そのに
――2――
空にそびえるオーロラの柱は、どこまでも雄大で神々しい。でもそれを心のどこかで不気味だと思ってしまうのは、光に穿たれた空がぽっかりと闇色の口を開いているからだろうか。
わたしは、わたしと同じようにぽっかりと口を開けているチームメイトの裾を、ぐいっと引っ張った。
「すごいね、夢ちゃん」
「うん、これが異界なんだね。……って、名字で呼んで、鈴理」
「あ、うん、ごめんね夢ちゃん」
第一学年時第一期修学旅行は、クラス内で最大三名の“チーム”を組んで行う。
これは先の異界探索のために必要なことで、異界に存在する“迷宮”は、四人以上の徒党に怯え、過剰に攻撃を加えようとするから、と、修学旅行に向けた事前学習で勉強した。
異界は、四人以上の何かがなぜそんなに怖いのだろうか? 今度、師匠――未知先生に、聞いてみよう。
「はぁ、先行き不安だわ。あんたはぼんやりしてるし、有栖川さんは天然だし」
「夢ちゃんは、気遣い屋さんだもんねぇ」
「だから、名字で呼びなさいってば」
わたしのチームメイトで中等部からの友達、碓氷夢ちゃんが、くせのある黒い髪をかきあげながら、そう呆然と呟く。
よほど特別な事情でもない限り、必ず三人で組まなければならない。
だがクラスの人数によっては組みたくても組めない、なんてこともある。そうした場合、相性を考慮しつつ、学年全体からランダムで選出されるのだが……。
「すまない、待たせてしまったかな?」
左右色の違うオッドアイ。
肩に掛かるシルバーブロンドは、エメラルドの瞳をさらけ出し、左目を隠している。
薄い肌。少し高い背。妖精のような顔立ち。
「有栖川さん……いいえ、大丈夫ですよ」
そして、“白い制服”。
そう、学年全域からわたしたち二人と相性のいい生徒という題目で選出された女生徒。
アリュシカ・有栖川・エンフォミア。
日系ロシア人だという彼女は、なんと異能科――それも、Sランクの稀少度を保持する異能者だという。
なんだかずっと、かつての未知先生みたいに遠い世界の存在だと思っていたのだけれど、有栖川さんはわたしたちの先入観をまるっと覆してくれるような、そんな女の子だった。
「なんだか、友達っという感じのする会話だね。君たちと知り合えて、私は嬉しいよ、スズリ、ユメ」
「ええいこの天然が……っ」
「オオ、ジャパニーズつっこみだね、ユメ。新鮮だ。この調子ならニンジャやサムライ、ミコ、ゲイシャ、それからマホーショージョーにも会えそうだね。ふふっ」
「そういうの良いから!」
昔からつっこみ気質だった夢ちゃんが、躊躇いなくツッコむほどの天然さん。
身近も身近。すっごく親近感の沸く女の子で、顔合わせをしてから三日で、びっくりするほど距離が近づいた。
「夢ちゃん夢ちゃん、そろそろ行かなきゃ」
「そうだよ、ユメ。遅刻したらプロミネンス・イーターに灼かれてしまうよ」
「そんな短気なわけないでしょ。というか、私か? 私が悪いのか?!」
「そんなことないよ、夢ちゃんのこと好きだよ」
「私も、ユメのことは好ましく思うよ」
「ええい、この天然どもめ! あと名字で呼べ!!」
ぷりぷりと怒る夢ちゃんは、なんだかんだでトロい私に歩幅を合わせてくれる。
夢ちゃんは、いつも男の子には遠巻きにされ、女の子には怒られてばかりいたわたしにただひとり話しかけてくれた、大事な友達だ。
わたしのやっかいな体質をいつも心配してくれて、その上、夢ちゃんが風邪を引いたり寝込んだりするタイミングに限って変質者に襲われるわたしを知って、後悔させてしまったことも知っている。
だからね、夢ちゃん。
「夢ちゃんが優しくて、わたしは嬉しい。いつもありがとう」
「ああ、本当にユメは優しい。ぼっちだった私にも分け隔て無いのは君だけだよ、ユメ」
「な、なによあんたら。褒めてもなにも出ないからね!」
いつもありがとう。夢ちゃん。
――/――
異界の前。
迷宮の入り口と言われるその場所は、エジプトのピラミッドみたいな、砂色の入り口だった。
そのなんとも言えない不気味な雰囲気は、うう、ひつぜつにつくしがたし。
「大丈夫? スズリ、具合が悪い?」
「だ、大丈夫だよ。有栖川さん」
考え事をしていて俯いていたら、有栖川さんに心配をかけちゃったみたいだ。
なんだろう。どうにも、こう、わたしの長年付き添ってきた“危険”に関する勘が告げている気がするのだ。
危ない、危ない、近づいてはならない、引き返せ。そんな、風に。
『――最後に、これだけ言ってくぞ』
そう、最後に――って、最後!?
ど、どうしよう、全然聞いてなかった!
――ちらっ、と有栖川さんを見る。
「?」
――ちらっ、と夢ちゃんを見る。
「はぁ。貸し一」
――面目ないです、と頷いた。
『迷宮で物を言うのは、経験と、信頼と、気合い“だけ”だ。机上の空論で交わした実力も、稀少な能力も、慢心の上で挑めば迷宮は簡単に牙を剥き、食い散らかす』
拡声器により拡張された声は、スピーカー越しで間接的だ。
なのにどうしてだろう。まるで引きずり倒され、のど元に牙を当てられ、命を握られているかのように獰猛で鮮烈に響く。
『英雄と謳われた俺も、国が定めた能力稀少度ではDランク。下から二番目だ。それでも打ち勝ってきたのは、血で血を洗う経験と、掛け替えのない仲間との信頼と、“あと一歩”に食いつくための気合いがあったからだ。根性論だと馬鹿にしても良いさ。だが、これだけは心得ておけ』
そして、九條先生は獣のように笑う。
『迷宮は、異界は、悪魔は――おまえたちの想像に及ぶ相手ではない、とな』
――思い出すのは、あの日の光景。
――先生に立ちふさがる、四本の腕を持つ悪魔。
――見ているだけで軋みを上げる身体と、心と、魂。
――敵対すれば、ただ立っていることすら難しくなる。
『――講義は以上だ。明日の本番に備えて、よく遊んでよく喰って、よく寝て挑め』
終会の合図はなんとも気の抜ける言葉で、ふぅと息をつく。
たっぷり脅しておこうってことかな? いやでも、本気みたいに思えるなぁ。
恐怖感に慣れてなかったら、ばたんきゅうだったかもしれない。そう思うと、ぶるりと身体が震えた。
「こわかったね、夢ちゃん、有栖川、さん?」
見回しながら言うも、帰ってこない返事。
見れば、夢ちゃんは唇を青くして震えていて、有栖川さんも口元に手を当てて蹲っている。あ、あれ?
「ひ、ひと、こと、だけ」
「う、うん」
「なん、で、あんたは、へいきなのよ……」
そう言って、夢ちゃんも蹲ってしまう。
よくよく見れば、平気そうにしているのはわたしだけ。
ちょっと離れたところでは、九條先生が意外そうな顔でわたしを見ていた。ごめんなさい、九條先生。そんなニヒルに笑われても、なぜこんなことになっているのかわかりません!
「スズリ、は、すごいね」
「す、すごいの、かな?」
なんだか、謙遜みたいな言い回しになってしまったのだけれど……ううん、なにがどうしてどうなったの??




