そのろく
――6――
遠征競技戦を間近に控えた特専では、例年にない行事に賑わいを見せていた。
公開はさほど大規模には行っていないが、一般人も入場できるようになっている第六実習室で、試合が行われる。
私たち教員が、遠征競技戦に出るメンバーを決める、教員予選だ。本戦に遠出する予定の人がこんな近い時期に特専まで、それも華のある生徒のものではなく教員のものを進んでみようとはそう思わないようで、会場に集まった人間は、そのほとんどが関東特専の教師や都市部の人間だ。
もっとも、他校の教員が偵察に来ていたり、引き抜きに警察関係者が来ていたり、そもそも関東特専の生徒や学生が勉強目的で見ていたりと、それなりの人数は居るのだけれど。
「ねぇ未知、暇」
「ごめんね、リリー。観客席で、鈴理さんたちと待っていて?」
「えー。もう、しょうがないわねぇ」
私は、というと、現在控え室――本来は準備室――で、こうしてリリーに絡みつかれていた。予選を勝ち抜いて本戦に出場する。そのためには、手の内を明かさないように勝ち抜かなければならない。
こういった公式戦でちゃんと力を振るうのは、ええと、手加減を意識しないで良いと言われたのは初めてだから、正直ちょっとだけ緊張している。そんな中でリリーのこうした態度は、私の肩の力をほどよく抜いてくれた。きっとリリーも、それがわかっていてこうしてくれたのだろう。
「その代わり、デートはしてね? 約束ですわ」
「え、ええ。いいよ、わかったわ」
「ふふ、では大人しくしてあげているから、さっさと蹴散らしてきなさいな」
それが、わかっていて、こうしてくれたんだろう。……たぶん。
艶然と微笑むリリーは、挨拶代わりに私の唇に指を置くと、ふわふわと浮いて去って行った。うーん、相変わらずだなぁ。マイペース。
「蹴散らして、なんてずいぶんと余裕ですね?」
と、聞こえてきた声に振り返る。
白衣にスーツ、尖った顎に落ちくぼんだ目。鷲鼻にねっとりとした髪質。
ええっと確か、大学部の魔導科学教授、恵面唐平教授だ。
「あ、いえ。子供ですから」
ごめんね、リリー。そう、子供扱いしたことを心の中で謝っておく。
純粋に申し訳ないと言うよりも、なんとなくあとが怖いから、なんていう理由は内緒だ。
「へぇ? 言わせたのではない、と? ……これだからコネ入社は」
吐き捨てるようにそう告げる、恵面教授。
その後ろでは、幾人かの似たような視線を感じるが、どれも大学部の教授や助教諭であったり、中等部の教員だ。逆に、高等部の先生方は、そんな彼らに憐れみの視線を向けている様子もあった。
「せいぜい恥をさらさないように努力をすることです。もちろん、“次の試合”では、お手伝いして差し上げますがねぇ。ひぃっひぇっひぇっ」
と、特徴的な笑い方だなぁ。
確かこの先生は、大学部の学生から“魔女男”教授と呼ばれている方だったはず。中々の魔女っぷりに、感心の念が沸き上がるほどだ。
というか、次の試合? ああ、私の初戦は恵面教授なのか。なるほど。ということは、初戦で私は――
(「あれがコネ入社の」)
(「恥をさらす前に予選で」)
(「未知タソハァハァ」)
(「特専にエリート以外必要ない」)
(「な、生未知タソにオギャりたい」)
(「恥知らずの縁故採用が」)
――この空気を、払拭する必要がある、ということか。
一部、払拭できるか怪しい空気があったことには言及しません。しないったらしません。
「チッ……私のママにオギャれると思うなよ」
そんな中、恵面教授と入れ替わりで私の前に現れたのは、今日もビシッとスーツを着こなした瀬戸先生だった。
……のだけれど、舌打ち以外がとても小声で、聞き取れなかったのだけれど、なんだったんだろう?
「あ、瀬戸先生。今、なにかおっしゃいました?」
「いいえ、なにも。ただ初戦を終えたあとの、彼らの掌返しがどれほど惨めか期待をしてはおりますが」
「あー、それは、ええと、お答えしづらいです」
「まぁ、あなたはそれで良いでしょう」
そう、瀬戸先生は珍しく、頬を緩めて苦笑する。
なんだろう、諦め……ではないかな。受け入れている? 優しい表情だな。この人は、こんな顔も出来るんだ。瀬戸先生のことは、多くを知っていると思っていた。けれど、まだまだわからなかった一面もあったんだね。
「そろそろ時間、ですか。あなたに限って万が一はないでしょうが、一つ」
「はい。ふふ、やり過ぎないように、ですか?」
「いいえ。プライドを性根ごと叩き折ってミキサーにかけてあげると良いでしょう」
「えっ、そこまで?!」
う、うーん、やっぱりけっこうSなのかな。
爽やかに親指を立てる瀬戸先生に見送られて、予選会場に向かう。
ええっと、ほどほどに頑張る、ということで良いのかな? なんだか、混乱してきたよ……。
第六実習室は、異能科学の粋が集められた最新技術の宝庫だ。
実体ホログラムによって整えられる試合会場。今回は視やすく解りやすいコロシアム形式に組まれていた。
その円形の闘技場の中央で、私と恵面教授は向き合っている。
「いぇっひひひひ、高等部のコネ女を退治できる僥倖が、こんなに早く来るとは思いませんでしたねぇぇいっひひひ」
ん? 回文? いや、そんなこともないか。
というか私のコネ入社の噂、いったいどこまで広がっているのか聞きたくなってきた。
観客席を見る限り、私が教鞭を執ったことがある生徒は、恵面先生を不憫八割怒り二割で見ているようだ。大学部は私を疑いや軽蔑の眼差しで見ている。けれど、教鞭を執る機会のあった魔導術師に関しては、高等部と似たような感じだ。というかむしろ、私をバケモノのように見ていて辛い。入学したての中等部に関しては、軽蔑二割、困惑五割、残りの三割は好奇心や興味かな。
『それでは両者、位置について下さい』
響き渡るのは、豊かなブルネットの髪と優しい眼差しの先生、“音”系異能者の南華南先生だ。
彼女は戦闘力が無いわけでは無いのだが、その異能が応用が効きあまりにも有用のため、今回もサポート面での活躍が期待されているようだ。
「まずはその肢体に楔を打ち込んで綺麗な顔を歪ませてやろう女なんてげふんコネ入社なんて悪に決まっている悪は成敗する悪は引き裂くうぃひひひっふふひっひ」
こ、こわい。
位置に着きながら、試験管を手の指で撫でる恵面教授。この方はこれで大丈夫なんだろうか? 倫理コードという意味で。
ちょっとこれは、教育に携わるモノとして、目を覚まして貰う必要があるだろう。彼の教え子の中には、作成した武器を娘のように可愛がる余り“抱いて寝る・頬ずりをして怪我をする・購入しようとした人に発狂する”の三コンボ変態に目覚めてしまった生徒も居ると言うし。
『両者、尋常に』
それでも、スタートの合図が近づけば、空気は張り詰める。
恵面教授も不気味な笑みを小さくして、じりり、と構えた。
『始め!』
合図。
始めに動いたのは、恵面教授だ。大きく試験管を振りかぶり、私に投げつける姿勢をつける。けれど、身体強化くらいはかけないと、私には届かないだろう。
魔導薬からの誘発魔導術式封鎖、かな。
「【術式開始・形態・身体強化――」
「【速攻術式・影縛りの剣・展開】」
けれど、遅い。
先に始めた恵面教授の詠唱が終わる前に、カンマ二秒未満の速攻術式。私の指先から放たれた黒い剣が恵面教授の影に突き刺さると、彼は驚愕に目を瞠った表情のまま、ぴたりとその動きを止めた。
「【速攻術式・麻痺・展開】」
そのまま、その無防備な身体に麻痺の波動を叩きつけると、恵面教授は身体を動かせないままぐりんっ! と白目を剥いた。こ、こわい。
ダメージ変換結界は、その状態を“戦闘不能”と認識。彼の体が光の粒子となって消えていき、敗者控え室へと転送される。すると、観客席もアナウンスもなにもかも、氷のように固まったまま動かない様子だった。
……ええっと、良いのかな? あ、でも鈴理さんたちはすごく喜んでくれている。手だけ振っておこう。それから、念のため頭を下げて、歩いて闘技場の出口を抜ける。
『ワァ――――アアアアアアァァァ――――――ッ!!』
次いで、私の姿が隠れてやっと正気に戻ったのか、割れんばかりの歓声が響いてきた。
「なんだか、恥ずかしいわ」
こんなに歓声を受けるのは、魔法少女時代から久々だ。
もっともあの頃の歓声は、狂喜狂乱という様子で怖かったのだが。特にアメリカ。
「なんにせよ」
まぁこれで、浅井さんとの約束を果たすための下準備は、整ってきたことだろうか。
そう思うと、自然と、足取りも軽くなる。もっとも、予選はこれで終わりでは無い。最後まで“一切油断せず”頑張ろう。
そう、ぐっと握りつぶしを作って、私は選手控え室に足を向けた――。




