そのよん
――4――
曇天の空が、雨の予感を増させる夏の東京。
池袋駅から明治通りを越え、繁華街からやや離れた場所にその“事務所”はあるという。
心から“必要とする者”しかたどり着けないというその場所に向かうため、私とリリーとイルレア……そして、どこからか聞きつけた時子姉は、池袋駅に来ていた。
「ふふ、むさ苦しい男が混ざるのであればくびり殺していたところだけれど、この面子なら目に優しいわね。ね、未知、用事が終われば遊びに行くのでしょう? エスコートしてくださいな」
リリーは黒のグラデーションのようにシースルーの入ったレーススカートに袖無しのゴシックロリータ。日傘は蜘蛛の巣がデザインされた、上品なものだ。
「リリー・メラ。私もご一緒してもかまわないかしら? あなたたちのような可愛い子たちと遊びに行けるのなら、私も幸福だわ」
「あら、口の巧いこと。まぁ、私の故郷は実力主義ですの。美貌はあるようだから、力があるのであれば側室は許しましょう」
「ふふ、寛大なお言葉に嬉しく思うわ。けれど、私が勝てば私が正室で良いのかしら?」
「それくらいの負けん気がある方が、私もやりやすいわ」
イルレアは青い七分丈のシャツに白いスキニー。前縛りのスカーフシャツは、お洒落なストライプだ。背中に背負うギターケースには、白炎浄剣が入っているらしい。虚空から呼び出すことも出来るが、町中で白炎からの召喚は派手すぎるとのこと。
「今日は、見習い巫女の“みいちゃん”でよろしくねっ。おねーさん?」
「時子といったわね。私はなんと呼んで下さるのかしら?」
「リリーちゃん、ではだめかな?」
「それを許しているのは鈴理だけよ」
「そう? なら、リリーおねえさまで!」
「……良いわね。ふふ、姉と呼ぶことを許可しましょう」
時子姉――今日は“みいちゃん”らしい――は、紺のセーラー風ワンピースに赤いリボンネクタイ。白い帽子を被っていて、背にはウサギさんのリュックサック。スタッグ付きのお洒落なローファーだ。
どこからどう見ても子供にしか見えないのは、すごい。
「ねぇイルレア、本当にスーツでなくても良かったのかしら?」
「ふふ、先方は堅苦しいことを嫌がるわ。ラフな格好でちょうど良いのよ」
「後に遊びに行くのよ? 未知。スーツでなんて許さないわ」
「あはは、気にしなくても良いと思うよ? おねーさん。……それが嫌で、地位から退いた人たちだからね」
「時子ね……みいちゃん?」
「なんでもないよ?」
言いかけた時子姉の言葉がよく聞こえず、首を傾げる。どうやら先方のことを良く知っているようだけれど……うーん、探偵と時子姉って結びつかないなぁ。
さて、そんな理由で、本日の私も私服となっております。オフショルダーにベルスリーブのチェニックトップス。髪は下ろして今日は緩く巻いてあるので、さらけ出した肩に髪がふわりと乗っている。パンツは七分丈のデニムで、足下は編み上げのヒールサンダル。
こんな軽い格好で良いのだろうかというひやひやは、ひとまず納めておくことにしよう。
「未知おねーさんがアポイントメントはとったんだよね?」
「ええ。昨日ね」
「とれたってことは、その時点で合格ってこと。だから行こっ」
「え、ええ?」
時子姉に右手を引かれて、くすくすと笑うリリーに左手を取られて、イルレアと苦笑しながら歩く。
人通りを抜け、野良猫のいる裏路地を抜け、裏道の教会の前を通り、スナック街をひた歩く。なんだかちょっと、冒険でもしているみたいだ。
「――そういえばみんなは、“真伝十三家”って知ってる?」
その道すがら、ふと思い出したように時子姉が呟いた。
「え? ええ。優良生徒特別交流会で、香嶋さんと四国に赴いた時に、水無月の子と会ったわ」
「私は詳しくないわ。リリー・メラ、あなたは?」
「私は興味ありませんわ」
鈴理さんと遠征競技戦でも戦った女の子、水無月梓さん。
優等生タイプのきりっとした女の子で、“甲斐”と呼ぶ少年と、“瑞穂”という少女と仲が良いようだった。そのことを伝えると、時子姉はきょとんと目を丸くしてから、一度、頷いてみせる。
「その子は水無月本流ではない子ね。現当主の弟殿の娘さんじゃないかな。となると、瑞穂って言う子は“八坂瑞穂”、男の子は“門音甲斐相左門”。みんな、継承権を持たない名家本流に近しい子たちだね」
そっか、そういえば静音さんも、それで色々と苦しい目に遭ってきたんだよね。
「そうなんだ……。ロードレイス先生、えっと、イルレアの弟さんね? みたいな感じかな」
「レイルのことね? あの子には苦労を強いているわ。名家本流の特別な異能を持たない子は、“失格者”という蔑称が生まれてしまうほどに、冷遇されることもあるからね」
「ふぅん? 人間って面倒! 実力主義で良いじゃない。打ち負かせば、中身の力なんて関係ありませんことよ?」
まぁ、確かに、悪魔は種族中で一番単純明快だからね……。
今の魔界が統率されていて、去年のように人間界にちょっかいをかける輩がいないのも、頂点に立つ“最強”のリリーが、人間を内側に囲っているからなのだとか。もちろん暴走する輩もいるが、七魔王が討伐されてからは大人しいみたい。
……天使にも見習って欲しい、なんて、考えていないよ?
「で、みぃ。それがどうしたの?」
「あはは、ごめんねっ」
脱線していることに気づいたリリーがそう告げると、時子姉はあざと可愛く舌をぺろりと出した。似合っていて羨ましい限りです。はい。
「真伝十三家は、文字どおり十三の家で成り立っているわ。睦月から、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走から為る相伝十二家と、それらを統括する始伝宗家“暦”の合わせて十三から成り立つ古流名家」
「あれ? 文月ってどこかで? ええっと、みいちゃん? それで?」
私の質問に、時子姉は苦笑する。
それから足を止めて、斜め上を指さした。
「え?」
「ほう」
「ふぅん?」
私と、イルレアと、リリーの声が重なる。
時子姉の指さした先。雑居ビルの二階、テナントのガラスに大きく貼られた文字テープ。
『私立探偵事務所 暦』
そう書かれた文字を前に、私たちは思わず立ち止まってしまった。
ええっと、真伝十三家統括の、始伝宗家の暦さん、と、この流れで無関係なはずがない。
ということは、えっと、ここって本物の?
「これが、私がついてきた理由。いきなり“暦”の前に放り出されるよりも、“黄地”の私が居た方がまだ良いでしょう? ――もっとも、今日は“みいちゃん”としての同行を崩すつもりは、無いけれどね?」
そうお茶目に笑う時子姉に、ただ苦笑せざるを得ない。
なるほど、こういうことだったのか……なんてね。
質素な白いソファーに、ガラスのテーブル。
対面のソファーのその奥には、“如何にも”といった木の書斎机と、“所長”の名前札。所長は席を外しているから、と、案内された私たちは四人掛けのソファーに腰掛けていた。
普通、四人掛けに四人は少し狭い。だが時子姉とリリーが小柄なおかげで、なんとか窮屈は感じずに居られた。
席順は左から、リリー、私、イルレア、時子姉の順番だ。
「お茶が入りましたので、どうぞ」
「あ。ありがとうございます。ええと、あなたは?」
「僕は茅。所長の助手です」
そう言って私たちの前にお茶を並べてくれたのは、高校生くらいの少女だった。
地毛と思われる金髪に、鮮やかな黒い目。ハーフなのかな? ショートカットだけど、ボーイッシュというには可愛らしい。
今、この場に居るのは茅さんと、もう一人。端のデスクで延々と本を読んでいる女の子。彼女は私たちを一瞥して会釈して、それからずっと本に視線を落としたまま動かない。お下げに眼鏡にセーラー服。中学生、それも低学年程度を思わせる容姿だ。
「お茶請けもありますよ。お嬢さんたちは何が好き?」
「あら、お茶には和菓子なのではなくて?」
「はいはーい、みいはなんでも好き!」
「よし、それじゃあ、所長の秘蔵の羊羹を出すね」
秘蔵の羊羹……。
けっこう、気安い関係なのかな。名家出身――退魔七大家の方が格は上らしいけれど――の所長ということだから、それなりに取っつきにくい方なのかと思ったのだけれど。
「――思っていたよりも、親しみやすい方なのかな」
「――思っていたよりも、親しみやすい方なのかな、と、君はそう言うだろう」
完全に重ねられた言葉に、驚いて息を呑む。
そんな私の様子に気にした風もなく、その方は平然と私たちの後ろから歩いてきて、対面に腰掛けた。
「所長、約束の時間、過ぎてますよ」
「失敬、礼拝で遅れてしまってね」
茶色のチェックのポンチョにスカート、それから鹿撃ち帽。白いシャツに赤いネクタイの女性。いや、ひょっとしたら“少女”かもしれない。女子大生、と言われたら納得してしまいそうだ。
髪は黒で、首の横で二つ縛り。けれど、瞳だけは薄く紫がかっていた。
「初めまして、観司君。私が所長の“暦黄泉”だ。よろしく頼むよ」
「は、い。こちらこそ、本日はよろしくお願いします」
少女? 女性? 年齢不詳か。
なんとなく時子姉を盗み見ると、我関せずと羊羹に舌鼓を打ち、口元をイルレアに拭われていた。なんでそんなに女児の演技が巧いのだろう。
視線を暦所長に戻すと、暦所長はパイプを取り出し口に咥え、流れるような仕草で茅さんに没収されている。一見すると親しみやすいけれど、油断は為らないんだろうなぁ。
「では早速、話を聞かせていただこうか」
「はい、では――」
そう、私は話し始める。
長引いた入院。探れない違和感。今回の事の、あらましを――。
2018/01/05
誤字修正しました。




