えぴろーぐ
――エピローグ――
窓辺から差し込む陽光が、瞼の裏を強く照らす。
日差しはあたたかく、優しい。もう少し寝ていたいような気もするが、今日は果たして休みだったか仕事だったか。休みだったら二度寝すれば良いのだし、と、思いたい瞼を持ち上げる。
そうすると、最初に目に入ったのは天井だった。見覚えの無い景色に首を傾げて、そういえば旅館に来ていたんだと、寝ぼけた頭で思い出す。よし、二度寝しよう。そんなことだけ考えて、仰向けだった身体を横向きに転がす。
……でも何故だろう。壁を目の前にしたかのような圧迫感。むむむ、変な向きで寝てしまったのだろうか。そう、うっすら瞼を開いてみると、まず飛び込んだのは肌色だった。ベージュでは無く、肌色だ。景色に肌色とはこれ如何に?
こうなってしまうと、無理に閉じた瞼もまた開けたくなる。好奇心と不安がせめぎ合い、睡眠を中断してでも確認しろと本能が訴えてくる。なら、仕方がないのでちゃんと目を開けて確認しよう。なんて、そう、決意をして。
肌色。
逞しい胸板。
着崩した浴衣。
「――……んんん?」
向き合った姿勢。
愛おしげに見つめる双眸。
優しく持ち上げられた頬。
「たく、と、さ、ん?」
「おはよう、未知」
同じ布団。
同じ毛布。
同じ枕――じゃなくてこれもしかして、腕枕?
「っっっ!?!?!!」
釣り上げられて直ぐの魚のように跳ねて、ごろごろと転がり距離を取る。
がつんっと柱に頭をぶつけて、ぷるぷると悶えながらも“色々”確認。一線は越えてない? いや、そういう問題でも無くて! どこまで、とかあるし!
なによりの問題は、昨日、変身した後からの記憶が一切無い!?
「ななななな、なん、なん、なん、で?」
「く、くくっ、ははははっ、なんだ、まったく覚えてないのか?」
「ええっとそのあの、はい」
「教えてやるから、ほら、こっちへ来い」
言われたとおり、起き上がった拓斗さんに近づいた。
すると拓斗さんは私の手をとり、くるっと体勢を入れ替える。というか、押し倒されるような形になる。え、なんで?
「じゃ、昨日の続きから――」
拓斗さんが、そう言って。
「――始めようか」
頬に手を、当てるから。
「ひゃぁぁぁぁっ」
私は今度こそ悲鳴を上げて転がって、再び柱に頭を打ち付けるのであった。
と、いうことで。
「悪かったって、そうむくれるな、未知」
「むくれもします! 何があったかとひやひやしたのに、冗談だったなんて!」
旅館の朝食はビュッフェ形式だ。
サラダやスクランブルエッグを貰ってきて、拓斗さんと並んで口にする。その間、私はそうやって、少々“お説教”させて貰っていた。
うぅ、二回もぶつけた頭が痛い。こぶになってないよね?
「だがな、未知。おれは一晩中据え膳だったんだぞ? 手を出さずに我慢していた分だけ、可愛らしい未知の反応というご褒美が欲しいと思うことも、許してくれないのか?」
「うぐっ」
そう、そうなのだ。
なにも同じ布団で寝て、腕枕をしたことまで拓斗さんの“冗談”だった訳では無い。何でもあの後、すっかり幼児退行してしまった私は拓斗さんにおぶられて旅館に戻り、同じ布団で腕枕を強請り、色々と期待した拓斗さんの前で爆睡。
悶々とした夜を過ごした拓斗さんと、まぁ、スッキリするまで寝た私。そう聞くと、うぅ、なんだか私はとっても“わるいおんな”なのではなかろうか。
「そ、それについてはごめんなさい」
「良いよ。だから次は、起きていてくれよ?」
起きてなにをお求めなのでしょうか。
その言葉は、辛うじて呑み込むことが出来た。
「それで、あの後、“アレ”はどうなったの?」
「有栖川博士が回収してくれたよ。――やはり、犯人は例の人が最有力候補、だそうだ」
「そう……」
ただ、確保してそれで解決と、すんなりいかないだろうなぁ。
なにせ相手は世界に影響を与える天才博士だ。世にもたらす混乱はもちろん、犯罪者でも構わないという国に狙われないように、注意が必要だろう。前途多難だなぁ。
なんにせよ、ハッキリと世間に突きつけられる証拠を見つけないと、このまま狸の皮算用であることは否めない。
「地道にやるしかないわね」
「ああ、そうだな。違いない」
それはそれでとても大変だし、なにより、証拠を掴むまでの間に新たな被害を出すわけにも行かない。最重要機密でかなりの危険を伴うから、以前のように暦さんの探偵事務所に依頼を出す訳にもいかない。
そうなると、やはり、頼れるのは有栖川博士の解析、かなぁ。機械兵士から虚堂博士のDNAでも出てきてくれたら手っ取り早いのだけれど、さすがにそんな下手は打たないことだろう。
「はぁ……」
「ため息ばかり吐いていると、幸せが逃げるぞ?」
「わかってはいるのだけれど、ね」
「大丈夫。未知一人じゃ無いんだ。おれが支える――頼りにならないか?」
「そんな! ことは、ない、です」
そんな風に言われると、どうしても昨夜のことを思い出してしまう。
湖畔で手を取り合って、口づけを交わし、愛に溺れるように……って、あんまり思い出すのは止めておこう。いたずらに顔が熱くなるだけだ。
「さ、未知」
朝食を終え、手を差し出され。
「うん、拓斗さん」
手を取って、立ち上がる。
確かに前途多難だし、何かと躓きそうにもなる。けれど、甘えてもいいとそこまで言ってくれるのなら、もう少しだけ、頼らせて貰おうかな。
「ありがとう」
小さく呟いた声に、当然ながら返事は無い。
気がつかなかった振りをしてくれる優しさに、私は少しだけ微笑んで、拓斗さんに身体を寄せる。
どうか、この感謝が伝わりますように。そんな願いを、込めて――。
――/――
大きな部屋の中。
モニターを見つめる男――静間は、持ち帰ったメモリに首を傾げる。
「英雄を圧倒した後の画像が消滅している? ふむ」
複数の方法で監視をしていたが、英雄、拓斗を圧倒し始めてから以降のデータに全てノイズがかかっていた。なにか特別なことをしたのは間違いないが、現状では対処にしようが無い。
静間は深く背もたれにもたれかかり、けれど直ぐに気持ちを入れ替えた。
「まぁしかし、貴重なデータがとれたよ」
なにせようやく、ほしがっていた、英雄の“全力”の闘争を記録できたのだ。想定していた結果とは言え、喜ぶより他に無い。
「博士、お茶が入りました」
「ああ、ありがとう。スィア。いただくよ」
そう、虚堂に話しかけたのは、メイド服の女性だ。
波打った黒い髪は、流されているが乱れない。
「さぁ、もう少しだ。もう少しでスィア、君を完璧にしてあげられるよ」
「はい、楽しみにしとうございます、博士」
「くくっ、ああ、そうだろう。そうだろう……くく、ははははははっ」
男は笑う。
大きな部屋の中、紅茶のカップを片手に笑う。
まさしく狂ったような笑い声を上げる静間を見ても、スィアと呼ばれた機械人形は動かない。静間はそれを不満げに眺め、それでも直ぐに優しく微笑む。
「完成の時は近い。そのときこそ、我が復讐はここに完遂するのだ!!」
笑う。嗤う。ワラう。
ただその身が地獄の業火に灼かれようと、静間には関係が無いのだろう。
彼はそう、ただ、モニターの前で笑い続けた――。
――To Be Continued――




