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そのじゅう

――10――




 それから。

 前世でも懐かしい“普通の修学旅行”の一日目は、瞬く間に過ぎていった。とくになんの問題も障害もなく終えられたことは嬉しいけれど、油断は出来ない。なんといってもこのところ、“厄介事”への遭遇率が高すぎるのだから。

 生徒たちへの点呼を終え、簡単な職員会議も終了すると、ようやくホテルの自室に戻ることが出来た。


「――ただいま、リリー、ポチ」

「あら、おかえりなさい、未知」

『ふむ、思いの外グロッキーだな、ボス』


 ホテルの一室。

 最終日まで借りることになる和室の、畳の上でくつろぐ少女。リリーと、その向かいにはお腹を出して転がるポチの姿があった。流石に女子トークもしたいことだろう、と、ポチは私が部屋に置くことにした。

 護衛という意味では最高なんだけどね。


「明日こそは海で一緒に遊べるのよね?」

「ええ。瀬戸先生……他のひとたちにも許可をいただいているわ」

「ふふ、そうこなくてはつまらないわ。ポチ、あなたも私たちと遊ぶ栄誉を許してあげるわ」

『是非もなし』


 リリーに楽しげに抱き上げられて、抑揚に頷くポチ。そんなポチに微笑むリリーは、外見の年齢相応に可愛らしい。


「ねぇ未知、沖縄料理というモノも悪くないわね。明日は何が食べられるのかしら?」

「サーターアンダギーでも、一緒に食べようか? カップケーキを揚げたようなお菓子よ」

「まぁ! 珍しいわね。母さまにも食べさせてあげたいわ」

「物は送ることが出来ないのかな? 最初は、食べ物以外で試してみる、とか」

「あら、良い発想ね。ポチ、行ってみる?」

『今は同胞の守護に忙しい。手紙から試してみては如何か?』

「良いわね。鈴理を最低でも豚父さまレベルにまで鍛え上げるまでは、ポチは連れて行けそうにないものね。それで行きましょうか」


 最低でも旧魔統王レベルまで鍛え上げられたら、鈴理さん、凄いことになってしまうのでは? それってたぶん、獅堂レベルまで強くなるということよね?

 ……うーん、安心、なのかなぁ? 夢さんが泣いてしまいそうだけれど。


「母さまとはいつも水晶越しで声のみ。いつか、お目にかかりたいわ」

『それはそれは美しい方だぞ。薄桃色の長い髪に真紅の捻れた羊角、血のように朱い瞳。顔立ちは天使なんぞよりもよほど美しく、黒い翼と黒い尾は妖艶だ。なるほど、あれを艶美と称すのかと、感じ入った物よ』


 あれ? ポチのこの口ぶりかすると、ひょっとして?


「ちょっとポチ! あなた、母さまにお目にかかったことがあるの?」

『うむ。当時一億の魔狼を率いる長として、女王殿には目通り叶ったことがある。魔水晶に豊満な肢体を放り投げ、嫋やかに微笑む容貌はまさしく艶然と、蕩けるようですらあった。一見に価値ありと思いはしたがこの好機、言わずともおれんと番いに申し出たが、狼の子は産めんと一笑にされたわ。はっはっはっ』


 えっ、結婚を申し出たということ? なんだか所々に聞き捨てならないこともあったような気がするけれど、やっぱりこう、乙女としては気になるロマンスだ。

 気がつけばリリーも目を輝かせて、ポチに続きを早くと促している。ラブロマンスを語る喋る子犬という画のシュールさには、とりあえず言及いたしません。


『うむ、如何に痴女と振る舞おうと、ボスも乙女ということか。いや、最初から少女と告げていたな。うむうむ、では、要望にはできる限り答えよう。それぞ、誠の忠義を抱くペットの役目なれば、な』


 おっと危ない、思わずステッキを呼び出してしばくところだったわ。まったく、誰が痴女よ。誰が。私だって好きで痴女みたいに振る舞っているわけでも、少女と名乗っているわけでもないんだからね!

 ……と、危ない危ない。落ち着こう。ポチのペースに乗せられると、帰ってこられなくなるし。


『そう、あれは未だ我が魔狼の長、迅風のフェンリルと呼ばれていた時のことだ――』

















――before――




 魔力を含み、常なる魔人であれば寄り添うだけで発狂するとまで言われる極限水準の高濃度魔水晶は、怪しく紫に輝いている。魔水晶の洞窟、あるいはそう、伝え聞く名を――魔晶宮殿“パンデモニウム”といったか。

 魔界の泥を嗅ぎ分け駆け抜け、神すら食い殺すと畏れられた我が魔狼の精鋭ですら、宮殿の前で傅くことしか許されぬ。


『スコル、ハティ。おまえたちは群れを見ておれ。我は征こう』

『はっ、身命に変えても』

『うむ』


 気狂いの蝙蝠を退け。

 水晶の刃をかみ砕き。

 魔毒の沼を飲み干し。

 竜の獄炎を払い退け。


 玉座の先に、艶然たる女帝は微睡んでいた。


「――猛々しいわ。女の寝床に入るのであれば、花の一輪でもあっても良くてよ」


 その瑞々しい果実のような口唇より紡がれるのは、如何なる美麗なる音を導く琴であっても、奏でることは出来ないであろう濡れた音。知らず、胸の裡がざわめいた。


『不作法者である故、許せ。なに、望みとあればその白磁が如き柔肌に、余すことなく花弁を散らそう』

「あら、おそろしい。むき出しの牙でなぞられたら、私の花など直ぐに散ってしまうわ」

『試してみるか? なに、花心を毟って占うよりも、よほど夢見心地に花蜜に溺れられようぞ』


 揺蕩たゆたうような微笑みに、揺れる心を押しとどめると、不思議と心地は高揚に彩られる。なんという暁光か、これこそが我が番いに相応しいと、そう言わずになんと言うか。


「良いわ。昂ぶらせてくれたら、組み敷くことを許しましょう」

『その案には共感を得る。どれ、我が牙に屈することをお望みとは、とんだ艶女よ』


 踏み出す前足に刃のような風が渦巻き。

 踏み出す足に水晶の茨が冷たく吹雪き。




「ふふ、よく吠えたわね――犬」

『ふむ、鳴かせてやろう――女』




 悪性の嵐が、鮮やかな水晶宮を荒れ狂った。

















――after――




『と、このようにして彼の女王、リズウィエアル・ウィル・クーエルオルトとは幾度となく牙を交え、口説き、袖にされたという訳だ。はっはっはっ』

「えぇー、結局、母さまはポチの何が無理だったのよ?」

『犬は無理、としか聞いておらんな』

「それだけなのー?」


 それだけ、というか、それが最大にして唯一だと思うよ? リリー……。


「その、ポチは人化しようとは思わなかったの?」

『フッ……考えてみろ。ボス、今まで二本足で生きてきて、四足で生きられると思うか?』


 格好良く溜めたと思ったら、それなんだね……。

 気持ちはわかるけれどね。なんとなく、ポチが群れの長として強く振る舞っていたから、狼の王であることを止めようとはしなかったんだろうなぁ、とも、伝わってくる。


「良いわね、ラブロマンス! やっぱり憧れちゃうわ。ねぇ、未知?」

「ふふ、そうね。恋、かぁ」

「あら、レディのサインを見逃すとはあんまりではないかしら?」


 リリーはそう、私に艶然と微笑む。

 その深く怪しい笑みは、ポチの昔話に聞いた魔王の姿を思い起こさせて、思わず生唾を呑み込んだ。


「ほら、ポチも期待しているわよ? 私と未知がどうなってしまうのか、ねぇ?」

『否定はしない』

「いや、否定して!?」


 じりじりとにじり寄るリリーに、思わず後ずさる。

 恍惚に潤んだ瞳は、年不相応に、甘く薫るようだった。白い指がつぅとリリー自身の唇をなぞると、つい、その動きに目を遣ってしまう。


『うむ、さすがはボスだ。さすボス』

「どこで覚えてくるのよそういう言葉! って、流石ってなにが?」

「もう、未知ったら。よそ見をしてはだめよ?」


 まずい、なんというか、まずい。

 このままでは流されかねない?!


『幾人もの男女に言い寄られていよう? 故にさすボス』

「――ちょっと未知、どういうことかしら? 私の初デートまでおいしくいただいておきながら?」

「火に油?!」


 そりゃ、余裕が生まれて恋について、あるいは向けられている好意に対して真剣に向き合おうとは決めたよ。けれど、なんというか、経験値が低すぎて対応し切れていないのが本音だ。

 だからそんな、ラブロマンスを期待するような目で……え、期待?


「……リリー、からかったわね?」

「――あら、もうわかったの? つまらないわね。まぁ、他にラブロマンスがあっても構わないと言うだけの話だけれどね。略奪するから」

「それは、だけって、言わないっ」


 なんだろう、妖しさこそなくなったけれど、からかう色は消えていない。

 あくまでからかい通すつもりなんだね? もう!


「まずは、女の子から行きましょうか? 鈴理のことはどう思っているの?」

「大事な教え子で、弟子よ。守ってあげたいとも思っているわね」

「じゃあ夢は?」

「暴走しがちだから心配だわ、もう少し、落ち着いてくれたら良いのだけれど」

「アリュシカ」

「生徒だけれど、友達よ。そう、約束したもの」

「静音」

「この間、陸奥先生ともお話ししたけれど……前を向いてくれるようになって嬉しい。できれば、もっと仲良くなりたいかな」

「杏香」

「妹、なのかなぁ?」

「フィフィリア」

「一度ゆっくりと、当時の時子さんたちとのエピソードでも語り合いたいわね」


 むぅってそんな、ふくれられても困っちゃうかな。


「なら、次は男ね。国臣」

「陸奥先生? 後輩、かな。男の人としてはちょっと、うん、たまに視線が、ね?」

「亮治」

「瀬戸先生ね。“アレ(マザコン)”がなければとても素敵な方よ」

「七は?」

「男の人、なのよね……。ずっと弟でしかなかったからなぁ」

「なら、獅堂?」

「獅堂は、ええっと、うん、と,友達だよ」

「怪しいわね……まぁ良いわ。ポチは?」

「ペット」

『うむ。プロペットと敬称を付けても良いぞ』


 ペットのプロなの?!

 なんだか先ほどから合いの手がおかしいが、気にしない方がいいんだろうなぁ。


「なら――私は?」


 これが本命だったのだろう。

 舞うように近づいて、私の首に手を回して微笑むリリー。

 けれど、これの関しては答えは決まっている。だから私は、リリーと同じように手を回して、抱きしめた。


「ふぇっ?!」

「――私にとってリリーは、“大事な家族”よ」

「っあ、もう。……甘えん坊ね。ふふ、大事、か、そう。ならば仕方がないわね」


 リリーはそう言って微笑むと、手を離して苦笑する。


「しょうがないわね、今日はこの辺りで許してあげる。けれど代わりに、明日は海でたっぷり私に構いなさいな」

「ふふ、畏まりました、お嬢様」

「クスクス、そうこなくてはね」


 そう言ってリリーが満足げに微笑んでくれるというのなら、私はそれに全力で答えよう。

 私に背を向けてポチを撫で回すリリーに、心の中でそう誓う。少しでも、私の“家族”になってくれたこの少女が傷ついてしまわないように、と。


 私はただ、つらつらと。

 そんなことを、考えていた――。





2024/02/01

誤字修正しました。

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