えぴろーぐ
――エピローグ――
――池袋・暦探偵事務所。
さて、一連の事件が解決し、事後処理の終えた私たち――私とイルレアと、それからフィリップさんとシシィ――は、探偵事務所に訪れていた。
時子姉は忙しくて不在。来たがった鈴理さんは、今度は正式な検査入院のため不在。静音さんと、帰宅した夢さんたちはそのお見舞いで、大人数過ぎて嫌と言ったリリーも鈴理さんの方へ行っている。暇も嫌だとか言っていたが、なんだかんだで鈴理さんのことも気に入っているから行ってくれたのであろう。
拓斗さんは少しだけ“後始末”があって、それが終わり次第私たちに合流してくれるそうだ。
「いやはや、そうか。やはり天使ではあったが、まさかクラウン社のCEOまで天使とは恐れ入ったよ」
事の顛末を報告すると、暦所長は“知っていたけれど話を合わせています”とでも含んでいそうな口調で、そう笑う。
「教会や旧片桐邸に天兵を向かわせたのは、カタリナの指示でしたが……」
「殺害は依頼していない。そんなところだろう?」
「っ、はい」
暦所長の言葉に、代表で話を聞いていた私は頷くことしかできない。
やっぱりこの人、既に知っていたりするのではなかろうか。
「いやなに、簡単な推理さ。ここで殺すなら最初から、というね」
「ぁ……なるほど、シスターカタリナ、本物の片桐佳苗さんのことですね」
「そういうことさ」
記憶喪失で教会に暮らしていたシスター。
後に天使の名前を預かっていただけであることが判明した彼女は、本物の片桐佳苗であると発覚しそうなところで、天使に始末されようとしていた。
けれど駆けつけた時子姉とイルレアが秘密裏に教会を守り切り、無事に切り抜けられたようだ。
「おそらく、カタリナという天使は共に任務に当たっていた天使か、もしくは上司に当たる天使と方針が食い違ったのだろう。この場合、天使カタリナは死者を出さないように尽力し、彼女の同胞は目的の遂行に邪魔な存在は排除することを提案した。意見の割れた二人は別々に事に当たり、天使カタリナが主導しているように見せかけて、同胞の天使が横やりを入れて殺害を実行しようとした、といったところか。――この答えは、貴殿の救いになったかな? オズワルド殿」
「……読まれていたか。いや、多くを望める立場にいないのはわかっているよ。だが、ありがとう」
フィリップさんとカタリナの血縁など、全てを説明したわけではない。
だというのに正確に求めるものを言い当てた暦所長に、舌を巻く。
「いや、お役に立ててなによりさ」
けれど、暦所長は私のそんな視線など気にしたそぶりもなくパイプを噴かして微笑んでいた。
「さて、此度の一件だが……小説の題材に使用しても良いかな?」
「それは、ええと、当事者の方々――鈴理さんと片桐佳苗、それからフィリップさんが良いのであれば。ただ、その、出来れば詳しい目的が知りたく思います」
言っては何だが、古名家というのはお金はある。
その上でわざわざ小説として、しかもプライバシーなどで多方から問題のありそうな“依頼を元ネタ”という行為をしているのか、常々疑問であったのだ。
もちろん、時子姉や茅さんにも聞いた“読者という信仰心を利用した結界”という役割はあるのだろうけれど……だったら、依頼を元ネタにする必要は無いはずだ。
「そうだね……これは他言無用にして貰いたいのだがね?」
「それは、もちろん。皆さんも構いませんか?」
問うと、口々に頷いてくれる。
「私も構わないよ」
「私は、常識の範疇であればいいさ」
「はい。しかし執筆時は格好良くお願いします」
イルレア、フィリップさん、シシィ。
シシィは横で聞いていた史さんに、ぐっと親指を立てられていた。あ、それで良いんだ。そしてフィリップさんの言う“常識の範疇”とは、天使の存在に関わる部分のことだろう。
慎重を期すべきことだ。明晰な暦所長がそのことに思い至っていないとは思えない。これは、任せても大丈夫だとは思う。
「――ようは、ブラフさ」
「ええっと?」
「つまり、小説として書いてあることは我々のほんの一部に過ぎず、出来ることを出来ないと書いてあったり、匂わせもしない。そうすることによって、本当に隠したい事柄を“そもそも存在しない”ように思わせること。そうすることによって、こちらを研究してくれるような手合いを騙すのと同時に、“そうでなくてはおかしい”という読者の信仰による結界により、直接調べる輩も防ぐ。すると――今回のような、人間以外の相手が関わる時に、ずば抜けたナニかを持つ相手と渡りあえるようにしている、ということだよ」
なるほど……。
確かにそれは、ある意味で最大の防御だ。いや、ベストセラーになっているのは面白く書ける史さんの実力なのだろうけれどね。
「……と、これで回答にはご満足いただけたかな?」
「はい。ありがとうございます。改めて、他言しないことを誓います……それで、当事者への許可の件なのですが」
「ああ、もちろん取るよ」
「はい、その、鈴理さん――私の生徒の笠宮鈴理については、既に許可が下りています。その……“静音共々、格好良くお願いします”ということでして」
「くくっ……あとで史のサイン色紙を送らせるよ」
あぅ。シシィと同じ発想で申し訳ないです、はい。
ひとまずこれで、聞きたいことは聞くことができた。丁寧に調査をしてくれたお礼と依頼料の話――出演料とさっ引いて非常に安かった。もっとも、さっとフィリップさんが払ってしまったが――も終えて、暦探偵事務所から立ち去ろうとする。
扉に手を掛けて、外へ出る……その、直前。
「ああ、そうそう。――片桐佳苗には、既に許可をとってあるんだ」
「え?」
問い返す間もなく、閉まりきる扉。
私たちは互いに顔を見合わせて、それでも、再び開ける気にもなれず。
「また、アポイントメントをとって教会に行きましょう。ね、未知」
「ええ……そうね」
なんだか、どこか釈然としない物を抱えながら。
それでも、振り向くことはなく、暦探偵事務所を後にする。
東京の空は、建物ばかりで狭く感じる。
けれど、見上げた空に雲はなく、突き抜けるように透き通っていた。
――/――
私は、間違っていたのだろうか。
お兄様に保護され、けれど為せねばならないことのために脱走し、この幼い身体に封印でも施されていたのか、天に還ることすらも叶わず。
秘密裏の任務に就いていた。死を偽装することも承諾した。誰かを、自身の目的のために追いやったことも自覚している。なら、これは私への罰なのだろう。主が下す、私への天罰。
行く当てもなく歩き回って、たどり着いたのは教会だった。最早帰還し、使命を全うすることもできない身だ。せめて、私が生活を奪ってしまった“彼女”に懺悔しよう。
「ごめんくださいませ」
教会の扉を開けると、神の家は静謐に静まりかえっていた。
夕焼けを透かすステンドグラス。十字架の前で一人佇む女性を、見間違えるはずもない。記憶を失った彼女につけ込み、名前と生活を奪った。
「あの、私は――」
「はい、お待ちしておりました」
「――え?」
恭しく頭を垂れるシスター。
その瞳に浮かぶのは、慈愛。
「でも、本当にまたお会いできる日が来るなんて。これも、神の思し召しでしょうか? “天使さま”」
「な、ぜ?」
「どうぞ、おかけ下さい」
言われるがままに長椅子に腰掛ける。
そんな私の隣に座る彼女の横顔は、優しく澄んでいた。
「私も、一つ、嘘を申しておりました」
「嘘、ですか?」
「ええ」
シスターの語りに、私はただ、人形のように合いの手を入れることしか出来ない。
「記憶など、失っていなかったのです。天使カタリナ」
「っ」
思わず顔を上げると、ただ、ステンドグラスを見上げるシスターの、透明な横顔があった。
「ただ、あの恐ろしい天使さまから貴女がこの身を護ってくれたあと、少しだけ記憶が混濁しただけなのです。それに咄嗟に恐ろしい天使さまに貴女が提案して下さった“身代わりになる”というお言葉に、私は天命だと思ったのです」
「それは、けれど、私たち天使の身勝手な――」
「“私の身を護ってくれた天使さまの御心をお救いするのなら、ここで私の名を貴女にお譲りするしかない”……そう、主が語りかけて下さったのだと、私は信じております」
「――っ」
ああ。
それは。
なんて。
「父は私に、思うがままにヒトを救えと言ってくれました。父が私に譲ってくれた多くの物の中で、もっとも財産であると確信できるものは、この言葉です。母を救えなかった父が、私に託してくれた、言葉です」
「……っ」
「ですから、どうか、泣かないで下さい。――私の天使さま」
拭う指の温かさに。
語りかける言葉の優しさに。
凍てつく心が、救われていく。
そうか。
ヒトの世界では、医療に携わる女性のことを、“白衣の天使”と呼ぶのであったか。
なら、本当にヒトに必要とされる天使とは、彼女のような――……。
「病院を、始めて見ようと思うのです。教会の隣の病院です。もう、先生もお年であられるので、引き継ぎを頼まれました。私はこれを受けようと思います。小さな病院ですが……確かに、必要とされる病院です」
「あなたは、それで良いのですか?」
「はい。ですから、どうか応援をしてくださいませんか? 私の天使さま」
「……はい。あなたの行く末に、どうか祝福があらんことを」
まだ、天使であるということが許されるのであれば、ここに精一杯の祝福を残そう。
私を救いだと言ってくれた彼女のために、私の救いになってくれた彼女のために、私は私の心を残そう。
「ありがとう、天使カタリナ」
「……ありがとう、片桐佳苗」
この後悔を生み出さない。
この苦しみを残さないために、私はもう一度やり直そう。
苦しめてきた全てのひとに、償うためにも。
この、命を賭して。
教会を出て、一度、深く頭を下げる。
夕暮れ時はもうすぐ、終わろうとしている。次にやってくるのは深い夜だろう。けれど、私の心は夜明けのように晴れ渡っていた。
まず、お兄様に謝ろう。許しは請わず、償おう。それから迷惑を掛けてしまった人たちと、傷つけてしまった少女に出来るだけのことをしよう。
そう、胸に誓って。
「っ」
肌が粟立つような、“恐怖”を感じ取った。
「あれは……?」
裏道から教会を見る、コートの影。
そこから感じるのは天力の気配――だが、恐ろしいほどに冷淡で無機質だ。
物陰に隠れて観察していると、無機質なそれは懐に手を入れた。ちらつかせているのは、ヒトの世界の、銃、だろうか。そして、ステンドグラスの向こうにいるのはおそらく。
『ありがとう、天使カタリナ』
――誰も救えず、誰をも傷つけた私でも。
――この命を賭すと、誓ったのであれば。
「光の剣よ」
腕から伸びる剣は、最低限の力しか秘めていない。
それを限界まで圧縮すると、手に沿うような形でしか作れなかった。
「機会は、きっと一度きり」
息を殺して回り込み、背後から近づいていく。
近づけば近づくほどにわかる。“これ”は、天兵などよりもよほど、悼ましい“ナニか”だ。敵対関係の有無など、勘違いなど、起こりようがない。
「っ」
意を決して、音も無く飛びかかる。
コートの存在は私に気がつかない。なら、このまま切り伏せる!
『――』
「っえ?」
けれど。
きっと、最初から、叶わない存在だったのだろう。
振り向いたそれは、懐から銃を引く抜く。スポンッという静かな発砲音は、音を抑えられたが故か。咄嗟に身を捩った私の右肩を貫き、地に伏せさせた。
「づぅっあっ」
肩から流れるのは、真紅の液体。
……天装体ではない? いいや、違う。“この身体”は、“痛みを知れる”身体なんだ。
でもこの精度はいったい? これではまるで――いや、今はそんなことを考えている暇はない。
『やっぱり、銃はダメだね。心地よくない』
「なに、を」
『僕の獲物の話さ。……でも、ラッキーだよ。まさかこんな愛くるしい少女を狩れるなんてさ』
男の声。
コートの男は、私に見せつけるようにナイフを取り出す。いたぶろうとしている? なら、好都合だ。このまま教会から引き離す!
「っ」
『おや? 鬼ごっこかい? いいよ、付き合ってあげる。僕は子供に優しいんだ』
案の定、男は私を追いかけてくる。
そうだ、それでいい。これでもこの近辺の下調べは、ずっと前に終えている。確かこの先に、人気の無い場所があったはずだ。確か、業務仕分けで手つかずになった、開発中の工場だったか。
そこまで誘導できれば……!
『ほうら、速く逃げないと捕まえちゃうよ~』
楽しげな声。
こんなにもおぞましいのに、天力に満ちた身体。
私が任務に就いている間に、天界にいったい何が起こっているというのか。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
『はい、行き止まりだね?』
「そのよう、ですね」
なんとか工場にたどり着く。
まだ機材の一つも入れていない工場は、がらんどうのようであった。
すっかり落ちた日が視界を狭くし、月明かりが私と男のみを照らす。
『直ぐに死なせたりはしないから、安心してね。大丈夫、満足したら殺してあげるから」
「猟奇殺人犯ですか」
『クスクス。ああそうだよ。そのとおりさ。君のような才能ばかりの異能者を見ると、身体が疼いて仕方ないような、しがない殺人鬼さ』
異能者……そうか、天使は血を流さない。
光の剣を持ち、流血する私は、異能者にしか見えないのか。
――そういえば、この身体で死ぬことはなにを意味するのだろう。やはり、真実の死なのだろうか。
「関係ない。やることは、変わらない」
『は?』
「あなたを倒すと、そう言ったのです!」
光の剣を集中させ、身体に纏わせる。
少しでも長く保たせる。その間に血痕を誰かが見つけてくれたら、それで良い。
そうでなくても、そう、刺し違えてでも――この男は、倒す!
「この身がここで朽ちようと、あなたは行かせません!」
『はは、それじゃあせいぜい、死なないように苦しんでよ』
男のナイフが私に迫る。
どう避ける? いや、いっそ受けるか。腕一本を犠牲にカウンターを入れたら、あるいは――
「良い覚悟だが、止めておきな」
――宙に浮く身体。
私を優しく包み込むのは、見覚えのある“鋼鉄の腕”。
『誰だ!?』
「断て、ドラグプレイヴァー!」
『ぎぁッ?!』
燦めくような剣戟に、男が大きく下がる。
男の腕を切り裂いて落としたのは、大きな背中。
「口封じに動くと思えば案の定か。安直なんだよ、まったく」
英雄の一人。
あの日、私に立ち塞がった“鋼腕の勇者”。
『ちぃッ――いいよ、雇い主には、ここは無駄足だったと伝えよう』
「ずいぶんと物わかりが良いな。だが、逃がすとでも」
『もう、“英雄相手”はこりごりでね。逃げる準備の方にばかり時間を掛けているのさ』
男はそう、自嘲気味に笑うと、両手を広げてナイフを捨てる。
――そして、その行動こそが鍵だったのだろう。
「っおまえ!」
『また会う日を、心の底から願わないよ。おまえたちなんかこりごりだ!』
ぽちゃん、と、水たまりに沈むように掻き消える男。
あとにはただ、ナイフとコートだけが残されていた。
「無事か? 怪我はしているようだが……毒の心配も無いか」
「……何故、助けてくれたんですか? 私はあなたたちを」
ぽん、と、頭に置かれる手。
黒髪に黒い目、愛嬌のある笑顔。
「正義の味方ってのは、優しいヤツの味方なんだ。保護先の手配は任せろ。ひとまずここを離れるぞ」
「っ、あ」
子供を扱うように持ち上げられて、肩抱きにされる。
そうされると傷の痛みを感じなくて、それが余計に申し訳なかった。
「あの男は、いったい……?」
「さてな。まぁだが、厄介事には変わりないだろうよ」
ため息を吐く彼の横顔に、やはり申し訳なさが募る。
誤魔化すように見上げた空は、やはり雲一つ無い星空だ。都会の光にも負けずに揺れる月光が、どこか心地よくすらある。
「どうか――」
紡いだ言葉は、形にならない。
ただどこか痛みにも似た声が、音も無く消えていった。
――To Be Continued――
2017/04/03
2018/01/05
誤字修正しました。




