そのきゅう
――9――
沖縄県は、日本の最西端の県だ。
青い海、白い雲、豊かな太陽に美味しいごはん。そんなイメージの沖縄が、このたび、わたしたちが修学旅行を行うことになっている場所だ。
その期間はなんと二週間。半月もの間、修学旅行をするのだけれど、当然、ちゃんとした理由がある。
「――那覇、東シナ海から与那国島まで繋がる大異界。それが、日本最大の異界、“琉球大庭園”って訳」
「なるほど……日本は奥が深いな。そんなところに旅行させようとは感服するよ」
「えー、でも海外だってあれ、なんだっけ? エアーズロックに行かせるんでしょう?」
「あれは希望者だけだよ。ドラゴンしか生息しない異界なんて、脅威でしかないからな」
「“ドラゴンズ・ロック”だっけ? 最低ワイバーンの群れで、地上では闊歩する上位リザードマンが最弱、とかいう」
「ああ、そうだ。私も父上と行ったことはあるが……父上の“ムジョルニア”がなければ、と、思うとぞっとするよ」
夢ちゃんがそうフィーちゃんに説明をする様子を、わたしはホテルの部屋で呆然と聞いていた。今までは、旅行一つも変質者との戦いで存分に楽しめなかったから、だろうか。
眼下に広がる絶景は、透き通ったエメラルドグリーンに溢れている。宝石のような海、そんな風に言われる理由を、視覚から叩きつけられるように理解させられた。わたしは今、わくわくしているんだ。
「静音ちゃん、静音ちゃん! すごいね、綺麗っ」
「う、うん。すごい。リュシーは? リュシーも、初めて?」
「ああ――故郷は雪ばかりでね。沖ノ鳥諸島の時も綺麗な海だとは思ったが、これは中々」
「そっかぁ。リュシーちゃんのお城、雪でいっぱいだったもんね」
「そ、そうなんだ? 見てみたい、かも」
「シズネなら大歓迎さ! ぜひ、みんなでゆっくりとくつろぎに来て欲しい」
この修学旅行、ホテルを利用するのは最初の二泊三日と最終日のみだ。
今日一日で平和記念公園や遺跡を巡り、明日一日はビーチや遺跡巡りを初めとした自由行動。三日目は最後の諸注意を受けて異界に潜る。
そして十日もの間、時間を掛けて“琉球大庭園”表層を攻略するのだ。
「三人とも、荷物置いたら行くわよー」
「あ、うん夢ちゃん!」
声を掛けてくれた夢ちゃんとフィーちゃんに、わたしたちは慌ててついていく。
「ほらほら、置いていったりしないから、急がなくても良いわよ」
「ご、ごめん、夢。つい」
だって、綺麗な海だったから。
そんな気持ちの“つい”には、すごく同感したい。そう思って静音ちゃんを見ると、二人揃って苦笑することになった。考えていることは、どうやら似通っているみたい。
「ま、静音の瞳みたいに綺麗な海だったから仕方ないわね」
「えっ」
「あ、わかる! 静音ちゃんの瞳みたいに綺麗だよね!」
「えっ」
「確かに、静音の瞳は海の様に綺麗だな」
「えっ」
「ああ、あの海は確かに、シズネの瞳のように綺麗だ」
「も、もう、からかってるの?」
「えっ?」
「えっ」
からかってるって、なにが?
そんな風に首を傾げると、静音ちゃんは耳まで真っ赤になって俯いてしまった。ええっとつまり、どうしたの?
――/――
燦々と光る太陽の下、集まってきた生徒たちの確認をする。
異能科魔導科、垣根なく集まった彼ら彼女らがこの修学旅行で挑むのは、日本最大級かつ世界的にも五本の指に入る大異界――沖縄海底遺跡発祥、“琉球大庭園”だ。
「いやぁ、こうして眺めると圧巻ですね、観司先生」
「陸奥先生……ええ、そうですね」
エメラルドグリーンの海を背に、荷物を置いた生徒たちを見る。
彼女たちがこれから行うのは、徹底した“班行動”だ。なにせ、異界で長期間共に過ごすことになる。問題があったとしても今更チームの変更はできない以上、なにかあるなら全て今のうちに解決して貰わなければならない。
潜るのは表層のみとはいえ、油断をすれば大怪我を負いかねない。だが、学校の、社会の庇護下にある内に体験する必要がある、という大きな理由がある以上、取りやめることが出来ない。
「これだけの規模の行事です。ふと、九條先生方が居たら、なんて思っちゃいますね」
「あはは……そう、ですね」
そう、今ここに獅堂と七、英雄と呼ばれる二人は居ない。
というのも、この異界、もとは大蛸の悪魔だったのだが、これを獅堂がたこ焼きにするために追いかけ回し、なんだかんだと巻き込んで英雄全員で再生する端からぼこぼこにしての討伐となった。
けれど、それが災いして、この異界に英雄が入ろうとすると自動で外部へ強制送還。英雄は足を踏み入れることすら叶わない異界となってしまった。
おかげで私も、魔法少女とは別人と認識されているようなので教師としてなら異界に入ることは可能だが、変身すればおよそ五秒ではじき出される、と、実験済みだったりする。五秒以内に変身を解けば大丈夫、というよくわからない認識具合だが、このサイズの異界だとそんなものなのかも。
とにかく、そんな訳で“行っても何も出来ないなら上下の学年よろしくね”と言われた獅堂と七は、それぞれ三年生と一年生の修学旅行へ同行することが決まったのだ。ううむ。
「私たちは私たちにできるやり方で、生徒たちの安全を守りましょう」
「――そうですよ、陸奥先生。生徒たちの前で弱気なことを言うとは、まったく」
「げぇっ、瀬戸先生……」
私たちの会話に、すっと声が差し込まれる。
瀬戸先生はいつもとなんら変わらない様子だ。ピシッと髪を整え、パリッとスーツを着こなし、クイッと眼鏡をあげてみせる。その落ち着いた様子に、私も安心を貰ったような、そんな気分にさせてくれるのだから不思議だ。
これで、ヤミラピが瀬戸先生の懐に忍ばせた“あれ”の行方がハッキリすれば、もっと安心できるんだけどなぁ。はぁ……。
「ずいぶんな反応ですね? 陸奥先生。どうやら修学旅行中のペア教員は川端先生がちょうど良いでしょう。先生は、ずいぶんと行動に熱心な方ですから」
「えぇっ!? せ、瀬戸先生、ちょっ、本当に?!」
「もちろん」
真っ青になって瀬戸先生の腰に抱きつく陸奥先生だが、別に、川端先生は悪い方ではない。ただ体育教師で熱血派な川端先生と、どちらかというと頭脳派の陸奥先生では決定的に方針が合わず、かつ、必ず陸奥先生が押し負けるから、へとへとになるまで連れ回されるのだ。
私から見たら川端先生は熱血で良い先生だし、女性職員には決して体力仕事を強要しようとしないので良い方、なのだけれどね。
「観司先生は、巡回ペアに希望はありますか?」
「いえ、どの方とでも微力を尽くします」
「見ましたか、陸奥先生。これが手本です」
「うぐっ……わかった、わかりましたよぅ」
とぼとぼと歩き去る陸奥先生に、小さく手を振る。
ところで、と、気になったことを瀬戸先生に尋ねてみた。
「あの、巡回のペアは状況によって変わるので、まだ決定はなかったのではありませんでしたか?」
そう、当日失踪する生徒もいるかもしれない。
迷宮で怪我をして動けない生徒がいる、という状況が入るかも知れない。
教員が体調を崩してしまうことが、あるかもしれない。そんな様々な状況を考慮して、教員同士の巡回ペアは当日の様子で決まることになっている。
「ええ、もちろん。ただし、ペアを組みたいという強い要望があれば、それを撥ね除ける理由はありません」
「そう、ですよね? では、陸奥先生は……?」
「クッ……私はただ、川端先生をおすすめしただけですよ。何故か陸奥先生は、決定事項だと思われたようですがね」
それって、陸奥先生、もしかして引っかけられたのでは?
今頃、川端先生に感動の抱擁をされているのだろうな、なんて思うと涙が禁じ得ない。
どうか、強く生きて欲しい。
「それよりも、一日のスケジュールは把握していますか?」
「はい。最初にホテルからバスでひめゆりの塔へ、それから平和記念公園を回って、知念で事前希望班に分かれて斎場御嶽と久高島を観光。生徒たちに休息を取らせながら、バスで糸満市のホテルに戻る、でしょうか」
「それでは昼休憩が抜けています。知念で分担前に昼食です」
「ぁっ、ごめんなさい、瀬戸先生。そうですよね……教えて下さり、ありがとうございます」
まずいまずい、みなさんの食事を忘れるところだった。
瀬戸先生は、資料の類いは一切見ていない。教員として、把握に怠りはないのだろう。やっぱり、先生として、瀬戸先生に教わるところは多くある。
私も、まだまだ頑張らないとなぁ。
「いいえ、教師とて必要なことは助け合いです。観司先生も、必要とあらばなんでも聞いて下さって構いません。私も、幾度となく観司先生に助けられていますから」
「瀬戸先生……。はい、ありがとうございます」
キツくつり上がった目を、瀬戸先生は優しく緩ませてそう言ってくれる。
変わったなぁ、と思うと同時に、やはりそう言ってくれるのは頼もしい。色々なことがあったけれど、やっぱり私にとって瀬戸先生は“頼れる先輩”なんだろうなぁ。
これからも、瀬戸先生という教師としての先輩に誇れるよう、誠意努力して――
「ですからママも、私が間違ったことをしていたら、いつものようにお願いします」
「……真面目な話でふざけたら“めっ”です」
「んぐっ――んんっ、流石です」
――努力、どりょく、うぅ。
そろそろ、“いい話”で終わらせてくれないでしょうか、瀬戸先生……。
恍惚に悶える瀬戸先生に、私はただ、胸の中でそんな感想を抱く。
もう、本当に、もう! どうして最後までやりきれないのですか? 瀬戸先生。




