そのじゅうはち
――18――
大歓声の中、握手を交わす鈴理さんと手塚君を見る。
私たちが色々とちょっかい出す必要なんか、どこにもなかった。生徒たちは自分たちで、きちんと向き合って、最良の結果をたたき出した。
それが、こんなに、嬉しいなんて。
「すごいね、リリー。みんな、とてもすごいよ」
「ふふ、なぁに、泣いてるの?」
「泣かないよ。ただ、本当に嬉しい」
鈴理さんは、私の背中を追いかけてきたから勝てたと、そう言ってくれた。
その言葉に込められた気持ちに気がつけないほど、耄碌していないつもりだ。鈴理さんは、こんな私でも、目指すべき背中だと思ってくれている。
……ああ、なにをうじうじと立ち止まっていたんだろう。そんなことをしている暇なんてない。だって、私は傷つけた“まま”にした。それが、一番やっちゃいけないことだったのに。
私は先生だ。
先に生まれて、教え導くひとだ。
だったら、生徒には目標で在るようにならなければならない。
私の背中を見て歩いてくれる彼らが、いつか、乗り越えていけるように。
「随分と楽しそうですね、観司先生」
かけられた声に、リリーの顔から表情が消える。
でも私は、そんなリリーに笑いかけ、大丈夫だよと微笑んだ。
「葵美さん……いえ、今は“麻生先生”、でしたね」
群青色の髪に、青みがかった黒目。
鋭い目つきに小柄な背の葵美さんが、私を見てそう告げる。
「美人だと持て囃されて調子に乗っておられるようですが、私は――」
「麻生先生」
「――っ、なんでしょう? なにか、気に障りましたか? そんな訳、ないですよねぇ?」
葵美さん。私の、初めての生徒。
至らない私が先生だったから、苦労をさせてしまった女の子。
「あの日、あなたにあの魔導を見せたのは浅慮でした。もう少し、あなた自身と言葉を交わすべきでした」
「っ今更!」
「その上で」
そう、強く告げると、葵美さんはぐっと何かを堪えるように口を噤む。
「……その上で。今一度、成長を果たしたあなたに教授致しましょう」
「え――?」
「教員戦、私のところまで勝ち上がってこれたら、全力でお相手します。――今度こそ、あなたの前で黙り込むような無様は晒しません。持てる全力で私を打ち負かしてみなさい」
「なに、を、偉そうに!」
そうだね、偉そうだよね。
それでも、私の目には、あなたが“あの日”から、前に進めていないように見えるよ。だから、私はあなたの先生として、責任を持って引っ張り上げる。私の魔導術で、導く。
「言われなくても、“未知先生”は私が倒す! それまでに負けたら、許さないんだから!!」
「ええ、楽しみにしています」
「っ……首を洗って、待ってなさい!」
踵を返して走り去る葵美さんの背中を、じっと見守る。
もう、生徒に弱音を吐いたりなんかしない。もう、生徒に嫌われることを怖がったりはしない。私の背中を見て、生徒たちが自信を持てるような――お父さんみたいな先生になるって、決めたから。
「未知」
「リリー?」
「よく頑張ったわね。えらい、えらい」
ふわりと浮き上がり、私の頭を撫でてくれるリリー。
そんな彼女の小さな手がこそばゆくて、私は思わず笑みを零す。小さな笑みなのに、涙を流すような微笑みを、小さく、零した。
――/――
走って。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、なによ、なんなのよ!?」
走って、走って、走って。
それでようやく、一息吐く。
「なんで」
射貫くような目だった。
「なんで」
諫めるような声だった。
「なんで、あんな」
叱られている、ようだった。
「あんな目で、私を見るの? 私は、悪くないのに!」
咎められている、ようですら、あった。
「なんで、どうしてなの? ……――未知先生……っ」
小さい頃に母親は出ていった。
研究ばかりする父を嫌って出ていったと、父からは聞いた。
けれど母はあっさりと私を捨てて、見たことのない男の人と出ていった。
その頃から、父はより深く研究にのめり込むようになったことを、今でも覚えている。我を忘れるように研究を重ねて、時折出かけて、大金を持ち帰る。その度に優しく笑って私の頭を撫でて、自分に言い聞かせるように“こう”言うのだ。
『もうすぐ、楽をさせてやるからな』
生活が苦しくても良かった。父が、父さんが一緒に笑っていてくれたら、それで良かった。けれど“楽”にならないと父さんが苦しいのだと思った私は、浅はかにも、それに頷いてしまっていた。
誰か、父さんを止められる人が居たとすれば、それはきっと私だけだったのに。なのに、私はいつも蒙昧で。
『聞いてくれ、葵美!』
ただ、嬉しそうな父さんを見て、私も嬉しくなって。
『虚堂博士に父さんの研究が評価されたんだ! これで、明日からは引っ張りだこだぞ!』
『ほんとう?! やったね、父さん! 努力が実ったんだね!』
だから、無邪気に、無知に、ただ祝福をして。
『これで今度こそ、おまえに楽をさせてやれる! ……そうすれば、母さんだって』
“それが”地獄の釜を開けるようなものだと、ついぞ、気がつきもせず。
『二番煎じ』
『所詮は虚堂博士に甘えるだけの』
『どうせ絞りカスの魔導術』
『異能よりも格下でしかないのに』
『評価されたといい気になって』
『そういえば妻に逃げられたのだとか』
『どうせ娘もたいしたことは無い』
耳を塞いでも、悪意は募る。
虚堂博士から評価されたことで、魔導術師から僻みを。
研究テーマが異能犯罪対策によるものだったから、異能者から蔑みを。
孤立無援になった父さんは、日に日に衰弱して――ある日、眠るように逝ってしまった。
それからはあっという間だった。
父さんが所属していた企業は、父さんが危機に陥ったとき助けてもくれなかったのに、研究成果ばかり掠め取って、端金を置いて名も実も奪った。
父さんの親戚は途端にすり寄ってきて、財産も保険金も全て掠め取って、私を児童養護施設に放り込んでいなくなった。
父さんはもういないのに、マスコミはおもしろおかしく囃し立てて、私を悲劇のヒロインにして、さっさと飽きていなくなった。
『二番だからダメなんだ。一番だったら、こんなことにはならなかったんだ』
だから、私は一番じゃなきゃダメなんだ。
一番になって、誰よりも強くなって、誰よりも上に立って、誰からも認められるようにならないと――父さんの名誉を回復させることなんて、できない。
『なら、一緒に強くなろう。一人では辛い道のりだって、二人なら、三人なら、きっと足取りも軽くなる』
だから、強くて優しい観司先生に憧れた。
だから、いつかは観司先生も守れるようになりたいと、願った。
だから、でも、それは勘違いだったんだ。観司先生は、虚堂博士と同じだった。私にとっての、虚堂博士だった。あの人が居る限り、私は一番になれない。
――『そうだ、君が君自身の手で、お父様の名誉を取り戻すんだ』
「わた、しの、手で」
――『君で無くてはならない。他の誰でもダメだ』
「他の、だれ、でも」
――『そうだとも。君は自分の手で強くなって、異能者も、異能者と仲良くしている魔導術師も殺すんだ』
「私の、手で」
――『君以外に誰が居る? 君以上に、追い詰められたモノがどこにいる?』
「私、は」
――『迷うな。進めば良い。強くなっただろう? 海外支援もしたじゃないか』
「あ、れ? 海外しえん、だ、れ、が?」
――『復讐せよ。君には、その資格がある』
「そう、だ、復讐、しなきゃ」
そうだ、そうだよ。
これは復讐だ。父さんのための聖戦だ。
異能者と仲良くしている、魔導術師に天罰を与えなければならないんだ。
「ふ。ふふ、もうすぐだよ、父さん。もうすぐ、父さんのことを救うから」
だから、待っていてね、父さん。




