そのいち
――1――
埼玉県弓立山の麓には、大きな総合病院がある。
異能者や魔導術師の収容を目的とした病院で、大きな手術や入院にはこの病院が使われることが多いそうだ。
その総合病院の一室に、わたしこと笠宮鈴理は“何故か”もう一週間も入院している。
「はぁ……ひまー……」
せっかくの夏休み。
補講にも引っかかることはなく、夢ちゃんたちとたっぷり遊べるものかと思ったのに……もう一週間。検査入院が長引きに長引いて、こんなところで暇をもてあましていた。
お父さんとお母さんもお見舞いに来てくれたけれど、二人とも仕事のある身で横浜からこんなに離れた病院に呼ぶのは申し訳なさ過ぎる。同じ理由で夢ちゃんたちを呼ぶに呼べなくて、ひとりぽつんと病院暮らし。うぅ、小説の一冊でも持ってくるべきだったかなぁ。当初の説明では三日程度ということだったから、油断したよぅ。
――コンコンコン
「? はーい」
鳴り響いたノックに、返事をする。
わたしにあてがわれた部屋は、何故か個室だ。尋ねてくる人はわたしの関係者以外にあり得ない。師匠は三日前に一度来てくれたから、違うと思うのだけれど?
「こ、こんにちは。元気そうで良かった」
そう、ひょっこりと入ってきたのは、黒い髪をふんわりと揺らすわたしの友達。
「! 静音ちゃんっ! 来てくれたんだねっ」
水守静音ちゃん。
関東特専の、大事な親友の一人だった。
「え、えへへ。果物と、本を持ってきたよ。私のおすすめ」
「ほんと?! やったっ。暇で暇で、しんじゃうかと思ったよぅ」
「ふふふ、な、なら、私は鈴理の命の恩人だね?」
「へへぇー、有り難うございますですー」
「ふふ、よきにはからえー、な、なんて」
静音ちゃんはそう言いながら、ベッド脇の椅子に座る。
手には小説の入った紙袋と、フルーツの盛り合わせ。服装はふんわりとしたプリーツスカートに、半袖のシャツ。薄手のカーデガンだ。ポーチをつけていて、中には紙皿が入っていた。
「果物、な、なにが食べたい?」
「うーん……リンゴかなぁ。兎さんでお願いしてもいい?」
「ふふ、飾り切りだね? い、いいよ。ゼノ、果物ナイフ」
『心得た』
静音ちゃん右手に嵌められた腕輪が、果物ナイフの形に変わる。
なんだかポチといいゼノといい、悪魔ってけっこう軽いよね。果物ナイフで良いんだ……。まぁ、ポチもよく抱き枕になっているもんね。
静音ちゃんは手際よく、リンゴを飾り切りにして並べていく。なんでも、ゼノを得てから刃物の扱いが格段にうまくなったそうだ。なるほどなぁ。
「さ、め、召し上がれ?」
「やった。んー、美味しい! 静音ちゃんも食べよう?」
「う、うん、お言葉に甘えるね?」
静音ちゃんと二人でリンゴを囓りながら、他のみんなの様子を聞く。
夢ちゃんとフィーちゃんとリュシーちゃんは、遠く実家に帰省をしているようだ。今、特専に残っているのは静音ちゃんくらいで、あまり人は居ないみたい。
「来週には夢たちも帰ってくるみたい。そ、そうしたら、み、みんなで遊ぼうよ」
「うんっ! 来週には退院したいなぁ……はぁ」
「で、でも、どこも悪いところはないんだよね?」
「そうなんだけどね? そもそもなんで、移されたんだろ」
そう。そもそもわたしは、ここではなく、立川市の関東特専付属病院に入院していた。それが五日前、急にこちらに移されたのだ。師匠も理由は知らないみたいで、夢ちゃんと協力をして調べてみてくれる、ということだった。
ご迷惑をおかけします……けど、なんだろう。すでに何かに巻き込まれているような気がしないでもないです。はい。
「ふ、風子も会いたがってたよ?」
「風子ちゃんも? えへへ、そっかぁ。……って、風子ちゃんは夏休みはどうしているの?」
「じ、“実家”の家業のお手伝いだって。昼は喫茶店で、夜はBarって言ってた。しょ、招待してくれるみたい」
「そうなんだ! ふふ、たのしみ」
うぅ、考えれば考えるほど、退院したいよ。
いや、だめだ。気持ちを切り替えなきゃ! せっかく静音ちゃんと楽しいひとときを過ごすのに、こんな気分じゃいられないよね!
「ね、静音ちゃん。持ってきてくれた小説は、どんなのがあるの?」
気持ちを切り返して、静音ちゃんにそう尋ねる。
静音ちゃんも、切り替えたのを察してくれたのだろう。笑顔で頷いて、ミニデスクの上に並べて見せてくれた。
「うん、あ、あのね。文月先生の“黄昏探偵”シリーズが、一巻から五巻まで。それから、四式先生の“空想戦記・七英雄物語”と“魔法少女の真実”と“退魔師短編集”。どれも読み応えがあるよ。黄昏探偵シリーズは私もすごく好きで、面白かったら五巻以降も持ってくるね」
「わぁ……ありがとうっ。探偵もの、わたしも好きだよ!」
探偵ものや推理小説、それから刑事物。
勧善懲悪ものも好きなんだけど、やっぱり、隠された真実を暴いていくカタルシスって、他では中々味わえないよね。
「ほんと? えへへ、よ、良かった。鈴理はなにを読んだことがあるの?」
「アイリス・クリスティナの“運命の楔”シリーズ! あと、初期の短編集の“暗がりの花”かな。それと、東山久遠の“暁に請う”と、続編の“明星に祈る”が好き!」
「アイリス・クリスティナ! わ、私も好き。運命の楔シリーズの、第二巻のクライマックスは、忘れられないよね」
「わかる! 『なんどでも、私はあなたに突きつけよう。たとえそれが、私の心を削ることになったとしても、この真実は明るみに出そう。――あなたが犯人だ。我が親友』」
「ふふ、わ、私も覚えたよ。何度も口ずさんでいたら、舌が覚えてしまったみたいなの」
なんだか、静音ちゃんの新しい一面だな、なんて思う。
同時に、同好の士が見つかってわたしはとても嬉しかったりします。夢ちゃんは忍者小説や歴史小説が好きで、リュシーちゃんは詩集なんかをよく読むけれど、それよりも音楽の方が好きみたい。フィーちゃんとはそういうお話しをあまりしたことはないから、今度、聞いてみたいなぁ。
「――あ、もうこんな時間だ。静音ちゃん、帰らなくて大丈夫?」
そうやって話し込んでいたら、気がつけば六時を回っていた。
夏は日が長いから、外の様子ではよくわからない。静音ちゃんが来てくれた時点で三時を回っていたからなぁ。
「え、えへへ、実は、近くにホテル、借りちゃった。明日は朝から来るね?」
「ええっ、そうなの? ええっと、その、お金とかは……」
「研究の一環ですって言ったら、経費で落ちるみたいなんだ。え、Sクラスの特権みたいだよ?」
「ほへぇ、そんなのあるんだ。でも、うん、嬉しいっ」
そっか、明日は朝から来てくれるんだ。
明日の予報では、天気は雨になっている。一人でぽつんと過ごす雨は嫌いだ。どうしても、嫌な記憶を呼び起こす。でも、静音ちゃんが居てくれるのなら、なによりも心強い。
嫌なことを思い出して、無駄に苛々しなくても済む。きっと、楽しくて仕方のない時間になる。
「それなら、それまでに読んでおくね? 黄昏探偵! そしたら、そのお話もしよ?」
「う、うん! いっぱい話そう、鈴理!」
うん、楽しみなことが増えると嬉しくなる。
それで静音ちゃんも笑顔になってくれるのなら、私ももっと楽しい。ちょっと本当にどうなることかと思ったけれど、この入院生活、なんとか持ち直せそうで一安心だ。
小説、いっぱいあると嬉しいしね。えへへ。
「じゃあ、また明日ね、鈴理」
「うん、また明日!」
面会時間ギリギリまで居てくれた静音ちゃんが、引き上げていく。
わたしはそんな静音ちゃんを見送ると、さっそく、並べられた小説の中から一冊を手に取る。
表紙にパイプを咥えた女性の影が印刷された、黄昏探偵シリーズの第一巻。“黄昏探偵と萱草の乙女”というタイトルの一冊だ。せっかく、時間だけはたっぷりあるのだし、ここは一つ、じっくり読みながら読破しようかな!
――/――
弓立山奥地。
元々は山でしかなかったが、大戦の折りに崩落。その跡地に建てられたのが弓立山総合病院だ。その歴史は浅く、“だからこそ”なにかが潜みやすい。
その総合病院を見下ろすことができる位置に、一台のバイクが停まった。黒塗りのヘルメットに、黒いライダースーツ。ご丁寧にバイクまで黒く塗られている。
「ここか……今度こそ、当たってくれよ。無駄足は“もう”ごめんだぜ」
声は男の者だ。
ヘルメットでくぐもった声は、性別以外のなにもわからない。ただ、声には疲労のような色合いが濃く乗っているようだった。
「鬼が出るか蛇が出るか。はたまた悪鬼羅刹か、妖魔か悪魔か。いずれにせよ、“天使”でなければなんでもいい」
「なぜそう思うのか、お聞きしても?」
そんな男の背後から、若い女の声が掛かる。
男は己に降りかかった声に、気にしたそぶりを見せない。ただバイクから降り立ち、あくまで自然体で振り向いた。
「天使にはどうにも、昔からいい話を聞かなくてな」
「そうですか。それは認識不足では? と愚考いたしますが」
「はっ。所詮は主観さ。いい話を聞かないことだって、それがどうしたと断ずれば良い。……と、話し込んじまったが、もう行って良いか? メイドの嬢ちゃん?」
女はメイド服の裾をつまんで、ゆっくりと会釈する。
けれどその仕草は、“通れるものならば”と告げるばかりの、慇懃無礼なものだった。
「あの病院には主の恩人がおりまして――怪しい貴殿を、見逃すわけには参りません」
「義理堅いのは良いことだし、こちらが怪しいのも承知だが――舐めてると、痛い目見るぜ? 嬢ちゃん」
男はそう告げると、バイクのサイドスペースから黒い布に包まれた長物を取り出す。
それを掲げるように持ち上げて布を取ると、中からは一振りの赤い西洋剣が現れた。
「竜吼剣“ドラグプレイヴァー”」
「魔剣の類いですか?」
「いいや、ただ丈夫なだけの剣さ」
男は剣をろくに構えず、肩にかけて体勢を崩す。
まるで、ど素人のような構えだ。だが女は油断せず、この土壇場でそんな構え方をした男に、警戒を強めていた。
「かかってこないのか? ならこっちから――と」
「と?」
「いや、すまないな、“時間切れ”だ」
男が告げた言葉に、女は咄嗟に行動を取ろうとする。
けれどそれよりも一瞬早く、男の投げた球体が破裂。閃光と煙を噴出した。
「ちぃっ! 吹き飛べ!」
女が腕を振り、煙を張らす。
だが如何なる原理だというのだろうか。その場には既に、男どころかバイクの姿さえ、影も形もなくなっていた。
「逃がしましたか……」
女は、そう呟くと、スカートについた煤を払う。
それから、未だ静かに佇む総合病院に視線を落とした。
「あなたは坊ちゃまの思い人であられます。ならば昔日の恩は、この私が果たしましょう。――坊ちゃまの慕う方、水守静音と、旦那様がご迷惑をおかけした少女、笠宮鈴理。これは、警告が必要かも知れませんね」
女はそう呟くと、踵を返して消えていく。
あとにはただ、静寂に揺れる木々だけが、総合病院を見下ろしていた。




