そのさん
――3――
集中豪雨と台風に脅かされる、弓立山。
山奥の総合病院は、インフラが閉ざされ、完全に孤立した状態となっていた。電気や水道なども、病院敷地内の予備施設から供給しているような状況だ。
麓の街に繋がる唯一の道路は現在、大量の土砂に埋まっている。その、病院側から見て手前。土砂崩れの前。大ぶりの雨の中、バイクに跨がった男が無言で立っている。
ライダースーツにダークフェイスの黒ヘルメット。黒塗りのバイクに跨がったまま、男は土砂の山に手を伸ばす。
「…………」
そして。
「そこのあなた! なにをやっているの?!」
上げられた声に、手を止めた。
「……チッ」
男は忌々しげに舌打ちをすると、雨の中を駆け寄る一団を見る。
黒髪童顔の女医、片桐を筆頭とした医師団だ。彼らは病院施設の中でも戦闘を熟せる異能者なのだろう。傘も差していないのに、雨水に濡れた様子はない。よく見れば、その身を薄く輝くオーラが守っていることがわかることだろう。
だが男は、そんな彼らの様子など気にも留めずに、バイクのハンドルに手を掛ける。
「っ、待ちなさい! あなたは、いったい」
「……」
「待てと言っています! “射貫け”!」
片桐が男に、白く輝く“矢”を飛ばす。
けれど男はそれに動じた様子はなく、何気なく伸ばした右手で“矢”を払った。
「なっ!? あなたは、何者ですか!?」
「……」
「答えなさい! ッ」
男は、片桐の言葉に耳を貸さない。
ただ轟音を響かせて、バイクの排気口から“銀の炎”を噴出させると、切り立った崖を“垂直”に登って姿を消した。
「片桐院長、どうなさいますか?」
「……追う術はありません。退きますよ」
「はっ。承知いたしました。撤収!」
傍に居た白衣の男女が、片桐の言葉で下がっていく。
ただ片桐だけは、男が過ぎ去っていった方向を睨み付けていた。
「なんだというのです……いったい」
片桐の呟きは、響かない。
ただ時間と共に強くなる雨の中に、かき消されるように溶けていった。
――/――
関東特専総合情報処理施設。
主に大学部の学生が使用する、最新鋭の異能・魔導科学の粋が集められたこの部屋で、私はキーボードを叩いていた。
「お疲れ様、未知。根を詰めすぎるのも良くないわよ?」
そう言ってペットボトル飲料を持ってきてくれた女性――イルレアに、会釈をして礼を言う。
「ありがとう、イルレア。紅茶?」
「ええ、そう。職員室でもよく飲んでいたから、苦手ではないのでしょう?」
「ふふ、そうね。ありがとう」
私のお礼に、イルレアは上品に微笑んで受け入れた。
――イルレア・ロードレイス。本来は今回の視察が終わり次第、本国に帰るはずだった。けれど意図ならずとはいえ人工天使の“運び屋”となってしまった件の責任を取る、という形で残留。そのまま、関東特専で有能な講師として教鞭を執ることとなった。
その後、改めて私に“交際の申し込み”をしたイルレアとのやりとりを、思い出す。
『私たちは互いのことを深く知らないから、友達から始めませんか?』
『ええ、そうね。わかったわ……必ず、あなたの愛を手に入れて見せるわ。けれどその日まで、決して未知の負担になることはしないと約束するわ。だから、想い続けることだけは、許して? 未知』
『ぁう、えと、はい。許すと言いました……んんっ、許すと言ったので、それは覆さないよ。イルレア』
なんて、こんな会話を交わして、事実彼女は絶妙な距離感で私に接してくれている。下手な男性よりも女性を口説くのがうまいというのは、いったいどういうことなのか……。
そんな彼女の立場としては、獅堂と同じ“特別講師”という話だ。その獅堂もつい先日までは関東特専に居たが、夏休みと同時に仕事が入り、今は九州にいるのだとか。七はちょっと別で、用事があって精霊界の実家に戻っているようなのだけれど。
そして、私はというと、一般教員として特専に残り、イルレアの“権限キー”を借りて調べ物をしていた。
「確かに、怪しいわね」
イルレアはそう、私が調べている案件について呟く。
私が今、調べているのは、鈴理さんの長期入院の件だ。元々、魔法少女の魔法で怪我の類いは因果関係のレベルから回復させた。だが、初めての霊力枯渇ということもあり、念のため、三日程度の検査入院をする……という話だったのだ。
それが、あれよあれよという間に伸びて、今や五日間が過ぎた。当初の予定から引き延ばされたということは、それなりの理由があるはずだ。けれど現状はこのとおり、なんのデータも見つかっていない。
「院長は片桐佳苗医師。父の片桐常継氏から院長の座を譲られる形で、去年就任。現在三十三歳の若手女医、と」
優秀な方ではあると思うけれど、経歴に怪しい部分はない。
比較的新しい総合病院ではあるが、優秀な人間も多いようだ。学会で名を上げた方や、特専でも好成績を残した異能者などが集っている。現片桐院長を慕って集った人間も多いようで、病院施設の中でも自衛員としての側面を発揮できるようだ。
「昨間杵彦、三十六歳。発現型の異能者。工藤島和成、三十五歳。発現型の異能者。釜井恭造、三十歳。特性型の異能者。小郷務、二十九歳、発現型の異能者」
「未知、魔導術師がいないようだけれど、それは?」
「とくに意図がある選抜ではない、というデータね。これで魔導術師嫌いでもあったら、むしろ話は早いのだけれど……患者の中には魔導術師の方も居て、悪い噂は聞かないわ」
「視点を変えてみる必要があるのかも知れないわね……」
杞憂だったのであれば、もちろんそれに越したことはない。
大事な生徒たちが傷つくような事態よりも、取り越し苦労をする方が何倍も嬉しい。これで本当に後遺症の恐れがある、という診断結果があるのであれば、入院の延長も健康のためにいた仕方のないことだ。
だが、“魔法少女”の“魔法”で行う治癒は、後遺症を許すような生易しいものではない。それは幾度となく使用してきた私が言うのだから、間違いは無い。なにせ、身体が消滅するような事態であっても、魂が残留していたら再構成して蘇生することすら可能なのだ。
医療に関して確かに私は素人だ。けれど、魔法に関してならば、私以上のプロフェッショナルはいないという、確固たる自信がある。
いや、魔法使いも私以外はいないのだけれど、特性型の異能者ならば、魔術と呼ばれる技術を霊力で行使する者もいるので。
だからこそ、この長期入院には疑問が残る。
表向きのデータでは“後遺症の可能性が散見されるため”とあったが、それはもう心配しながらお見舞いに行った時に、鈴理さんの許可の元“窮理展開陣”で検査したところ、異常は一切見られなかった。
それでもお医者様の言うことだからと見送っていたら、転院からのさらなる入院期間延長だ。心配にならないはずもない。
「そういえば未知、片桐常継前院長は、現在なにを?」
「……既に故人のようね。亡くなられているのであれば、そちらから尋ねるのは無理だろうし、ね」
「では、総合病院の“土地の管理者”は?」
「……――名義は、片桐佳苗現院長のものね」
すごいな、周辺一帯の地主でもあるんだ。
うーん、これで別の名前が出てくるのであれば、他のアプローチも取れたと思うのだけれど……やはり、行き詰まってしまうわね。
「私に探偵は向いてないなぁ。地道な問題でも、こんなに行き詰まっている」
「そうよ、未知、探偵よ!」
「イルレア?」
「以前、日本の探偵にお世話になったことがあるの。そちらに持ち込んでみるのはどうかしら? 個人的な繋がりもあるから、口も硬いし信頼できるわよ」
「探偵、そう、探偵が……」
探偵かぁ。
なるほど、本職の方にお願いをする、というのは良い手段かも知れない。依頼に赴く、ということであれば、ここのところ外出の機会が無くてむくれているリリーにも、良い機会になるだろう。
慕ってくれていて、楽しいものも見つけつつあるリリー。せっかく人間界になじめるのであれば、人間界で平穏に過ごす歓びも知って欲しいしね。
「確か、事務所員がクライアントに許可を貰った依頼のみを抜粋して、うまく改変して出版もしているのよ」
「そうなんだ? なんていう本なの? イルレア」
「ええっと、そう、確か――」
イルレアがパソコンを操作して、画面を見せる。
夕暮れに佇む女性の影。パイプを片手に、手帳を片手に。
その著者の欄には、“文月史”の名前……って、文月? どこかで聞いたことがあるような?
「――“黄昏探偵”シリーズ。これね」
黄昏探偵。
そう題材された、人気推理小説。
私は表示された画面に頷くと、イルレアの提案を承諾した。これ以上進むことが出来ないのなら、新しいところから足場を持ってくるしかない。
これが新しい切っ掛けになるのであれば、と、そう願う。なにせ“友達”の提案で、彼女の信用するところだ。きっと、信頼できることだろう。どこか喉に小骨が刺さったような感覚に首を傾げながらも、私はイルレアから渡された電話番号を、登録した。
ただ、進展を願って――。
2018/01/05
誤字修正しました。




