そのいち
――1――
髪はハーフアップにして、眼鏡を外して涼しげなナチュラルメイク。
トップスは青のノースリーブのシャツにして、ボトムスは白スカンツとウェッジサンダル。レースのロングワンピースを前開けして羽織れば、コートのようだ。
流行のカゴバックにはスカーフを巻き付けて、今日は耳飾りも首飾りも、なんだったら久々にマニュキュアにペティキュアも、夏仕様に仕上げてみた。
「じゃあ、行ってくるね」
「はいはい、いってらっしゃいな。でも、次は私のためにおめかしなさいよ?」
「ふふ、ええ。わかったわ、リリー」
教員寮の自室を後にして、特専から出ている電車で麓に下る。
駅の改札を抜けると、周囲の視線が私に向いていた。やっぱり、特専敷地内をスーツや制服以外の人が歩いていると、目立っちゃうなぁ。
「おい見てみろよ、超美人」
「おまえ、声かけろよ」
「無理だって、相手にされねぇよ!」
「うわぁ、きれーなひとー」
「んん? あれってまさか……ファンクラブ会報にのせなきゃ」
小声でなにか話をしているようだけれど、私に向けたモノと思うのは自意識過剰だろう。
連休で空いた電車の中、晴れ渡った空を見上げる。景色や雲の形を楽しんでいると、直ぐに麓に到着した。
八王子の駅から歩いてロータリーへ向かうと、目的の車が直ぐに見えてくる。落ち着いたコリス・グレイ・メタリックのレンジローバー。ドアの前に立って、誰よりも早く私に気がついてくれるひと。
「お待たせ」
「いいや、時間よりも早いくらいだぜ。おはよう、おめかししたんだな。綺麗だぞ、未知」
「ふふ、ありがとう――拓斗さん」
黒のサマージャケットにUネックの白いシャツ。ダークグレーのスキニーアンクルパンツと、キャンパスシューズ。カジュアルにメンズファッションを着こなして、拓斗さんはまず、そう、私を褒めてくれる。
なんか手慣れてないかな、このひと。
「今、余計なことを考えただろ」
「なんで断定?」
「わからないと思ったか。まったく」
こん、と、優しく握り拳を私の額に当てる拓斗さん。
余裕たっぷりの表情でそんな風にされると、私としては悔しいのですが。
「ほら、ふてくされてないで乗れよ」
「はいはい、お邪魔します」
落ち着いた内装のレンジローバー。
天井部はパワーウィンドウになっていて、良く晴れた空が見える。
「拓斗さん、これ、レンタカー?」
「な訳あるか。おれの自家用車だよ」
「お高いんでしょう?」
「まぁな。だが、安い車に乗ってると、バチカンで施されるんだよ。これくらいのグレードで、拘りが見えた方が気安い」
ああ、そっか。
拓斗さんは、かの大戦の折りにバチカンを救い、聖人認定されている。その流れで受ける施しは、さぞ恐縮しそうなものだ。
「聖人というのも大変ね。お疲れ様」
「おいおい、そこはもっと別のいたわり方をしてくれても良いんだぜ?」
「残念、ポイントが足りません」
「ほっほぉ、なるほど……現金か?」
「生々しいことは言わないでくださいね?」
軽快なやりとり。
なんだか、ぽんぽんと弾む会話をついつい楽しんでしまう。昔に戻ったようだとすら思うのは、拓斗さんが変わらぬ笑顔を見せてくれるから、かな。
「学校はどうだ? うまくやってるか?」
「ふふっ、なに? その会話のチョイス。知っているでしょう?」
「心配なんだよ。未知は直ぐ無茶をするからな」
「ご心配には及びません。新任じゃないんだから。むしろ、拓斗さんがちゃんと先生をやれているのか……は、あんまり心配じゃ無い、かな」
「実のところ、おれも一番心配なのは獅堂だったりする」
「ノーコメントで」
高速道路をETCで抜けて、流れる雲を楽しみながら。
SAで休憩を挟みつつ、缶コーヒーを片手に、のんびりと。
「お、もうすぐだぞ」
拓斗さんの声でカーナビを見ると、目的地までだいぶ近づいてきていた。
「未知は、どれくらいぶりだ?」
「ふふ、覚えていないわ。きっと、ずっと前よ」
英雄時代にはあっちこっちへと飛び回っていた。
それを抜かせば、のんびりと出来るのなんて“前世”以来だ。そう思うと、なんだろう。気分が高揚してきたような気がする。もう子供ではないのに、はしゃいでしまいそうになる童心に、面はゆくも思う。
「まずは旅館で荷物を置いて、それから街へ観光だ。それで良いか?」
「もちろんよ。エスコートは、お願いね?」
「ああ、任せておけ」
ナビゲーションの示す街。
東京からおおよそ一時間の、この場所。
観司未知。
本日は、“箱根”の地で温泉旅行。
はい、ええ、その、深い意図はないのだけれど――拓斗さんと二人で、お泊まり旅行と相成りました。
「これで、“完全に慰安目的”だったらなぁ」
「あはは、まぁ半分は旅行だから」
お仕事の、ついでに、だけれど。
――/――
旅館で荷物を置いて一息吐くと、窓からは海が一望できた。
いったいどんな伝手があれば、シルバーウィークにこんな良い部屋が用意できるのだろうか。ちょっと怖いから、聞くのは止めておこうかな。
流れとしては、日中は慰安としてデート旅行。でーとりょこう……いや、深く考えないようにしよう。休暇かつしっかりとしたプライベートである、と、周囲に思わせる必要がある。
そして夜は、“有栖川博士”とさりげなく合流し、彼の家族旅行という名目のディナーをご相伴に預からせていただき、そこで、仕事をする。それから一泊滞在してから帰る、という流れだ。
そう、うん、この旅館で一泊はするんだよね……。
「未知、良い眺めだろ」
「ええ、本当に」
窓辺に立つ私の背に手を添えて、拓斗さんは隣に並ぶ。
やっぱり、なんだか手慣れてはいないか。そうでなかったら――
「おれひとりだと何にも感じなかったが、やはり、未知が居れば違うな」
「もう。大して変わらないでしょう?」
「心が弾めば見るもの全てが輝いて見える。おまえと一緒にいるだけで、いつだって、おれの世界は綺麗なものばかりなんだぜ?」
――こんなに翻弄されている自分が、だめ人間みたいじゃないか。
愛しげな目。堪えきれないように緩んだ頬。背に添えられた手は、優しくて頼もしい。まるで“――――”みたいな、ひと。
「未知?」
「いいえ、なんでもないわ。ねぇ拓斗さん、そろそろ出発しましょう?」
心配そうに覗き込む拓斗さんに、なんでもない、と首を振る。
それだけで、体調に障りはないと察してくれたのだろう。拓斗さんはわざとらしい仕草で手を差し出した。
「ああ、そうだな。さ、お手をどうぞ、おれのお姫様」
なんて、真剣な目で言うから。
「ふふっ、なに、その獅堂みたいな言い回し」
少しだけドギマギした心を、笑って誤魔化した。
「あ、バレたか。あいつもよく素面でアレを貫けるよな」
「なんだか、こう、“昔”を思い出して胸が痛くなる時があるのよね」
「なんのことだかわからないが、“魔女”殿は大変だな」
「わかっているじゃない!」
手を引かれて、拓斗さんの隣を歩く。
なんだろう、一度意識をしてしまったからだろうか。さっきから胸の高鳴りがおかしい。
うぅ、こんなことで今日一日、持つのだろうか。
早鐘を打つ心音は、私に答えを返してはくれない。
ただ嬉しげに眇められた拓斗さんの双眸が、落ち着くことを許してくれないまま、旅館の外へと歩き出す。
どうやら不肖、観司未知。前途多難、みたい、かな。はぁ。




