そのじゅうよん
――14――
授業参観二日目も後半に入ると、私たちを遠巻きに見る生徒たちも減っていった。
金沢無伝という“余計なモノ”を見ない方が為になる、という先生たちの意図かも知れない。そう思えるほどに、なんというか、彼は“アレ”だ。
「では観司教諭は、その年になるまで男性と交際したことはないと? では、どうやって男子生徒の思春期の悩みに対応しているのか、不思議ですなぁ。ぐふふふふ」
前世ではいたことがあるからね? そんなに深い関係にはならなかったけれど。
そんなことを言うわけにも行かず、引きつった笑みで受け流す。高原先生が行き過ぎたモノには割り込んでくれるが、瀬戸先生が席を外してからこの方、金沢無伝はずっとこの調子だ。
そう、瀬戸先生はなにやら外部からの連絡を受けて、席を外したまま戻ってこない。金沢無伝がこの調子だから、十中八九彼のせいなのだろうけれど。瀬戸先生は心配だしこの状況も苦痛だが、今はそれ以上に生徒たちの無事だけを祈っている。
これでもし、生徒たちにちょっかいをかけていたら――後悔だけでは、済まさない。
「高原先生、よろしいか」
そう、ふと、SPの方が声をかける。
それに、高原先生は首を傾げながら視線を向けて。
「きゃっ」
その隙を狙うように、金沢無伝が私にぶつかるように近づいた。
むっ、実力行使でセクハラか? だったら正当防衛を――
「ぎゃああああああああぁッ」
「へ?」
――しよう、と、考える前に、金沢無伝が悲鳴を上げる。
彼の左腕から流れる血。どう見ても薄皮一枚だが、血だけは派手に流れている。同時に、カランと床に落ちるナイフ。えっと、自傷行為?
「おい、この女を拘束しろ! 隙を見てワシを殺そうとしてきたぞ!」
「はっ」
周辺のSPが集まって、拳銃を私に向ける。
武装を許可していたつもりはないんだけれど……“結果的”に“正当性”があれば、大目に見られるということかな。
自傷行為で濡れ衣を着せて拘束。連行さえすれば、あとは“どうにでも”なる。こんなところだろうか。大人しく両手を挙げながら、金沢無伝の隠しきれない笑みから、そんなことを推測する。
見かねた高原先生が駆け寄ってくるが、金沢無伝はそれに大げさに喚き散らした。
「はぁ? なに言ってんだあんた。観司先生、気にすること――」
「なら貴様は見ていたのか!? ええ、おい!」
「――まさか、金沢室長、おまえ……ッ」
全員の視線は金沢無伝へ。
その隙につま先で地面に簡易魔導陣を刻印。
現場保存術式を構築。これで、“いざ”という時のための保険は完了。
「良いか、この女は金のためにワシを誘惑し、誘っておいてナイフで突き刺したんだ!」
「一応弁明致しますと、私はやっていません。ナイフにも私の指紋は出てこないでしょう」
「いいや、出てくるさ。“後の調査”でハッキリとわかるぞ。ぐふふふふ」
息の掛かった人間の調査?
それを本当に、特課が許すと思っているのだろうか。だとすれば彼は、モノを知らなさすぎる。
「この調子では、おまえの弟子とやらも危険分子なのだろうなぁ? んん、仕方ない。おい、拘束の手配をしろ」
今。
なんと言った?
「――未成年の生徒を特専敷地内で拘束する権利が、あなたにあるとでも?」
「ひぃっ」
魔力で意図的に空間を軋ませる。
潜在空間への圧力は、明確な脅威として相手に伝わる。三年生になったら教えるつもりである、“格下とは戦わずにやり過ごせる方法”だ。
けれどこの男は、そんな細かい技術は知らないのだろう。予想どおり、何が起こったのかわからない顔で、後ずさった。
「ほほほ本性を表したな!? 見ろ、これがこの女の本性だ! 直ぐに拘束しろ!」
じりじりと輪を縮めるSPたち。
その表情に一切の動きは無く、感情の揺れも無い。鍛え上げられた精鋭のSP? いや、なんだろう。何かが違う。解析陣を展開する? いや、普通の解析陣でどうにかなるのなら、他の先生方が気がついているだろう。窮理展開陣は……つま先で発動させるには、複雑すぎる。
なにか……そう、何か切っ掛けがあれば。そう、目配せをする。周囲にはSPたち。とっくに血の止まった金沢無伝。今にも斬り掛かりそうな顔の高原先生。視界の端に――あれは?
廊下の向こう。こちらの視線が移る一瞬を推測して出したのであろう、ハンドサイン。意味は“こちらには救援の用意がある”と、なるほど?
少し、強気に出ても良いのかも知れない。
「――特専校則特例」
「なに? おい、さっさと捕まえろ」
SPの一人が、私の腕を掴む。
そう、この瞬間を待っていた!
「生徒を守るためならば、教師は如何なる脅威にも屈しない」
「は?」
「魔抗掌!」
魔力を込めた衝撃を、SPの腹に打つ。
僅かに返る感触。もうこれは、間違いない。彼らは――“人間”ではない!
「手を出したな! 校則だがなんだか知らないが、公務執行妨害で現行犯だ! 馬鹿な女だ! ひはははははっ!!」
SPたちが、銃を構え直す。
なるほど、感じていた違和はこれであったのだろう。行動があまりに“機械的”すぎる。本当に機械だったというのなら、その理由も納得だ。
「み、観司先生、大丈夫ですか?!」
「ええ。それよりも、少し下がって下さい」
「無駄だ! 今更逃げられるとでも思うたかッ!」
「いいえ。逃げる必要など、どこにもありませんよ?」
私の言葉に、金沢無伝はなにやら勘違いしたようだ。
怒りの表情から一変。醜く歪んだ顔で、私の身体をなめ回すように見る。不快な視線だ、けれど、もう気にする必要もなくなるだろう。
なにせ、あのとき見えたハンドサインの主。――彼女ほどの忍者を、私は知らない。
「んんん? 大人しく、連行される覚悟でもできたか? なに、ワシの足に縋って許しを請うのなら、“態度次第”では、情状酌量の機会をくれてやっても――」
『金沢無伝』
「――ッ誰だ!?」
響いた声。
四方八方から反響して、場所の特定が出来ない。
『昭和四十二年六月十日生まれ。現在の家族構成は離婚協議中のため別居している妻子がいるのみ。離婚理由は家庭内暴力及び不倫。二十年前の大戦で異能に覚醒するも、稀少度Dランクの上、霊力総量も霊力制御も並以下であったため、シェルターで過ごす。悪魔の脅威も実感しないまま大戦終了後に両親の遺産を受け取り、数々の賄賂と軽犯罪によりのし上がる。その後、世界最大規模の超人至上主義団体“エデン”のバックアップを受けて影ながら魔導術師狩りを行い、その過程で有用な犯罪者は受け入れ、私兵として扱っていた。その中には、指名手配犯の“樟居直甫”や“クルス・赤木”なども含まれる』
響く声。
その内容は、耳を疑うモノばかりだ。
声の内容が進む度に、金沢無伝は顔を青ざめ、狼狽し、唇を震わせている。彼自身の仕草がコトに真実味を持たせていることなど、気がつくはずもなく。
……それにしても、なんという操作精度。全力ということなのだろうけれど、流石だ。
「ッッッデタラメだ! ワシが犯罪者と繋がっている? そんなはずがないであろう!!」
脂汗。
張り上げる声。
静まりかえった廊下に響く、狼狽。
『取引手形は直筆を確保。燃やした程度では焼き滓から再生できるとは知らなかった?』
「な、に?」
『おまけに、“証言”も確保できた以上、最早逃げ場は無いと知れ、外道』
「証言だと?! 嘘をつけ! 口から出任せに決まっているだろう!!」
出任せ?
そんなはずはない。あれほど優秀な彼女が、そんな詰めの甘いことをするはずがない。
ましてや敵対者であるこの男に対して、ね。
――ジジジッ……
――『ひっ、ひゃっはァ……楽園だよ! 無伝様はオレに約束してくれたのさ!』
声。
その声色に、金沢無伝は口を噤む。
――『また幼児どもを嬲れるあの楽園に、オレを連れて行ってくれるとナァッ!! だからオレは協力したんだ! こんな醜い身体になってまで、無伝様のもたらす天使薬にも手を染めて、なんでもやってきたんだッ!!』
――『無伝? 金沢無伝のこと?』
「や、やめろ、止めさせろ! おい、誰か、おい、おまえたち、止めろォォッ!!」
――『そうさァッ!! あの方は犯罪者たちの味方だよッ! オレも、赤木も、久坂も、賀木も、ミンナミンナミンナ、無伝様によって集められた精鋭だッ! ひ、ひひ、あの方を怒らせた以上、おまえたちは全員終わりなんだよ! もうすぐ来るぞ、あの人の集めた特殊部隊が、おまえたちを屠りに来るぞッ! ひ、ひひ、ひーっひゃひゃひゃひゃ――』
――……ジジジジッ……ザー――ブツッ
録音が終わる。
あまりにもあっけなく、衝撃的な録音だった。
「ぎ、偽造だ、そうに決まっている!」
「――では、確かめてみましょうか? この学校には優秀な思考捜査官がおります。彼なら確実に、真実を解きほぐすことでしょう」
「っ、おま、おまえ、は」
廊下の向こう。
薄く微笑んで佇む茅さんが先導して連れてきたのは、今日、特専を訪問していた政府上役たちだ。
「お気づきでなかったようですが、校内にやりとりの全てが流れております」
そう、鋭い視線で踏み込んだのは、乙女さんだ。
――国際刑事機構特殊能力犯罪対策課・碓氷乙女。
「君のような人間が娘の通う学校に訪問していたとするのなら、ぞっとするねぇ」
蔑んだ口調、冷たい目、酷薄な笑み。純粋なる、“父”の怒りを見せる有栖川博士。
――世界特殊職務機構管理協会・役員・有栖川昭久。
「ここが年貢の納め時よ。そうそう、ついでにうちの式がこんな資料を持ち帰ったのだけれど……横領とは、大胆不敵にも程があるわね、金沢無伝」
ばさっと手に持つ資料を掲げ、ここぞとばかりに追撃を加える、良い笑顔の時子姉。
――退魔七大家序列三位・黄地・ご意見番にして“英雄”黄地時子。
「指名手配犯、樟居直甫についての詳細資料もお渡しします。僕はメッセンジャーですが、この資料の価値は、暦・文月・神無月の連名にて署名がありますので、ご安心を」
告げるのは、恭しく礼をした、白ジャージの茅さんだった。にしても、すごい連名だ。
――真伝十三家統括・暦・暦黄泉。
――真伝十三家・文月史。
――真伝十三家・神無月茅。
「ひ、ひ、ひひ、う、ぁ」
この名だたるメンバーを前に、金沢無伝は後ずさる。
『ああ、そうそう』
「またおまえか! なんなんだ貴様はッ! 姿を現せェッ!!」
『映像展開』
彼女が、どこからか映像を展開する。
そこには別の角度から撮影した、金沢無伝が、自分で自分の腕を切る瞬間だった。
「あ、ああ、あああああぁぁぁ」
糸の切れた人形のように、膝を突いて呆然と虚空を見る金沢無伝。
もはや精も根も尽き果てたのか、暗くくぼんだ目には何も映していない。
「乙女」
「ええ、時子さん。――連行しなさい」
乙女さんが指を鳴らすと、影からシュタッと忍者が現れる。
えええ、ICPOって、そういう組織なの? こう、忍者というか、お庭番というか。あれでも、“国際”刑事機構だよね? 外国の方は?
き、気になるけれど気にするのはやめておこう。要らぬ藪を突いても、碌なコトにならないからね。
「立て」
「――るな」
「おい、どうした」
「――ワシに触るなァァァァッ!! もうなにもかもおしまいだ。なら、おまえたちも道連れだ!! ヤレェッ、クレマラァァァッ!!」
SPたちの表皮が“燃える”。
皮一枚の内側から出てきたのは、流麗な黒いボディ。号令と共に現れた彼らが、腕部装甲を展開し、ICPOのメンバーに殴りかかる、直前。
「過剰浄化――」
体勢を低くし、片腕を顔の前へ、片腕を大きく引いて、クレマラの眼前に“出現”したかのような鋭い踏み込みを見せた茅さん。
「――【ディバイン・オーバー】」
白く輝くアッパーカットが、クレマラの顎に突き刺さる。
同時に、光だけが貫通し、粒子となって消えていくと、クレマラは糸の切れたマリオネットのように、ガシャリと音を立てて沈んだ。
人間の生存欲求すら“欲望”と拡大解釈して消し飛ばす、問答無用の浄化拳。クレマラ以前のエグリマティアスには効果が無かったようだけれど、クレマラには効くのか。機械の進化を根底から叩き潰す一撃だ。すごい。
「このメンバーに喧嘩を売ろうとは、命知らずにも程があるよね」
茅さんの呆れたような視線。
それはそうだろう。なにせこの場には、各地選りすぐりの精鋭たちがみっしり揃っている。逃げ場なんてどこにも……いや、待って。
「時子姉、壁!」
「ひひひははーッ、もう遅いわッ!!」
私の声と同時に、クレマラが金沢無伝を片手に壁を突き破る。
外から逃げだそうと言うことだろう。飛び出したクレマラは……しかし、空中で動きを止めた。
「【展開】――捉えた!」
乙女さんの背後。
気配を殺してずっと証拠を突きつけていた彼女、夢さんが、刻印鋼板の腕部装甲から放ったワイヤーが、クレマラの足に巻き付く。
「悪いけど、こちとらまだ怒りの“い”の字も晴れちゃいないのよ!」
「くそッ、やれ、クレマラ!」
『リョウショウ、ハイジョスル』
クレマラが脚部の装甲をパージ。
そこに宿るのは、韋駄天の力だろう。機械さながらの合理判断は、なるほど正確で恐ろしい。けれど純然たる憤怒に燃える夢さんは、その機械の判断すらも刹那に越えていた。
『ハツド――ナニッ?!』
炸裂音。
噴射口に“正確に”打ち込まれた鏃が、韋駄天の力をはき出そうとしたクレマラを罠に嵌めた。空中で藻掻くクレマラは、操作を誤って金沢無伝から手を離す。
当然、その下にあるのは地面だ。ここは三階。運が悪ければ死ぬこともあるだろう。けれどその逃避すら――夢さんは、逃さない。
「捕まえた」
「ひッ」
金沢無伝に巻き付くワイヤー。
夢さんの身体を咄嗟に私と乙女さんで支えると、夢さんはそれを軸に金沢無伝をワイヤーで引き寄せた。
「や、やめ――」
「私の鈴理を散々追い詰めたコト、この一撃で理解しろッ!!」
岩を叩くような、音がした。
振り抜かれた夢さんの拳。刻印鋼板に包まれたソレは並大抵の威力では無く、金沢無伝は鼻血を噴きながらのけぞる。
「――ろうぎゅぅぃアァッ!?」
「天罰的中。寝てろ!」
トドメのかかと落としが決まると、金沢無伝は廊下のタイルを砕いてバウンド。
白目を剥いて、砕けた廊下の上で気絶した。
そして、未だ藻掻くクレマラを――紅蓮の焔が、灼き融かす。
「【第三の太陽】――やっと出番か。オレを温存するのは良いが、燻らせるなよ、時子」
「活躍できたんだから良いでしょう?」
「そうだよ、我が儘言わない。僕なんかこれから、穢いゴミの脳内探索だよ?」
そう、校舎の外に浮く獅堂と七。
最後の一体のクレマラも、抵抗の前に、時子姉の白虎(簡易召喚)に噛み砕かれた。
「……今度こそ連行だ。金沢無伝」
白目を剥いている金沢無伝を、ICPOの忍者たちは雑に引っ張る。
さりげなく回復系の異能を使用しているようだが、あくまで最低限だろう。そんな彼に、七と獅堂は護衛要員として引っ張っていった。
もっとも、最後にウィンクしていった獅堂のことだ。色々と察して離れてくれただけだろう。
事後処理のため、時子姉たちが離れる。
そうすると、茅さんも“空気を読んで”と言い残して、席を外した。
ぽっかり空いた壁の穴から、夕暮れが見える。ここに居るのは、私と夢さんだけだ。
「夢さん」
答えは返ってこない。
だから私は、俯く彼女を抱きしめる。
「私、私っ、なにも気がついてあげられてなかった! 鈴理がずっと抱え込んでいるの、気がついてなかった!」
「夢さん……」
「親友なのに、鈴理の親友なのにっ! わたっ、わたし、私は!!」
「大丈夫、大丈夫だよ。貴女はちゃんと、鈴理さんの支えになっていた。だから、大丈夫。偉かったね。よく、頑張ったね」
「わた、私、私はっ、頑張ったのは、うぁっ、す、鈴理でっ!」
「鈴理さんも、みんなも、もちろん夢さんだって、友達のために頑張ったよね? ――だから、偉いね。よく、頑張ったね」
「うぁっ、うぇぇっ、ああああぁっ、みち、先生、せんせぇっ、ぁうぁぁぁぁぁぁぁっ」
しがみついて泣きじゃくる夢さんを、優しく抱き留めて頭を撫でる。
よく頑張ったね、偉かったね、と、彼女の努力を讃えるように。
だから。
(私の生徒を傷つけた罪、地獄の淵で後悔させてあげましょう――“エデン”ッ!)
私は、誓う。
如何なる手段を以てしても、必ず彼らを殲滅することを。
手始めに、まず間違いなく行動を起こすであろう今夜に、思い通りに行かない現実があるということを思い知らせてやろうと、心に誓いの楔を打ち込んで――。




