そのじゅういち
――11――
予備医務室に倒れたエストを寝かせて、二時間が経った。
その間に、生徒たちには“火災報知器が鳴った”などと説明し、火元の確認が取れるまでは避難、という形で校舎から遠ざけている。瀬戸先生と陸奥先生には、頭が下がる思いだ。同じ先生なのに、私では思いつかなかった気転だった。
今は色々な処理のためにこの場にはいないが。後ほどちゃんとお礼をしよう。
「……ぁ――ぅ……――すぅ――ぅあ……」
浅い呼吸、時折苦しそうに漏れる声、淡く燐光を繰り返す身体。無表情の中に焦りを浮かべたシシィが、必死で手を当てて光を送っている。
「っ、一段落ついたようです」
「一段落?」
私が問いかけると、シシィさんはゆるゆると頷いた。
「本来、心象世界の登場人物は、ある程度の自我はあっても、軸に埋まっている存在……この場合だと、あの泥には逆らえません。ですので外から“力”を送り、せめてナビゲーターとして動けるようにしておりました」
「シシィさん、ドジッ子メイドじゃなかったんだ……」
「ユメ、お母様とは比べちゃだめだよ」
ああ、ベネディクトさんか……。
確かに、ベネディクトさん――アリュシカさんのお母様と比べるのは、可哀想かも知れない。
「ベネディクト・有栖川・エンフォミアですか……。メイドゴッドのベネディクト、メイドマスターのミヤコ、メイドスターのショウカ。メイド道とは奥が深いのです」
「えっ、お母様以外にそんなに?」
思わず動揺した様子のアリュシカさんに、苦笑する。
静音さんがまだ戻ってきていないことに、みんな、心配はしている。けれどそれ以上に強い信頼関係がここにあるのだろう。
そしてそれはきっと、私が七に感じていて、今もなお信頼して待っていることと同じモノだ。七なら、きっと大丈夫。私の仲間で弟分の七なら、ね。
「観司先生」
「香嶋さん? どうかした?」
「様子が変わりました」
香嶋さんの言葉に、慌ててエストを覗き込む。
確かに様子が違う。なんというか、さっきよりもずっと“穏やか”な顔つきで、寝息を立てていた。
そして。
「? っ、みんな、離れて!」
覚えのある“気配”を感知して、全員で場所を空ける。
導きの色。翡翠と穏やかな青。それから、ぼんやりとした赤。
浮かび上がる五芒星の方陣。その中央に光が集まって――爆ぜた。
「きゃっ」
「っと。ただいま、未知」
方陣の上に立つ、七と静音さんの姿。
ほとんど怪我もなく、静音さんは七に支えられていたが、転移のショックによるものだろう。見る限り、怪我ある様子でもない。
「お帰りなさい、七、静音さん。ゼノも無事?」
『問題ない』
「は、はい、ただいま戻りまし――」
「静音っ!」
「――きゃっ。ゆ、夢?!」
言い切る前に、夢さんと、それからアリュシカさんとドンナーさんに抱き潰される静音さん。その表情に陰りもないことだし、どうやら丸く収まったようだ。
それから、微睡むようにしてエストが目を開ける。念のため表情には出さないように警戒をするが、どうやらその必要は無さそうだ。エストは焦点の合わない眼で辺りを見回し、心配そうに当てられたシシィさんの手を撫でて、安心させるように小さく微笑む。
これは、えっと、ひょっとしなくても一皮剥けて来たのだろうか。
「目が覚められましたか、坊ちゃま」
「――……ああ……おはよう、シシィ」
「おそよう、にございます」
「は、は。そうだな……遅くなった」
いち早く夢さんが警戒しようとして、静音さんの目を見て止まる。
「む。【重火減転――」
「フィー、フィー。大丈夫そうみたいよ。ほら」
「――むむ?」
そんな夢さんがドンナーさんを窘め、ドンナーさんもまた落ち着いた様子の静音さんを見て止まる。アリュシカさんは、左目を“使って”場を把握していたようで、香嶋さんは小さく息を吐いてその様子を視ている。
みんなが、気がついたのだろう。最初とはなにかが違うと言うことに。
「みなさん、あの、その」
シシィさんに支えられながら身体を起こしたエストが、眼を泳がせながら言葉を探す。
けれど見上げた先に静音さんの笑顔があると、それだけで表情が変わった。何かを決めた、“男の子”の表情だ。
「――ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい!!」
ああ、謝れたんだね。謝れるように、なったんだね。
私はこの子の先生ではないけれど、子供を導く“先生”だから、許すとか許さないとかそういうことの前に、嬉しくなってしまう。大丈夫かな? にやけてないよね?
表情筋を誤魔化すついでに、みんなの反応を見る。すると、あんなに大変だったのに、それでも苦笑を浮かべて受け入れていた。ああ――優しい、子たちだ。
「反省しているひとを責めるつもりはないよ」
――アリュシカさんがそう言い。
「何が悪かったのかはわかっているな? ならば、良い。一番の罰は罪を知ることだ」
――ドンナーさんがそう言い。
「終わりよければ全て良し。ただし、次は改善なさい」
――香嶋さんがそう言い。
「ま、静音の顔に免じて許すわ。静音の顔に免ぜられているようじゃ、静音はわたせないけど」
――なにかを感じた夢さんがそう締めくくり、最後のフレーズにエストの肩がびくりと震えた。
私はそんなエストに近づいて……下がった頭にぽんっと手を乗せる。
「よくできましたね。ちゃんと謝れましたね……えらい、えらい」
子供が反省して、前に進めたのだ。
反省する子供をしかりつける必要は無い。ちゃんと前に進めたのであれば、大人の役割は、ちゃんと“理解”して褒めてあげることだ。
エストは驚いたように頭を上げ、大人しく撫でられる続けている。やがてふらふらと私のスーツの裾を掴むと、目尻に涙を溜めた。
「泣いても良いんですよ? よく、頑張りましたね」
だから、震える体躯を抱きしめて。
「う、うぇ、あぅ……うわぁああああぁあああああああああぁぁぁっ!!」
声を上げて泣く彼の頭を、ただそっと優しく、なで続けた。
――/――
――神奈川県某僻地。
日も沈んだ頃、黒ずんだ廃墟の中。
腐った床板がばりばりと音を立てて破れて、中から“泥”が溢れ出す。真っ黒な、光を通さない、コールタールのような泥だ。
泥はごぽごぽと気泡を立て、蠢き、その形を人間のそれに変えていく。
『ぁああああああああ、ああああああぁ』
掠れた声。
嘲笑にも似た音。
『……この“私”が復活したということは、どこかで“私”の遺物が破壊されたか』
突如、回る舌。
理性的な話し方。
『くくっ……であるのなら、私は“保険”としての義務を全うするまでよ』
泥――笠宮装儀の呪いは、暗がりでそう歪に笑う。
一つの泥が復活したら、次の泥が復活する。もう一つが復活すれば、今度は二つ。一つは活動して一つは泥を残す。自身の快楽のみに生涯を賭した男が、自身の悦楽のために努力をしないはずがない。これは、たったそれだけの話なのだ。
だからこそ。
「そんなことだろうと思ったわ」
『誰だ!?』
その行動理念は、容易く予測される。
月明かりに照らされて廃墟に佇む、瑠璃色のステッキを片手に持った女性。
観司未知は、泥を俯瞰して杖を向ける。
「一教師にして、あなたを滅ぼすモノよ」
『はぁ? 貴様のような女が私を殺す? くひはははっ、どうやるというのだ?』
「心を削って、かな。――【ミラクル・トランス・ファクト】」
未知の身体が瑠璃色の光に包まれて、その姿が魔法少女のそれに変わる。
そのあんまりな姿に装儀が反応するよりも早く、未知は大きく息を吸い込んだ。
「【トランス・ファクト・チェーンジッ】!!」
『な、なんだというのだ?!』
そして、さらなる輝きが、未知の身体を包み込み――。
「悪しき闇、妖しき魔、邪なる黒よ」
――トップスは白。はちけんばかりのパツパツ上衣は十一歳女児和服。
「人を惑わし、人を誑かし、人を狂わせる悪よ」
――ボトムスは紅。むちむちの袴は一周回ってイメクラ風にふんどしチラ見。
「例え月明かりがおまえの姿を見逃そうと、夜明けの瑠璃は逃がさない」
――手には瑠璃。日本刀型ステッキが、鞘の中で鈍く輝く。
「魔法少女、ミラクル☆ラピ」
――両手を水平に。きゅぷるとわらじを鳴らして、ぱつぱつ手袋をさらけ出し。
「モード・サムライ巫女で、ずばばばーんっと解決☆よ!」
――キリッとクールにポーズを決めて、ツインテールらぴっと揺らした。
沈黙に満ちる空間。
夜の帳が落ちるが如く、静まりかえる中。
泥の装儀は、ふらふらと後ずさった。
『へ、変態だァーッ!?』
「もう☆ ひどいことをいうひとは、許さないんだから☆」
『ひ、ひぃぃぃ、来るなァァッ!? げほっ、げほっ』
泥の身でむせる装儀に、心を削ることを覚悟した未知の額に青筋が浮かぶ。
愛と正義の魔法少女だって、怒る時には怒るのです。怒りを孕んだ瞳に映り込むのは、怯えて逃げようとする装儀の姿だった。
「あなたに言いたいことはたーっくさん、あるよ? でもね」
『な、なに?』
「それ以上に、“一分一秒でも長く”あなたに“生き存えて欲しくない”んだ♪」
『――ひっ』
未知の脳裏に浮かぶのは、苦しんで足掻いて、傷ついてきた鈴理の姿だ。
優しくて人を思いやれる、小さな女の子。自身の大切な生徒で、大事な弟子。彼女を私欲で傷つけていた男を、未知は、許すどころか慈悲さえ与える気は無い。
煉獄でも生ぬるい。そう物語る眼に、装儀は息を呑む。
『く、くそ、痴女ごときにこの私が怯えるモノかーッ!!』
装儀の右腕が伸ばされて、漆黒の剣になる。
ただの剣ではない。“干渉制御”“重量増加”“毒性蓄積”“熱量増加”。異能の限りを尽くして放たれる腕は。
――チンッ
『は――?』
ただ一度の鍔鳴りの音によって、落とされた。
『なに、が?』
「刀を抜いて、切って、納めただけだよ」
『そんな、バカな! 異能による呪詛で象られたこの身は人にあらず! 人間の数倍の視力を以て見えんだとォッ?!』
狼狽して、叫ぶ装儀に、しかし未知は応えない。
ただ大きく刀を振りかぶり、極寒の瞳で装儀を見下す。
『は、ははは、良いだろう、切りたければ切れば良い! だが必ず、第二第三の私が現れて――』
「もう、あなたは現れないよ☆――【祈願】」
『なに?』
「言ったよね。一分一秒たりとも、生き存えることは許さない☆よ♪ って――【現想】」
『だ、だからどうしたというのだ?!』
未知とて、考えなかったわけではない。
どうせ幾つも保険を残しているのだろう。
だったら、どうすれば正解なのか。そんなものは決まっている。
「縁よ絶て、【境界遮断・鏡刀臨界】」
サムライ巫女モードは、理外の力に特化されたモードだ。
剣撃は妖魔を容易く浄化させ、霊体さえ消滅させ、“縁”すら遮断する。
その側面は今ここに強調され、未知の望む結果を引き寄せる。
即ち。
「この一撃は、あなたと繋がった、同じ質の存在全てを消滅させる」
『そ、れは、まさか!』
「もう、復活は許さないんだからね! 彼の世で懺悔しなきゃ、ぷんぷんなんだから!」
『そんな、こんな、ふざけた痴女に、露出狂の年増に!!』
「とっ、年増っていうな! 露出狂でも痴女でもないけどね?! ――【成就】!!」
装儀は咄嗟に、背を向けて逃げようとする。
だが、あんまりな光景を前にして、装儀は一つ失念していた。
『ひ、ひぁ、く、来るな、来るなァァァ――』
先ほどまで、その一撃は――彼の目では捉えることが出来なかったという事実に。
「成☆敗」
『――ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?!!』
瑠璃色の閃光。
断末魔の絶叫。
研ぎ澄まされた斬撃は、装儀の身体を真っ二つに斬り分けて――その身体を、黒い粒子に変えて消滅させた。
同時に、サムライ巫女の神直感が捉えていた複数の“邪悪な気配”が掻き消える。縁として繋がった同じ質の呪い。笠宮装儀の魂の欠片が、縁を伝って消滅した気配だ。
「これにて、魔法少女のお裁き閉廷♪ 今日も愛と正義に乾杯よ☆」
誰の目にも入らない、廃墟の一室。
誰も見ていない中で取らされた恥ずかしいポーズ。
そのどうしようもない状況に、未知は無言で目元を拭うのであった。




