そのきゅう
――9――
間に合った――!!
あ、あぶなかった! 魚人に三枚に下ろされるなんて冗談じゃない!
「遅いですよ、九條特別講師」
「わりぃな、“洞窟”が崩れないぶち抜き角度の計算に時間がかかってな」
「鏡カウンセラーの苦労が慮られます」
「ああ、“上”で崩壊の“流れ”を止めさせてる。応援でもしてやってくれ」
「ええ、無事にここから帰れたら」
洞窟の天井をぶち抜いて現れた獅堂の姿に、思わずほっとする。
詠唱なんか必要ないはずなのに丁寧に詠唱をする中二病的背中が、今はなによりも頼もしい。
「……ありがとう、助かった」
「いや、まだだ。本当は七の方が相性が良い敵なんだろうが、あいつは脱出まで“道”を保って貰わなきゃならん」
「大丈夫。あなたが来てくれたら、それでいいの」
「え? あ、ええっと、それって、俺の、ことを――」
そう、獅堂が来てくれたらそれで良かった。
確かに、獅堂とこの場所は相性が悪い。属性の違い程度のことを覆せない獅堂ではないが、下手をすると生徒を巻き込む。
けれど、そうではないんだ。
「獅堂がみんなを逃がしてくれれば、私も全力で戦える」
「――す……んんんっ、ああ、まあ、そんなこったろうと思ったよ」
「獅堂?」
「いや、なんでもない。まあ俺の得意な戦法は無差別焼却だからな。今は怯んでいるとはいえそれだけだろう。わかった。ただし、“上”まで送り届けたら戻ってくるぞ?」
「嫌がらせか」
「ご褒美だよ。俺へのな」
「獅堂のツボへの?」
「――なんのことだ?」
笑いものにする気かこんちくしょう。
だが、まあ、いい。それならそれで、戻ってくる前に終わらせれば良い。
魚人が起き上がってこないうちに、呆然としていた三人に近寄る。
「ポチ、貴方は三人を結界で包んで、持ち運びやすいようにしてあげて」
『心得た』
ポチの結界が球状に変化する。
……どうでもいいけど、変質者事件の時にこれだけのことができていたら、相当苦戦しただろうなぁ。
弱っていて良かったというべきか、契約状態にあるとはいえ力を復活させてしまったことを嘆くべきか。……まぁ、こうして笠宮さんたちを守れたのだから、今は喜んでおこう。
「せ、先生、観司先生も来るんですよね?」
「碓氷さん……先生は大丈夫です。だから」
「待ってください、ミツカサ先生がいけないのであれば、私が、私が残りますから、だから」
「有栖川さんも、大丈夫ですよ」
おまえも何か言ってくれ、と獅堂を睨むと、彼は肩をすくめて頷いてくれた。
「安心しろ。おまえたちの先生は、孤軍奮闘の方が百倍強ェ。そうだろう、未知の弟子」
「はい! 信じています。師匠の、未知先生のまほ……んんっ……魔導術の、その、あれを!」
「鈴理、あんた、ぐすっ、あれってなんなのよぉ」
あああああ、泣かせてしまった。
でも、ごめんね、碓氷さん。獅堂が今言ったとおり、私は孤軍奮闘の方が“百倍”強いのです。
「スズリ、ユメ……。ミツカサ先生、約束、してください」
有栖川さんは、そういうと、目尻に溜まった涙を拭う。
決意したような表情。不安に震える、声。
あれ、なんだろう、果てしなく胸が痛い。
「必ず、生きて帰ってくるって、約束してください――!」
「ええ、もちろん。“百倍強い”の言葉は裏切りません。約束いたしましょう」
碓氷さんも、有栖川さんも、不安で仕方のない様子だ。
わかる。私の立場だったらそう思う。でも笠宮さんはまったく動じていない。私が“本気を出す”予兆を感じ取ってからか、リラックスできそうなほど落ち着いている。
うん、なんか、慣れすぎているわよね?
「獅堂」
「わかった。ほらおまえら、俺がまず出口まで送り届ける。行くぞ!」
「っ、ぐすっ、せ、せんせい、ごぶうん、ご武運を!」
「約束、約束ですよ、先生!」
「未知先生、行ってきます! またあとで!」
『うむ。ボスの配下は我に任せよ』
獅堂の炎が、みんなを護る球体を包み込む。
獅堂は最後に一瞥して頷くと、降りてきた穴に飛び込んでいった。
『ぐ■、■さ■、■さん■ッ!』
「なにを言っているかわかりません。出直してきなさい。――来たれ【瑠璃の花冠】」
手に持つのはおなじみのステッキ。
妙に握り心地が良いのが腹立たしい。
『沈■!』
魚人の周囲から水が溢れる。
水攻めにして、動きを封じ、溺れさせる。
なるほど、万人に効果のある攻撃方法だ。同時に、有栖川さんが何故“むちむちの水着”などというビジョンを見たのか納得して、額に青筋が浮かぶ。
そうかそうか、私がギリギリまでぼろぼろになんなきゃならなかったのは、おまえのこれのせいか。ほほう。
『変身■■、させな■!』
「“魔法少女の掟”曰く」
『!?』
なら、今回もいつもどおりだ。
私の中の羞恥心とかプライドとか諸々の、“色んなモノ”と引き替えに、その魂に刻みつけよう。
私に変身を決意させたことの、意味を!
「“変身中は、何人たりとも邪魔をすることは許されない”」
『な、■!?』
「【マジカル・トランス・ファクトォォォッ】!!」
私の身体が、瑠璃色の光に包まれる。
現れ出でるのは、いつものピチピチふりふりの魔法装束。
そしてこの水攻めのせいで、私には、もう一段階の羞恥プレイが用意されていた。
「そのまま――【トランス・ファクト・チェーンジッ】!!」
瑠璃色の、夜空のようなバックシーンが海中のようなそれに変化する。
魔法装束は光と共に解けて、瞬時に組み直されていく。
そして。
「母なる海に闇が降り立つとき」
――差し出す足は、アヒルの足型サンダル。
「海淵より顕れ水鱗を纏う」
――片手は腰に、片手は天に、両手を覆うイルカさん型ガントレット。
「そう、我は遙か正義の元より現れし勇気の象徴」
――かかげた手に降り立つのは、ハンマー型のステッキ。
「魔法少女」
――腰にはシースルーのスカート。※なお通常魔法装束より短い膝上三十センチ。
「ミ☆ラ☆ク☆ル」
――そして、身体にぴっちぴちに食い込むのは。
「ラピっ♪」
――十歳女児用、スクール水着。通称スク水。
「マリンフォームで可憐に推参! てへっ♪」
――ご丁寧に、胸にはゼッケン。ひらがなで「らぴ」。しなせろ。
凍る時間。
胸元まで浸る水。
魚人はぽかんと口を開け。
『貴様もしや変態か』
「ノイズしゃべりはどうした!? ラピ、怒っちゃうぞ☆」
ぐっ、しゃべり方に補正ががが。
なんだよ。なんでこんなときだけ普通にリアクション取れるのこの魚人!
ぜったいにゆるさない。しんでもころす。ぜったいに。
『変態に、■■されるほど、落ちぶれてはいない■!』
「なんでそこにノイズ!? なにされると思ってるわけ!?」
私の怒りも何のその、既に洞窟が水で一杯に満たされる中、魚人の身体が脈動する。
水の中を泳ぐ、という表現は正しくないのかも知れない。まるで空を飛ぶように高速で突撃する魚人の動きは、まさしく水を得た魚と言えよう。
「らぴらぴハンマーっ!」
『ギッ■!?』
振りかざすハンマーもまた、水の中の動きではない。
むしろ地上よりも速い動きで放たれたハンマーは、魚人を正確に捉えたばかりか、あまりの勢いに“水が割れ”て、刹那の間、空白の場が生まれるほどだった。
魚人が洞窟の壁に叩きつけられ、反動でこちらに跳ね返るように吹き飛んでくる。そこに、もう一度ハンマーを振りかざした。
「もう一発☆」
踏み込みに地面は必要ない。
アヒル型のサンダルは、水中全てを地面と捉える変則軌道。
水の抵抗を一切受けずに放たれた一撃は、魚人の身体を地面に向かって叩きつける。
『なめ、■なよ! ダークネス=エルドア=クラーケ――』
「させないよ♪ すたんぷっ」
『■■あぎゃ■!?』
魚人の周囲に蠢いたのは、圧縮された“力”の結晶。
魔導術師も異能者も、発動を阻止することすらさせずに、七度押しつぶしても飽き足らないであろう膨大な力の渦――を、上からたたき伏せる。
『な、ぜ■』
何故? ふふ、奇妙なことを訊く魚野郎だ。
あなたは私を、可愛い生徒たちの前で、痴女として晒し者にしようとした。
それだけならば、一撃で心静かにさせてやったものを……よりによって、あの子たちを傷つけた。その罪は、万死に値する!
「【祈願】」
――魚人の顔に怯えが浮かぶ。
「【現想】」
――逃げようと背を向ける魚人。
「【万死鎚撃】」
――踏み込む足。股に食い込むスク水。爆発する羞恥。
「【成就】!!」
――そして、ハンマーが、身長の数十倍まで膨れあがった。
『ひっ、■や■ッ、まだ、■■され、たく――』
「海に」
横から振抜くハンマーの影に、魚人が消える。
「還れ」
『イギッ■グガッ――■■■■■■■ァ■■■ッ!?■■!!!!■?』
次いで伝わる衝撃。
水中なのに起こる瑠璃色の爆発と共に、魚人の身体が塵となる。
「正義執行! 今日も魔法少女のお・し・お・き、コンプリートってね♪」
きゃるんっとポーズをとると、水の中なのに瑠璃色の花がぽわっと広がる。
涙を堪えるように上を向くと、七に協力して貰ったのだろう、空気の膜を張って泳いできた獅堂の姿が見えた。
あろうことか彼は、身体をくの字に曲げて、口から大量の水泡を生み出している。笑いすぎだこんちくしょうめ。
食い込んだ水着がちょっと痛い。
でもそれ以上に、私の心に食い込んだ羞恥心の方が、何百倍も痛かった――。
2016/08/10
誤字修正しました。




