えぴろーぐ
――えぴろーぐ――
天使たちの騒動から、丸二日。
今日の部活は、漸く完全復活を果たした鈴理さんの、復帰する日だ。
一日の業務を終えて、ふぅと一息。書類を整理して立ち上がると、瀬戸先生が、待っていてくれていた。
「すみません、お持たせしました」
「いえ。お気になさらず」
事後処理が一通り片付くと、瀬戸先生は念のため、部室の様子を見ておきたいということであったので、合流して部室に向かうこととなったのだ。なにせ、あれだけの戦闘の後だ。事後処理の際に簡単な点検はしたが、それだけでは心許ない。
ロードレイス先生には先に部室に向かって貰い、業務の終えた私は後から向かう。
「先日は、ありがとうございました」
「生徒の為です。お気になさらず」
瀬戸先生にお礼を言うと、彼は眼鏡をクイッとあげてそう答えてくださる。
けれどこれは、照れているのだろう。頬に差す僅かな朱色に、思わず微笑みが零れてしまった。
「……それよりも、未知先生」
「はい?」
「ここのところ、巻き込まれすぎではないですか?」
「うっ」
ぎく、というか、はい。
ここのところ、正確にはここ一年ほど、妙に色々なことに巻き込まれる。一度時子姉に頼んで、お祓いでもした方が良いのかも知れない。
おばけ? こわくないよ? うん。……うん。
「面目のない限りです……」
「それは別に構いません。あなたの努力でどうにかなることではないということは、重々承知しておりますので」
「えっと、では?」
私が首を傾げると、瀬戸先生は小さくため息を吐く。
なんだろう。とてもこう、残念なモノを見ているような、そんな眼をされた気が?
「私が心配をしているのは、貴女自身のことです」
「え?」
「巻き込まれるということは、怪我や負担も増えることでしょう。例の通り魔事件の際も、そうやって体調を崩されたこと、よもやお忘れとは言いませんよね?」
「は、はい。体調管理の一つも満足に出来ず、生徒にもご迷惑をおかけし――」
「そうではなく」
「――?」
足を止めて、私の目を覗き込む瀬戸先生。
その瞳に宿るモノは、お説教の類いではなく、そう――“心配”、だった。
「私は貴女を失いたくはない。だから、心配をしていると――皆まで言わねば伝わりませんか?」
「っ」
真剣な瞳。
強く言い、けれど突き放しはしない、抱きしめるように熱い言葉。
ぼうっと、胸の奥が熱を持つような、気がした。
「す、すみません」
「お気になさらず。貴女の鈍さは今に始まったことではありません」
「そ、そんなに、でしょうか?」
「ええ、もちろん」
もちろん?
えっ、断言されるほどなの?!
瀬戸先生が、深いため息と共に告げられた言葉に、思わず、それはもう混乱する。けれどその混乱から復帰するよりも早く、瀬戸先生はふっと小さく笑みを零した。
「ぁ。さては、からかいましたね」
「さて、なんのことやら」
「本当ですか?」
「ええ。それにほら、到着されたようですよ」
瀬戸先生に指し示されて、目的地に到着したことを知る。
どうやら、瀬戸先生を問い詰めるのは時間切れのようだ。思わず半目で睨み付けると、瀬戸先生は肩を震わせて笑いながら、顔を逸らした。むぅ。
部室を開けると、まず視界に飛び込んだのは夢さんだ。
気配に敏感な彼女は私の姿を視界に納めて、直ぐに目配せをする。釣られて視線を向けると、そこに居たのは静音さんの姿。ただし、右手に復帰した鈴理さんをまき付け、左手の裾は金髪碧眼の少年――エストを貼り付けていた。
「え?」
「あ、ミチ! ごたごたしていてごめん。あのときのお礼をちゃんと言いたいと言って、シシィとエストが来たんだ」
「そう、なんだ。あの、瀬戸先生?」
「――許可は……ふぅ、まぁ次からで良いでしょう。今回は特別に許可をしますが、次からは正式な手続きなく訪問された場合は閉め出しますので、あしからず」
瀬戸先生がそう言いながらシシィさんを見ると、シシィさんは小さく黙礼してそれに応えた。良かった、険悪な雰囲気にはなりそうにない、かな。
「それで、香嶋さん? なにがどうなって?」
「はい。復帰した笠宮鈴理が、エスト少年に懐かれている静音さんを発見し――」
『静音ちゃんっ、久しぶり! 隣に座っても良い?』
『う、うん。鈴理を断るなんて、絶対ないよ?』
『ぼ、ぼくも! 静音の隣が、良い』
『え、え? いい、けれど?』
『初めまして、笠宮鈴理です。あなたは?』
『ぁ、あなたが……。ぼくはエスト。エスト・マイク・オズワルド。あなたを傷つけたひとの、息こ――』
『そっか! エスト君って言うんだね? よろしくね?』
『――え?』
『わたしたち、静音ちゃんが大好きなひと同士で、友達、ということで、良い?』
『――……良い。その、ありがと、鈴理。静音がきみを好きな理由、わかったよ』
「……と、なりまして」
「ああ、なるほほど……ふふっ、鈴理さんらしい」
人の機微を察して、誰よりも人を慮って。
そうやって、誰かの心を癒やして救うことが出来る。そんな優しい少女を救う一助になれたことが、今は何より誇らしい。
「ぁっ、師匠!」
「こんにちは、鈴理さん。もう体調は大丈夫?」
「はいっ! リリーちゃんとポチが、つきっきりで見てくれたので!」
「ふふ、そう。良かった」
静音さんに抱きついたままの鈴理さんの頭を、優しく撫でる。
ごろごろと喉を鳴らす猫のようにすり寄る彼女は、可愛らしい。
「あ、あの!」
そうしていると、逡巡していたエストが、意を決したように声を上げる。
周囲のみんなが緊張して見守る中、じっと視線を交わすエスト。私は彼が自分の言いたいことをきちんと言えるように、膝を折って視線を合わせた。
「……」
「……」
「……その」
「……ゆっくりで、大丈夫ですよ」
手を握って、伝えたい言葉が溢れてくるのを、ただじっと待つ。
すると、エストはゆっくりと、けれど力強く喉を震わせた。
「ぼくは、ずっと寂しくて、ずっと誰かに優しくして貰いたくて、ずっと見て貰えるのを待ってた。でも、静音に教えて貰って、待つだけじゃだめだってわかって、それで」
「うん」
「それで、自分から、自分の口から、欲しいものは欲しいって、したいこともしたくないことも言わなきゃだめなんだって、わかった」
「うん」
「だから、だからぼくは。ちゃんと、自分の心を、言うよ!」
「――うん」
エストが私の手を強く握りしめて、身を乗り出す。
「ごめんなさい!!」
「いいえ。ふふ、よく言えましたね。私は気に――」
「ぼくにとって、やっぱりママは、思い出の中のママだけなんだ」
「――んん?」
あれ。
なんだろう。
雲行きが妖しく?
「だから、あなたのことはママとは呼べない。けれどあなたはママのように素敵なひとだから」
「ちょっ、ちょっと待って、いったいなんの」
あの、えっと、え?
「だから、あなたのことは、お母さんって呼ぶね!」
「え」
ええ、ええええ?
満足した表情で、踵を返してシシィさんに抱きつくエスト。そんなエストを褒めながら、一瞬、私に気の毒そうな顔を向けたシシィさん。
そして。
「みみみみみ、観司先生?」
「せ、瀬戸先生。こ、これは違うんです」
「み」
「み?」
み?
瀬戸先生の発した言葉を、そう小さく繰り返したのは、瀬戸先生が直接指導をしたことで瀬戸先生を尊敬していた、香嶋さんのものだ。
「観司先生は私のママだ!」
「瀬戸先生のママでもありません!!」
瀬戸先生の暴露に、端に座って紅茶を飲んでいたロードレイス先生が「ぶふぅ」とむせる。気管に入ってしまったのだろう。悶え苦しむ彼の背を、たまたま近くに居たドンナーさんがさすっていた。
「ママ、なんとか言ってください」
「言いましたよね?!」
私の肩を掴んでがくがくと揺らす瀬戸先生。
「瀬戸先生が……憧れのエリート教師の瀬戸先生が……ブツブツ……瀬戸先生が……お姉さまの……お姉さまがママ?」
「香嶋さん、落ち着いて!」
生気の抜けた顔でぶつぶつと繰り返す香嶋さん。
「し、静音ちゃん? わたしが休んでいた間に、いったいなにが?」
「す、鈴理。ごめん、私にもちょっとわからない」
その惨状に肩を抱き合い震える、静音さんと鈴理さん。
「そうかー、瀬戸先生はマザコンなんだー。よし、リュシー、未知先生を守るわよ」
「ユメも落ち着いて?! その巻物は室内ではダメだ!」
刻印紙柱を取り出して咥える夢さんと、それを羽交い締めにして抑えるアリュシカさん。
「シシィ、なんで耳を塞ぐんだ? 聞こえないぞ?」
「教育に悪いので」
エストの耳を塞ぐシシィさんの選択は、今ばかりは正しい。
「ああ、もう、なんでこんなことに?!」
「ママが怒った?!」
「瀬戸先生――“めっ”」
「ぐふっ、流石、私のママですね。観司先生」
「瀬戸先生が……魔導術師の憧れの……ぶくぶくぶく」
悶絶する瀬戸先生。
泡を吹いて倒れる香嶋さん。
収まらない状況に、私はただただ悲鳴を上げる。
うぅ、今回は人知れずに、すごく頑張ったのに、いったい何故こんなことに?
嘆かずにはいられない現状。けれど放置することもできない長ーいため息が、騒がしい部室の中でかき消されてなくなった。
――To Be Continued――




