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そのなな

――7――




 理事長が扉を潜り、それから直ぐに理事長室から出て、小走りで去って行く未知。

 僕はその後ろ姿を眺めながら、さきほど、“聞こえていた”会話の内容を反芻してため息を吐く。閉じられる前の扉に滑り込み、仕事部屋に入っていく理事長に目配せをすると、苦笑で返された。


「あら、鏡君。お久しぶりね」

「ああ、久しいね、イルレア」

「七年ぶり、かしら?」

「当時も挨拶しかしていなかったけれど、それで良いんじゃないかな」

「ふふ、相変わらず冷たいのね。氷のよう」


 彼女と僕は顔見知りだ。だが、興味が無かったから顔しか知らないし、名前だって今回の視察で思い出した程度のことだ。けれど、思い出すと付随して浮かび上がる記憶がある。

 あの遠き地で、アイルランドの悪魔に対して獅堂と肩を並べて戦っていた女性。戦闘能力は、未知に比べたら一律で「まぁまぁ」だから論じるだけ無駄だろう。だがそんなものよりもむしろ、記憶に残ったのは“政治手腕”だとか“人心掌握”だとかそっちの方だ。


「君の炎もずいぶん冷たく見えるけれど?」

「あら。そうかしら?」

「ああ、そうさ」


 対面に座り、指を弾く。

 氷で出来たグラスと、澄んだ水。口に含みながら、足を組んで彼女を見る。なるほど、人が称するように、彼女は美しい令嬢だ。だが、外見のことなどどうでもいい。

 そんなものよりも、僕の目に鮮烈に映り込むのは、彼女のまるで燃えさかるような“魂壁プリズン”だ。苛烈で冷酷な白炎が、渦を巻いてうなり声を上げている。こんなものが、深窓の令嬢であるはずがない。片山の鬼姫の方がまだ人間らしいとすら、思うくらいだ。


「何故、誤解を助長させるような言い方をしたのか、聞いても良いかい?」


 僕がそう尋ねると、イルレアはなんでもないように微笑む。

 僕の目から見る限り、獅堂とイルレアは“そういう関係”ではない。親密さは感じたが、アレはそういう視線ではなく、ただ友情に関わる物だ。篤い信頼、とも微妙に違った気はしたけれど、それは今は良い。

 ということは、イルレアはあの場で未知に“あなたが心配していることはない”と言えたはずだ。この鋭い女に限ってないとは思うが、もし、未知が勘違いしていることに気がついていなかったとしても、言い様はあったはず。


「なんのことか、わかりませんわ」

「そういうのは良いよ。僕はその辺りは聡いからね」

「ふふ……さすがは“紅煉の神姫”のご子息だけありますね」

「耳が良いことで。だが、母さんのことは今は関係ないよ」


 僕の母親の通称なんて、いったいどこから引っ張り出してきたのやら。

 半目で見ると、イルレアは肩をすくめて苦笑する。その態度を取りたいのは、むしろ僕なのだけれどね。


「そうですね……その方が私にとって、“都合が良いから”、かしら」

「へぇ? アレ(獅堂)は、そんなに価値があるものかね」

「価値は人が決めるのよ。万人の価値は、人の中にある物よ」

「その辺りの議論は止めておこう。千差万別で話が終わらない。僕も、他人の価値観に興味なんか無いしね」

「ふふ、そうでしたか。それは失礼したわね」


 あっさりと暴露したかと思えば、やはり彼女は余裕を崩さず紅茶を傾けている。その態度も仕草も、不審な物はない。だからこそ逆に怪しいのだが、これ以上探らせてくれる気は無いようだね。

 まったく。獅堂もとんだ厄介事を連れてきてくれたモノだよ。


「――君がなにを企んでいるのかなんて知らないけれど、獅堂はアレで馬鹿ではないよ。未知に彼がフラれる程度のことなら歓迎するけれど、僕の仲間たちが傷つくような結末は許さない」

「それで、獅堂と未知先生が出会わないように苦慮しているのね? 余計な誤解を生まないように。でも、ふふ、残念だわ。あなたも自分の為に、二人の中に割って入る物かと思ったのだけれど」

「誰かの言いなりになるつもりはないよ。僕は僕のやりたいようにやる」

「強情ね。本当に」


 席を立って、出口の扉へ向かう。

 もうこれ以上、話すことなどないからね。


「僕が言ったこと、肝に銘じておいて」

「ええ、承知いたしましたわ、鏡君」


 扉から出て、後ろ手で閉めて、彼女の態度を思い出す。

 やっぱり、一筋縄では終わらない女性だ。大口を開けて待つ、竜のように、侮れないひとだった。

 けれど、どんな思惑があるにせよ、誤解は誤解でしかない。誤った解を疑い続けたままで居られるほど、誰も彼も子供ではないのだから。獅堂なんて、腹立たしいことに、あの男は未知のためならば他の全てを捨てることが出来る男だ。本当に未知がそれを望むのなら、世界だって敵に回すことだろう。

 僕はまぁ、せいぜいが未知を連れて精霊界に引き籠もるくらいのことだけれどね。全てを敵に回せるのかと聞かれたら――いや、母さんに勝てない時点でちょっとなぁ。


「まぁ、未知だって別に、余所から持っていかれはしないだろうし」


 僕や獅堂、あるいは拓斗。

 それ以外のダークホースが、計算高くこの隙に距離を詰める。そんな状況だったらまずいけれど、まさかそんなこともないだろう。

 せいぜい、イルレアに引っかき回されないように立ち回るのが、僕の役目かな。まったく、それもこれも全部獅堂が悪い。フェアじゃないとか言って中立に回るんじゃなくて、未知にアプローチしておこうかな。

 流石に明日ならばまだ、的確に励まされて復活しました、なんてこともないだろう。






 そう、僕は。

 後にして思えば、実に“甘い”考えで、校舎から歩き去った。























――/――




 一晩明けて、翌日の出勤日。

 結局、瀬戸先生に肩を借りて、お詫びにプライベートでは“亮治さん”と呼ぶように言われてしまい、まぁ肩を借りて家まで送り届けて貰ったことへのお詫び兼お礼がそれで良いのなら、と了承して。

 お化粧を落として直ぐにベッドに潜り込み、目が覚めてシャワーを浴びて、朝食を食べて支度をして。


 家を出る頃には、心はすっかりと晴れ渡っていた。

 しぬほど恥ずかしいけれど、それだけだ。心にわだかまりはなく、つっかえもなく、足取りも軽い。

 ……さすがに、“瀬戸先生流の励まし方だったのかな”ってとぼけることは出来ないけれどね。うん。


「おはようございます」

「おはようございます!」


 出勤してすぐ、校門に立つ川端先生に挨拶をして。


「おはようございます」

「アア、オハヨウ」


 職員室の手前で、ロードレイス先生に挨拶をして。


「ぁ」

「? おはようございます、観司先生。よく眠れましたか?」


 いつもと変わらず。

 けれど――ふっと目元を緩めて挨拶をして下さった瀬戸先生に、どうしてか、照れてしまう。けれど少しだけはにかんで、なんとか笑顔を返すことが出来た。


「はい。おはようございます、瀬戸先生」


 何故か、瀬戸先生の後ろに居た七が硬直しているけれど。

 どうしたんだろう? なにかあったのかな? ふわふわと手を振って見るものの、反応する様子がない。ええっと? そっとしておけば良いのかな。


「――獅堂のことはもう忘れよう。すまないが、君に構っている余裕はなくなったみたいだ」

「七? 大丈夫? その、体調を崩してしまったのかしら?」

「はっ?!……ああ、いや、大丈夫だよ。未知。それよりも、亮治となにかあったのかい?」

「瀬戸先生と? ちょっと、落ち込んでいたときに励まして貰ったのよ」


 持ち直した今にして思えば、なにを焦ることがあったのだろうか、とも思う。

 返事が保留だった獅堂と、よく似たシチュエーションだった拓斗さん。二人のことを並べて考えてしまっていたようにも思える。獅堂が去るのであれば、拓斗さんも、と。

 けれど、そうではないんだ。遠く離れても、今生の別れではない。寂しさは、努力で埋まるもの。そう教えてくれた瀬戸先生には、感謝の念が絶えない。


「そ、うなん、だ。は、はは、はははは」

「ふふ、そうなの。ぁ、そろそろ授業の準備をしないと。またあとでね、七」

「あ、ああ」


 気のせいだろうか。七の顔色が悪いような気がする。

 うーん。風邪、かな? でも大丈夫って言っていたしなぁ。少しの間、気に掛けておこう。

 やっぱり、私にとって七は弟分なんだなぁって、こんな時に感じ入る。恋愛相手に求めがちな、頼りたいとか頼って欲しいとかではなくて、心配で、甘やかしてあげたくなる。ここのところ、なんだかんだと言っても男の人なのかな、なんていう風に思った瞬間もあったけれど……うん、やっぱり、私にとって七は“弟分”だ。


「観司先生。試験の件は承認が下ったようです。先生?」

「あ、瀬戸先生、ごめんなさい。少し考え事を」

「ふむ。ご無理はなさらないように。良いですね?」

「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました」


 眼鏡をクイッとあげて、瀬戸先生は一つ頷く。

 うん、やっぱり普段は“頼りになる先輩”、だ。


「承認の件、承知しました」

「いえ、お気になさらず。それではまた、会議で」

「はい」


 瀬戸先生と別れて、授業の準備をする。

 うん、やっぱりもう、心は大丈夫。万全の姿勢で授業と試験に向き合えそうだ、なんて、教科書を片手にほっと一息。

 今日は、終わったら拓斗さんに連絡を取ってみようかな。友達でも、“お兄さん分”でも、離れることが怖いのなら、寂しいのなら、自分から動かなくてはならない。そうすればきっと道は拓けると、瀬戸先生に教えられたのだから、ね。





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― 新着の感想 ―
[良い点] うぉぉぉぉ!?こいつだけはねぇなって思ってたマザコンが逆転リードだァァァァ!!! まぁでも実母が故人だからまだ許せるタイプのマザコンよね
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