そのろく
――6――
――関東特専・上空
雲の上。
透明なプレートの上に腰掛けたコートの男は、天兵からの報告を受けていた。
『は? それホント?』
ぽかん、と口を開けて天兵に告げる。
それに、天兵は機械的に頷いた。
『は、ははは、ははははははははっ!』
『?!』
狂笑とも呼べるような、狂ったような笑い声。
男は興奮のままに天兵にナイフを突き立てると、抉るように切り裂いた。その身体から溢れ出す粒子を浴びて、それが“赤”でなかったことに、残念そうに息を吐く。
『はは、は、はぁ……ごめんごめん、つい興奮しちゃってね。ああ、君、“これ”片付けといて』
『――』
粒子が散り、壊れかけの天兵を他の天兵に預ける。
まるで、飽きてしまった玩具を捨てるような仕草。けれど今、その所行に制止をかけられるような存在は、この場にない。
『ククッ――英雄不在の学舎に、我らが主の敵がいる。こんな幸運はきっと二度と訪れはしないだろう。我らが主は、僕の正義に祝福をくれようと言うのか!』
男は感激を表すように、両手を広げて笑う、嗤う、ワラう。
狂い笑う男を止めるものなど、その場に居るはずもなく。
『はっ、ははははっ――この僕が“正義”なんて、笑っちゃうよ。ククッ』
嘯く男はただ一人、無機質な観衆たちの中で、声を上げて笑い続けた。
――/――
――第六実習室。
色々と切り替えて会長の下へ向かったわたしは、また、教室風に拵えられた実体ホログラムの空間で、教壇前の席に腰掛けていた。
いつ言おうか。いつなら良いか。とりあえず、宿題について振られたら答えよう。そんなわたしの緊張もなんのその、会長は普通に座学から始めてくれるようだ。ほっ。
「さて、まずは異能者なら誰でも無意識に行っていることについて、お話ししよう」
「はいっ、会長! よろしくお願いしますっ」
そう、会長は黒板に板書をしてくれる。
かっかっかっ、という心地よい音。わたしを見つめる、少しこそばゆい優しい目。
――会長は、わたしに誰を重ねているんだろう? そんな、とりとめない思考を棄却する。
「異能者は誰でも、同じ異能者の気配を察知することが出来る。これはなんとなく、っていう緩い感覚だったり、直感と呼ばれる曖昧な物だったりする。時には“嫌な予感”として受け取ることもある。これを、“第六感”と呼ぶの」
ええっと、味覚・聴覚・嗅覚・触覚・視覚に次ぐ六番目の感覚、っていうことかな。
黒板に書かれた文字は“第六感”。なるほど、魔導術師であるわたしには、無縁だったものだ。
「これを、技術として昇華したものを、ギリシア語の“本能”と共感覚を意味する“シナスタジア”を合わせて捩った造語として、“超覚”と呼ぶわ」
「超覚……」
「これを用いると、千差万別だけれど、そのヒト特有の感覚で異能者や霊力の残滓を捉えることが出来るわ。もっとも、秘伝の一族にはこれを物理的に捉えて干渉できる異能者もいると聞くけれど……これは、その人にでも出会ったら考えておくと良いわね」
「は、はい」
その人、特有の感覚?
いったいどういうことなんだろう? そう首を傾げるわたしに、会長はくすりと微笑んで答える。
「例えば、私は霊力を“チョコレートの香り”として嗅覚で捉えるわ。かの英雄、九條獅堂特別指導官は“熱”、鏡七養護教諭は“光の粒子”で捉えると聞いているわ」
「チョコレート……なんだか、おいしそう」
今度、静音ちゃんやリュシーちゃんたちにも聞いてみよう。
静音ちゃんは音、フィーちゃんはやっぱり電気かな? そうなると、リュシーちゃんはなんだろう。ちょっと思いつかないや。
「異能者なら誰しもこの超覚を習得していて、だからこそ防衛本能の領域でそれを隠している。けど、あなたはそれを知らないから、ダダ漏れなのよ」
「あ――それで、奇襲するわたしの位置が掴めたんですね?」
「そ。よぅく漂ってきたわ。あなたのフルーティーなチョコレートな香りがね」
ふ、ふるーてぃ。なんだかアブナイ感じに聞こえるのは気のせいでしょうかっ、会長。
でもそうなると、わたしはどんな感覚で超覚を感じることになるのだろう。今までなかった感覚が増えるってコトだよね?
うぅ、なんだか酔いそう。
「隠している霊力の残滓を知覚するのは難しいわ。でも、それと自分が隠さないのは別問題。おやつのように囓られたくなければ、知覚の感覚と隠す術を覚えること。良いわね?」
「はいっ、会長っ」
「では、霊力循環から始めて、霊力を捉えるところから――と」
と、会長のポケットから鳴る着信音。
あ、これ、アイドルのRIMUちゃんの“ショコラ・ド・ノエル”だ。好きなんだね、チョコレート。
「ごめんなさい、良いかしら」
「あ、はい、お気になさらずっ」
実体ホログラムの教室スペースの外側は、廊下のように形成されている。
外に出て行った会長を目で追うと、わたしは板書された方法で、ちょこっと試してみることにした。
「一つ、霊力を感じる」
――手を握る。
翡翠色の力。ぼんやりと浮かぶ色。
「一つ、霊力を循環させる」
――手を開く。
翡翠色の粒子が舞う。ここまでは体力強化のときと同じ。
「一つ、霊力を解放する」
――手を広げる。
魔力放出と同じ感覚で良いのかな? 指先で、空を掴むような。
「一つ、霊力と周囲を同調させる」
――かき抱くように。
これはひょっとして、“干渉制御”で周囲に干渉するときと同じ感覚で良かったりするのかな? むむむ……ぁ、できた。
「一つ、同調させた霊力を自身に取り込む」
――強く、自身の身体を抱きしめる。
粒子のように周囲を舞っていた霊力が、巻き戻しのようにわたしの身体に収まる。そうするとどうだろう。なんだか、視界がクリアになった気がする。
「“超覚”」
キーワードを解放。
技術として超感覚。
「あ」
それが、霊力の残滓をわたしに感じさせてくれる。
「これ、チョコレートの香りだ……って、あれ?」
会長の霊力を感じた、の、だろうけれど。
超覚は、個人差のある感じ方をする、はずなのに、何故か会長の感じ方と、おそらく同じような捉え方になっている。
もしかして、わたしも会長同様にチョコレートの香りで捉えるのかな? だとしたらなんかこう、お腹空いちゃいそう……。
「あれ、でも、ううん?」
自分自身の霊力残滓に意識を向けると、これまた変な感覚だった。
“ある”のは理解できるけれど、それだけ。ふわふわとした変な感覚で掴めているだけだ。これを、試しに霊力残滓を隠そうと、んぐぐぐっと意識しながら引っ込めてみる。
「ぁ……でき、てる?」
目を開けると、世界がこれまでと違って見えた。
実体ホログラムを形成しているのは、小さな金属音を帯びた霊力だ。異能科学と呼ばれる技術は、見る度に圧倒される物ばかりだったとは思う。けれど、この“視界”を得てから見たそれらは、感動すら覚えるほどに幻想的だ。
わたしがこれまで生きてきた世界は、すっごく小さなものだったんだ、って、否応なしに理解させられる。
「すごい……」
心が躍るようだ、なんて、ちっちゃい子供みたいに興奮する。
「お待たせ――あれ? 笠宮さん、あなた、もしかして?」
「え、ぁ」
戻ってきた会長は、わたしを見てどうしてか気がついたみたいだ。
けれど、新しい景色に圧倒されていたわたしは、返事に一歩手間取った。その、会長から不意にチョコレートの香りがして。
「っ」
香りが収束した場所。
わたしの目の前から逃れるように、後ろへ跳ぶ。
「“爆火矢”」
破裂音。
「わわわっ」
砕けた机が、空に舞って翡翠の粒子に変化する。
わたしはその光景を、ぽかんと見つめてしまった。
「こんな短期間で習得するなんて思わなかったよ……。本当に、“特別”なのね」
「え、ええっと、そんな大それたものじゃないですよ?」
師匠の方がはるかにすごいし。
そう続けようとした言葉は、さすがに続けられなかった。師匠ってひょっとして、超覚ナシで異能を避けたりしていなかっただろうか。それとも、魔法少女だから使ってたのかな?
……ちょっと確認を取れるまでは、気にしないでおこうかな!
「超覚は習得してから、慣れるまでで一段階よ。習得できたのなら、あとは、そうね……一日かけて、慣らしていこう。だから、短かったけれど授業はここまでよ」
「っはい、会長!」
「――ところで笠宮さん」
これは、来た、かな?
「我が儘、思いついた?」
「えっと、それなんですけど……副会長にお話させていただくことは可能ですか?」
「あら、それがあなたの“我が儘”なの?」
「はい……だめですか?」
わたしが問うと、会長は口元に手を当ててくすりと微笑む。
うん、一つしか違わない――というか、杏香先輩と同い年のはずなのに、すっごく大人っぽいのは何故なのでしょうか?
「ふふ、構わないよ。そう、慧司とね。見目は良いものね」
「え? あの、なにか勘ちが――」
「では、今日はここまで。日時の都合は端末に送って置くから確認してね?」
「――へ? は、はい! あのそれと、何か勘違いが」
なんて、訂正する前に、会長は足早に去ってしまった。
電話もあったみたいだし、何かしらの急用があったのかも知れない。いずれにせよ、わたしは勘違いをとけなかったみたいで。
「うぅ、これ絶対、“格好良い先輩に会いたいと望むミーハー女子”だと思われた……」
どうしよう、これはこれで副会長さんに会いづらいよ。
でも流石に、これは夢ちゃんに相談できないし――しょうがない、気まずい思いをしながら、まず最初に誤解を解こう……。
「はぁ……前途多難、かも」
そう、肩を落として実習室を出る。
今日の内は慣らしておけっていう話だし、寮で超覚の感覚でも掴んでおこうかなぁ。……はぁ。
居住区寮の自室。
私服に着替えて、昼食を自炊して。
午後、わたしはベッドの上に腰掛けて、むむむっと意識を集中させていた。
「すぅ、はぁ――“超覚”」
ぐぐぐーっと霊力の“膜”を広げていく。
部屋を包み込んで、薄く引き延ばして部屋の外へと広げていく。さすが居住区寮、何名か人が居るみたいだ。けれど、“みんな本能的に隠している”というのは本当のようで、慣らそうにもうまく掴めない。
「ぁ、そうだ。併用してみたらどうなるかな?」
そう、ふと思いついたのは、“異能との併用”だった。
なにせわたしの異能は、師匠と同じ“法則”を操るような物だ。もしかしたら、もしかするかもしれない。ええっと、そうだなぁ。
「“隠蔽透過”」
異能を発動。
それを超覚に混ぜて、薄く周囲へ広げていく。部屋の中、部屋の外、寮の全域、さらに広い領域へと覆っていく。完全に覆う必要は無い。水に流した電気が伝わるように、反応だけを捉えることだって可能なんだ。
「お、おおお?」
そうして引き延ばして感知していると、さっきまでよりも遙かに多くの反応を掴むことが出来た。
「この人は風」
――ふわりと漂うそよ風。
「この人は果物の匂い」
――バナナ、リンゴ、オレンジ。様々だ。
「この人は味」
――うひゃあ、なんだか舌がしょっぱいよ。
なんだか、うん、不思議な感覚。
すごく不思議で、同じくらい面白い。どんどんと、感知範囲を広げていく。
「この人は触覚?」
――ひゃ。なんだかぬめっとした。
「この人は数字」
――なんだかSF映画みたい。
どんどん、どんどん、大きく薄く、広く遠く、深く強く。
まるで深みにはまるように、心を躍らせながら、感知を続けて。
「っ」
そして。
「な、に、これ?」
――噎せ返るような、鉄錆の匂い。
冷や水を浴びせられたように。
その“異常な感覚”に、我に返った。
「っげほっ、げほっ、うぅ」
ぐっと沸き上がる吐き気を堪えながら、匂いの意味を考える。
まるで、舌で味わうような匂いだ。それほどまでに強烈な匂いを発する異能者が、私の感知圏内に居るということかな。うぅ、喉がいがいがするような気がするよぅ。
「いったい、どこで?」
広げた範囲は、当然ながら特専の外には出ていない。
流石にどこで感知した匂いなのかは、わからない。けれどまるで“降り注ぐように”感じたから、頭上なのかもしれない。
……居住区寮の屋上、とか? いや、考えすぎかも知れない。第一に、あの粘り着くような感覚の主が悪人だと、決まった訳でもないし。
「ただ……なんだか、執念のようなものを感じたような、気がする」
悩んでも、答えは出ない。
ただ、冷や汗で張り付いた服が少しだけ気持ちが悪くて。
「はぁ、ふぅ……シャワー、浴びよ」
その感覚を忘れるように、わたしは足早に浴室へ向かうことしか、できそうになかった。




