えぴろーぐ
――エピローグ――
――沖縄県某ホテル。
諸々の事後処理に追われ、漸く一息付けたのは、修学旅行最終日のことだった。
あれから、鈴理さんたちは大事を取って検査入院。他の生徒たちは修学旅行を続行、という流れに。私とロードレイス先生は事後処理に回されて、関係各所との連絡取りをどうにかこうにか終えて、ロビーでコーヒーを口にしている。
ロードレイス先生には念のため休んでいて貰い、リリーとポチは部屋で待って貰う。で、私はというと。
「ぁ――来てくれたんだね」
その見慣れた姿に、なんだか本当の意味で力を抜けた気がして、ふぅと息を吐く。
「ありがとう、時子姉」
「気にしないで。それよりも、災難だったみたいね」
事件の最終報告は、英雄の手に委ねられることに決定。
一日早く修学旅行を終えていた関西特専へ要請をすると、時子姉が快諾。こうして、駆けつけてくれたのだ。
「さて、色々と聞いてあげたい話もあるけれど、先に面倒なことを済ませてしまいましょうか」
「うん、助かるよ、時子姉」
「……本当に参ってるのね。まぁ、愚痴の類いはあとでたっぷり聞いてあげるわ」
「うぅ……本当にありがとう、時子姉」
それはその、うん、すごく助かります。
対面に座ると、時子姉は苦笑しながら水の入ったペットボトルを取り出し、一滴だけ机に垂らした。その水を、淡く霊力の宿る指で触れ、簡単に五芒星を描く。
「【霊気呼応・我が意を逸らせ・急々如律令】」
すると、五芒星は僅かに翡翠に輝き、それから音も無く消えていく。
簡易術式。確か、周囲の人の意識を自分たちから逸らす、というものだ。
「それで、天使と戦ったのよね?」
「ええ。あの戦い、悪魔との長い戦争では、天使が現れることはなかったわ。だから正直、私が知っていることはごく一部なの」
天使は天界という、魔界とはまた位相の異なる次元に住んでいる。
天使の本体は天界にあり、天使が地上界で生活をするためには仮初めの身体がヒツヨウだ。これは、“天装体”と呼ばれていて、天装体から天力が抜けきってしまうと、天使は天界に強制転送され、再び天装体を構築するまで帰ってくることが出来ない。
翼が実体ではない、というのは、天装体はあくまで人間の肉体部分のみのものだからだ。翼を展開して天使としての力を振るえば振るうほど、天力が抜け落ちて天装体の寿命が減っていく、ということであるらしい。
「今回は魔法で消し飛ばしたんだけど……やはり、戻ってくるのかしら?」
「そうね……。天使は天装体を構築するのに、さほど時間は必要ないわ。でも、再構築となると別なの」
「そうなの?」
これまで生きてきた年月の中、時子姉は天使に遭遇したことは何度かあるようだ。
第一次大戦中には、ベルギーに天装体で舞い降りた天使が、うっかり戦争中だったために作りの甘かった天装体が崩壊。盛大に天力を解放しながら天に戻っていった、なんてこともあったのだとか。
あのときはびっくりしたわーなどと笑う時子さんに、苦笑する。それって百年以上前のこと……いや、年の話は止めておこう。
「まったく別人として生きていくなら良いのよ。ただ、前と同じ人間として生きていくのなら、健康診断だって映像だって、誤魔化しきれるモノでは無いわ。だから、崩壊前と同じ天装体を構築しなければならないのだけれど……崩壊時のデータから少しずつ復旧していく必要があるせいで、一年二年で済まないことも珍しくないみたいね」
時子姉はそう、一つ一つ思い出すように教えてくれる。
つまり、年単位の猶予はある、ということだろうか? いや、どのみち天界から誰かが派遣されてしまえば、同じ事か。
「うーん、それもさほど心配しなくても良いわ。天装体を粉々にするほどの一撃であったのなら、周辺記憶くらいなら吹き飛んでいると思うよ? 私も、天使と諍いになって“麒麟”で吹き飛ばした時は、復活後、前後数日間の記憶が曖昧になっていたからね」
「天使と諍いに……そ、そうなんだ」
「まぁ、今後は、退魔七大家からも人を派遣しましょう。関東特専内に支部を作るから、厄介事には協力体制を敷けるようにする。今、直ぐにできることはこの程度ね」
「ううん、充分だよ。ありがとう、時子姉」
というか、十分すぎると思うよ?
退魔七大家から派遣なんて、そんな大事になって大丈夫だろうか。時子姉の提案だから滅多なことはないとは思うけれど……引き寄せるからなぁ。
でも、今回のことは本当に危なかった。上位天使、霊魔力同調、悪魔憑依、黒百合の魔女っとこれは違うか。と、とにかく、考えることが多すぎる。
「霊魔力同調についてなんだけど……ねぇ、未知? 禁止するだけでは、同じ事の繰り返しじゃないかしら?」
「推奨しろ、ということ? でも、それでは危険が……」
時子姉は、式苻から召喚したお茶を啜りながら、のほほんとそう告げる。
でも、それは……うん、リスクが高すぎる。
「でもね、未知。あの子はそんなに、聞き分けのない子なの?」
「それは……」
いや、そんなことはない。
聞き分けなんて言葉を使うまでもなく、鈴理さんは良い子だ。友達思いで、仲間思いで、どんなに辛いことがあっても挫けず前を向けるような、そんな子だ。
「ふふ、答えを聞かなくても、あなたの顔を見れば思っていることは解るよ」
「……うん」
「だからね、未知。あの子のことを心配する気持ちはよくわかるわ。だからこそ、鈴理には力を封じるのではなくて、力を操る術を託すべきではないかしら?」
「操る、術? ――ぁ」
そうか、一番怖いのは、制御できない力なんだ。
だから、ちゃんと制御できるように導いてあげれば、鈴理さんが自分の力を使って危険に晒されることもなくなる。
そうすれば、それは同時に、鈴理さんの“牙”にもなるはずだ。
「……よく考えればわかること、なのに。私は師匠失格だね、時子姉」
「ふふっ、そうね」
まったくだ。
師匠と慕ってくれる女の一人救えず、導けず、なにが師だ。
「うぅ、精進しなきゃ。鈴理さんのためにも――」
「でもね、未知」
「――え?」
肩を落として深く反省する私に、慈しむような声が掛かる。
時子姉は、叱る時の顔でも諭す時の顔でもなく、ただ、優しい顔をしていた。
「子を守り慈しみ、時には叱って諭す。“先生”としての未知は、私の知る誰よりも立派だよ」
「時子姉……」
「あなたはまだ、“師匠”の卵なのよ? だったら、成長していけば良いよ。大丈夫、私は――いいえ、私たちは、いつでも力を貸すから。ね?」
言葉が、胸に染みる。
すとんと飲み込めた言葉に、心がほっと暖かくなるようだった。
ああ、そっか……久しく感じていなかった、“家族”に励まされる気持ち。その温かさが、私を満たす。まだ、頑張れるんだって、前を向けるって、思える。
「時子姉」
「ええ」
「ありがとう」
「ふふ、どういたしまして。でも、妹に頼られて、喜ばない姉はいないのよ?」
「ふふ、そっか」
「ええ、そう」
――だけど、今は。
今だけは、この温かさを享受しよう。
明日からまた、“立派な先生”になるために。“偉大な師匠”を、目指すために。
――/――
――光が、明滅する。
『戯れ言を! そうしてヒトは善あるものをDesireのために騙して搾取するのだろう! 悪逆なるヒトに騙され、憐れにも命を散らした我が妹のように!!』
ああ、これはDreamだ。
『復讐のつもり? 天使とは正義であるというのなら、罪なき我が眷属を手に掛けようとした理由はなに?』
Crime?
罪、罪だと。
『Crimeはあるだろう! 悪魔と、人間の敵対者と手を組むことのどこにJusticeがある!?』
そうだ、悪魔と手を組んで。
――手を組んで、彼女たちは悪事を行ったか? カタリナの、我が妹の時のように?
『人間は、如何なる存在とも肩を並べ、喜悦も悲嘆も、享楽も憤怒も、“許し”さえ共感できる存在よ。なにものも“許す”ことができない存在が、ヒトの愛を語るな』
『っ――黙れ、黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェエエエエエェッ!!』
許す。
許しとはなんだ?
天使とは、神とは、罪を赦すことができるexistenceではなかったのか?
ああ。
私は。
「……ぐっ……は、ぁ、間違って、いたの、か?」
体中に走る痛みが、意識をつなぎ止める。
月明かりに翳した手は、無残にひび割れていた。
「――ぼっちゃんがそう仰るのであれば、そうなのではないでしょうかな?」
なんとか、と苦心して顔を横に向ける。
私が寝かされているのは、路地裏に放置されていたのであろう、粗末な寝台。その横に佇むのは、Teens程度の外見の、少女だった。白い髪と虹色の瞳孔。身に包むのはクラシカルなメイドClothes。
「“じぃ”、か。All、肯定の、ぐぅッ、老執事、は、やめた、のか?」
「ええ。壊されてしまいましたから。日本のメイド神に敗北してから封印していたボディですが、性能は“モード・セバスチャン”よりも上ですので」
そう言って、“じぃ”は恭しく礼をした。
「おま、えが、たすけて、くれ、たの、か?」
「ええ。故にこれより、辛辣系無表情メイドにシフトチェンジですのであしからず。スペアキーでの緊急捕獲……というよりも、吹き飛んだパーツを緊急回収、縫合したに過ぎません。回復してもスペックは以前の三分の一と言ったところでしょう」
「Thirtyか……ぐっ……いや、充分、だ」
「――ふむ。喉だけ早急に回復しましょう。聞き取りづらいです。【Repair】」
光が満ち、つっかえが取れる。
全身修復は……いや、望めないか。おそらく緊急回収と縫合で、Powerのほとんどを使い果たしているはずだ。その上でRepairまでかけてくれたのであれば、私はそれにGratitudeすべきだ。
「すまない、じぃ。助かったよ」
「仕事ですから。それで? どうしますか? 例の、魔法少女は」
「つれないね……。天界には、報告はしないよ」
「ほう? 何故、と、うかがっても?」
何故、whyか。
まだ、私のHeartは晴れない。本当に正しい選択だったのか。私のとった行動は全て、正しかったのか。あのLapis lazuliの光を浴びてから、HeartにはFogがかかったようだった。
「報告は、正しくせねばならない。正しい情報をまだ知り得ない私が、報告できることなどNothingだよ」
「私情ではなく、でしょうか?」
「ああ、もちろんだ。私はAngelとして、正しくあらねばならない。だからこそ間違っていたら、相応の代償を背負わねばならない」
「では?」
「――回復を待って、監視に努める。正しい答えを得なければ、私には、誰かを罰することなどImpossibleだからね」
「承知いたしました、ぼっちゃま。それから、このボディの私は、シシィ、と」
と、どこか慇懃無礼に礼をするじぃ――いや、シシィ。
そんなシシィに肩を借りて、夜の街から立ち去る。
もし、彼女らがやはりどうしようもない悪ならば、全てをかけて今度こそ、裁こう。
だがもし、もしも、あのときの行動が、私が“悪”であったのなら、そのときは――この身を賭してでも償おう。
「観司未知――魔法少女、か」
あのときの、牢から離れようとする時の、彼女の叫びがHeartに浮かぶ。
『あなたが……あなた方が、神の使いだというのならば、人間の可能性を見守るべきではないのですか!』
私は、やはり一つ、見誤っていた。
彼女たちは一括りの存在などではない。楽園を追放されし箱庭の住人などではない。
「人間の、可能性」
「ぼっちゃん?」
「いや、なんでもないよ。シシィ」
月夜を歩く。
ただ、人間のように赤い血を流すことの出来ないこの身体が、どこかもどかしかった。
――To Be Continued――




