そのじゅういち
――11――
――森林部・元洞窟地帯。
森林部の奥の洞窟地帯は、前はちゃんとした洞窟だったみたいだけれど、度重なる戦闘によって(主に鏡先生が)崩してしまったようで、今は平らな岩石地帯になっている。
わたしたちは作戦で、わたしを狙う敵をここにおびき寄せる算段になっていた。確実に正体を暴いて、証拠を得て、裏にいる金沢無伝に言い逃れが出来ないようにすること。そのために、さして情報を得ていないであろう下っ端の戦闘員を、早々に片付けること。それが、わたしたちのプランだ。
『見えたぞ、鈴理!』
「うん! 確認した!」
『着地をする。捕まっていろよ』
「わかった!」
大きく跳躍するポチ。
わたしはそんなポチの背にしがみつき、着地の衝撃に備える。
けれど、ポチが巧くやってくれたおかげで杞憂に済み、ほっと一息を吐きながら、わたしはポチから降りて岩石地帯に立った。
「ありがと、ポチ」
『うむ。撫でても良いのだぞ?』
「はいはい……こう?」
『おお、うまいぞ』
ポチのふわふわの毛並みを堪能しながら、わたしはただじっと、目標の人間を待つ。
カフスも正常。平面結界も展開済み。超覚も発動させている。うん、問題は無い。
『こちら夢。観測位置に付いたわ、茅も一緒』
『こちらアリュシカ。狙撃位置に付いたよ。フウコも隣に居る』
『こちら刹那。速く動きすぎ。酔う』
カフスから聞こえてくる声に、安心する。
大丈夫、大丈夫だ。なにが来ても、きっと大丈夫。こんなにも心強い友達が、わたしについていてくれるんだから。
『こちらアリュシカ――観測。接敵まで十秒、敵影四!』
「っ来る」
森林部を駆けながら、わたしたちの前方百メートルほどの位置に降り立つ四人の男。
彼はこれまでのひとたちに比べて、明らかに雰囲気が違っていた。
「巧く逃げたつもりだったんだよね? 惜しかったね、残念だねぇ」
『データ照合。久坂西後二十六才。児童暴行、虐待で逮捕歴あり』
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら、にじり寄るように近づく男。
同時に、夢ちゃんが照合を進めてくれている。
「チッ、もっと強気な女を狩りたかったんだが」
『データ照合。クルス・赤木。ハーフ。恐喝・暴行・強盗で逮捕歴、ね』
褐色にひげ面の筋肉質な男が、ナイフを片手に歩いてくる。
残念だと言いながらも、暴力による悦楽を、隠そうともしていない。
「ひひ……幼女……声……ひひ……ブツブツ……うひひ」
『データ照合。賀木方麻。盗聴・盗撮・窃盗の常習犯。逮捕歴だけなら一番多い大変態ね』
うわぁ。
白衣を着た、頬のこけた眼鏡の男。ずっとブツブツとなにかを呟いていて、正直、すっごく怖い。
「ははは、やっと、やっとだ、やっとこの時が来たね」
『データ照合……できない? シルエットに登録が無いわね。おそらく整形かなにかで顔を変えているわ。声質からも難しいかなぁ。鈴理、なんとかやってみるから警戒を……鈴理?』
そして。
「ああ、変わらない。変わらないね、ひひ、嬉しいよ。今度こそ、君と添い遂げるんだ!」
わかる。
姿形が変わっても、はっきりと理解できる。
「出逢えたね、また出逢えたね、オレのお姫様」
わたしが信用して。
――間抜けにも懐いて。
わたしが信頼して。
――頼れる大人だと願って。
わたしを裏切ったひと。
――無様にも、傷つけられた。
「樟居、せん、せい……?」
刻みつけられた傷が疼く。
信用できる先生だと思ったのに。
大人の男の人に怯える日々は、終わったと、思いたかったのに。
『先生? あの、どうしたんですか?』
『ひっ、やだ、なんで、お願いです、やめてください』
『なんで、どうして? 信じてたのに、わたし……っ』
『樟居先生のこと、信じて、たのにっ』
記憶が蘇る。
自分の中に蓋をして。
ずっと目を逸らして。
ただ、変質者の一部として扱って。
本当の痛みから、目を逸らした記憶が。
「あひは、はははひひひひひひひゃぁっははははははッ!!」
音を立てて、開いた。
――/――
岩石地帯から離れた一角。
思いも寄らない状況に、歯がみする。
「鈴理、鈴理! 応答なさい! 鈴理!!」
『こちらアリュシカ! フウコが行ってくれた。夢はデータの照合を!』
「っわかった! ごめん、いえ、ありがとう、リュシー」
『いいや、困った時はお互い様だよ、ユメ』
最後の男を見てから、あからさまに様子がおかしくなった鈴理。
迂闊だった。きっと、アレは鈴理にとっての天敵。いや、それなら却って調べやすい。過去の、鈴理のトラウマメンバー、歴代変質者で私が出会う以前の人間を当たれば良い。
そう碓氷の特殊端末に接続しようとする私に、声が掛かる。
「そうか、アレが樟居直甫か。こんなところでお目に掛かるとは思わなかったよ」
「茅……?」
「簡単に情報を言うよ。彼の名前は樟居直甫。横須賀の小学校で教員をしていたけれど、女児への拉致監禁で逮捕された。それなりに使える異能を持っていたからエリートの道を進んでいたけれど、その件で失脚。消息不明。僕は彼を、観司さんからの依頼で調べていて、今回は一部報告のために立ち寄ったんだ。それがまさか――本人の姿を見ることになるなんて、ね」
茅はそう言うと、“霧の碓氷なら”と、頼み込む私の端末に樟居直甫のデータを送ってくれた。
樟居直甫、三十七才。事件当時三十二才。神奈川県出身で、特専設立と同時に大学進学適齢であったため異能に合わせて中部特専大学部に進学。優秀生徒に名を連ねる。
教員免許を所得し、特専への就職を望まれたが、本人の強い希望があり母校の小学校へ就職。人望を集める良い教員で、保護者からの評判も良く、生徒からの人気も高い。近所でも評判の“良い先生”であったのだという。
「なるほどね」
写真に写るのは、平凡だが親しみのある顔立ちの、優しそうな男性だ。
そんな“評判の先生”は偶然、鈴理の担任になる。それまで大人の男性に恐怖心を抱き、ふさぎ込みがちだった鈴理も、誠実な教師であった樟居が鈴理の心を解きほぐし、明るくなっていった。
けれど、冬。家に帰ってこない鈴理を親御さんが心配して通報。樟居を含めた数名で捜索するも発見ならず。翌朝まで見つからず、大事に見て休校。その後の調査で警察が異能犯罪を危惧、特課に捜査本部を設立して僅か半日で犯人を特定。
樟居が一人で暮らす一軒家で、鈴理を発見。多少の殴打など暴行を加えられた跡はあったが大事には至らず、救出。鈴理は“幸いにも”記憶の大半を失い、補完(ざっくりとしか覚えていない、というように)していたため、以前ほどふさぎ込んだりはしなかった。
その後、樟居は家宅捜査により数百件もの“余罪”が発覚。逮捕されたが公判中に逃亡。以降、消息不明だった。それが何故あの場にいるのかは知らない。けれど。
「っっっざけんなッ!!」
拳を、地面に叩きつける。
鈴理が今までどんな思いで過ごしてきたか、私は知っている。中学の頃、最初に出会った頃は、表面上には出さないように努力をして、それでも、大人の男性とすれ違うと身体を震わせていたのを知ってる。
お世話になった人、鏡先生や九條先生、レイル先生。それから、金山に一度は敵対した手塚のことだって、信用したいし信頼したいのに、ただ“男性”というだけで距離を置いてしまっていて、その理由がわからず、いつも苦しそうにしているのだって知ってる。
祖父に虐待されて、乗り越えて、その力を今度は自分が使えるようになって――異能を使う度に、影も形もない“何か”に怯えているのだって、知っている。私は鈴理の親友だから。鈴理をいつも、一番傍で見てきたから。
「これ、使って」
「っ……ありがとう、茅」
受け取ったハンカチで、乱暴に顔を拭う。
私がここでこんなんになって、いったい何の意味がある? 一番苦しいのは鈴理だ。私じゃない。誰より“今”苦しんでいるのは、鈴理だ。
「今、鈴理はやっと踏み出せたんだ」
「うん」
「ずっとずっと苦しくて、それでも今、やっと前を向けたんだ」
「うん」
「頑張って、頑張って、苦しくても頑張ったのはあの子なんだ」
「うん――うん、そうだね、笠宮さんは“えらい”子だ」
だから、もう鈴理が、理不尽に“頑張る”必要がないように。
心の思うままに生きて、笑って怒って泣けるように。
親友が、私たちが支えないで、誰が支えるっていうんだ!
「茅、力を貸して」
「僕で良ければ」
「ありがとう――樟居も金沢も国連も、なにもかも関係ないわ」
鈴理を苦しめる連中は、全部暴いて全部晒して、全部から追い詰めてたたき落とす。
「霧の碓氷を侮るべからず――その首、五里霧中に散らされたくなければ」
鈴理の戦場は、リュシーたちに任せる。
私は私の戦場で、どこまでも戦い抜こう。
「行くよ、茅」
「わかったよ、夢」
影に消える。
ただ、己の仇敵を刃に捉えて。
闇から霧へと、渡り歩くように――。




