そのご
――5――
――AM:10:00――
鼻歌を歌いながら私の隣を歩く、幼い姿。
そうしてみるとただの少女にしか見えないのだから、不思議なモノだと思う。
「未知、デートというものはまず何からするものなのかしら?」
「ええと、そうね。それなら手でも繋ごうか?」
「あら、素敵ね! でもそれなら、言うことがあるのではなくて?」
「ふふ――お手をどうぞ、お嬢様」
「あら、ありがとう」
リリーは立場として、魔界のお姫様だ。今ではまぁ、魔王様らしいけれど。
そのせいか、戦闘で高揚している時を除いては、こんな風にお嬢様然としていることが多い。幽閉生活とは言うが、飽きさせないための設備は充実しており、礼儀作法も暇つぶしにずいぶんと学んだのだとか。
本人も高貴な生まれという自負があり、父はともかく、噂に聞く母のことは尊敬しているのだとか。
「お母様というと、七魔王に勝手に列挙されていた、という?」
「そうよ。リズウィエアル・ウィル・クーエルオルト。魔玲王として列挙されては居たけれど、母さまはその実、正真正銘の“魔王”よ」
「正真正銘の魔王?」
「そう。“魔統王”っていう名はね、母さまのような魔の王ではなく、あくまで魔界の王という役職としてつけられた名前なの。母さまは魔界の悪魔に畏れられ、その畏怖から付けられた他称の名であるわ」
「それは……お父さん、よく、私たちに倒されるまで無事だったね」
「怒って引き籠もっちゃったのよ、母さま。おかげで、魔界の半分は未だ進入不可ですわ」
そ、そうなんだね……。
そっか、なるほど。それなら半年足らずでリリーが魔界を征服した、というのも頷ける。実力の如何ではなく、広大、というのはそれだけで時間が掛かるモノだからね。
「でもね、母さまと面識がない訳ではないのよ?」
「あら、そうなの?」
「ええ。魔界統治中に連絡だけはとれたのよ。だから私は、母さまを母さまと呼ぶことを許して貰ったの」
「そうなんだ……良かったね、リリー」
「ふふ、ありがとう。そのうち、未知を紹介することも許していただけたのよ?」
「そ、そうなんだ……」
ええ……どうしよう。
というか、なんて紹介されるの? き、聞かない方が良いのかなぁ。
悪魔の王とか、魔法少女的にセーフなのだろうか。またステッキに謎の掟が判明したら、私はどうしたら良いのだろう。つらい。
「さ、まずはどこへ行きましょうか?」
「そうね……水着、でも買いに行こうか?」
「水着! 良いわね、未知の水着は私が選んで差し上げますわ。喜びなさいな」
「ありがとう、お手柔らかにね?」
「ふふ、さぁて、どうしようかしら?」
第一期修学旅行は四日間の日程だ。
その間、幼い子供を養っている教員は、預ける相手が居ない場合に限り連れて行くことが出来る。そのシステムを利用して、リリーは連れて行くことになった。
……一人にしておくのは、あらゆる意味で不安、という理事長判断で。はい、助かります。私も心配だからね。
「私の水着も選んで貰うわよ? 未知」
「ええ、お任せ下さい、お嬢様」
「ふふ、良きに計らいなさいな」
さて、お買い物だ。
今日はリリーへの“ご褒美デート”だ。
彼女が満足できるまで、付き合わせていただきましょうか、ね。
――AM:10:45――
比較的大きなお店よりも、小規模でやや高級志向なアパレルショップの方がリリーの肌に合うだろう。実のところ、お金を使う機会があまりないため、一日程度の豪遊では懐は痛まない。
エスコートを任されたのだし、ここは思うままに楽しんで貰うことにしよう、と、お店に連れて行った。
「へぇ、妖力でコーティングすれば水中なんてどうということはないものだと思っていたのだけれど……けっこうお洒落で可愛いのね。ねぇ未知、私にはどんな水着が似合うと思う?」
「そうね……ワンピースタイプで、フリルのついた可愛い物なんかはどうかな? ほら、ああいう、色は黒ベースで」
「ふふ、ならお揃いよ。未知も黒になさいな」
「はいはい、おおせのままに」
「クスクス、苦しゅうないわ」
リリーの背格好は十歳~その少し上程度。ちょうど、ヤミラピよりも少しお姉さん、といった具合だ。あまり露出の多いタイプよりも、ワンピースタイプの方が似合うだろう。
髪も眼も紫色のリリーに合わせて、紫生地では派手すぎる。フリルは紫で、色は黒。ゴシック風の水着は少し値が張るけれども、せっかくなら一番似合うものを買ってあげたい。ちゃんと約束を守って、私の大事な生徒を守ってくれたのだ。それくらいは、ちゃんと報いないとね。
「ええっと、ほら、あれなんか可愛い。どう? リリー」
「あら、良いじゃない。素敵ね」
そうして見つけ出したのは、黒いワンピースに濃い紫色のフリルがあしらわれた水着だった。露出面積の少ない前面には銀の薔薇が美しくプリントされていて、装飾も細かい。
対して背面はレーシング・バックとでも言うのか。細く加工された布地が背中の中央でクロスしていて、幼いながらも色気を感じさせる。普通の女の子に着せようと思ったら色々と問題がありそうな艶やかなデザインだが、リリーにはこれくらいの方が似合うだろう。
「なら、私はこれに決まりね。次は未知のを選ぶわよ」
「ええ、ありがとう。でも私は先生だから、あまり布地の少ないモノはダメよ?」
「ふふ、そんなものはね、未知。似合えば誰も文句なんか言わないのよ」
「……ほどほどで、お願いね?」
「はいはい、我が儘ですこと。ふふ、でも今日の私は機嫌が良いので許して差し上げますわ」
「痛み入ります、お嬢様」
苦笑しながら、鼻歌を歌うリリーに手を引かれる。
……ところでその歌、“ラピのテーマ”よね? どこで覚えたの? えっ、鈴理さん? そ、そう。
「これなんかどう?」
「リングトップス? できればもう少し生地が多い方が助かるかな」
「そ。ならこっちは?」
「マイクロビキニは却下です」
「クスクス、冗談よ。はい、本命」
リリーがそう言って差し出してくれたのは、布地が多いタイプのホルターネック――首の後ろで紐を止めるタイプの水着だ。バストが強調される割にいやらしさはなくて、フリルがお洒落だ。
薔薇の刺繍が施されているから、お揃いのつもりもあるのかもしれない。ビキニタイプを教師が着用すること自体はあまり勧められたことではないが、どのみち生徒への指導中はフロントチャックのパーカー型ラッシュガードを着用してのことになる。リリーの要望に応えてあげる意味でも、良いかもしれない。
「いいね。では、リリーとお揃いでこれにしようかしら」
「ふふ、さすが未知ねっ。そうこなくてはつまらないわ」
喜ぶリリーに応えて、レジに持って行く。
特専の教員寮への郵送をお願いすると、店員さんは快く応じてくれた。うん、良い店だ。
――AM:11:49――
お店を出てから次に向かうのは、ランチだ。
リリーに聞いたところ、魔界で行う食事は食べられるものを揚げるか煮るか焼くかして塩こしょうで食べる、か、野菜は煮込むかひたすらマッシュするか、というものだったらしい。
「本来は霊力を初めとした人間界の生気を吸収すれば生きられるのだけれど、そもそも魔界に人間なんていないでしょう? だから、悪魔は稀に人間界から苦労して攫ってきて、人間一人の命で十数年空腹を満たすこともあるのだけれど、それも最低限。だから人間に契約を持ちかけて、人間側から悪魔にとって都合の良い保存食にしてから持ち帰るのよ」
「苦労して人間界から攫うの?」
「ええ、そうよ。私の豚父さまがどうやってか大きなゲートを開けるまでの間は、熟練の悪魔にしか世界間移動はできなかったのよ。母さまは観光気分で人間に混じっていたこともあったようだけれどね」
そっか、地続きで魔界があるわけではない。
世界を隔てて移動するという奇跡は、早々、熟せることではないんだなぁ。あれ? ということは、私を異世界に転生させた神様はよっぽどの力を持っていたのだろうか? ああいや、そもそも神様は別枠なのかも。
「だから食事は娯楽でしかないのだけれど、それは魔界に限った話よ。必要なのは人間界の生気であって人間ではないわ。人間が効率が良いのは変わらないけれど、微々たるモノでも動植物からの吸収は出来るのよ。それも、人間が精魂込めて作った料理はなおさら、ね」
「そうなんだ……それなら、調理済みのものはなんでも嬉しいのかしら?」
「出来れば、手間暇掛けられていれば最高ね。箸も練習したのよ?」
「そう? それなら、和食にしましょうか。ひつまぶしの美味しいお店があるの」
「賛成! 初めて食べる料理だわ。ふふ、楽しみね」
なるほどね……。
一応、リリーが私の部屋に住み着いてから自炊をしていたのだが、美味しそうに食べてくれるなぁ、としか思っていなかったけれど、そっか……。
それなら、次からはもっとちゃんと、気持ちを込めて作ろう。魔力を込めて作っても良いのだけれど――うん、それはまた、機会があったらということで。
――PM:4:00――
それから。
美味しいご飯に舌鼓を打ち、請われるままにウィンドウショッピング。
胴体が丸い玉のような猫耳蝙蝠のぬいぐるみ、“たまもりねこ”をプレゼントすると、幼い子供のように喜んでくれた。
教員寮に郵送をお願いしながらショッピングを続けて、気がつけばもう四時近く。近場のファミリーレストランに入って、アフォガードと紅茶で休憩だ。
「ねぇ未知、このあとはどうするの?」
「そうね……せっかくだから少し良い食材を買って、一緒に料理でもしてみる?」
「楽しそう! それなら私も、秘蔵の魔界産ワインを出しますわ。未知だから、特別よ」
「ふふ、それは光栄ね」
リリーは私の言葉に、嬉しそうに微笑んだ。
こうして仲良くなってみれば、彼女の人柄がよくわかる。これまでわかったつもりになっていた部分は、リリーという“年上の少女”のほんの一面であった。
彼女は気に入った人間には寛大で、気に入らない人間には無関心で、無邪気の中には愛がある。そして時折、愛を求めるような瞳をする。
私の前世には、両親と妹と飼い犬が居た。今世の両親は今、形見となってしまったが、指輪として私と共に在る。飼い犬の名前は、ポチにあげた。だからだろうか、私はリリーを妹のように可愛がりたいと、そう思っているのかも知れない。もちろん、同一視はしないけれどね。それは、前世の妹にもリリーにも、失礼な行為だからね。
「魔界から出てきた時は、英雄を血祭りに上げれば退屈が紛れると思っていたわ。だから、こんなに楽しいことがあるなんて知らなかったし、知ってしまえば後戻りは出来ない。ねぇ、未知――私を倒してくれて、ありがとう」
澄んだ瞳で。
優しい笑みで。
そう、告げてくれるのなら。
「どういたしまして。でもね? リリー、私の方こそ、ありがとう」
「あら? 困らせてばかりだと言われるモノかと思ったわ」
からかうような笑みを浮かべるリリーに、私は微笑みながら首を振る。
あなたの意図はそうではなかったのかもしれないよ。でもね?
「私の、家族になってくれて、ありがとう。あなたが私の家族で、嬉しいわ」
「っ」
目を見開いて、それから耳まで朱くなるリリーに微笑みかける。
彼女が人間界での活動用に所得した名は、“リリー・メラ・観司”。お父さんとお母さんの残してくれた“観司”の名字を、一緒に名乗ってくれる人。
「――未知が、私の家族だと、そう言ってくれるのなら……ふふ、良いわ。私の負け。もう、人間の敵にはなれそうにないわ」
「ありがとう。でも、あなたに傷ついて欲しくもないのよ?」
「ふふ、未知の敵には容赦しないわ。でも“死んだ方がマシ”に留めてあげる」
それは……まぁでも、死なないように手加減をしてくれるのなら最悪、“魔法”でどうにかなるかな?
よし、まぁ、いきなりそんな事態になることもないだろう。手加減については家でゆっくりとお話しをするとして、今はとにかく“ご褒美デート”の続きだ。とりあえず「ゆくゆくは入籍ね」と不穏なことを呟くリリーを連れて、夕飯の買い出しに行こう。
そう、席を立とうとして――
「全員、動くなッ! 動いたら片っ端から殺す!」
――ダァンッ
『キャーッ』
男の声。
発砲音。
そして、悲鳴。
「未知、あれは何割殺しまで良いの?」
「待って、裏口も抑えられているかもしれないわ。そこに人質が居たら、ここで軽はずみな行動をする訳にはいかない」
男の口調は荒っぽいが、息が切れているわけではない。
焦燥はあるが、同時に、勝算もあるという顔つきだ。目元はマスクで隠れているが、口元が見えれば判断は付く。
「そう。良いわ、従ってあげる。でも、未知、あなたが傷つけば――良いわね」
ええっと、はい。
思わず頷いてしまったが、チャンスを見逃さない気持ちは一緒だ。
ひとまず犯人の誘導に従って、動きをよく見ておこう。
うん、でも、それにしても。
「豚の分際で……」
煮えたぎるような怒りを瞳に収めて、能面のような無表情のリリー。
ええっと、はい。人質が傷つくようであれば、死なない限りは止めません。人道に逸れる行いを犯人がこれ以上重ねようと言うのなら、覚悟はして貰わなければならないだろう。
今はただ、狼のように、爪を研いで――。




