そのにじゅういち
――21――
――沖縄異界上空千メートル
雲の上。
黄昏時、茜色に染まる空と橙色の太陽に照らされながら、老人はモニターを眺める。
「ほっほっほっ、無駄なことをなさる。異端の力では、坊ちゃんの籠は抜け出せませんぞ」
老人が眺めているのは、己の主――フィリップが作り出した鳥籠の様子だ。
異変があれば報告するように。そう厳命されていた老人は、鳥籠を抜け出そうと奮起する未知とポチの姿を、楽しげに鑑賞している。
上位天使の作り出した結界ともいえる鳥籠は、人間の手に負えるものではない。だがもし万が一、なんらかの手段で破壊し出て来るのであれば、報告後にすぐさま対処に向かう。老人がここで見張っている限り、未知たちが抜け出すことは不可能だ。
「それにしても、悪魔の手を借りようなどとは、感心いたしませんな。契約し飼い慣らそうと悪魔は悪魔。坊ちゃんとの未来のためにも、異端者の排除が終了次第、あの悪魔はこのじいめが片付けておかなくてはなりませんな」
得意げに頷きながらも、彼の視線はモニターから動かない。
抜け出せなくて“自棄”でも起こされたら、フィリップが悲しんでしまうことだろう。そうなれば、彼としても“困って”しまう。
「その時は、ええと、これでしたな」
そう、彼が懐から取り出したのは、“鍵”だった。
アンティーク調の黄金の鍵。これを空中に差し込めば、未知のいる階層まで渡る亀裂が、空に生まれる。そこを辿れば、“自棄”を起こされても直ぐに対応が出来る。
だからこそ、彼は悠長にモニターを眺めていられた。どんな状況にも対応できる。ならば、モニターに映り込む未知の必死の表情も、生徒の未来を案じて噛みしめ、血の滲む唇も、格子に叩きつけてあざになった拳も――等しく、“どうとでもなる娯楽”にすぎないのだから。
「ああ、ですが、お優しい坊ちゃんが気に成される前に、治療はしておかないとなりませんか。坊ちゃんのことです、直ぐに終えることでしょう。そろそろじいめも、移動をしなくてはなりませんね」
そう、老人は空中に“鍵”を差し込もうと、腕を上げようとして。
「おや? ――じいめの“腕”は、いずこに?」
肘から先が消失した己の腕に、首を傾げた。
「お探しモノは、これかしら?」
「むむ、どなたか存じませんが、余所様の腕を盗むとは感心しませんな」
声のする方向に振り向いて、老人は小さく眉根を寄せる。
だが痛がるそぶりも、腕から血を流す姿さえもない。なんの動揺もなく、声の主を咎めてみせる。
「盗む? やめてくださいな。無防備に投げ出しておられるのですもの。私に献上するつもりだったのでしょう? みなまで言わなくても良いわ」
ゴシック調の日傘と、黒い水着に身を包んだ、紫の髪の少女。
――リリーはそう、老人の腕から黄金の鍵を抜き取りながら、微笑んだ。
「あなた、“クリスタル・ドール”ね? 遠方から術者が操っているのかしら」
「ほっほっほっ、良い出来ですかな」
「寂しい一人遊びを評価する気は無いわ。それよりも、ねぇ――」
老人の姿に焦りはない。
声に抑揚はなく、息づかいも聞こえない。
そしてなによりも――その腕の断面は、水晶のようだった。
「――闇は光を呑むの。どう? あなたのご主人様とやらに。連絡が付かないでしょう?」
「……なるほど。貴女の仕業でしたか。ふむ。であれば仕方がありません。このじいめの手で、その命をいただきましょう」
「へぇ? 手で、ねぇ? ――痛覚がないって、不便ね」
「ぬ? こ、れは」
僅かに狼狽を見せる老人。
それも、いた仕方のないことだろう。彼の残っていたはずの手も両足も、ひしゃげてなくなっているのだから。
「あまりあなたに構ってあげる時間は無いの。ごめんなさいね? 【闇王の悪戯】」
リリーがそう、指を弾くと、老人の身体が捻れていく。
「ぬぉおおおお?!」
「さようなら。お人形さん?」
そして。
「坊ちゃん――」
老人は、ばらばらにひしゃげて砕け散った。
「さて、ええっと、空に差し込めば良いのかしら? ああ、でも移動する前に、鈴理の方にも誰か向かわせる必要があるのかしらね」
リリーはもう、顧みない。
ただ黒い翼をはためかせながら、海の上を飛び去った。
――/――
「【速攻術式・切断・術式設定・圧縮・短縮詠唱・十二・展開】!」
一度の斬撃に十二回分の力が充填される。
その魔導術は現象となって、鳥籠を切りつけた――が、鳥籠に、変化はない。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
『狼雅“ブレス=オブ=ロア”……ちっ、やはり難しいか』
オズワルドを見送って、既に一時間以上経ってしまっている。
けれど、どんな力を使おうとも、鳥籠は揺れることすらなかった。
『変身し、五秒以内に攻撃をして、戻るというのはどうだ?』
「万全を期すためなら、威力を込めて攻撃しないとならない……そのためには、五秒は、可愛いポーズで溜めたいわ」
『……と、いえば、変身中の時間は換算されないのか?』
「如何なる存在であろうとも、変身の邪魔は出来ないわ」
『なるほど』
試しに、五秒以内にステッキを取り出し、殴りつけ、戻すというのは試した。
だがやはり、素の私が振っても大した威力にはならない。まだ、魔導術を全力で撃った方が威力はある。
「ポチ、“完全解放”でも難しい?」
『うむ。所詮、力の相性が悪すぎる。避けて、攻撃をし、削るというのならまだしも、壊されないように作られた“天力”の結晶を、妖力で打ち砕くくらいであったら、魔導とやらの方がよほど効率が良いだろう』
そっか……。
いやでも、ここでポチを消耗させるくらいだったら完全解放した方が良いのかな? いや、それで下手に異界を刺激する方がまずいのか。
「なんにせよ、自分の力で行わなければならない、ということね」
『やれることを重ねるしかないだろうな』
「なら……いえ、待って――ポチ!」
魔力を練りながら対策を練っていた、そのとき。
ポチの身体が淡く輝いていることに気がつく。この、粒子のような輝きは、そういえば――!
「“狼王の笛”!」
『鈴理に預けた、犬笛か!』
万が一の時のために。
そう、ポチが提案して預けた犬笛は、ポチ自身もスッカリ忘れていたほどマイナーなアイテムだ。特定の狼魔獣のみに聞こえる笛で、吹けばその魔獣、もしくは眷属を召喚させられる。
試験ではあるのだし、眷属召喚は出来るようにするために渡した笛だ。このくらいは持たせておかないと、リスクの高い霊魔力同調を使用しかねない。守るためだったら後を顧みない子だからね。
それが、まさか活路になろうとは――!
「魔導術で繋がりを強化するわ。ポチ自身が跳んでちょうだい!」
『うむ、頼んだぞ、ボス!』
「【速攻術式・接続干渉・術式設定・縁故強化・短縮詠唱・十二倍・展開】!!」
ポチの足下に、六芒星の魔導陣が浮かび上がる。
その力は、限定的な空間転移。これほど強固な守りを無理矢理抜けさせれば、犬笛は砕けることだろうが――この一回を耐えてくれたら、それでいい!
「行って!」
『ワンッ!』
ポチが、光芒と共に掻き消える。
「成功、した」
ポチとの繋がりは感じ取ることが出来る。
あの存在相手に不利ではあるだろうが、不利を覆して、勝てない戦いならば引き延ばすことも可能な熟練の戦士だ。鈴理さんたちのことも、十二分に守ってくれることだろう。
あとは……私が、ここから抜け出さないと。このままでは、救助どころか、足を引っ張る人質になってしまう。
どうにかして、この鳥籠を破らないと――!
そう、決意してどの程度時間が経ったのか。
手を尽くして、魔導術を展開するが……芳しい効果は得られないまま、時間だけが過ぎていく。
「【速攻術式・穿転衝撃砲】」
六芒星の魔導陣を砲身に。
「【術式設定・圧縮】」
力を圧縮して、強く込め。
「【短縮詠唱・十二・展開】!!」
青色の砲撃が、鳥籠を揺らす。
――けれど、これでもなお、ぐらぐらと揺らすことで精一杯だった。
「これでも、だめなんて」
力不足に、落胆が抑えられない。
変身に頼り過ぎて鍛錬を怠ったりはしない。むしろ、変身なんて今後一切しなくても良いようにするために、日々、研鑽を積み重ねてきた。
だというのに、肝心な時に、私は届かない。
「とにかく、もう一回――」
「もう一回、どうするの?」
「――え?」
かけられた声に、顔を上げる。
水晶で照らされた海底洞窟。岩場に腰掛け、海水に足を入れて水遊びをしている、少女のシルエット。紫の髪を編み込んで――リリーは、水着姿でそこにいた。
「えっ、ええっ」
「未知は待っていて、なんていっていたけれど、やっぱり暇だから来ちゃった。ところでなんで、天使の檻になんているの?」
きょとんと首を傾げながら、リリーはそう言い放つ。
ええっと……まず、どうやって?
「どうって……貴女の場所に転移する鍵を持ったモノが、雲の上でのぞき見をしていたから、ばらばらにして貰ってきたのよ」
「ば、ばらばら? それって、まさか」
「死ぬ死なないの話ではないわ。アレは人形ね。天使の寂しい一人遊びよ」
人形? 一人遊び?
いえ、でもリリーが殺してはいないというのであれば信じよう。それよりも、確認しなければならないことがある。
「リリーならこの籠、破れるかしら?」
「未知ごとなら破壊できるけれど……そんなの嫌よ?」
「そ、そっかぁ……」
破壊は出来るんだね……。
でも流石に、私ごと破壊させるわけにはいかないからなぁ。
「で、どうして天使の檻にいるの? 天使のペットになったというのなら、その天使をばらばらにしに行くところだけど……」
「で、できるの?!」
「上位天使なら、まぁ、異界ごとなら」
「それは、困るかなぁ」
上位天使……。上位天使相手だと、そうなるのか……。
リリーがどうこうしたいのであれば、基本的に周辺領域ごとの攻撃になるのか。西之島異界のような特別丈夫な異界でも無い限り、環境破壊どころではないんだね……。
もしこの異界が崩れたら、被害は周辺の人間含めて数千、いや、場合によっては数万人に及ぶ。さすがに、その方法をとる訳にはいかない。
「どうにか出てきて遊びましょうよ。シゴト、早く終われば遊んでくれるのでしょう? さっさと終わらせて行きましょう?」
「そうね、そうしたいところなのだけれど――鈴理さんたちを、天使の手から救出しないと」
「ああ、人形がのぞき見していた映像にもあったわね。レイルには伝えておいたわよ? さっさと助けに行きなさいよ変態、って」
「ロードレイス先生に?! あ、ありがとう、リリー」
「ふふ、もっと感謝をしても良いのよ?」
ロードレイス先生なら、ただの異能者よりもはるかに天力に対して立ち向かえることだろう。ありがたい人選だ。これで、ポチもいるから戦力の増強としては非常に助かる。
あとは私がここを抜け出して、せめて人質扱いはされないようにしたい。
「ねぇ未知、ここの魔物と遊んでいても良いかしら?」
「中層フロアボス……グランドクラーケンね。ええ、その、ほどほどにね?」
「任せてちょうだいな」
半透明の黒い膜で身体を覆い、水の中に飛び込んでいくリリー。
そんなリリーの姿を見送りながら、考える。ポチを見送った後も、けっこう時間が経ってしまった。それでもまだ天使の力で生み出されたこの籠が破壊されていないということは、まだ、オズワルドは打倒されていないのだろう。こういった結界は、本人の打倒で供給が切れる。
魔導術師としての私では足らない。魔法少女としての私では異界から弾かれる。魔導術師でも魔法少女でもない私なんて、そんな。
「あははははっ、まだ再生するのね! 私、イカ焼きって食べてみたかったの。焼かれに来て下さるかしら? ダイオウイカさん?」
『キュキェエエエエエエエエエエエ?!』
「なにそれ? 新しい踊り? 良いわ、踊ることを許してあげるわ!」
クラーケンをちぎっては投げ、叩いては引き離しと“遊ぶ”リリー。
水の中から引っ張り上げられたクラーケンは、圧倒的な強者に対して困惑しているようにも見える。彼女ほどの力を魔導術に応用できれば、いっそここも破れそう。
ヤミラピも強力ではあるけれど、結局“魔法少女としての私”である以上、弾かれてしまうだろうしね。
そう、“私”である限りは――
『キュウウウッ!!』
――ん?
「あはははっ」
あれ。
『キュェエエエエエエ!?』
そういえば。
「あ」
そうか。
魔導術師でも、魔法少女でも――“私”でも、なかったら?
「リリー!」
「あはははは、ん? 呼んだかしら?」
「ええ、ちょっと良い?」
「ふふ――命拾いしたわね? あなた」
『キュェェ……』
リリーを呼び戻すと、クラーケンは力なく底へ戻っていった。
その姿に苦笑しながら、私は深呼吸をして覚悟を決める。“どうなるかまったくわからないけれどまず碌なコトにならない”ことをするには、それはもう、勇気が要る。
けれど、だからといって、うだうだと躊躇っている暇はない。
だって、もう。
「ね、リリー」
「なにかしら?」
これしかない。
「すぅ、はぁ――キスしても、いい?」
「もちろ――えっ」
こ れ し か な い の だ か ら ! !




