そのはち
――8――
広大な空間。
雄叫びを上げる血色の龍に対して誰よりも早く動いたのは、七だった。
「最初からジョーカーを持って行かれるとは思わなかったよ――未知、獅堂、時子! アレの足止めをするから、その間に切り口を開いてくれ!」
七はそう言うと、懐から三つの懐中時計を取り出した。
消えて無くなってしまいそうなほど透明なのに、向こう側を見透かすことが出来ない特殊な結晶。七の母、炎と時の精霊王のみが作り出すことのできる“時の集約”。
「我は求む、彼の者の磔。時空結晶限定解放――“ゴルゴタの丘”!!」
「む? アルヴァ?」
ファリーメアの困惑したような声。
七の周囲に浮かぶ三つの懐中時計が龍の周りに配置され、その結晶体をひび割れさせながら“龍の時間”を止める。
「【速攻術式・窮理展開陣・展開】!」
その隙に、私は後方へ下がり全力で探査。
打ち合わせなどせずとも意図を読み取ってくれた獅堂が、己の身を無言で炎に変換して空を飛ぶ。踏み割らないように、撃ち抜かないように。人質を守る戦いはこれまで何度もしてきた。
だが、自分の手が命を握る感覚には、どうしても慣れない。
「焦燥、悲観、失望――希望が絶望に変わるその瞬間を、ワタシに見せておくれ。さぁいざ征かん! 我が芸術に囚われし憐れな魂よ! 今こそが解放の時だ!」
ウルヴァはそう大げさな仕草で懐から黒い筆を取り出すと、空に向かって降る。
すると、筆先から溢れ出したインクが空に散り、そして。
『ギャアアアアアアアアアアア!!!』
絶叫。
思わず、耳を塞ぎたくなるような、悲痛な声。
インクから滲み出た悲鳴はそのまま形を作り、人間の白骨となる。そこへ黒いインクが筋肉のように纏わり付き、ゴムのような鎧を作り、剣や盾を生み出した。
それが、幾つも。無数に象られる。ある者は槍を、ある者は弓をある者は斧を、持たされて、嘆く。
「これ、は?」
「ミチ、と、そう呼ばれていたかな? ワタシの配下を方法不明ながら退けたというその妙技、是非、彼らに見せてあげて欲しい」
「なに、を」
「彼らはね、囚われているのさ! 他ならぬこのワタシが肉を焼き、魂と骨だけを捕らえているから死ねない憐れな人間の“なれの果て”だ。――殺してあげることが救いである。そういうことだよ、くく、ひっ、ひひゃははははははははっ!!」
空ろな瞳で涙を流す、骸骨の兵隊。
彼らが、囚われた、魂?
「外道――ッ!!」
魔力が満ちる。
私が世界に付け加えた新たな秩序。魔法少女の最大の魔法。多くの魔導術師によって“悲しみを乗り越えるため”に磨き上げられた魔力が、私の怒りに反応してぐつぐつと煮えたぎる。
「おおっと、ワタシを罵るのは良いがね? 良いのかい、そんなに怒って。キミの大事な生徒たちが、ザクロのように真っ赤に染まってしまうよぉ? なに、そうしたら彼らの軍隊に加えてあげよう! そうしたら直ぐに死への解放として救えるぞ! どうだ、ワタシは優しいだろう? くひゃひひひひひっ!!」
彼は、ウルヴァは心底楽しいのだろう。
笑う彼の目から、愉悦と喜悦が溢れんばかりに輝いている。
そんなウルヴァを横目に、ふと、獅堂が天井を見る。だが、獅堂の様子に気がついたウルヴァは、ただ笑みを深めた。
「おっと、天井を破る気かい? だが、それは“無理”だ! 何故この異界を選んだと思う? ワタシたちの理からすら不明なところばかりのこの異界はねぇ、ワタシたちですら“破壊”できないのさ! 草木は良い。動物は良い。なんだったら空だって割れる。だが、異界そのものと“遺跡”は破壊できない!! くひっ、ひゃはははっ! 破って逃げることは、不可能ということさァ」
獅堂が、自分が立っていた場所に炎を当てる。
すると――“焦げ目一つ”つかず、無傷の床がそこにあった。思えば、龍が出現しても、あの質量で以てしても傷一つ無い床とは、そういうことだったのだろう。
仮に、ポチが全力でここを破ろうとしても――傷つけることは、できない。だから、ウルヴァはポチを外に出しておくだけで、安心していられた……ッ!!
「チッ――未知は解析を急ピッチで頼む。七、どのくらい持ちそうだ!」
「ファリーメアが術式に干渉している。長くは持たないけど、その間、ファリーメアも足止めできているよ!」
「なら時子は骸骨の救済を! 俺は――ヤツを討つ!!」
獅堂は炎を球体に変え、更に小さく分けて高速回転させる。
小規模大威力の炎のチェーンソー――“第一煉獄”。
「【式揮憑依・韋駄天顕現・我が身に疾風の加護のあらんことを・急々如律令】!」
時子姉の身体が加速。
退魔師全てが基礎として身につけるという浄化の術式が、時子姉の身体に満ちる。
「うんうん、そうだよね、そうしたいよねぇ? でも、ワタシはもう少し、君たちの焦燥を観賞して楽しんでいたいんだ。だから、ほら、“ダビド”」
「ッ」
『コロスコロスコロスコロスゥウウウウウウウウウウウウウウ!!!!』
鎖から解放されたダビドが向かうのは、一直線に獅堂の下。
一見すればそれでも拮抗。だが、こちらは、七の時空結晶が砕け散れば実質上の敗北だ。そうなれば、鈴理さんたちが――!
そうだ、鈴理さん。彼女たちの意識はどうなっているのだろうか。磔にされた四人の姿。衣服や装飾の全てをはぎ取られ、襤褸切れを着せられ、四肢を縛り付けられ、た?
鈴理さん。
夢さん。
アリュシカさん。
水守さん。
水守さん?
ウルヴァは言った。今朝、ようやく捕まえたと。それから現在は、まだ夕方にさしかかった頃だろう。朝から数えても八時間経っていれば良いほどだ。
それほどの短時間で、どうにかなるのだろうか。ポチは外にいると言った。では、“もう一つ”は?
改めて、水守さんを見る。
その白い手首に“直接”巻き付けられた縄。直接? “水守さん本人”ですら、外したくても“外せない”のに?
彼らに何の被害も無く、切り抜けることが出来る? 言明もせず、したり顔でポチだけに焦点を合わせた彼。もし“知っていたら”、必ず、私たちを絶望させるための材料にするはずだ。
なら、答えは一つ。ある意味これも賭けだけど、確信でもある!
「獅堂、七、時子姉! ――彼女たちは、偽物よ!!」
「は? チッ、退け、ダビド!」
「へ? っと、浄化! 未知、本当に?」
「っ、あ、危ない、気が抜けるところだった」
私の叫びに、誰よりも驚いているのは――他ならぬウルヴァだ。
「は、なにを言っている? どこにそんな証拠がある?」
「解析した。それだけよ」
嘘だ。
けれど、隠し通せるのであればそれがいい。
「――なるほど、ワタシの配下を破ったというのは虚飾ではないようだ」
ウルヴァはそう、能面のような顔で指を弾く。
すると、四人の身体が砂になって消えていった。
「それならこちらも本気を出せる、そうだろう、七!!」
「ああ、言うとおりだ。ここからが本番だよ」
「くくっ、それはどうかなぁ?」
ウルヴァはそう告げると、パチンと指を弾く。すると、空中に映像が投影された。
「残念ながら捕まえられなかったが、彼女たちの居場所は先ほど見つけたのだよ!」
「っ」
「ワタシの配下が迎えに行った。如何にフェイルが強いとはいっても、小娘四人、守りながら戦えるかい? そうら、追い詰められる小娘共の姿を見て、焦燥に駆られるが良い!!」
ノイズだらけの映像。
それが、ウルヴァの合図でピントを合わせるように晴れていく。そこに映ったのは――。
『ぎゃあああああああああああ!?!?』
「はぁ? 我が配下、エビルニケレア?」
翼を撃ち抜かれ、胴を焼かれ、砂になって消える悪魔の姿だった。
『前衛交代、狙撃を私からリュシーに変更、鈴理はカバー』
『砂の声【―♪―♪♪】……す、スノウゴーレム転倒確認』
『リュシー、頭部狙撃。頭を作る雪をかき集め始めたら腕を狙撃。あの図体を盾にするわ』
『小娘共がぁああああああああああッ!!』
『ポチ、牽制。【起動術式・忍法・雨々降々】』
『うむ。吹き飛べ――狼雅“ブレス=オブ=ロア”』
『横方向展開。串刺しになりなさい――【展開】』
『うぎゃああああああああああああああッ!?!?』
『鈴理。お願い』
『うん! “干渉制御”、“重力遮断”』
『な、なにィイイイイイイ?! 足場が、避けられ――ギィイイヤァアアア!?』
『敵二体討伐、一体退去。バリケード修復。うん、あと三日はいけるわね、これ』
『さ、さすがに、観司先生も三日はかからないとおもうよ?』
洞窟の入り口に氷のバリケードを作り、悪魔を退けながら戦う四人とポチの姿。
最大戦力であるはずのポチはアシスタントでしかなく、最凶枠のゼノは出現すらしていない。
四人が、全員が己の能力を知り、的確にできることをやっている。その成長に、思わず、笑みがこぼれた。彼女たちは守るべき生徒だ。でも、同時に、あの場を任せられるほどの信頼すべき“仲間”でも、あるんだ。
「燃えろ!」
『ぎあああああああああ?!』
「再生怪人は弱体化の法則だ。覚えておけ、ダビド!」
獅堂が、理性を無くしたダビドを焼く。
拮抗。だが、獅堂が優勢だ。
「安らかに眠れ」
『オオオオオォォ……ア……リガト……ウ……』
「うん。お礼は来世でいいよ。今はお休み」
自在に動ける時子姉に、追いつける存在などいない。
百はくだらなかった骸骨も、今や両手で数えられるほどまで減った。
「ははっ、時子があちらを終えるまでは拘束させて貰うよ?」
「面倒」
「抵抗しなければ良い」
「……契約だから、無理」
七はもう、あとに余力を残そうとは考えていないようだ。
暴れ回ることが出来るのなら、“代われば”どうにでもなる。
「う、嘘だ、こんなはずがない。そうだ、ワタシの優位が崩れるはずなんてないッ! そうだ、ファリーメア! 貴様だけ外に出す! あいつらを焼き払えよぉ!!」
「無理」
「はぁ?!」
「契約がある。“バレンタインイベント”を“笠宮鈴理”と乗り越える契約。一度だけじゃないってうっかりしていた。毎年やるのね、バレンタイン」
「なっ、なぁっ、なっ」
ああ、あの契約、そうか。
鈴理さんが死ねば、契約の履行はできない。毎年のバレンタインまで生かす契約なんだね。……ある意味では、鈴理さんの新しい“厄介事”でもあるけれど。
「なにかないかなにかないかなにかないか――ん、ァ? みつかさみち?」
でも。
それなら。
「来たれ【瑠璃の花冠】」
「ひ、ひゃ、ひひひはぁッ! 思い出したぞ、観司未知ッ!!」
「【ミラクル・トランス――え?」
狂ったように叫ぶウルヴァ。
彼はインクを散らし、新に二つ、骸骨を生み出す。
「は、ははははっ、まだ運命はワタシに味方をしていたッ!! これを見ても戦えるかなァッ?! ひひゃはははははははははッ!!!!」
骸骨は私に手を伸ばす。
なにかを求めるように。あるいは、叫ぶ、ように。
そして。
『ミチ……ァアアア……スマナイ……スマナイ……』
『ヒ……トリニ……シテ……ゴメンナサイ……ミチ……』
薬指に嵌められた結婚指輪。
ひどく既視感のあるそれは。
それ、は。
そん、な。
「ちょうどいい遊びが出来ると思ったのさ! ちょうどいい芸術の材料が手に入ったのさぁ! あの日の、大魔王サマが討伐されたその日、ワタシはあの鉄の棺桶に芸術を施すことを決めたッ! それがまさかこんな形で実を結ぶとは思わなかったよ!!」
「ッウルヴァ! まさかテメェ! ……おい、未知?!」
獅堂の声が聞こえる。
なにかを叫んで手を伸ばし、ぼろぼろのダビドに止められている。
他の誰も動けない中、ただ、私だけは。
「ほぅら、キミのご両親だろう? 感動の再会だ! 思う存分、睦み合わせてやろう! 本気で戦うことが出来れば? の、ハナシだけどねぇ!!」
『ミチ……ニゲロ……ニゲルン……ダ……』
『ゴメン……ナサイ……ミチ……アア……ミチ』
お父さん。
お母さん。
ああ、本物だ。
あの日、失った、大好きだったひとたち。
ああ、ああ、だから、私は――。
「ミラクル・トランス・ファクト」
【説明しよう! 魔法少女は正義の使者! 憎しみに囚われた心では変身できないのだ!】
「ミラクル・トランス・ファクト」
【説明しよう! 魔法少女は正義の使者! 憎しみに囚われた心では変身できないのだ!】
「ミラクル・トランス・ファクト」
【説明しよう! 魔法少女は正義の使者! 憎しみに囚われた心では変身できないのだ!】
「ミラクル……トランス・ファクト」
【説明しよう! 魔法少女は正義の使者! 憎しみに囚われた心では変身できないのだ!】
「ミラクル……トランス……ファクトッ」
【説明しよう! 魔法少女は正義の使者! 憎しみに囚われた心では――
「――――黙れ。力を寄越せ……【夜王の瑠璃冠】ッ」
――○※△◆※■◇×▼!?!?!!】




