そのじゅう
――10――
校舎の裏手を抜けた先に、学生寮区がある。
その、高等部寮の一室。生徒によるある程度のオーダーメイドが許されているためか、夢ちゃんの部屋はそれなりに手が入れられていた。
玄関から登って直ぐは板の間で、それから全面畳張り。パンフレットではベッドがあるのだが、夢ちゃんの部屋にベッドはなく、押し入れに布団が入っているのだとか。ベッドがないと、サイズ共通のワンルームがずいぶんと広くなったように感じる。
壁には掛け軸。文字は達筆すぎて読めない。タンスの上には花瓶と、花が一輪。保存の術式刻印が花瓶に施されているのだとか。
「じゃ、ちょっと座ってて」
「うん。お邪魔します」
品の良いちゃぶ台。
ふわふわの座布団。
わたしは実家も洋風だから、なんだか新鮮だ。
「はい、お待たせ。番茶と煎餅ね」
「わ、ありがとう。夢ちゃん」
「どういたしまして」
あっという間に戻ってきた夢ちゃんは、湯気の立つお茶とおせんべいの入ったざるを持ってきて、ちゃぶ台に置く。その時、夢ちゃんの黒いブレザーから覗く黒い板? プレートのようなものが目に入った。
なんだろう。腕時計にしては薄いし、インナーにしては硬質だ。見た目の感じが金属っぽい。
「夢ちゃん、それは?」
「ああ、そうそう。これが今回、実家での修行の成果よ」
そう言って、夢ちゃんは黒いブレザーを脱ぐ。
すると、腕に装着した黒い金属がむき出しになって、わたしの眼前に差し出された。
細身の、手首までを覆うガントレット。外側の部分は菱形のプレートが亀の甲羅のように十三枚、カチリと嵌まっている。反面、内側には台形の出っ張りがあるだけで、他に特徴は無いように見える。けれど、よく見れば手首の下、出っ張りの先端には小さな穴が三つも並んでいた。
「これを――」
夢ちゃんがそう、拳を作ってぐっと突き出す。
「――こう」
すると、手の甲の部分に黒いプレートが出現。
プレートから黒い布地が包帯のように飛び出して巻き付いて、あっという間に黒い手袋を作り出した。開いて見せてくれた掌には、なにやら複雑怪奇な魔導陣が施されているみたいだ。
「複合型・刻印鋼板。銘を、黒風。両足にも似たようなのを着けてるわ」
「ひゃあ、なんだかSFチックだね」
「そ。で、左腕がこれ。嵐雲よ」
そう、夢ちゃんが見せてくれたのは、左手首のブレスチェーンだ。
黒い鎖が巻き付いていて、鞘に収められた直刀のような装飾品が格好良い。和洋折衷?
「これも、こう」
そう夢ちゃんが指をパチンっと鳴らすと、鎖がはじけ飛び、宙に溶ける。
同時に、解放された直刀型の装飾品が大きくなり、小太刀のようなサイズの日本刀に変わった。反りのない、まっすぐな刀。峰の部分に自動拳銃のマガジンのようなものがはめ込まれていて、刃の下にはトリガーがある。
これまた、すっごくSFチックなソレは、夢ちゃんがもう一度指を弾くと、小さくなって夢ちゃんの手首に張り付き、鎖を生み出して巻き付いた。おおー、すごい。
「沖縄ではどっさり色々持ち運んで、あんまり役に立たなかったでしょ? 私」
「そんなことはなかったと思うけど……」
「良いの! でさ、色々持って行ったモノを少数に集約して、完璧に使いこなす。総数は変わってないけど、足のは補助に過ぎなくて、大本命は右腕のこれ、黒風って訳よ」
夢ちゃんが言いながら手首を返すと、手袋が解けて手の甲のプレートに戻り、そのプレートもガントレット本体に戻っていった。
そういえばさっきから、一度も詠唱をしていない。師匠だって、速攻術式が使えるようになってなお追いつけないほど早いとはいえ、詠唱をしているのに。
「――じゃ、次はあんたの番ね」
「ほぇ?」
「ほぇ……じゃなくて、鈴理の“進展”よ。どうなった?」
「あ」
そ、そうだった。
えーと、んーと、その、えへ。
「まったく進んでないです……ごめんなさい」
「その反応、今日まで忘れてたわね?」
「うっ」
昨日の一晩はなにをしていたんだと言われると、“あの感覚を忘れるために寝ました”としか言えない現状。どう転んだって言い訳にしかならないので、わたしは自然と口を噤んだ。
「オシオキ、もしかして受けたかった?」
「そ、そういう趣味は無いかなぁ」
「……そうよね。じゃ――」
「オシオキってなにを?!」
ずずいと身を乗り出してきた夢ちゃんを前に、思わずぎゅっと目を瞑る。
けれど予想していたような不埒な感じは一切無く、ただ、ぽんっと優しく頭に手を置かれた。
「――何があったのか、話してみて。判決はそれからよ」
「ふぇ?」
「鈴理が変なことに巻き込まれそうだってことくらい、実習室前で見た時に気がついたわ。まったく、直ぐ隠すのは悪い癖。いいわね?」
「うん……ありがとう、夢ちゃん。実は――」
そう、わたしは緩む口元を抑えながら話し出す。こんな嬉しいことを言われたら、頬が緩むのは仕方がないと思うんだけど。
話すのは、昨日の、夢ちゃんとの電話を終えたあとのことだ。超覚を慣らす訓練。本能的に隠されたそれを探るために、異能と併用したこと。その結果が様々な超覚の体感と――あの、異常な匂い。
「他人の霊力を、血の香りと認識する異能者が居る、と」
「うん。でも。よく考えたら、超覚って本人で選べる感覚じゃないんだよね? だったら、危険が確定している訳じゃないのかなぁ、って」
そう。別に、自分で“こんな風に感じ取りたい”という願いが反応するものでもないようなのだ。だから生まれつきのことであったのなら、それは仕方のないことなんじゃないかな、なんて風に思う。
「甘いわね」
「へ?」
けれど、夢ちゃんはそんな風に、ずばっと切り捨てた。
「まぁ私は七人姉妹で異能者も居るから学ぶ機会があったんだけど――超覚は、本人の有り様で変化するわ。あれは結局、魂の一番外側、“魂壁”で感知しているみたいだから」
「有り様?」
有り様、ありよう。
生活習慣や経歴、とかかな。
「例えば、自分の嫌いな音で感知していた超覚を操る人は、恋人が出来た時にその音が好きな音に変化したという。例えば、在学中に超覚で捉える感覚を“水を触る感覚”としていた異能者が、卒業後に犯罪を犯して逮捕された際、調書で、被害者を“どろりとした液体を触る感覚”の超覚で捉えていた、と証言したというわ」
そうか、そうなんだ。そうすると、わたしの“他人の感覚”で感知する超覚ってなんなんだろう。ちょっとこわいな。
……って、待って。
「ん? あれ、夢ちゃん、それじゃあ――」
「そう。十中八九“危険人物”よ。鉄錆の匂いって表現したけど、ようは血液でしょ」
「――う。……はい」
そっかー……。
でもそうすると、わたしは血液の匂いで他人を捉えるようなひとを、捉え、た。
「夢ちゃん」
「なに?」
「たぶんだけどそれ、学校の敷地内だ」
「ふぅん……は? だって異能で範囲を拡大――しても、街まで覆えるはずが、ない?」
そう、そうなんだ。
大きく大きく広げた超覚の範囲。端末を開いてそれを示すと、学校付属の都市部は半ばまで覆えるが、校舎まではいかないくらい、だと思う。
「それ、誰かに話をした?」
「ううん。夢ちゃんが初めて」
「……よし。なら、秘匿回線で先生方に連絡。私もやるわ」
「秘匿回線、で?」
「そう。ハッキングされたら困るからね」
ええっと、ひとまず知っている先生から。
一度に送信できる数は五人。距離も関係なく届くから、師匠、レイル先生、瀬戸先生、陸奥先生、南先生に最初に。よしんば、師匠に届けば何があっても大丈夫だと思う。南先生に届けば、以降、何があっても通信してくれるだろう。
「ゆ、夢ちゃん」
けれど。
「ええ――まずいわね」
送信ボタンを押して直ぐ。
画面に表示された文字列に、息を呑む。
『送信できません。この端末は、圏外です』
圏外?
疑似的な宇宙空間を作る異能者にも、送信可能というのが売りの端末が?
――そんなはずが、ない。
「もし、未知先生や静音たちが私たちにメッセージでも送ってくれたら、それで異常が発覚するわ。――ほとんど、“運”が絡むけれどね」
ごくり、と、生唾を呑み込む。
いつからわたしは、サイコホラーの世界に迷い込んでしまったんだろう。
「夢ちゃんと一緒に居て、ほんっとうに良かった」
「同感ね。こんな状況に孤立なんて冗談じゃないわ」
「学校内に残っている先生に、接触する?」
「そうね。ただ、教員棟までの移動が必要よ」
わ、わたしの部屋じゃなくて良かった。
わたしの部屋だったら、都市部を抜けた居住区寮だ。びっくりするほど移動しないとならないところだった。
「誰が残っているんだろう」
「レイル先生は、イルレア先生と一緒に帰省。瀬戸先生や陸奥先生も帰省。高原先生以下はちょっとわからないわね。ただ確実に、江沼先生が当直でいらっしゃるはずよ」
「ええっと、異能科の学年主任の?」
「そう。おじいちゃん先生」
確か、江沼耕造重光先生。
関東特専発足以前から異能者として前線に居た、というお話だが、魔導術師からの視点では優しいおじいちゃん先生でしかない。
「なら、夢ちゃん、目標は」
「ええ。――教員棟宿直室よ」
強ばった声。
けれど、心強い響きに強く頷く。
どうやら、まだまだ、心配事の種は尽きないみたいだ――。
――/――
――関東特専・上空。
コートに深く被った帽子の男は、宙に浮いたまま思案する。
その様子はとてもではないが真剣ではないが、困った困ったと小さく呟いていた。
『たぶん、“察知”されたね。いやぁ、困った困った』
男は、嗅ぎ分けると言うことに対しては、プロだと言える存在だ。
生前もそうやって嗅ぎ分けて、獲物を狩り、嗅ぎ分けて、逃げてきた。だからこそ、はっきりと理解できたのだろう。
『まさかこの僕が、“嗅ぎ分けられる”なんて思わなかったよ。本当におもしろ――いや、困った』
くつくつと、隠しきれない嘲笑が漏れる。
超覚で己を嗅ぎ分けられる不快感。その不快感を起こした相手を引き裂くところを想像して覚える、カタルシス。
その両方にかき立てられて、男は“困って”いた。
『あの方にはもう少し待つように言われたけれど、これは仕方のないことだよ』
そう、言い聞かせるように男は言う。
けれど、空に投げかけた言葉が返ってくるはずもない。男はそれでも、狂ったように笑うことを、止めようとはしないようだが。
『作戦を早める。――情報結界起動。お出かけだよ、天兵』
男の呼びかけに応じた天兵が、複数体、学校に解き放たれた。
その様子を視て男は満足げに頷くと、獲物の存在を思い出して、凄烈に微笑んだ。
『さてさて。どこの誰が僕を察知したかはわからないよ。だからもし、自分が引き裂かれた時に、恨む相手が解らなかったら――僕を動かした、その誰かを恨むと良い。笠宮鈴理。もっとも、僕も知らないんだけどね。くくっ、ははははははっ』
男はそう、身体をのけぞらして笑う。
まさか己が獲物だと、信じて疑わない相手にこそ察知されていたことなど、知る由もなく――。




