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そのろく

――6――




 私の前でにこにこと湯飲みを持つ女性。

 ホワイトブロンドの豊かな髪に、スカイブルーの澄んだ瞳。白人系の方にしては小柄な体躯。背は、たぶん、私よりも拳二つ分くらい小さい。

 理事長の浅井あざいさんは、私の両親の友人であり、特専での学生時代もずいぶんとお世話になった。その関係で、この理事長室も勝手知ったる物だ。浅井さんがいない間に触るのもどうかと思ったが、さすがにロードレイス視察官……じゃなくて、イルレア先生を手ぶらで放置しておけない。失礼ながら棚をあさってお茶とお茶菓子を煎れさせて貰った。


「口に合いますか?」

「煎茶、ですよね。日本人の友人が、よく煎れてくれました。落ち着く味で、私も好きです」


 日本人の友人……って、いやいやだめだ。考えないようにしなきゃ。

 平常心、平常心。うん、なにも問題ないね。いやでも、それにしても、優しそうな人だ。先ほどからずっと、にこにこと笑顔で私を見て……ん? ずっと?


「ええっと、失礼でなければ、その――何か、良いことでもあったのですか?」

「ふふ、わかってしまうかしら? 実はね、ずっと焦がれていた人――っと、ごめんなさい。私の友人がよく話していた、“未知”さん、にお目にかかれたから、嬉しかったの。不躾だったかしら? ごめんなさいね」


 息を呑み。


「い、いえ! そんなことは、ないです!」


 咄嗟に、首を振る。


「そう? 良かった!」


 朗らかに笑うイルレア先生を見て、妙に納得する自分が居た。


 “焦がれていた人”。

 言い直して。

 “私の友人”。


 ああ、やっぱりそうなんだ。きっと日本に来て、獅堂とちゃんと上手くいって、それで嬉しかったのだろう。それなら納得だ。恋い焦がれていた人と、上手くいく。それはとても嬉しいことだろう。

 うーん、はは、祝福しなきゃならないのはわかるけれど――


『未知!』


 ――寂しく、なるなぁ。


「……イルレア先生は、九條先生といつからお知り合いになられたのですか?」


 ずきん、と、一度大きく痛みを覚えた胸も、たった数瞬の回想で収まったような気がする。

 寂しい、けれど、自分でも驚くほど落ち着いた声色で、イルレア先生にそう問いかけていた。するとイルレア先生は、少しだけ目を丸くして、それからふっと薄く微笑む。出会いを思い出しているのかな。赤らんだ頬がまるで深窓の令嬢を連想させる。


「彼と最初に出会ったのは、七年前です。当時アイルランドに発生していた悪魔関連の事件の解決に赴いた獅堂と、現場の責任者であった私が出会ったのは、必然でした」


 七年前……私が、二十歳の時だ。

 その時の私は大学部で論文にかかり切りになっていて、旅行と言っても受講関連のものばかりだったような気がする。確かにその当時は、獅堂とはあまり関わった記憶が無い。

 というよりも、あの忌まわしき英雄同窓会までは、英雄仲間たちとゆっくりとした時間を取るのは難しかった。


「悪魔を調査して、最初は互いに不信感を持っていましたが、肩を並べるうちに信頼に変わっていきました。ふふ、私の異能も炎で、彼の異能も炎。きっと、相性も良かったのでしょうね。懐かしい、です」


 微笑むイルレア先生の顔。

 目を伏せて、思い出すように笑う優しげな声。


「文字どおり、そう――燃えるような時間でした。鮮烈に輝く、太陽のようなひとときでした」


 それが、きっと“恋”なのだろう。

 私が踏み込めなかった感情。友人、という枠よりも上に見られない私は、ホントウの意味で、この“恋”の味を知らない。恋とは、甘くて鮮やかな物なのだろうと、そう、実感させられる。


「出逢えた幸運を、神に感謝しなくては」

「イルレア先生?」

「ふふ。出会いの全ては、きっと神の思し召しなのです。だって、どんな出会いも、奇跡のように偶然と必然に満ちあふれていて、尊いでしょう?」

「そう、ですね。はい、私もそう思います」

「ふふふっ、なら、私たちは運命で出逢ったのね。そうだ、ぜひ、貴女から見た獅堂の話も聞かせていただけないかしら?」


 好きな人のことは知りたい。

 大切な人の大切な物を覚えたい。

 愛する人と同じ視線で愛を語りたい。


 きっと、それが“恋”なのだろう。

 焦がれるような、まるで炎のように燃え上がる、恋なのだろう。


「……はい。よろこんで」


 だから、私は一歩、引き下がる。

 だってこんな素敵な人に、獅堂はこんなに思われていて、獅堂も気を許して心を開いているのだ。それなら私は、邪魔でしかないだろう。ふふ、まるで、物語の魔女のよう。二人の愛を試す、踏み台のような魔女。


 なら、せめて。

 大切な友達が。幸福になれるお手伝いが出来る、“魔法使いフェアリーゴッドマザー”に私はなりたい。



「九條先生とは――」



 ただ幸福な気持ちで、大事な仲間を祝福するために。

 鮮やかに燃え上がる篝火のような彼女の横顔に、私は精一杯の話をしよう。

 それがきっと、唯一私に許されたことだと、思うから――。
















 放課後の職員室。

 響くは、キーボードを叩く音。


「ふぅ……これで、終わりっと」


 理事長室から戻ってきた私は、瀬戸先生に遅くなったことを詫びて、それから約束どおり瀬戸先生の仕事を手伝っていた。

 私たちの間に会話はなく、共通する思いはきっと“早く片付けてしまいたい”ということ。気がつけば窓の外は夕暮れで、職員室には私と瀬戸先生の姿以外、影も形もないという始末。

 うーん、本当に遅くなっちゃったなぁ。リリーの食事、鈴理さんにお願いしておいて良かった。さすがに今から作るのは、ちょっと辛い。


「お疲れ様です、観司先生。おかげで助かりました」

「瀬戸先生の方も、もう終えたのですね。ふふ、構いません。いつものお礼です」

「やめてください。そう言われると気軽に食事にお誘いできません。どうか私の顔を立てて、お礼に食事の誘いを受けて下さいませんか?」

「そう言われてしまうと弱いのは、こちらも同じです。ですが、はい、喜んでおつきあいさせていただきますね」

「では、最後の仕上げです。手早く纏めて出発しましょう。実のところ、栄養不足でしてね。先ほどから腹の音を抑えるのに必死です」

「ふふ、それは大変ですね。では、急ぎましょう」


 瀬戸先生も本当に疲れているのだろう。

 普段よりも気の抜けた口調。丁寧だけど、冗句も挟んでくる。普段からこの様子の方がステキなのに、というのは、流石に言わない方が良いのかな。ふふ。

 なんだか、もやもやと胸に広がっていた霧が晴れそうだ。心持ちが軽くなり、落ち着いてくる。狙ってやったのだとしたら、瀬戸先生がちょっとこわい、なんてね。























――/――




 ――回転寿司型個室居酒屋“りつ”。



 いつもの、という予約ではなく直ぐ入れる個室に案内をしてもらい、私は瀬戸先生と向き合ってお酒を飲み交わしていた。

 私はビールで始まり、今は甘めの梅酒。瀬戸先生はウィスキーをロックで。おつまみもほどほどにグラスを傾けていると、やはり早々に身体がぽかぽかと温かくなっていく。そうなるともう、お酒の勢いと熱に浮かされて、巧みな瀬戸先生の弁論術に誘導されて、心の奥の鬱憤をさらけ出しても良いと言われて。

 なんというか、はい、行き着き先は“こう”なる訳でして。


「さっさと思いを捨てられるんだったら、最初から保留なんて言い出さずに決着をつけさせてくれたって良いじゃない!」

「なるほど……それで、元気がなかったのですね」

「うぅ、寂しいけど、友達の門出くらい祝福するよ。気まずかったのかも知れないけれど、一言あっても良いよね……?」

「あの見た目で恋愛下手とは、九條先生も中々」

「瀬戸先生も恋愛苦手ですよね?」

「ふっ、なにをおっしゃる。私は普通ですよ」

「ママ呼ばわりに喜ぶ女性も、そうはいませんよ?」


 ママはなぁ、ちょっとなぁ。

 恋愛、という意味でこれ以上は中々見当たらないレベルのことだと思うのだが、瀬戸先生自身はどう思っているんだろう?

 なんだか明日以降気まずくなりそうな話題選択なのは、どことなく理解している。けれど、アルコールパワーのせいか、正常な思考が追いつかない。


「ですが、あなたは受け入れてくれているでしょう?」

「先生、あるいは先輩としての瀬戸先生は、尊敬しておりますから」

「それを分けて考えられる方はそうにおりませんよ。それにですね、観司先生、どうしても気になるとおっしゃるのであれば、あなたが本当にママになればよろしい」

「ぇえ…………それは、瀬戸先生と養子縁組しろ、と?」


 ちょ、ちょっと年上の男性と正真正銘の親子関係は築けないかなぁ。

 どう考えても私は彼を、“息子”扱いは出来ない。そうなるとこう、関係がマニアック過ぎないだろうか。思わず引いてしまったのだが、瀬戸先生はハンカチで眼鏡を拭きながら、余裕な態度を崩さなかった。


「そうではありません」

「……と、いいますと?」

「私が観司先生と婚姻関係になれば」


 眼鏡を外した瀬戸先生が、手を伸ばして私の頬に触れる。

 キリッとした表情を崩さない瀬戸先生は、意外にも、眼鏡を外すとどこか柔らかな目元をしていた。



「――あなたは“子供”の、ママでしょう? そうすれば、私も“パパ”として、“ママ”を愛することが出来る」

「はぇっ?!」



 優しく覗き込まれて。

 いつもと違う瀬戸先生の、冷たい手に。


 熱が、浮かぶ。


「友が離れることは別れではありません。例え九條先生が遠方へ結婚したとしても、会って友誼を交わす機会はありましょう。けれど、寂しいと思うのであれば、あなたも交際や結婚をすればいいのです。私の左手の薬指でしたら、いつでも空けて置きましょう。もし――本当に寂しいと、恋しいとおっしゃってくださるのであれば」


 頬に置かれた手が、私の、グラスを握る左手に重ねられる。

 瀬戸先生がそっと指で撫でるのは、私の、薬指だ。


「その時は、私にあなたの薬指を、埋めさせて下さいますか」


 頷けば、きっと愛してくれる。

 そしてこの人は、“魔法少女”としての私を知りながら、力にも地位にも興味は無く、ただ、ママっぽいとかなんとか言いつつも、見て下さるのは私の“内側”だ。

 あれ。どうしよう。どうしよう。どうしよ、う。マザコン、という名の一番のネック、だったはずのものが。


「その時は、なんて、曖昧な言葉で良いんですか?」


 気がついたら、そんなことを、言っていた。


「ええ、もちろん。曖昧な約束でも、あなたをつなぎ止める楔があるのであれば、私も心地よい」

「ふ、ふふっ、お上手ですね」

「おや。職員たちからの私の通称は鉄仮面ですよ? 私の冷徹を溶かせる熱は、ここにしかないというのに」


 あわ。

 あわわ。

 ど、どどどどっど、どうしよう!


「そ」

「そ?」

「その時は、よろしく、おねがい、します」

「ええ、お任せ下さい」


 曖昧な約束。

 果たせないことも内側に孕んだ言葉。

 それでも、任せて欲しいと笑う彼の顔が、あまりにも無邪気で。



 あー、もう。

 なんだか全部、吹き飛んでいっちゃったなぁ。

 でも、そっか。みんなが離れていってしまっても、最後に貰ってくれるのか。それはとても残酷な約束であるようにも思えるが、その、たぶん、マザコンの部分を許容できる方が少ないのかな。なら、えっと、他の人とこういう約束をするよりも、瀬戸先生の特殊な趣味のおかげで受け入れやすい。




 なんて、うん、はい。

 色々と熱に浮かされた頭で考えてみたけれど。






 しぬほど、恥ずかしいです。





2024/02/02

誤字修正しました。

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― 新着の感想 ―
マザコンだけど、もう瀬戸先生でいいと思う。 ヘタレたちはいらないなあ。
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