら、友人と言うよりももっと深い絆で結ばれた、仲間だから。

 昔から、同性の友達も出来にくいんだよね。嫌われるか“過剰に好かれるか”の二択で、嫌われている人に友達になりたくて近づいたら、お姉様扱いされる闇の黒百合時代。いや、やめよう。


「……不安? 職業体験」


 目を伏せて、イルレアに尋ねられる。

 毎年のことだし、そんなことはない。そんなことは無いのだけれど、やはり、私にはあの日のことが胸に燻っている。

 どんな相手だろうと出入りできない空間から、文字どおり消えた金沢無伝。失踪扱いではあるが、果たしてどうなることやら。でも重要なのは、無伝では無く、無伝の背後にそれだけのことをやってのける力のある存在があると言うこと。


「大丈夫よ、未知。未知には私たちがついているわ」

「……イルレアは、優しいね」

「未知だからよ。あなたが嬉しいと私も幸せだから、優しいの」

「ふふ、照れちゃうわ」

「あら、もっと照れてくれても良いのよ?」


 うん、なんだか元気づけられてしまった。

 職業体験まで、たいして日があるわけでは無い。けれどこんなにも心から接されて、うじうじなんてしていられないよね。


 職業体験まであと僅か。

 私は私にできることを、精一杯やり抜こう。

 そう誓うと、そんな私を見ていたイルレアは、ただ、優しい目で微笑んでくれていた。





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