そのじゅうはち
――18――
背に生える二腕は翼の形をした歪なモノ。
上の二腕には巨大な剣を持ち。
下の二腕には大きな盾。
『ルォおおおおおおぉ』
三階建てのビルくらいはありそうな巨体。
筋肉の塊のような身体に、申し訳程度の腰布。顔の上半分を覆う仮面のような兜、むき出しの歯茎、ゴツゴツとした岩のような歯。顔は、前と後ろで二つついている。
真っ白な体躯の歪な巨人は、無いはずの目でわたしたちを見ているような気さえする。
「人工、天使?」
「ええ、そう。天装体の技術を流用した、人間たちの傲慢の象徴。さきほど、異能の発動を阻害されたでしょう? あれは単純に、霊力を上回る力を持つ“天力”を無理矢理流し込まれたから、よ」
「天力、天使、天装体……」
天装体、と言われて思い出すのは、沖縄異界でわたしたちに牙を剥いた、フィリップ・マクレガー・オズワルドのことだ。彼は天使であり、地上で活動をするために“天装体”を身につけていたのだという。
目の前の巨人。これもまた天装体のようなものなのだというのなら、その力の程はうかがえる。きっと、これも、すごく強い。
「さて、鈴理。私に守られるのと並び立つの、どちらがお好みかしら?」
「……一緒に戦います!」
「ふふ、では行きましょうか。我が前に傅け、白炎浄剣“ディルンウィン”」
巨人が剣を振り上げることと、同時。
イルレア先生が大きく前へ飛び込み、二刀の間をくぐり抜け、剣を振り上げながら頭を狙う。よく見れば、盾を持つ腕に切れ込み。今の一瞬の、すれ違いざまに切りつけたの?
「すごい……」
翼状の腕によって防がれ、巨人の頭蓋を割ることは叶わない。
けれど、翼に白炎を延焼させ、巨人は大きく後ずさった。……って、見ているだけじゃだめだ。わたしだって、師匠の弟子なんだから!
「【速攻術式・平面結界・術式追加・四倍・展開】」
平面結界を一枚生み出し、四倍、四つに増やす。
一枚はわたしの盾として眼前に配置。一枚は攻撃用に手元に配置。二枚は移動用の足の裏に配置。それぞれに役割を持たせることで効率化と簡易化を図ると、わたしは、“反発”による踏み込みで大きく前に出た。
「イルレア先生、左側面は任せて下さい!」
「ええ、わかったわ!」
白い炎を翼のように噴出して、右側面上方に飛ぶイルレア先生。
わたしは左側面下方に潜り込むように、低空を跳ぶ。
『おるろぉおおおおおお!!』
「【硬化】!」
振り下ろされた大剣の一降りを、硬化させた盾で弾き逸らす。
いなされた大剣は容易く石畳を砕き、石片をまき散らしながら大盾を振りかぶった。
「っ“慣性制御”」
『るお?!』
足下から滑らせて、巨人の大きな身体を傾けさせる。
そうすると直ぐに反対側で炎の柱が立ち、巨人の右側面が焼け焦げた。あれ? なんだか、勝てそう?
『うるるるぅるぅおおおおおおおおおおおお!!』
「きゃあっ?!」
咆吼。
轟音。
巨人が盾を上空に投げると、盾が空中で固定。
そのまま、地面に向けた“砲台”のように、光の柱が降り注ぐ。
「【硬化】!」
頭上に一枚。
正面に一枚。
移動に二枚。
攻撃する間もないほど降り注ぐ光の柱は、石畳を砕きながらランダムに落ちる。反発を利用した高速ステップでよけ進むことが精一杯。とてもじゃないけど、これじゃあ反撃に移ることが出来ない……!
「っ集中。まずは、防御に意識して土台を作る!」
移動を平面結界から“慣性制御”に切り替え。
頭上の一枚に、移動に使っていた二枚の盾を“円周固定”。
自分自身の周辺を守りながら、正面の一枚を攻撃に転用!
「【速攻術式・加速展開陣・術式追加・圧縮・短縮詠唱・五回・展開】」
圧縮は、師匠が得意とする術式だ。
わたしは短縮詠唱が苦手だから、師匠のように二十四回どころか、杏香先輩みたいに十二回だって難しい。無理をして十回。だから、今は安定させ強度を増した五回分の“圧縮術式”を展開。
圧縮設定は加速。可視化された魔導陣が眼前に展開。この状態で、攻撃用に掲げた一枚の平面結界に情報設定を入力する。
「【速攻追加・精密射撃・硬化・回転・展開】」
あとはこれで“投擲”を付与して投げれば良い。
「んぐぐぐぐぐ」
……良いんだけど、難しいよ!?
例えるのなら、飴の板に綺麗に刻みつけたる紋様を壊さないように、けれどしっかりと色づけしていくような作業。詠唱と共に展開された魔導陣を、既に展開され術式持続が施された魔導術式に添付する。
精密射撃を含めた投擲までの五つ。それらを五回分の加速圧縮魔導陣を通り抜けて、壊れないように保持する。威力は期待したモノになると思うんだけど、難しい!
「時間稼ぎが必要ね? 任せて、鈴理」
「っはい!」
イルレア先生が察してくれて、わたしの前に躍り出る。
振り下ろされた大剣をいなし、降り注ぐ光の雨をステップで避け、咆吼からのビームに花弁のような炎の残滓を残しながら、カウンターを入れる。
純白の炎が白銀の剣に宿り、空に刻まれる軌跡は白炎の斬撃残影。舞い踊るように巨人を削る姿に、思わず見惚れてしまった。これが、イルレア先生の戦い方なんだ。
「って、ぼうっとしている場合じゃ――ぁ、定着してる……」
無心だったのが良かったのか。回転の効果で回転する平面結界に、鮮やかな青い燐光が宿っていた。
これなら、いける!
「イルレア先生!」
「っ――打ち立て、白炎!」
イルレア先生が剣を横薙ぎに振るうと、白い炎の壁が生まれる。
巨人の視界が隠れたのなら、これが好機。イルレア先生が作ってくれたチャンスを、逃したりはしない!
「いっけぇええええええ!!」
盾を投げると、加速陣で急加速。
投げた瞬間とは比べものにもならないような速度で射出された盾は、白炎の壁を横一文字に切り裂いて、そのまま巨人の首に当たる。
『るぉ?』
……と、そのまま、一切の抵抗なく首を切り落とし、倒れた身体が白炎で灰燼に帰した。
けど、そんなものでは済まず、試験用の結界の上部に突撃して、空全体を覆うような罅を入れる。えぇ、い、威力、強すぎないかな?
「やるわね、鈴理」
「いえっ、イルレア先生が助けてくれなければ難しかったです」
「ふふ、謙遜しないで? 立派よ」
優しげに微笑むイルレア先生の顔に浮かぶ“優しさ”は、本心であるように思える。
そうすると、ますますイルレア先生のことがわからなくなった。レイル先生が気まずそうな理由も含めて、なんだか謎だらけだ。
「っ、先生」
と、ふと、“嫌な予感”がした。
これで終わりではない。そんな風に、本能が告げている。
「抜かったわね。構えて、鈴理。第二ラウンドよ」
「は、はい! 【速攻術式・平面結界・展開】」
けたけた、けたけた、けたけた、と。
白炎の向こう側から響く、笑い声。
『おぉおおお、お、ていちゃく、した、か』
仄暗い水底から響くような、くぐもった声。
その向こう側に立っていたのは、歪な姿の“天使”だった。はね飛ばされた首から再生したんだと思う。あばらの浮いた細身の身体に、機械の混じった天使の羽。前後にあった顔の後ろ側は焼けただれ、仮面のような兜が外れている。
むき出しの歯茎。削り取られたかのような鼻。左目は瞼がなく、ぎょろりとしている。たいして右目は睫毛や眉こそ無いけれど、瞬きをしているようだった。
「っ、“ディ・ドリーム”?」
「イルレア先生? ご存知、なんですか?」
「ええ……昔、ロンドンで獅堂と解決した事件の主犯、法廷で極刑が言い渡された快楽殺人犯の、“悪魔憑依”よ」
「シリアルキラー?!」
え、いや、でも。
機械混じりの天使。よしんば天使薬で変わってしまった人だったとしても、悪魔ではない。なんというか、わたしだからこそわかる、“悪魔の気配”がしないんだ。
『かかか、ちにくが、たらない。たらないから、もらう。いまいましい、はくえんと、わかいおんなの、ちにくだ』
「鈴理、“剣”に気をつけて。来るわよ!」
『おれに、ちにくを、よこせ――ッ!』
ええっと、天使もどき? とわたしたちの距離は三十メートルはあると思う。
なら、組み立てられる術式は、円周固定までならなんとか……。
『ちにく、だ』
「え?」
蹴られて、水平にはじき飛ばされるイルレア先生。
瞬く間に、眼前で“黒い剣”を振る、天使もどきの姿。
一息でここまで来た? だめだ、早すぎる。死を察知した頭が、周囲の風景を遅く見せる。けれど身体が追いつく速度ではないから、頭上に振り下ろされようとする剣を、呆然とみていることしかできない。
(なにか、できることは?)
あきらめちゃダメだ。
諦めちゃだめ、なんだ。
(っ“摩擦遮断”!)
振り下ろしと同時に、踏み込まれた足。
その摩擦が消えると、天使もどきの身体が斜めに傾く。身体は最小限に、半身の形にずらして剣戟を避け、踏み込みながら天使もどきの後ろまで移動。
どうせ天使もどきは直ぐに体勢を立て直す。だったら、わたしは、“この状態”を維持しなければならない。火事場の馬鹿力でもなんでもいい、から、成功して!
(“二重干渉・行動思考・加速起動”)
身体に纏わり付く翠の燐光。
認識速度の低下、思考速度の高速化、行動速度の補助。
色を失う代わりに、剣を振る天使もどきの姿がゆっくりとしたものに映る。
『ち に く を よ こ せ』
ゆっくりと聞こえる声。
振り下ろされる剣の腹に手を添えると、動きを逸らす。待機してある平面結界は、わたしの動きに追いつくことが出来ない。だからそのまま置き去りにして、弓のように手を引いた。
思い出すのは、夢ちゃんの声。ずいぶんと昔の話だ。変質者に悩むわたしに、夢ちゃんは確か、こう告げた。
(いい、鈴理。打撃なら人体急所よ。みぞおち、喉、鼻っ柱。どこでも叩けば相手は怯むわ。拳はだめよ? 鍛えてないなら怪我をする。やるなら掌底ね)
掌の根で、殴る。
翡翠の燐光が肉体を強化してくれる。叩き方の一つも知らないけれど、強ければ痛いのは常識だ。幸い、どう殴れば痛いのかは、寄生虫が教えてくれた。
『よ け た ?』
その無防備な腹に。
何事かを呟いて、息を吐き出したその一瞬に、極限まで強化された掌底を、狙いやすい鼻っ柱にたたき込む。
呆然とした天使もどきの顔。顔面が凹み、それから頭がのけぞり、頭についていくように身体が浮き、吹き飛ぶ。同時に、ゴキリと鳴る音。痛みはまだこないけれどわかる。わたしの手が、たぶん、腕の骨が折れた音だ。
『な に が お こ っ たァァァァァッ?!』
音の戻る世界。
「づぅっ、ああっ、げほっ、げほっ、うぅ、は、ぁ」
痛みの走る腕。
踏み込む時に捻挫をしたみたいで、左足首も痛い。おまけに、なにがどうなったのか、血を吐いて蹲る。
うぐぐぐぐ、い、痛すぎるぅ。喉も粘ついているようで息苦しい。でも、この隙だけは逃しちゃだめだ。へたり込んでも詠唱は出来る。
「【速攻術式・平面結界・速効追加・五倍・展開】っげほっ、つぅ、“円周固定”……はぁっ、はぁっ、はぁっ、ふぅ、【硬化】」
わたしの周辺を周回する五枚の盾。
細かいことは考えずに、ひたすら硬く設定した。
「もう、ひと、つ、だけ――“思考加速”」
反応速度だけあれば、円周固定の盾で防げる。
あとは吹き飛んでしまったイルレア先生の復帰を、ひたすら堪え忍べば良い。よね。
「これ、で……?」
あれ? なんでわたし、空を見上げているんだろう。
指先に力が入らない。さっきまで、気持ち悪くなるほど感じていた痛みもない。“遠足”の時みたいに、命が失っていく寒さもなくて。
「まさ、か」
霊力枯渇……?
うそ、どうしよう。話には聞いていたけれど、わたしはまだ体験したことがなかった。それがよりによって、こんな時に?
『よくも、やってくれたな、こむすめ』
「――灼き断て、ディルンウィン!」
『チッ、じゃま、だ』
聞こえるのは音だけ。
剣と剣がぶつかり合う、甲高い、悲鳴にも似た音。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。どうすれば、いいの? だんだんと、行き詰まっていくような感覚。霊力枯渇の行き着く先は、生命力の消費だという。
身体を維持するための霊力さえ使い切るのが霊力枯渇だ。元々霊力を持たない純正な魔導術師とは違って、異能者は魂から霊力を汲み上げている。後付けの異能者なのに、わたしはどうやら、霊力枯渇で生命力を消費するようだ。
なんて、悠長に分析している場合じゃないのに、焦りと恐怖で思うように身体が動かない。どうしよう、どうすればいい?
「ぁ」
迷うわたしに、降り注ぐ光。
その光の正体なんて、きっと、考える必要は無い。
優しい“瑠璃色”に包まれて、わたしの意識は暗がりへと、落ちていった――。




