そのじゅうご
――15――
一面に広がる砂浜と、そこかしこにある水たまり。
珊瑚のような草木と、色とりどりの貝殻のような岩場。
見渡す限り区切りがないように見える空間の先は、陽炎のように揺らめいている。
そして、なにより。
「あれ、水面?」
「みたいね……」
わたしたちの頭上。
そこには空ではなく水面があり、さらにその上では魚が泳いでいる。海の箱に入ってしまったようだ。そんな感想が、唐突に浮かんだ。
見回せば、みんなも目を輝かせて水面を見上げている。そうだよね、異界はどこも綺麗でもこわい。けれどここは、澄んでいる。
「――これは、未知先生に聞いたんだけどさ。この異界の元になった悪魔は、善悪のある存在じゃなかったんだってさ」
そんな、わたしの疑問に答えるように告げる夢ちゃんに、首を傾げる。
「眠っていた魔竜を他の悪魔が召喚して、暴れて手が付けられなくなったんだって。それでやり過ぎるくらい召喚した悪魔をとっちめて魔界に送り返そうとしたら、なんというか、悪ではないけれど善ではなかったようで大暴れしたから仕方なく討伐せざるを得ない状況になったらしいのよ」
討伐せざるを得ない状況。
――被害が出て、退くわけにはいかなくなっちゃった、とかかな。
「だから、この異界にも善悪はないんだって。罠や階層主も、ほとんど自然現象のような作りらしいよ」
「あ、だからさっきの――最下層に行った人も、そこの主には出会えなかったっていうのは」
「そう。積極的に襲いかかっては来ないみたい。まぁ、この手の大規模異界は、放置しておくと中身が溢れるから、こうやって潜る必要があるんだけどね」
そう、結局のところ、戦って乗り越えないとならないものなのには違いない。
でも、ある意味ではだからこそ、周囲に観光ホテルなんかが建ち並ぶ気安さがあるのかも知れないけれどね。
「さ、進むわよ。なにせ異界。実際の大きさで見ても広いのに、中は更に広いとかいう訳のわからない空間構造なんだから。二週間が時間制限だけど、目標は十日よ」
「と、十日もお風呂に入れないのかな。が、頑張ろう」
「一応セーフティエリアはあるから、そこで水浴びね。私も嫌よ、十日もなんて」
「ははは、確かに嫌だね」
最悪、干渉制御で浄化かな……。
うんでも、お風呂に入れないのは辛いよね。わたしも寄生虫が……って、これはもういいか。
「基本配置は、中央に静音、後衛に私、右に鈴理、左にリュシー、前衛にフィー。フィーが厳しいようだったら、リュシーが前に出て鈴理が静音の護衛。状況によっては逆も然り。私は常に援護と指示だしをしながら後方で殿を守るわ」
「夢、中距離からの敵はどう対処する?」
「前衛を鈴理とリュシーに入れ替えて、フィーが静音の護衛ね。人目がなかったら、静音の護衛はゼノに任せる手もあるわね」
「承知した。随時指示をくれ」
「オーケー。フィーの突破力、期待してるわよ」
「ふっ、任せておけ」
作戦を決めると、陣形どおりに移動を開始。
周囲の監視は主にリュシーちゃんと夢ちゃんが勤めながら移動、なのだけれど、見晴らしが良いのでそんなにしっかり監視する必要があるのかな?
そう考えていると、夢ちゃんの纏う空気が戦いのモノへ切り替わるのに気がつく。えっ、どこから?
「前方砂浜、ビッグクラブ三体! 足音に反応して出てくるわよ!」
「足音……そっか、なるほど!」
砂浜からもぞもぞと出って来たのは、大きなはさみを鳴らす、成人男性の身長ほどはありそうな蟹。うひゃあ、強そう。
「まずは私が牽制するわ! 【三連・展開】!」
夢ちゃんの放った弾丸が、空を切って蟹の頭部に向かう。
セオリーに従うなら、フィーちゃんが直ぐに動いて前衛で――
「は?」
――と、思わず声が届く。
『ギィイィ……――』
悲鳴のようなモノを上げて沈黙する、三体の蟹。
まるで紙で出来ているかのように易々と蟹の甲殻を貫いた鏃は、そのまま貫通して砂浜に埋まり、土煙を上げていた。
「え、ええっとね? 頭部を狙ったのは、弱点を守る役割を持つ頭部を攻撃することで強度のほどを確認するため、だったんだけどさ」
「貫通して消えていったね、矢」
ええっと、うーん、つまり弱い敵に遭遇したってコトだよね!
「まぁ、検証も兼ねて進みましょう。時間は有限。行くわよ、みんな」
夢ちゃんの言葉に頷いて、再び歩き出す。
気が緩みそうになるのを抑制するのは、緊張状態を続けるよりも大変なんだって知らなかったなぁ。
「次。頭上からソラトビウオ。数は四! リュシー」
「任せて。【起動】!」
まずは牽制。
リュシーちゃんがショットガンタイプの異能銃を撃ち放つ。すると、ソラトビウオは穴だらけになって消滅した。
「き、消えてしまったがどうしようか? ユメ」
「あー……作戦変更するわ。どうやらこの階層の敵は、そもそもそんなに強くないみたいね。作戦名は“マラソン”。駆け抜けるわよ!」
「あ、ああ。その方が良さそうだね」
全員で身体強化&霊力肉体強化。
同時に持続術式が得意なわたしが、カフスで全員に状況が解るように接続した探知結界を展開。ひたすら走り抜くのであれば、この方が断然有利だ。
「キツくなったら報告! なにか気づいたら連絡! 気になったら相談! ほうれんそうで行くわよ! みんな!」
夢ちゃんの言葉に、声を上げて頷く。
それから、わたしたちは一斉に走り出した。
――ざっざっざっざっ。
――たったったったっ。
足音が砂浜に響く。
第一階層の面積は、確認されているだけで関東全域とほぼ同等。誰にもすれ違うことなく走り、ただ、出現した魔物だけを狩っていく。
「――フィー、蟹が一体。強化で踏みつぶして」
「承知」
「――鈴理。そっちからイソギンチャクモが来てるけど、追いつけないわ。無視して」
「うん!」
「――リュシー、ソラトビウオとカットビアジの編隊よ。打ち落として」
「了解」
「――静音。二時の方向三十メートル先、三秒後に砂の声」
「う、うん」
「――後方から追いかけてくるイワイワシは私が撃墜する」
夢ちゃんがさくさくと指示をくれるので、わたしたちもずいぶんと楽だ。
ただ無心に走れば、それだけ目的地に着くことは早くなる。敵が弱くてもだだっぴろい第一階層は、運が悪ければ探知を駆使してマッピングしても、攻略に三日かかる。
だというのに、探知+予知+推理+高速移動を駆使して走り回っていると、驚くほど早くマッピングが進んだ。
そして。
「次の階層へのトンネルよ! 全員手を繋いで。そのまま飛び込むわ!」
スタートから三時間。
わたしたちは、何分の一かもわからない好ペースで第二階層へ至ることが出来た。
「ひゃあああっ」
「くっ、風が冷たいな!」
大きな洞へジャンプ。
身体が重力に引かれて落ちていく。
やがて、水滴のようなものを頬に受け、思わず目を瞑ると――肌で感じる空気が、変化した。まるで、水の膜を通り抜けて、新たな地に降り立ったかのような。
「総員、着地!」
「ひゃいっ」
体制を整えて、なんとか降り立つ。
下はやはり砂浜なのだが、今度は足首までは水に浸かっていた。
「これは……湿原、かしら。湿地帯ね」
「ユメ、薄暗いのも湿地のせいかな?」
「き、霧が出てる」
綺麗で澄んだ砂浜から一変。
第二階層は、じめじめとした湿地帯で、足首まで浸る水と藻が居心地を悪くする。深みにはまると抜け出せないような、転ぶと起き上がってこられないような、そんな不快感。
「さて、今度こそ通常陣形。進むわよ」
夢ちゃんの指示に頷いて、静音ちゃんを中心に囲む。
わたしが右側。左目に天眼を持つリュシーちゃんが左側。フィーちゃんが前で、夢ちゃんが後ろ。
「早速前方。敵性情報、沼リザードマン!」
『キィェエエエエッ!!』
「牽制行くわよ、【展開】!」
『ギャウッ?!』
夢ちゃんの狙撃が、灰色の蜥蜴人間を貫く。
けれど盾に防がれたせいで軌道がズレて、頭を貫くことはできなかった。でも、盾を持つ手を奪えたのであれば。
「潰れろ、ミョルニル!」
『ギャウウッ!?』
フィーちゃんのハンマーが、蜥蜴人間を叩き潰す。
その身体は硬質な牙を残して、直ぐに異界に吸収されていった。
「やっぱり、上よりは手応えがあるわね。よし、進みながら拠点になりそうな岩場なんかを探しましょう。行くわよ、行動再開」
「そっか、この地面で休めないもんね。うん!」
ぱしゃぱしゃと水音がする。
こちらの位置を教えているようなモノだけれど、こんなところで気配遮断をかけていたら魔力が持たない。
「しかし、現地調達は難しいかも知れないわね、食料」
「そっか、そうだよね。リザードマンはちょっとなぁ」
人の形をしたものを食べるのは勇気が要る。というか、たぶん、食欲はわかない。
持ってきた食料は、重量制限ギリギリで十日分。期限の二週間分には足りないしね。次の階層で食べられるものであれば良いんだけど……。
「ゆ、夢、次の階層なら?」
「次はなんでも、釣りが出来るらしいわ」
「釣り?」
釣りかぁ。
保存の利く保存食は後に回したい。だったら、釣りが出来るエリアでは釣りで食料をまかないたいのが本音だ。いざというときに、衣服に仕込んだチョコレートで生き存えられる。そんな場合だってあるのだから。
「見渡す限りどころか、探知結界にも岩場が映り込まないのは痛いわね」
「魔力がもったいないけど、作る? 岩場」
「最悪ね。一応、もう少し探してみよう」
そうだよね……。
探知結果に障害物がひっかかる様子もない。ということは、この見渡す限りの異界の全てが、平坦な道のりであるということだ。もちろん、水場以外の場所があればそれでも良いんだけど……無さそうな様子だしなぁ。
「す、進むしか無さそう、だね」
静音ちゃんの言葉に、頷いて答える。
どこか息苦しいような二階層。それでも、わたしたちは警戒を胸に進むしかなかった。




