そのなな
――7――
身綺麗に整えられた髪を抑える姿は、まるでどこぞの令嬢のようだ。
確か先ほど紹介された彼女のフルネームは、“フィフィリア・エルファシア・フォン・ドンナー”であったと思うが、この“フォン”とは高貴な身分の場合につけられるものではなかっただろうか。
学区内の道案内をしながら、だんだんとスズリたちが向かっているという森丘の公園から離れるように動いてく。その最中、どうしてもフィフィリアの姿が視界に納められてしまうのだが……うん、やはり美人だ。ユメが喜びそう。
「――という訳で、ここから先は市街地区域になる。電車で麓の街に降りても良いが、日用品も娯楽施設もだいたい揃うようになっているよ」
スズリたちの森丘は、街を挟んでちょうど反対側だ。容易に抜けられる距離ではないが、フィフィリアの異能がわからない以上、監視は継続するべきだろう。
「なるほど。ここには、アリュシカと静音もよく来るのか?」
「ああ、シズネや他の友人たちと、よくね」
「う、うん。和菓子の美味しいお店があって――」
「ああ……笠宮鈴理と碓氷夢、だな」
「――っ」
シズネが、思わず顔を強ばらせる。
私は表情には出さないように……声が、硬くならないようにフィフィリアに声を掛けた。
「なんだ、知っているのか? どこで、彼女たちのことを?」
「ん? ――アリュシカ。あなたは何故、私が知っていることを知らない?」
「え、えっと、ドンナーさん。ど、どいうことですか?」
「静音、君もか……ふむ」
小さく、シズネと目を合わせて首を傾げる。
同じようにフィフィリアもまた首を傾げていて、なんというか、状況がおかしい。いったい、どういうことだというのだろうか。
「……“――”め。肉体は老わねども、脳は老いるのか? チッ」
フィフィリアはそう何事か小声で呟くと、大きく舌打ちをした。そこには先ほどまでの気丈な令嬢然とした姿は無く、まるで高貴で傲慢な施政者のようですらある。
変化した雰囲気。ううむ、どういうことなのだろうか?
「和菓子の美味しい店があるといったな? 静音」
「は、はいっ!」
「? 畏まる必要はない。それよりも、そこに個室はあるか?」
「え、ええっと、確か、はい」
まるで王様のように威厳と威圧感を醸し出すフィフィリアは、シズネにそう尋ねる。
ええっと、確か、そう、ディナーは居酒屋として経営をしているお店で、屋号はそう、“りつ”といったか。ミチの行きつけの店だ。
「では、行こう。何故私が日本まで来たのか。何故おまえたちのことを知っているのか。ご老体が痴れた分まで説明しよう」
思わず、シズネと目を合わせる。
これは、まさか……私たちの知らないところで、大きなすれ違いがあったのではないのだろうか?
私たちは幾つもの疑問を抱えながらも、ただ鬼気迫る様子のフィフィリアを案内することしか、できそうになかった。
――/――
歌うように響く声。
空に散った幾つもの光が銀の槍と化し、わたしたちに降り注ぐ。それをわたしは左に構えた平面結界ではじき飛ばすと、右手に嵌めた、狼を模した“黄金のガントレット”をロードレイス先生に向けた。
「狼臨“ブリッツ=オブ=ガンズ”!!」
バチバチバチと鳴るのは空を焼く音。
黄金に輝く稲光が、空を切って先生に殺到する。
「チィッ! 異端者めッ!!」
先生の振りかざす銀の十字架が、その稲妻を綺麗に防いだ。すごく万能な、銀を生み出して操る異能。その銀にも不思議な結界が張ってあって、わたしとポチの波状攻撃のことごとくを防いでいる。
けれど、状況はわたしたちの方が優勢だ。なにせ――
「【聖人の銀矢】」
『【展開】』
鋭い音。
隙間を縫って向かったわたしへの矢が、静かに響いた音と共に撃ち抜かれて消える。狙撃手の詠唱は響けど姿は見えない。軌道を読もうにも、移動を繰り返す魔手の手は見えない。
的確に狙撃で援護をしてくれる夢ちゃんのおかげで、わたしは一撃たりとも加えられていない。先生がいっそ近接戦を、と挑んでてきたタイミングからポチに騎乗しているから、先生はわたしに追いつくこともできない。
「ちょこまかと! キミにはLadyとしての嗜みはナイのかい!?」
銀十字を模した剣を振りかぶる先生の一降りを、わたしを乗せたポチがひらりと避ける。当然、その挙動は激しいモノになるけれど、わたしはその程度で振り落とされたりはしない。
先生は整った顔立ちを歪めて、荒々しく剣を振り、矢を飛ばす。それを避けて、迎撃して、体勢を崩すことが目的で放った稲妻は、先生の足下の土を綺麗に抉った。
結果。
「ふぎゅッ?!」
「あっ」
頭から土にツッコむ先生。
一瞬、場が奇妙な沈黙に包まれる。
森の奥から小さく響くのは、間違いなく夢ちゃんの笑い声だ。場所がバレるので止めて欲しい。
「……」
「……」
ずぼっ、とつっこんだ土から出てくる先生。
綺麗な青銀の髪や整った顔立ちは泥にまみれていて、頭に乗った草葉が痛々しい。えっと、どうしよう。あとポチ、わたしの下で震えないで。わたしが笑いを堪えているみたいになっちゃうから!
「えっと、その――あの、降参して下さい! む、無益な戦いは望みません!!」
「……Devilが、ボクに魔の道を勧めるノカ!! 良いだろう、ならばこちらも覚悟を決めよう」
わたしの提案に、青筋を立てて怒る先生。泥草塗れの姿は、笑い以上に憐憫を誘う。
あ、あれ? こんなはずじゃなかったのに……なんで?!
『うむ、この手合いは気絶させてから話を聞くと良いぞ?』
「遅いよポチ!!」
『わふぅ』
項垂れたポチを気にしながら、彼と一緒に大きく下がる。
隙、といえばそうなのかもしれない。だが、十字架を手に怒りに打ち震える先生から距離を取らなくてはならない、あるいは“逃げ”なくてはならないと、わたしの狼としての本能が働いた。
「感謝するが良い、異端者よ! これがボクが大いなる使命のために“あの御方”にもたらされた天意の雫!!」
そう、先生が掲げるのは菱形の、翡翠色の水晶だ。
いっそ恐ろしいほど澄んだ色合いのそれを、先生は躊躇うことなく口に放り込んで見せる。
「ぽ、ポチ、あれ、なんだかわかる?」
『我らにとって良くないモノであるのは間違いないが……いや、違う。この気配は、まさか! 捕まっていろ、鈴理!』
「ひゃっ?!」
「ククッ、もう、ぐぅッ、ハハッ――遅いよ」
苦しみだした先生の身体から、光のヴェールが溢れ出す。
なんだろう。とても綺麗で幻想的、なのに、そう。
「我らが大いなる主よ! その御身の祝福を我が身に捧げたまえ!! AMEN!!」
「う、そ」
光が満ちる。
聖なる光が森に満ちて、虹のヴェールわたしたちを包み込んでいく光景は、神秘的で美しい。けれど、どうしてだろう。
胸騒ぎが、止まらない。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!!」
「きゃあっ!?」
『む、この気配は――やはり!』
大きな光。
眩しさから目を瞑り、収まると同時にゆっくりと目を開ける。
「え、なに、これ。これじゃあ、まるで――」
スーツ姿は、カソックに変わっている。
容姿は変わらない。けれどピリピリと肌で感じるほどに力が増し。
その背からは、強大な、白い翼が広がっていた。
「――天使?」
後光の差すその姿は、天使としか言いようがない。
麗しくも神秘的で、美しくも幻想的。絵画から抜け出してきたような神聖な存在が、わたしとポチを見下ろしていた。
「如何にも。ボクは今、天の御使いとなった。そうなった以上――キミたちに、勝利はナイ。悪は等しく、滅びるが故に」
融合とまではいかなくても、ポチと“同調”状態にあるためだろうか。
その光だけで、身体の奥底から震えが止まらなくなる。
『鈴理? おい、しっかりしろ、鈴理! チッ、経験が浅いからか。先にアレを仕留める必要があるようだな』
「あ、ぅ」
ポチの声が聞こえる。
たまらずその首にしがみつくと、ポチはわたしを地面に優しく降ろして、肉球で髪を撫でてくれた。
「キミが苦しんでいることこそが、キミが悪魔の使徒である証拠だ。わかっただろう? どちらが正義の執行者であるかなど」
『ふん。雌の“おいた”の一つも許せず、何が正義であるものか。貴様は粋がった小僧に過ぎん』
「ハッ。悪魔の挑発に乗るとでも思ったのカイ?」
『挑発と取るか忠言ととるかは貴様の器量に寄るモノだ。底が知れたな、性職者。大方鈴理を組み敷きたいだけだろう』
「戯れ言を。ボクは――イヤ待て、そもそも年端もいかないGirlに欲情はシナイぞ?」
……うん、ポチ。怒ってくれるのは嬉しいけれど、あんまりにも変なことを言うから先生も一瞬、素に戻ってるからね?
ああ、いや、大丈夫。だいぶ調子が戻ってきた。慣れない感覚……と、いえば良いのかな? 種族的な天敵の前に晒されたような、そんな感覚がして気が動転してしまったみたいだ。ポチもそんなわたしの混乱を見越して、あえてふざけてくれたのだろう。
『クッ、隠す必要はない。我は確かに悪魔に分類される。が、故に、例え貴様が天敵であろうと率直な欲情は歓迎しよう。あれやこれやとしたいのだろう?』
「いやいやいや、ボクがそんな欲望に抗っているとでも?! 侮辱だぞ! どう考えても欲情に値する体つきでは――い、いや、ボクは女性に淫らなコトを考えたりはしないぞ!」
『ふむ。神の手前、という訳か、良いだろう。その願いだけは受け止めよう』
「き、キサマ! もう許さんぞ!!」
あ、あえてふざけてくれたのだろう……!
でも、どうするつもりなのだろう。
よくわからない力に対して、激昂させるのはまずいんじゃないかなぁ? もう、真面目に戦える気はしないけれど、隙をうかがう為にも倒れたフリをしておこう。
どーせわたしは“劣情に値しない貧相な体つき”らしいからね! 子供のやることって、受け止めて貰わなきゃ割に合わないよ!
……けっこう、成長してきたと思うんだけどなぁ。はぁ。
「我が聖なる光の前で懺悔を語れ――告解を許す。微睡みに消えよ、我は神の代弁者にしてその後光を借り受ける者なり……裁け【神の光】」
『その気で戦うのであれば容赦はしない。蓄えてきた力の一部だ。心して受け取れ、神の下僕よ……大狼雅“レギオンズ=フェイル――』
二つの大きな力が渦巻く。
って、こんなもの放ったら、森丘の公園が吹き飛んじゃう?!
「ま、待って、二人とも、ダメ――」
止めようと手を伸ばす。
だけど、割って入るだけの準備も間に合わない。ただ間に入っても、互いに手心を加えられる状況ではないだろう。わたしがばらばらになって、公園が消滅して、それで終わりだ。夢ちゃんだって、どうなるかわからない。
――「なら、私が止めよう」
「滅びよ!」
『――む?』
聞こえてきた声に、ポチは動きを止める。
けれど、先生の方はそれでは止まらない。止まれるような瞬間は、彼にはない。
だから、光が満ちて。
「穿て――“ミョルニル”」
巨大な雷が、光をかき消した。
「きゃあっ、な、に?!」
『む。これは、なんという熱量』
「ぐぁっ!?」
余波で吹き飛ぶ先生。
そんな先生とわたしたちの間に降り立つのは、稲妻のようにきらめく黄金の髪の、きれいな女の子だった。
「加勢に来た。おまえが笠宮鈴理だな?」
「へ? は、はい!」
「碓氷夢も居ると聞いたが?」
「攪乱と狙撃をしています!」
「そうか。なら、そのままにしておくのが定石か」
可憐な見た目に厳かな口調。
この子ってもしかして……。
「Sクラス、の?」
「そうだ。というか、予想はしていたが、やはりおまえも知らないのか」
「え?」
ふむ、と頷いて、銀色を宿した黄金の瞳が眇められる。
そして彼女は“T”字の、えっと、“ハンマー”の形をした髪飾りのついた髪をかき上げると、白い制服のスカートを摘まんで美しいカテーシーを披露する。
「私の名は“フィフィリア・エルファシア・フォン・ドンナー”――神記血継連盟所属の“伝説級”特性型異能者にして、“トール”の継承者。あなたたちの警護のため、黄地時子の依頼により参上仕った。どうぞ、よしなに」
え? え? ええぇっ?!
し、しんきけっけいれんめい? 伝説級異能者? 時子さんの依頼で、わたしたちの警護?
いったい、なにがどうなってるの?
混乱するわたしを余所に、ええっと、フィフィリアさん? は、わたしたちに背を向けて倒れ伏す先生に向き直る。
「起きろ、レイル・ロードレイス。その蛮行、己の口で説明して見るが良い」
堂々と言い放つフィフィリアさん。起き上がらない先生。そんな二人の前でのほほんとわたしの頬を舐めるポチ。くすぐったいからやめて。
でも、どうしよう。ぜんぜん頭が追いつかない。
味方ってことで、良いんだよね……?
「ぐ、く、なにが」
わたしの困惑を余所に、先生はふらふらと起き上がる。
状況は待ってはくれない。ほんの僅かな間と共に、再び、戦況が動こうとしていた。




