そのにじゅうよん
――24――
――時は僅かに遡る。
「――キス、してもいい?」
「もちろ――えっ」
私の言葉に、リリーは即答してからフリーズする。
それから徐々に白い肌に朱を差して、もじもじと指を合わせ始めた。
「そ、それって、あの」
「ええ、実は」
「――待って! その、気持ちはこの上なく嬉しいわ。だからその、ちゃんと好きって、聞かせて?」
「えっと、リリーのことはもちろん好きよ? でもそのこれは、そういうことではなくて」
「本当! うれしい」
あれどうしよう、なにか勘違いしていない?!
そもそも、リリーとキスをするのは二度目だったはずだ。まぁ、彼女の方からだったけれど。それなのに、二度目の今はなんでこんな恋する乙女のような反応になっているのだろう。
ど、どうしよう。責任を取らなくてはならないのかな。なんだか喜んでいる彼女に、真実を告げるのは胸が痛い。
「えっとね、リリー? ここを脱出するのに、その、必要なことなの。だから」
「えー、つまんなーい。もっとノってくれても良いのではなくて?」
罪悪感から解き放たれるように、膝から崩れ落ちる。
か、完全に意図をわかって、からかわれてた……!
「何かと真面目な未知がこの状況で告白に乗り出すはずもないでしょう? さ、するならして、責任をとってちょうだいな」
「え、ええ、そう、わかっ――責任?!」
えっ、結婚? 結婚なの?!
い、いや、そうと決まった訳ではないし、リリーはこれ以上追求したところで答えてはくれないだろう。
それより今は、鈴理さんの方が心配だ。最悪、私の籍になにか入ることになったとしても――!
「さ、いつでもどうぞ? ――ん」
格子に指を搦めて、艶やかに唇を突き出すリリー。
なんだかものすごく、教師としても大人としても犯罪一直線のことをしている気分になるが、うぅ、そうも言っていられない。
変身中は、はじき出される“認識”が開始される五秒に含まれない。だから、変身と変身の合間に、なんとか、うまいこと成立させる!
「来たれ【瑠璃の花冠】」
リリーの前に跪き、ステッキを片手に持つ。
それから、もう片方の手でリリーの頬に手を添えた。
「【ミラクル・トランス・ファクト】」
身体が光に包まれて、変身が完了。
すると、異物を感じた異界が震え出す。その震えが収まる前に。
「二重変身」
リリーの柔らかな唇に。
「【ミラクル・トランス・コンヴァーション】!!」
「んっ」
唇を、合わせた。
――そして、光が満ちる。
「リリー」
「んっ、あああああっ、はぁ、えっ、なにこれ、気持ちが良いわ……」
「リリー、目を開けて」
「え? あら?」
リリーと二人、瑠璃色の空間に立つ。
私が手を差し出すとリリーはその手を握ってくれた。
「ここは私の“中”。私は今、内側と外側に二つの意識を持って、あなたに語りかけている」
「中? ということは、もしかして――“悪魔憑依”?」
「似たようなモノね。さ、空を見て。外へ意識を向けて、リリー」
今の私の状態は、中側と外側で意識を共有している。
より正確に言えば、二分割ではなく同時に二つのことを考えることが出来ている、というだけなのだけれど、言えば言うほどややこしくなるので保留。
瑠璃色の空を見上げると、外の景色が浮かび上がる。ああ、うん、自分の姿を見るのがこわいけれど、仕方がない。
ちなみに、映像は全て第三者目線。まるでアニメ鑑賞をしている時のカメラワークなのは、本当にどういう原理なのだろうか。もちろん、“融合”対象であるリリーに見えているのはこの瑠璃色の空だけだが、私には外の私の一人称視点も見えている。思考を分割せずに見たら激しく酔うのが玉に瑕……疵に疵? い、いや、良いか。
『――ふむ、これが深き夜の百合姫と契りを交わした妾の姿か』
(――えっと、これがリリーとの融合形態みたいね)
――あれ?!
『では、深き茨に閉じ込められしとらわれの姫君に、救済の口づけを落とそうぞ』
(よし、さっそく鈴理さんを助けに行こう)
『名乗りは刻限の時に――妾の瑠璃茨が、白き翼を毟り堕とす故』
(ポーズは助けに行った時に自動発動かな? 天使相手にポーズかぁ)
あわ、あわわ、あわわわ。
さっきからずっと、喋っている言葉がおかしい?!
まるで獅堂のようだ。いったいどうしてしまったというのだろう。横目で見れば、リリーはぷるぷると震えている。
や、やめて、そんな眼で見ないで……というか、リリー! 笑いすぎだから!
姿形は、なんだろう。
髪色は瑠璃。瞳は紫。編み込みツインテール。
姿形は、十一歳女児用の大胆なドレスを無理矢理着込んでいる私、だ。胸元が大きく開いた、黒の、百合の花のようなデザイン。黒、百合、うっ、頭が……っ。
ガーターベルトの黒ストッキングは当然のようにぱつんぱつんで、オモチャのような宝石が嵌められた紫のハイヒールになんともいえない感想を抱かせる。
手に持つのは百合と茨の装飾が施されたレイピアだ。これはもうステッキとは呼ばない方がいい気がしてきたよ?
「と、とにかく、早く鈴理さんたちを助けに行きましょう!」
「ふふふふふふっ、どん引きされないように気をつけなさいな?」
「うん、無理ね!」
“外”の私がレイピアを振りながら詠唱する。
童話に出てきそうな装飾姿見。その向こう側に映るのは、オズワルドと戦う鈴理さんたちの姿だ。良かった、まだ間に合う――え?
『よくわかった。おまえは危険だ、笠宮鈴理!』
『ああ――』
力なく腕を下ろし。
血だまりで膝をつく姿に。
「未知!」
「っええ、合体魔法!」
外とシンクロして、咄嗟に、唱えた。
「『【闇女王の瑠璃茨】』」
レイピアが姿見を突き、鏡の向こうに瑠璃色の茨を出現させる。
茨は瞬時に網のように連なると、けたたましい音と共に白銀の棍棒を受け止めた。
「私の大事な生徒を傷つけるのなら、相応に報いを受けて貰うわ」
「――あら、いい顔ね、未知。良いわ、最大限に力を貸してあげる。蹂躙なさい、未知!」
“外”の私と“中”の私は、きっと同じ表情をしているのだろう。
鏡の向こうに立つオズワルドを、生ゴミでも見るように見下ろしながら、私は、私たちは鏡を潜る。
ただ己の内側を土足で踏み荒らした“羽虫”を、駆除するために――。
――/――
――ダンッ
「【闇女王の瑠璃茨】」
わたしの正面に展開された“茨の盾”が、オズワルドの棍を受け止めた。
響いた声。狼狽した表情のオズワルド。痛む身体。軋む胸。その全てを置き去りにしてしまうような“高貴”さを秘めた美女が、どこからともなく舞い降りる。
「なんだ、貴様は……!? いや、どこかでSeeしたような気も?」
下がりながら、首を傾げるオズワルド。
そんなオズワルドの一切を無視して、高貴な美女はわたしに手を翳す。すると、百合の花弁がわたしに舞い落ちて、身体を蝕んでいた痛みと血を失ったことへの吐き気や頭痛が消え去る。
そして美女は――天に翳すように手を掲げ、艶やかに豊満な肉体を指でなぞった。あわわわわ。
「暗き世界に悪の満ちる時」
――胸元ぱっくりのドレスをなぞる指。
「闇夜に満ちる艶美の百合茨」
――紫色のツインテールと、夜明けのような瑠璃色の瞳。
「黒百合の魔法少女、ヴァイオレット★ラピ」
――かつんと鳴らすヒール。ぱつんっと溢れ出しそうなガータースト。
「さぁ、魔女の茨に溺れなさい」
――百合の花のような黒いドレスを身に纏った師匠は、そう、オズワルドを見下した。
静まりかえる大広間。
最初に動いたのは、オズワルドでも師匠でもなく――静音ちゃん、だった。
「ばかぁっ!!」
――ぺちんっ
振られた手。
震える指先は、わたしの頬を小さく叩く。
「み、身代わりに鈴理が死んで助かったって嬉しくない! す、鈴理が、鈴理が命を落としてまで、助かりたくなんかない! う、うれしくなんか、ひぐ、ない、よ。しのうなんて、しないでぇ……うぅあ、あああああああぁっ」
「ごめんね、ごめん、ごめんなさい、静音ちゃん」
「たす、たすけてくれて、あ、ありがとう。でも、で、でも、もう、絶対、あんなことはしないで……うぅ、うぇっ、うぁぁぁあぁ」
わたしの身体に縋り付きながら、大粒の涙をこぼす静音ちゃんを、抱きしめる。
そうだ、そうだよ、友達をこんな風にしてまで、なにが“どんなものを代償にしてでも”だ。そんなの、そんなの――わたしがただ、みんなで助かる方法を、諦めただけじゃないか。
は、はは……こんなの、怒られて、当然だ。
「ごめんね、うぅ、うぁ、ごめんね、静音ちゃん、ごめんね、ひぐ、ごめんねっ」
「鈴理、うぇ、生きてて、良かった、ぁ。しんじゃうかと、思った、うぁぁぁっ」
涙を流して縋りあう。
そんなわたしにポチが寄り添い、ぼろぼろの夢ちゃんとリュシーちゃんが抱きしめ、フィーちゃんが涙を拭いながら頭を撫でてくれて、ゼノが盾になるように立っていて、レイル先生が心配そうに見ていてくれる。
ああ、本当に――生きていて、よかった。
「異端者同士でなれ合いか?」
「花の美しさも理解せず、泥の汚れだけを気にするの? 水面を見なさい。浅ましき己の顔に嘲笑われるといい」
「……AngelのHeartなど、異端者の君がUnderstandingし得るとも思えない。浅ましさはどちらなのか、神の元に召された時にでも深く考えると良い。聖人も悩むモノを、地獄の門へ急かしたりはしないさ」
「やはりあなたは汚泥に過ぎない。泥土から芽を出す花の尊さもわからないのなら、泥濘に微睡み朽ちるが良い」
「……い、いまいち何を言っているのかはわからないが、言い負かされた気がする?!」
……と、ふと。
なぜオズワルドは、こうして固まっているわたしたちを攻撃しないのだろう。そう思って顔を上げてみると、師匠に口で言い負かされて怯む、オズワルドの姿があった。
そういえば今日の師匠は、一段とせくしぃだ。
「【裁キノ刻限】」
「まぁいい。JudgementのTimeだ――神の元へ召されるが良い!」
白銀の棍棒を油断なく構えるオズワルド。
そんな彼を前に見据え、振り向かずに告げる師匠の言葉は、わたしたちに向けられていた。
「我が黒百合に集いし眷属、鈴理、ポチ、以下その絆を抱きし者たちよ」
「黒百合に集いし眷属! 師匠、それすごく格好良いです!」
「眷属の一、“倫理の鈴”の鈴理か――その眼を瞠り、余すことなく魂壁に刻みつけよ。この決戦に得られるモノなど無かったなどという戯れ言が妾の耳に届くのであれば、茨を抱いて愛欲に溺れましょうよ。フフッ」
あわ、あわわわ、あわわわわ。
ヤミラピのときにはない、圧倒的な大人の魅力! レイル先生だけは真っ白になっているけれど、その他みんなはわたしも含めて、なんだか色々想像しちゃって。顔が真っ赤だ。
えーっと“倫理の鈴”か。今度からそう名乗ろうっと。
「鈴理、あんたそれ……いや、良いわ。傷は大丈夫なの?」
「うん……その、夢ちゃん。ううん、みんなも。心配掛けて、ごめんね」
「ま、今回は肝を冷やしたけど、言いたいことは静音が言ってくれたから良いわ」
「あ、あぅ」
未だ、わたしに抱きついたままの静音ちゃんの頭を撫でる。
どうやら極度の緊張と、師匠が来たことの安心で、この体勢から動けなくなってしまったようだ。恥ずかしそうにわたしの制服に顔を埋めて隠れる静音ちゃんは、かわいい。
でも、不思議だ。まだオズワルドは倒れていない。踏み込もうとしては後ずさり、慎重に見極めようとしている。焦燥はあるかもしれないが、片翼以外は依然として無傷だ。状況は、多くが変わったわけではない。
ただ、師匠が来ただけ。
わたしの尊敬する、憧れの魔法少女が来てくれた、それだけ。
「――エスコートをしてくれるかと思えば、興ざめね。妾の舞踏に倣えぬのなら、三箇条を置いて帰るが良いわ」
なのに。
「くっ――戯れ言を!!」
ぜんぜん、負ける気がしない!




