そのろく
――6――
渦巻く黒。
溢れる白。
聖と邪が混沌と混じり合い、光と闇が混淆とせめぎ合う。
「観司先生! 少年が今、こちらに……!?」
「瀬戸先生! 見てのとおりです、校舎の封鎖を!」
「ッわかりました! ――陸奥先生、逃げ切るのならあなたが適役でしょう。一般生徒の誘導と避難を!」
「は、はい!」
廊下の向こうからやってきた瀬戸先生と陸奥先生が、少年の姿を見つけて目を瞠る。
直ぐさま呼びかけると、瀬戸先生は正確に事態を把握して、陸奥先生を戻し、自身は駆け寄る。
その、瀬戸先生の後ろからは、少年についていたメイドさん――確か、シシィさんと言ったか――が、無表情のまま走り寄ってきた。
「まずいことになりましたね……殴れば引き離せるようなものなのでしょうか?」
「あれは悪霊、妖魔の類いです。彼が天使だというのであれば、浄化の力ではじき出せるので、なんとか呼びかけてあげれば、あるいは。もしくは、貴女も天使ならば、外から浄化をする、という手段も取れますが?」
「疑われる気持ちも重々承知ですが、私はごくごく一般的なメイドです。ですが、強いて言うのならそこで落ち込んでいるご様子の英雄様と似たようなモノ……ではあります」
「は、はは、所詮僕はダメ英雄……いや、ダメになってはだめだ。挽回させてもらうよ!」
落ち込んでいる英雄さま……って、七か。
ということは、精霊の類い? それなら、どちらかというと、感応能力寄りの資質なのだろうか。資質上、完全に先手を取れるはずの七が裏を掻かれている現状がある。シシィさんに助力を請うことは難しい、のかな。
「ッ、観司先生! どうしたら良いのでしょうか?」
「香嶋さん……ひとまず全員、私の後ろへ。七、シシィさんと協力して打開策の構築。瀬戸先生、ロードレイス先生、一緒に抑えていただけますか!」
「ええ、もちろん」
「イわれるまでもないさ!」
香嶋さんたちを一度下げて、好き勝手に身体を動かして調子を確かめる少年に、向き合う。このまま抑え込んで、校舎の外に出さないことがミッションだ。
外に出れば、確実に鈴理さんの元へ向かうことだろう。そうなった時、リリーのことだ、撃退はしてくれることだろうが……場合によっては、居住区寮が消し飛ぶ。
「くはははは、素晴らしい、素晴らしいスペックだ! 天使とはこういうものか!」
「【速攻術式・拘束鎖・短縮・十二個・展開】」
空中に十二の魔導陣を展開。
拘束用の鎖を十二個、少年に向かって射出する。鎖が空間にある、ということはそれだけでずいぶんと行動の阻害に繋がる。少年は蚊でも落とすような仕草で鎖を撥ね除けているが、少しでも引きつけられるので在ればそれで良い。
「【術式開始・形態・速攻詠唱・様式・短縮・制限・二十回・展開】」
「“我が意に従え”」
その、私の背後から、瀬戸先生とロードレイス先生が飛び出してくる。
「いいぞ、肩慣らしだ!」
「そのまま火葬の練習でもしておけ【術式開始・焼夷弾・展開】」
「燃え広がらないようにしておくよ! 【聖人の銀十字】!」
地面に十字架が六本突き立ち、銀の結界が形成される。
同時に、瀬戸先生の焼夷弾が少年に着弾。威力は低めに設定されているようだが、持続能力は高めに設定されている。巧い術式だ。
「おいおい、そんなものか? “干渉歪曲”!」
「ッ!? 術式がっ」
少年が手を翳すと、翡翠の光が魔導術を乱し、十字架に罅を入れ、鎖を数本砕く。
異能が強化されている。いや、原理は鈴理さんが行った霊魔力同調と似たものだ。霊魔力は方向性が違いすぎる力だから、あれに比べたら難易度も威力も低くなるだろうが……安心できる材料にはならない。
彼が今、行っているのは“天霊力同調”だろう。天力と霊力を混ぜ合わせて、威力と応用性を強化している、ということか。なんて、厄介な……!
「どいつもこいつも成長しきった年増ばかりで、つまらんなぁ。……いや、だが、待てよ? あの鎧の娘には一杯食わされたのだ。鈴理ほどではないが、顔立ちも幼い。どれ、虐め抜いてから鈴理の前でいたぶってくれよう。くくくっ、どれほど甘美な光景か、想像するだけで垂涎ものよのう……。くっ、はははははっ」
整った少年の顔を、醜く歪ませて笑う葬儀。
年端も行かぬ少年が人質でなければ、今すぐにでもその脳天を砕いてやれるというのに――!
後ろでは、憤怒の表情で飛び出そうとする夢さんを、ドンナーさんとアリュシカさんが抑えている。香嶋さんは、静音さんを引っ張って、七を交えて対策を練っている。ということは、まだ、作戦は完成していないか。
魔法少女への変身は、本当に最後の手段だ。せっかくオズワルドを消し飛ばしたのに、魔法少女の情報をわざわざ天界に渡してしまうことは、極力避けたい。は、恥ずかしいのは、気にしないよ?
「瀬戸先生、ロードレイス先生、少しだけ時間を稼いでください」
「……良いでしょう」
「マカせてくれ!」
よし。
わかった。
それなら、少しだけ、私も“無茶”をしよう。
「【“霊魔力同調展開陣”】」
霊力と魔力。
異なる二つの力を混ぜ合わせるのは、至難の技だ。それこそ、生み出した張本人である私であっても、成功するかは未知数と言えるほどに。
「【“心意反法”】」
だから私は、“私でも失敗する可能性”を練り込んで、術式を構築する。
翡翠と蒼玉の力が混ざり合い、鮮やかなターコイズの力が、両手の中に生まれる。その力は手の中で球体の形を取りながらも、混ざり合い、反発し合い、不気味なほど激しく明滅していた。
このままでは間違いなく、扱いきれずに暴発することだろうけれど。
「二人とも、下がって!」
「? なにをするつもりだ? いいぞ、無駄な抵抗は受け入れよう。その方が、絶望が深くなる!」
私の言葉に、瀬戸先生とロードレイス先生が大きく下がる。
狙いは、少年の翼。黒と白のその翼はおそらく、純粋な天力と霊力で構築されているはずだ。なら、私が狙うのは黒翼。異能の源である霊力を、打ち消す!
「【“崩壊奉術・禍ツ風”】!!」
「はははっ、どんな手を使おうと、我が力、で……ッァ!?」
叩きつけるような暴風が、轟音と共に吹き荒れる。
風は力となり、掻き乱し、部室に罅を入れ、聖人の十字架を含めた“力という力”をかき消した。
「ぐ、ぬぅ、アッ、が、に、をッッッ?」
どうあっても反発する力を、無理矢理混ぜ合わせた上で意図的に崩壊させ、そのエネルギーに指向性のみを付与して解き放った。
解説をしてしまえばたったこれだけのことだが、わざわざ説明してやる義理もない。
「未知、そのまま拘束! シシィ、君は彼の口をこじ開けておいてくれ!」
「ええ、わかったわ、七! 【速攻術式・拘束鎖・展開】!」
「合点承知」
「グッ、き、さま、ら、ちかよ、る、な、ッ」
鎖で芋虫にした少年の口を、シシィが顎を持ってこじ開ける。
そこに七は、手を翳した。
「定員は一名だ。ゼノが装備品扱いの枠でいけるから、このまま静音の力を借りる。良いね?」
「は、はい!」
「外部からなにもできないのであれば、内部から干渉すればいい!」
七は右手を翳したまま、左手で腕輪を身につけた状態に戻った静音さんの手を取ると、澄んだ“銀”の力を解放する。
その力は、七とて使うことを避ける力。精霊力……あるいは、“幻力”と呼ばれる異能。
「導け――“精霊神議”」
光が満ちる。
銀の光。七の瞳のような灰銀が、覆い、包み。
「……消えた、のですか?」
七と静音さん。
二人の姿が、その場から消え去った。
「香嶋さん、なにか聞いていますか?」
「はい、お姉さま。内部干渉を開始すると、完了まで天使は目覚めないそうです。ベッドにでも寝かせて、待っていてくれ、と、言伝を頼まれました」
「そう……ありがとう」
ひび割れた部室。
満身創痍の先生方。
不安そうに消えた二人が居た場所を見つめる、夢さんたち。
「シシィさん、その間に、詳しい事情をお聞かせ願えますか?」
「ええ、はい、ええ。最早逃げられないことは重々承知。存じ上げている範囲でよろしければ、いくらでも」
「では私は、陸奥先生への連絡と、念のため、予備医務室の確保を行います。――連絡と責任管理は、私が負いましょう」
瀬戸先生がそう言ってくださるので、少しだけ胸をなで下ろすことが出来た。
ロードレイス先生に、今度こそ天使でも破りにくいような結界を張って貰って、予備医務室に向かえば、あとは七と静音さんを待つだけだ。
「ミチ、私たちも、シズネを待ちたい。……構わないかな?」
「ええ、もちろんです」
不安そうに問いかけるのは、アリュシカさんだ。
だが、後ろに控える夢さんたちも、同じような表情をしている。なら、先生として、私が彼女たちにしてあげられるのは、安心の提供くらいだ。
だから。
(七、静音さん――どうか、無事に帰ってきてね……)
表情には出さないように、祈る。
ただ、二人の無事を願うように――。




