そのにじゅうご
――25――
さて。
全員に“なんとなくこうした方が良いだろう”と百合の花を蒔いたら怪我が治った。どういうことなのかわからないけれど、ひとまず一安心といえるだろう。
おそらく、リリーの高い能力と私の魔法少女の力が融合した結果なのだろう。魔法少女だったら“アレ”とか“アレ”とか駆使しないと行使できないような力が、自由に扱えた。
「ねぇねぇ未知、ぷぷぷ、あの“かっこいい”二つ名、私にはないの?」
「ありません!」
鈴理さんを含めて全員、傷の治療は完了した。
ロードレイス先生の心の傷が深くなったような気もするけれど、それは放置だ。私も、おかげで頭に昇り切った血をリセットすることができた。怒りのままに行動することの愚かさは、西之島異界で実感している。
「“我が黒百合の眷属、倫理の鈴”だったかしら?」
「そ、そんなこと言ってないもん」
「もん?」
「ません!」
うぅ、動揺を沈めなきゃ。
なんでこんな口調なんだろう。そりゃ、むかーしちょっぴり荒れていたことはあったけれど、その時は口調は普通だったし、“黒百合の魔女”とかいう通称を許容した覚えもないのにっ。
いや、もういい。この憤りはすべてあの変態天使に向けるしかない。
「どのみち、オズワルドには思い知らせないとならないのだし」
「へぇ? なにを? 黒百合の恐怖?」
「いいえ――私の可愛い生徒に手を出したら、どうなるのか、ね」
「あら。ふふ、本当に素敵な顔」
リリーの声を受けながら、意識を強く“外”に向ける。
すると、サブモニターが“内側”に。メインモニターが“外側”に向くような感覚を覚えた。
「【闇女王の瑠璃舞踏】」
白い地を踏みしめる感覚。
手に持つレイピアが瑠璃色の光に包まれ、足下から茨が伸びる。言ってしまえば“副次効果とそれよりも多い無駄エフェクト”付きの“身体強化”でしかないのだが、素の能力が驚くほど高い今の状態ならば、この形態でほとんど補うことが出来ることだろう。
白銀の棍を構えるだけのオズワルド。だが、今動き出さないのは、彼にとって失敗だろう。
「Un!」
踏み込み。
「なっ」
目前に現れ、目を瞠るオズワルド。
無駄に横三回転しながら放たれた突きを、彼は慌てた仕草で辛うじて避ける。だが敵も然る者。その上で横薙ぎの反応までしてくるのだから、大した物だ。
「Doux!」
けれど。
遅い!
「避けただと?!」
前後に足を大開脚。股間に感じる床の冷たさよ。
「Trois!」
そのまま足を閉じる勢いで、バネのように跳躍。空中で心臓に向かって放たれた三段突きは、一撃を掠めて全て避けられる。
だが、“狙い通り”だ。三撃全て二対一枚だった一枚の方の翼に吸い込まれて。
「ぐぁああああああぁ!?」
――ズザンッ
「堕落に嘆け、片翼の天使よ」
(あなたの翼、いただきます)
オズワルドの片翼を、穿ち“消し飛ばし”た。
「我が眷属の受けし哀哭の嘆きは、貴様の些少の痛苦で贖えるモノでは無い。我が身の悪逆を嘆くがいい」
(私の生徒たちが受けた傷は、その程度ではないわ。思い知りなさい)
「そんな破廉恥なStyleで愛を説くなど、片腹痛いわ!」
く、口調は気にしない。気にしないったら気にしない。
ああ、もう! こっちは好きで破廉恥な格好をしている訳でもないのにっ!
「踊れ」
「ぐっ、貴様はwhy! 悪に力を落とす! それほどの力があれば、神の奇跡すら受け取ることが出来よう! why、悪魔に手を貸す!!」
「悪魔とて悪逆とは限らない。天使が拙悪であることが、有り得るように」
棍を受け流す。
くるっとターンしながら突きを繰り出す。
たったそれだけの要素しかないはずの動きは、ターンの度に百合の花弁をまき散らし、ステップの度に踏み込んだ場所へ瑠璃色の茨を生み出していた。
百合のと茨の意味? ないよ!
「うぉおおおおおおぉ!! 我らが主は常に正しい。その行いの全てには、なにもかもを救済するための意義がある! それが、why、わからない!」
突き放たれる棍を飛んで避け、棍の先に立つ。
オズワルドは振り落とそうとするが、私はさらに跳躍してオズワルドの背後に回り込み、鋭いヒールで背中を蹴り穿った。
「がはっ」
「少女をいたぶることでしか見いだせない意義が、神の正義だと言うのなら、この身はルシファーでも構わない」
「づぅっ……いたぶる? それはUnlike。平和のための礎であり、安寧のために必要な犠牲だ! 誰もが誰かを犠牲にしてきた。ならばここでそれを終わらさなければならないのだ。それが例え人間たちから畏れられる行為だとしても、その畏怖を私は受け入れよう! その全ては主の下へ召された時、幸福を持ってKnowすることだろう!」
ああ、そうか――。
きっと、オズワルドも、犠牲にしたくない“なにか”を犠牲にして来たのだろう。焦燥に燃える瞳が、その事実を告げてくる。
けれどそれは、強いられてきたことを他人に強いる理由にはならない。そしてそのことが彼の言う、神に報いる行為なのだとしたら。
「ならばやはり、妾は神への反逆者で構わない」
「なに?!」
予想外の答えだったのだろう。
棍を杖に、ふらふらと起き上がりながらも、目を瞠るオズワルド。
「愛する眷属を守護することも叶わぬ正義など不要! 同胞の犠牲で成り立つことが世界の法則だと嘯くならば、妾の堕天せし大いなる魔法を以て、悪逆と悲嘆の世界を塗り替えようぞ!」
「――それこそが、神の嘆きであると何故、気がつかない! Understandingしろ、その傲慢こそが、新たな犠牲の種であることをォッ!!」
常人ならば眼で追うことすら叶わないであろう踏み込みに、指を弾くことで対応する。
黒い円環。漆黒の重圧。過剰に課された重力が、限定的な崩壊を産むという、リリーの得意技。“闇王の重鎚”。
融合の成果か、詠唱不要で発動するその技に、“内側”でリリーが歓声を上げる。
「人間は堕落する生き物だ。憤怒に酔い、色欲に溺れ、嫉妬に狂い、怠惰に歓び、強欲を尊び、暴食を許容し、高慢こそが至高と謳う。ヒトとは、欲望のために他者を犠牲にする生物だ! ならばAngelが管理せねばならないと、why、理解しない!!」
棍の動きが精彩を欠く。
動揺か、憤怒か。彼こそが今、大罪に囚われているようにすら思えた。
「我らが悪欲に堕落の享受を覚えるモノであること、否定はしないわ。けれど人の業は人が裁く。天使如きの傲慢な基準で、裁くに値する存在であるかなど、決めつけるな!」
レイピアがオズワルドの身体に裂傷を加えていく。
流れるのは血ではなく、光の粒子だ。半実体である天使たちの身体を構成する“天装体”が、こぼれ落ちている色だ。
「戯れ言を! そうしてヒトは善あるものをDesireのために騙して搾取するのだろう! 悪逆なるヒトに騙され、憐れにも命を散らした我が妹のように!!」
「復讐のつもり? 天使とは正義であるというのなら、罪なき我が眷属を手に掛けようとした理由はなに?」
詳しい事情は知らない。
知るつもりだってない。
「Crimeはあるだろう! 悪魔と、人間の敵対者と手を組むことのどこにJusticeがある!?」
けれど彼の成していることの根底に報復があるというのなら、それならば、やはり彼は私の“敵”だ。だって彼は知らない。知ろうとすらしていない。
誰にも手を差し伸べられず、それでも足掻いてきた幼少期を過ごし、差し出された手を取ってからも、その手をむしろ助けようと動き、己の敵になった存在を、許して受け入れ友達になった。
鈴理さんの、私の大切な弟子の、“今日まで”を知ろうともせずにその命を奪い去ろうとした。それでどうして、彼の慟哭に共感できようか。
「人間は、如何なる存在とも肩を並べ、喜悦も悲嘆も、享楽も憤怒も、“許し”さえ共感できる存在よ。なにものも“許す”ことができない存在が、ヒトの愛を語るな」
「っ――黙れ、黙れ、黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れェエエエエエェッ!!」
後ろを見る。
祈るような鈴理さんの顔に、微笑みかける。
夢さんが、水守さんが、アリュシカさんが、フィフィリアさんが、ポチが、ゼノが、ロードレイス先生、は、ぐったりしているけれど、みんなが私に、信頼の眼差しを向けている。
「驕ったな、天使よ!」
私の背中には、たくさんの“愛”が満ちている!
「なに、を!?」
オズワルドは、白銀の棍の先端に光の穂先を生み出し、投げ槍のように投擲する。
その一撃は、もしかしたら異界すら貫くかも知れない。だが、愛を背負った私に向けた時点で、その結末は決まっている。
「謳え、夜の女王【裁キノ刻限】――」
『ふふ、構わなくてよ。こうかしら? 【闇王の歌謡】』
『ありがとう、リリィ。【境界接続・能力共有】』
「――【闇女王の瑠璃光鎚】」
レイピアに瑠璃色の光が満ちる。
そのままレイピアを一筆書きの六芒星の形に振ると、紫と瑠璃が交互に輝き、夜明けの空のように煌めいた。
「砕けろ、悪よ! “光在れ”」
「その傲慢に、終演を――【重奏・祈願成就】」
轟音。
集束した光が、オーロラの如く輝いて光の槍を呑み込む。
膨大な力が込められた光の槍は、瞬く間に極光に呑み込まれて消滅した。
「ああ――なんて、美しい」
そして。
「あ、あああ、あああああああああああぁぁぁッ!?!?!!」
オズワルドを呑み込み、異界の出口であった鉄格子を破壊し、異界に穴を開ける前に“そういう効果”として展開されていた瑠璃色の魔法陣の中に消えていく極光。
「――すまない、カタリナ。だが……やっと、君の下へ……」
そして、あとにはただ、穿たれた地と、粒子になりながら消えていく翼だけが宙に溶けていった。
「ありがとう、リリー。【トランス・アウト】」
「きゃっ。中々居心地が良かったから、また、よろしくね」
「……もう、こんなことにならない方を祈ってちょうだい」
変身を解除すると、リリーが私の中からはじき出される。
それから、ゆっくりと、鈴理さんの下へ歩いて行った。
「師匠……あの、わたし」
ぽん、と、鈴理さんの頭を撫でる。
百合の花弁に変化した血だまり。その溢れんばかりの花畑が、出血量を想像させた。
頭を撫でていた手を、頬にずらす。温かい。よかった。
「――無事で、良かった」
抱きしめて、熱を感じる。
おそるおそる抱き返す手に力が込められて、また、安心させられる。ああ、だめだ。生徒の前で泣かないって、決めているのに。決めていたのに。
「本当に、良かった」
堪えた涙が、一筋だけ鈴理さんの首に落ちる。
「師匠、うぁ、ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!! う、うぁっ、ぁあああああぁっ」
「大丈夫、大丈夫だからね……」
前世を覚えているから、言えることなのかも知れないけれど、“死ぬ”のは“こわい”。
血が流れていく時、命を失っていると実感する時、怖くて寒くて苦しくて――寂しい。
「私は、自分がどんなに辛くても“誰か”のことを考えられる鈴理さんのことを、師匠として、先生として、誇りに思います。でもどうか、あなたが本当に辛くて苦しい時は、私を頼って。あなたは、あなたたちは私の、大事な生徒だから」
一人、また一人と、私にしがみつく。
もし、もしも、この子たちを助けることが“悪”だというのなら、その罪は全て私が背負おう。この子たちの笑顔を、守るために。
「わたし、もう、負けません。だってわたしは――」
泣き止んだ鈴理さんが、私にしがみついたままそう告げる。
「ん? 鈴理さん? そんなに気張らなくても良いのですよ?」
なにせ、鈴理さんは無茶をしすぎだ。
そういえば先ほどの、霊魔力同調についてもお説教しなければ。
過ぎたる力は身を滅ぼす。そう、告げようとして。
「――黒百合の眷属、“倫理の鈴”なんだから!!」
「ぐはっ」
唐突に、言葉の刃で三枚に下ろされた。
「さすが未知先生。黒百合の魔女は格が違うわ」
待って夢さん、なんで私の黒歴史を知っているの?
「ミチ、ミチ、私も、二つ名が欲しいっ」
アリュシカさん、ごめんなさい、変身しないと出てこないの。
ほ、本当よ?
「み、観司先生、私のことはもっと気軽に呼んでくれて良いんですよ? な、なんだか仲間はずれみたいで寂しいです」
水守さ――ああいえ、静音さん。
うん、それはもちろん大歓迎よ? だからみんなを止めてっ。
「うぅ、ぐす、おかわいそうに、助けに来てくれたのに、こんなっ」
「あはははっ、泣くほど面白いの? わかるわ」
ああ、フィフィリアさんも泣かないで。
うぅ、私も泣きたい。リリーもそんなに笑わないでっ!
「なぁ、観司センセイ? ボクのヴィーナスが背徳的な格好でやってきて、思わず気を失っているアイダにゼンブ終わっていたようなんだけれど、ナニかシらないかい?」
知りません!
頭にぽんと乗せられたポチの手が、妙に生暖かくてつらい。
あれ? なんだろう? さっきまでとは別の涙が止まらない?
あは、あはは、ははハハハハハ……はぁ、ぐす……。




