そのご
――5――
有栖川博士との会食。
そこで得られた“推測”は、私たちに衝撃を与えるモノだった。
魔導科学の権威。“パイオニア・シティ”建設にも深く携わった、一人の天才。
虚堂静間博士。
フィリップさんのクラウン社と並ぶ大企業、サイレント社のCEOにして技術顧問を兼任する、世界的にも有名な科学者だ。
彼が犯人だろう。そう語った有栖川博士の横顔は、苦痛に満ちていたように思える。私は会食の最後に見せた有栖川博士との会話を思い出して、そう、想起した。
『――彼には、静間には、異能者を憎む理由がある』
『理由、ですか?』
『そうだ。静間は、異能者によるテロ行為によって妻を亡くしている。それからしばらくはどこかへ消え、再び連絡が取れた時には死を乗り越えたモノかと思っていたよ』
『だが、それは違った。そういうことだな? 博士』
『ああ、そうだよ、拓斗君。きっとまだ、彼の心には復讐の炎が燃えさかっている。それこそ、異能者に味方をする魔導術師まで手にかけようとする程には、狂気に染まっているのだろう』
確かに、そうだ。
パイオニア・シティで暴れたら、無関係な魔導術師の命も多く失われることだろう。それは、あの場に私たちが居なければ、十二分にあり得た未来だ。
だというのに、躊躇わずに、パイオニア・シティを壊滅させた。それは判断能力がおかしくなってしまっている、ということなのだろう。このまま放置をしていて良い相手では、ない。
だが、だからどうする? 有栖川博士は、虚堂博士が犯人であるという確たる証拠を得られたら、直ぐに動いてくれるという。なら、私たちはそれを待つことしか、できない。
「妻を亡くした、かぁ」
「未知?」
会食を終え、帰路に就く中。
拓斗さんに無理を言って立ち寄って貰った芦ノ湖の湖畔で、重く息を吐く。
「大事な人を失ったことがないなんて言えない。けれど、きっと、こればかりは誰の悲しみとも分かち合えないんだろうなぁ」
「トルストイ、か?」
「“幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭にはそれぞれ不幸な形がある”?」
「そうだな。傷の舐め合いっていうのは乱暴な言い方だが、慰め合っても理解には及ばない……そんなことは、往々にしてあることなんだろうさ。だが、それで見境なく不幸な家庭を作り出すのは、ただの八つ当たりだよ、未知」
「ええ、そうね。肯定して良いことでは無いわ」
それでも、思ってしまうことがある。
分かち合う何かがあれば、わかり合う誰かが居れば、支えとなる方が居れば、もしかしたら狂気に走ることは無かったのではないか、なんて。
――そう思うのは、同時に、怖れているからだ。もしも私が憎しみに囚われる復讐鬼となっていたら、その先に、今のような世界は無かったことだろう。そう、堕ちた自分を想像して、卑しい妄想に怯えている。
だから。
「大丈夫――未知はそうは、ならないさ」
告げられた言葉に。
見透かされた事実に。
「拓斗、さん?」
思わず、拓斗さんを見上げる。
「わからないとでも思ったか? まったく、ばかだな。おれがどれだけおまえのことを見ていたと思っているんだ」
湖畔で肩に手を置かれて、覗き込まれた瞳に、私の姿が映り込む。
「もし、憎しみに身を焦がしていたら、おまえはまずこう言うだろうよ。“私から、誰かを傷つける力を奪って欲しい”……なんてな」
「善く、見すぎよ。そんなに善人では無いわ」
「いいや、そんなことはないさ。おまえは善人だよ。傷つけられることよりも傷つけることの方が怖くて、嫌うよりも許す方を選ぶ。そんな未知だから、おれは」
腰に回される手。
頭を抱え込むように、大きな胸板に吸い込まれる。
「おれは、未知のことが好きになったんだ」
「っ」
「おれは、未知が未知だから、好きになったんだよ」
好き。
好意を示す言葉。
愛おしげに紡がれる声が、私の心を満たすようであった。
「未知――」
「ぁ」
小さく、離れる身体。
頬に寄せられた手が、顔を上げさせる。
「いやか?」
「そんな、こと、聞くなんて――ずるいよ、拓斗さん」
思えば、誰からの口づけも不意打ちのようなものばかりだった。
だからだろうか。唇を交わしたことの無い初心な少女のように、寄せられる熱に身を任せてしまう。こんな、中途半端に返事も保留して、流されてはだめだとわかっているのに。
「綺麗だ、未知」
愛おしげに紡がれた言葉が。
雨のように降り注ぐ愛が。
「愛してる」
「っん」
押しのけようとした指先を、甘く痺れさせた。
「ぁっ、ん、拓斗、さん」
唇から離れて。
瞼に口づけを落とし。
首筋に顔を埋められ。
吐息の漏れた唇を、深く、奪われた。
「っ、っ――……っ」
だめだよ。
こんな風に、流されてなってしまうのは、だめ。
こんな風に、拓斗さんの想いをなぁなぁで受け取ってしまうようなことだけは、したく、ない。
「だめっ――だめだよ、拓斗さん、ダメなの。今の私に、誰かの思いに応える余裕なんかない、から!」
「ああ、そうだな、知ってるよ」
「知って……え?」
それって、どういうこと?
そう首を傾げると、拓斗さんは肩を震わせて笑っていた。
え? え? からかわれ、た?
「た、拓斗さん?!」
「おっと、落ち着け未知。当たり前だが、冗談で言ったわけでもキスをしたわけでも無いぞ?」
「当たり前です!! って、それなら、どういう?」
そんな楽しそうにされたら、そりゃあ気になる。
仮にも拒否したんだから、落ち込まれるか怒られるくらいは覚悟をしていたのに。
「――やっと、本音で答えてくれたな?」
「っ」
「余裕ない、か。そりゃそうだよな。おれだったら、仲間だと思っていた人たちから告白ラッシュに遭ったら、余裕なんかなくなるだろうよ」
そういえば、なんだかこう、“教師の仕事に専念したい”とか、そんなような理由で断っていたような気がする。いやでも、別に嘘でも言い訳でも無くて。
「みんなが傷つかないように、いつも言葉を選んでくれている。そんなことはとっくにお見通しさ、未知」
「だから、拓斗さんは……善いように、捉えすぎよ」
「そうやって直ぐ、後ろ向きになる愛しい女の子が居るからな。傍に居るおれは前向きじゃないと、バランスが取れないだろ?」
「ああいえばこういうのだから。もう」
愛嬌のある笑顔で、拓斗さんは自慢げにそう告げる。
なんだろう、この、もう、なんだろう。とてもとても、腑に落ちません!
「――余裕がないから、恋人は作りたくない。そう言っても良いんだよ、未知」
「っでも、それは」
「きっぱり“無理”って言っても良いんだ。それは、おれたちの落ち度なんだよ。それを、振り払うことも躊躇って、傷つけない最善を模索して、最後には自分だけが傷つこうとする。その行為は高潔だが、おれは見ていられないよ」
さっきまでとは違う。
優しく頭に置かれた手が、胸を満たすようだった。
「おれにも獅堂にも、ズバッと言って良いんだ」
「断られても、良いって言うこと?」
「ああ、良い。だってそうだろう? ――“余裕がない”っていう未知の心を乗り越えて、優先順位をひっくり返すほど惚れさせれば良いんだ」
「っ」
ま、前に獅堂にも似たようなことを言われた気がするのだけれど……あのときよりも客観的に自分のことが見えて、あのときと違ってたくさんデートをしたあとで。
だからだろうか。愛おしげに私を見る彼の瞳から、目が、逸らせない。
「だから未知は、言ってくれたら良いんだ。“やれるもんならやってみろ”って言って、堂々と構えていれば良い。それでやりたいことをやって、自分の夢のために輝くおまえを、おれはいつか必ず手に入れるから、さ」
「それって、なんだかずるい女だわ」
「ばーか。ずるいのはおれだよ。こうやって、未知の心にすり込んでる」
どうしてこうやって、拓斗さんはいつも、私の悩みを当ててくるのだろう。
どうしてこうやって、拓斗さんはいつも、私の心を軽くしてくれるのだろう。
「――甘えちゃうよ?」
「ああ、望むところだよ、未知」
「ふふ、そうやって。ほんとうに、ずるいひと」
「ああ、知ってる」
掌を合わせて、拓斗さんの胸板に額を着ける。
早鐘のように打つ拓斗さんの心臓に、“自分だけでは無かった”なんて風に安心させられて。
「拓斗さん」
「ああ」
「ありがとう」
「――ああ」
撫でる手に、ただ、身を委ねた。
今この時だけは、誰よりも拓斗さんのことだけを考えていられる私でありたいと、そう、願うように。
――/――
眩しいほどに明るい部屋。
四方に配置された巨大なモニターと、地面から生えたむき出しのコード。とてつもなく広い部屋に置かれた幾つものポットには、“エグリマティアス”と呼ばれた機械兵士たちが、並んでいる。
『今夜、作戦を決行する! 良いな?!』
モニターの一つから、欲望に塗れた声が響と、彼は関心の宿らない無機質な瞳で、声の主を一瞥する。
「ええ、ええ、わかっていますよ」
『失敗は許されんぞ! ひ、ひひ、自分たちだけが利権も、金も、女も独占しようなど許されないと、英雄共に思い知らせてやれ!』
「こちらは戦力をお貸しするだけですからねぇ。もちろん、品質の良い物をお送りします。どうぞ有効活用なさってください」
『わかっておるわ! 良いか、時間通りに送り込めよッ!』
「ええ、もちろん。オファーにはお応えしますよ」
満足げな表情になった男が、通話を終了させ、画面から消える。
それを確認することすらもせず、彼は空中投影キーボードをタッチし始めた。
「ふん♪ ふん、ふふん♪ いやぁ、前回の敗因がわからないままでは、こちらも気持ちが悪いですからねぇ」
モニターに表示されるのは、二つの機械。
大型機械兵士と小型機械兵士。それぞれの下にはギリシア語のコードネーム、“檻”と“絞首台”と表示されている。
「今度こそ、敗因を調べさせていただきます故――それまで、あなたには踊っていて貰いましょう。金沢無伝殿」
楽しげに、嬉しげに、キーボードをタッチする。
悲しげに、恨めしげに、モニターを睨み付ける。
「そうすれば、もうすぐ完成だ」
ポットの中。
ひときわ配線が多いもの。
それに接続されたモニターには、黒髪の“女性”の形をした、球体関節の人形が浮かんでいた。
そのモニターに表示されたコードネームは、“裏切り”。閉ざされた瞳になにを映すのか。安らかに眠る人形に、彼は愛おしげな目を向ける。
「さぁ、宴を始めよう」
伴奏のようなタッチ。
演奏のようなタイプ。
「醜い異能者に罰を♪」
「愚かな魔導術師に罪を♪」
「忌々しい天使に烙印を♪」
書き上げられる文字列。
彼の歌は、まるで創世神話のようにモニターの内側を書き換えていく。
「これでバケモノも、バケモノに味方する愚かな人間も、人をバケモノに変える天使も、全てが全て息絶える! そうれば、やっと私たちの世界だ! やっと、君との世界が帰ってくる! なぁ、そうだろう?」
大きなポットに縋り付き、彼はそう、叫ぶ。
「我が愛しの、美琉」
狂喜。
狂気。
凶鬼。
その顔に浮かぶのは、ただ一つ。
「ふ、ふひ、くふ、ふ、はははははははははははっ!!」
復讐を秘めた、狂人のものであった。
「起動」
男は決して止まらない。
ただ一つ、己の目的を達するまで止まらない。
この場に、彼を止められる存在など、どこにもいない。
「さぁ、共に行こう」
きっと、それは、終演まで止まることはない劇場だ。
きっと、それは、どちらかが終焉を迎える、激情だ。
「愛しいひとよ――」
けれど。
そのポットが開くその瞬間だけは。
「――おはよう、“ボク”の美琉」
彼――稀代の魔導科学者、“虚堂静間”は、ひどく優しげな目を向けていた。




