そのに
――2――
月曜日になると、憂鬱そうな表情の生徒を数多く見かける。
日曜日がよほど恋しかったのか、眠そうだったり肩を落としていたりと、朝の正門前は何かと個性的な生徒たちが多いようにも思えた。
私はそんな生徒たちを眺めながら、時にはすれ違った生徒に挨拶をしている。本日の正門管理。即ち、遅刻者の名簿管理を任されたためだった。
「おはようございます、未知先生」
「夢さん……はい、おはようございます」
「今日は未知先生が“門番”なんですね」
いつも鈴理さんと肩を並べてくる夢さんだが、今日は一人なようだった。珍しい。
鈴理さんはどうしたのだろうかと首を傾げると、その視線に気がついた夢さんが苦笑する。
「鈴理は風邪です。昨日、“はしゃぎすぎた”って言ってました。良ければ、あとでお見舞いに来てあげて下さい。鈴理、喜ぶので」
「あら、そうだったのですね。ええ、もちろん」
昨日、昨日か。
確か、ご両親と話してみると言っていた。風邪で寝込んでいるようだったら、お見舞いと看病のついでに、ご両親との話し合いの結果も聞いておこう。私も、大切な娘さんを勝手に弟子などにしている身だ。ご挨拶も必要だろうしね。
「み、観司先生、おはようございます。あれ? ゆ、夢、今日は一人?」
「おはようございます、静音さん」
「おはよー、静音。そ、一人。鈴理は風邪で寝込んでるよ。放課後、見舞いに行こう」
「そ、そっか、風邪なんだ――そっか」
静音さんは、そう、悩むように俯く。
何事かと夢さんと並んで心配していると、やがて、静音さんは意を決したように顔を上げた。
「きょ、今日、なんですけど、放課後、ま、魔法少女団でお時間いただけませんか?」
「? え、ええ。構いませんよ」
「? えーと、鈴理がいるとまずい話ってこと?」
「は、はい――鈴理の“おじいさん”のことで、お話があります」
静音さんの言葉に、思わず目を瞠り、夢さんと顔を見合わせる。
「そう、あの寄生虫のね。良いわ、杏香先輩には私から伝えておく。静音はクラスでリュシーとフィーにお願い」
「ロードレイス先生も鈴理さんの危機ならば、力になってくれることでしょう。今日は頭から参加が出来るように、話を通しておきます」
夢さんと私の言葉に、静音さんはぱぁっと顔を輝かせる。
だが、感謝をしたいのはこちらだ。彼女は鈴理さんについて行き、何かしらの情報を持ち帰ってくれたのであろう。
「はいっ、ありがとうございます!」
「当然のことをしているだけです。頭を上げて下さい、静音さん」
「そうそう。礼を言いたいのはこっちの方だってこと、忘れないでよね」
静音さんは、それでも何度も頭を下げて、やがて夢さんに手を引かれて校舎に戻っていく。
そんな二人を見送りながら、私はかつての事件のことを思い出していた。
鈴理さんに寄生した悪霊。
妖魔と化した人間。鈴理さんの実の祖父でもあった“笠宮装儀”は、あらゆる虐待を数年続け、ついに発覚した後、死亡。
その後、異能を駆使して鈴理さんに悪霊として取り憑き、以後、鈴理さんに厄災を寄せ付ける装置と化して、鈴理さんの苦痛を糧にしていた。
魔法少女の力でこの世から消滅させたが――生き汚い彼のことだ。なにかしらの“保険”を残していたのだろう。その“保険”を静音さんが回収していてくれたことは、なによりの僥倖だ。
「これ以上――私の弟子を傷つけることが出来るなどと、思わないことね」
呟く声。
込められた意思は、私自身でも驚くほどに、重く冷たかった――。
――/――
昼休み。
私がお弁当を手に寄ったのは、医務室だった。こと思念ということに関して、“プロフェッショナル”に話を通して置いた方が良いだろう。
「失礼します」
「――ああ、未知。ここで食べてくれるなんて、珍しいね。さ、座って」
「ええ、ありがとう、七」
鏡七。英雄のひとりにして“流れ”という曖昧な分野のプロフェッショナル。
その力は水の流れから心の動きなど、多方面の分野に通じるという。最近、獅堂共々忙しそうに動き回っていたようだが……どうやら、一段落ついたようだ。
「昼ご飯の用意はあるの?」
「これから、購買にでも足を運ぼうと思っていたんだ」
「そう。それなら、良かったらどうかしら? 前に、私の手作りで良ければ、と」
「本当かい!? 嬉しいよ。ありがとう、未知」
下級生の女の子――異能科の秋蔵さん――に、調理実習で作ったというカップケーキを貰ったら、なぜだか次から次へと貰ってしまい、その場で感想を答えているうちにお腹がいっぱいになってしまったのだ。
そう説明して、処理をさせるようで申し訳ないと経緯を説明したら、七は笑顔で首を振ってくれた。
「それでも嬉しいよ。未知の手料理が食べられるなんて、ね」
「ふふ、そんなに喜んでくれるのなら、また作ってくるよ。ちょうどお願い事もあることだし、ね」
「お願いごと? 代償なんかなくても、未知の頼みなら力になるよ。もっとも、だからお弁当は要らない、なんて言えないけれどね」
そう七は、悪戯っぽくウィンクする。
なんだろう、こう、少年アイドルのような仕草が妙に似合うのは、資質なんだろうか。
「実は――」
七が肩の力を抜かせてくれたので、簡単に説明をする。
あの日、鈴理さんを操った寄生虫を見つけ出してくれたのは、七だった。その過去の経験があるからこそ、今回も力になってくれるのであれば心強いことだろう。
爽やかなブルーの髪と、優しげに細められた灰銀の瞳。微笑みと共に差し出される言葉は、甘く柔らかい。七は、私の話にじっと耳を傾けて、それからしっかりと頷いてくれた。
「そういうことであれば、もちろん協力するよ。あの事件は、僕も無関係ではないからね」
「ありがとう、七。――本当にお礼が、お弁当で良いの?」
「生徒のためにできることをする。本当は当然のことだよ。違うかな? 未知」
「……改めて、ありがとう。また、腕によりを掛けて作るから、貰ってくれる?」
「どういたしまして。楽しみにしているよ」
クスクスと笑って頷く七に、思わず、笑みがこぼれる。
あの精霊の湖の畔で出会って、二十年余り。小さな男の子でしかなかった七も、本当に、頼りがいのある男性になったなぁ、なんて、しみじみと感じる。そっか、男の子なんだよね。いつの間にか、こんなに大きくなったんだ。
昼休みを七と過ごし、そろそろといったころ。
「それじゃあ、また、放課後によろしくね」
「ああ。任せて。……と、そうだ、未知」
立ち去ろうとする私の背に、七の声がかかる。
振り向こうとすると、腕を引かれて体勢を崩し、ぽすんっと七に抱き留められた。
「――僕に頼ってくれて嬉しかったよ。未知」
耳元。
熱っぽく紡がれる言葉。
「なっ、えっ、ど、どういたしまして?」
動揺しながら出たのは、そんな、戸惑うような声だった。
あれ、なんか、昔よりもずっと胸板が広いというか、以外と筋肉が付いているというか、白衣ではわからない逞しさがあるというか、ちょっと良い匂いが――って、いやいやいや!
「な、七?」
「未知は小さいね。あまり背負いすぎないでね? 生徒たちのことはもちろん心配してるよ。でも僕はそれ以上に、大切な貴女が心配だ」
髪を梳く白い指先。
首筋にぼぅっと乗る、熱。
「無茶はしない。約束できるかい?」
「やく、そく」
「そう。約束だよ?」
抱きしめられる力が、そっと強くなる。
え? あれ? そういえばどうしてこんな状況になっているんだっけ?!
「わわわ、わかった、約束、約束するから! だから、離し――」
「はい、どうぞ」
「――ひゃっ」
あっさりと解放されたことに、思わず変な声を上げてしまった。
えぇ、結局、なにがどうなったの?
「僕たちが任務に明け暮れている中、ずいぶんと新任の先生と仲が良くなっていたみたいだからね。あんまり、隙を見せてはだめだよ、という忠告。勉強になったかな?」
「じゅ、十分です。うぅ」
確かに、無防備だったかもしれない。
けれどそれは、七の前だからだよ。そんな風に言うと調子に乗りそうなので秘密だけれどね。まったく、もう。
「はい、じゃ、またあとで」
「え、ええ――またあとで?」
あ、あれぇ?
なんだかよくわからない、混乱した頭のままでふらふらと医務室を出る。
なんだかこう、狸に化かされたような気分、かも。




