そのご
――5――
肌に触れる冷たさに、思わず身震いを一つ。
あくびをしながら身体を起こそうとすると、身動き一つできないことに気がつかされた。
横向きで寝るわたしの背中に、がっしりと組み付く静音ちゃん。寒がりなのだろうか、接着面積が広い。
で、前。何故かわたしの胸に顔を埋めて、だらしない表情で熟睡している夢ちゃん。普段は纏めていることも多いくせのある黒髪。閉じられた瞳。緩んだ口元。寝言まで言っている。
そんな夢ちゃんの向こう側で眠りにつく白雪姫のように、最初の姿勢からまったく動かず規則正しい寝息で眠るリュシーちゃん。起きていると王子様で、寝ているとお姫様。うん、ちょっぴり羨ましいかも。
「はふ……あったかくて起きられないぃ」
毛布よりも、前後の二人があったかい。
人の体温って、あったかい。すっごく小さな頃。忙しい両親がおじいちゃんにわたしを預け始める前。まだ、三人で川の字になって寝ていた頃を、思い出す。
両親との思い出は、ほとんどない。おじいちゃんと、おじいちゃんによく懐く孫。外面ではそうとしか見られなかったから、両親は安心して、あるいは信頼してわたしを預けていた。おじいちゃんの罪が明るみに出て、お母さんは仕事を休職して、それでも“痛み”を孕んだ目が辛くて、仕事の再開を勧めて。
特専に入学して。負担を掛けたくなかったから居住区に来て。両親と、ずっと、うわべだけの関係を続けていて。
でも。
もう、良いのかも知れない。
互いに傷つけ合うような関係から、逃げなくても良いのかも知れない。
「えい」
「むぎゅ……ふへへ、すずりのましゅまろ」
「もう、ふふ」
孤独から掬い上げてくれたのは、夢ちゃんだ。最初に夢ちゃん、次に、人生を変えてくれた師匠、リュシーちゃんと出会って、静音ちゃんと出会って、わたしの輪は大きく広がった。
芹君、彰君、ルナちゃん、九條先生、鏡先生、時子さん、仙衛門さん、陸奥先生、南先生、郷子ちゃん、陸稲君。なんだか、見えていなかった色んなものが見えてきて。
その全部が、やさしかったから。
「そろそろ、一歩だけでも、進んでみます。そうしたら、頭を撫でて下さいますか? ――師匠」
「うみゅぅ、すずりの、あたま、なでるぅ」
「ふふ、夢ちゃん、撫でてくれるの?」
さて。
いい加減、瞼も落ちてきた。
まだ日も昇りたてのようだし……もう一眠り、しようかな。
一面の銀世界に踏み込んで、ほぁ、と声が漏れる。
たった一晩でこんな風に景色が様変わりするのも、異界ならではのモノなのかも知れない。
冷たい風。場所によってはまだ雲がかかっているようだが、わたしたちの頭上にはなにもない。
「ひゃー、絶好の探索日和じゃない」
「あ、夢ちゃんおはよー」
「おはよう、鈴理。いやー、早く目を覚まさないと後悔するぞ! って本能が叫んでいた気がするんだけど、この光景のことだったのかしらねー。でも早く? うーん、まぁいいか」
えーと……それは気にしないでくれると嬉しかったり。
静音ちゃんと、最後にリュシーちゃんが起きてくる。二人と合流して朝食を食べると、テントをしまって、早速、探索開始だ。
特専指定の万能ブーツで雪を踏みならしながら、さくさく移動。だだっぴろい銀世界に足を踏み入れる感覚は、何とも言えない興奮がある。うぅ~、たのしいっ!
「さくさくぅ、ざくざくぅ」
「さ、さむい……鈴理はすごいね、寒くない?」
「さむいっ、でも、雪ってテンション上がるよねっ」
ゼノを腕輪に戻した静音ちゃんが、危うい足取りで近づいて来る。
そんなわたしたちを、夢ちゃんとリュシーちゃんは後から生暖かく見ているようだった。いいよいいよ、どうせお子様ですよーっ。
『静音、我が背に乗れ。転ぶぞ』
「あわわ、あわわわ、あ、ありがとう、ポチ。罪滅ぼし?」
『さて、なんのことやら』
そう嘯くポチの姿に苦笑する。
朝食中、ポチの足下からころんと出てきたのは、べとべとのぐしゃぐしゃになった缶バッヂだった。噛み心地が良かったとスッキリするポチに、思わず襲いかかった夢ちゃんを宥めるのに苦労した朝の一幕だ。
……実際、理由もなくそういうことをするポチじゃない。なんというか、同胞だからわかるというか、なにかわたしたちに良くないものだったのではないのだろうか。こう、アレを通して盗撮する変質者がいたとか。
変質者に付け狙われた歴の長いわたしとしては、「あるある」と言ってしまいそうになる展開だ。まぁ、みんなは慣れていないだろうから言わないけれど。
「鈴理、静音! このまままっすぐ進むわよ。遺跡群にはとくに大きいモノもあって、中央に行くのが目標よ。中央遺跡群は、中には入れるからね」
「はーい!」
「は、はい」
ざくざく、ふわふわ、ふふふふ。
小さい子供のようにはしゃぎながら、雪原を進んでいく。そうだ、雪だるまでも押しながら進んだら良いのでは無いだろうか。うん、名案だ。
「静音ちゃん、雪だるま作らない?」
「むぅ、りぃ、だよぉ」
「ええー」
「ほ、ほら鈴理、もう作ってあるみたいだから、それで我慢しようよ」
「え? どれどれ?」
静音ちゃんが指さす先。
雪原の奥。確かに鎮座して見える雪だるま。いや、雪の像かも。
「あれ? なんだかちょっとずつ大きくなってない?」
「そ、そうですか? ぁ、でも確かに――って、これ」
ち、近づいてきてる?!
「ゆ、夢ちゃん! リュシーちゃん! ファンタジーだよ!」
「言ってる場合か! 異界産の魔物、“スノウゴーレム”よ! っ迎撃準備!!」
あれ、安全な異界の触れ込みはどこへ行っちゃったの?!
ままま、まさか、わたしの希望を異界が叶えてくれたとか?
「す、鈴理、良かったね、雪だるまだよ」
「こんなの望んでなーいっ! 【速攻術式】!!」
ポチが静音ちゃんを一番後へ運んで戻ってくる。
夢ちゃんを中央の司令塔に。リュシーちゃんはわたしの少し後へ。
前衛二人、中央二人、後衛一人のアタッカーポジション!
『オオオオオオオオオオォォ!!!』
「リュシー、射撃で牽制! 鈴理は“盾”、引きつけて!」
「わかった! 【起動】!」
「おっけー! 【平面結界・操作陣・術式持続・展開】!」
「接触!」
高さはざっと三メートル。
真っ白なゴーレムが振り上げた腕を、リュシーちゃんが射撃によって牽制。構わず振り抜くゴーレムだが、さっきよりも勢いは弱い。
「静音、転倒! ポチは警戒! 【展開】!」
夢ちゃんの手甲から放たれた三つの鏃が、ゴーレムの胴に突き刺さる。
「【反発】!」
「砂の声【―♪―♪♪】!」
ゴーレムの一撃を盾で跳ね返す。
たたらを踏もうとするゴーレムだが、その足下の雪は脆くなっていて、滑ったゴーレムが後方へ転倒。
「全員、耐衝撃準備! 【術式接続】……三、二、一【展開】!!」
轟音。
『オォォォォオオオォッ?!』
衝撃。
夢ちゃんの埋め込んだ鏃が盛大に爆発。
転倒で胴を上に向けていたため、前衛のわたしたちに被害は無い。大きくて硬い雪は、全てポチが払い落としたため、後衛にもダメージは無い。
「完全勝利だね、夢ちゃん!」
「いぇいっ! でも警戒は怠らない。リュシー、どう?」
「【啓読の天眼】――うん、大丈夫だよ、ユメ」
「よし、静音は引き続きポチの背に。さて、どうしたものかしらね」
見渡す限り雪原。
夢ちゃんはため息と共にハンドサインを送る。意味は、“伏せろ”。言われるがままに冷たい雪面に伏せて、指さされた方角に無言で顔を向ける。
「ゴーレムたちね。うろうろしてるでしょう?」
小声で、夢ちゃんはそう告げる。
スノウゴーレムたちがうろうろと徘徊している方角は、わたしたちがやってきた方だ。つまり、来た道から脱出を試みることは出来ない、ということ。
「目指すのは真逆ね。雪の日の観光データがなかったんだけど……雪の日には魔物が出る。ということなのかもしれないわ」
なんにせよ、まずはゴーレムたちの哨戒範囲から外れることが必要だろう。
静音ちゃんがわたしたちに気配隠蔽の異能をかけると、そっと移動を始める。その方角は夢ちゃんの指示どおりに動く中、ふと気になってポチを見る。いつも平然、飄々としているポチは――
『わふぅ』
――だらっだらと冷や汗を掻いていた。
気がつかないのは背負われている静音ちゃんだけだ。そのあからさまにおかしい様子に、夢ちゃんはもちろん、リュシーちゃんも何事かという目で見ている。うん、まぁ、そうなるよね。
というかポチ、右前足と右後足が同時に出てるよ。かえって器用だよ? それ。
「で?」
苔むした遺跡の影で、夢ちゃんはポチにそう尋ねる。
けれど、答える様子の無いポチの姿に、わたしは首をひねって思い出した。
「そういえばポチ、師匠に色々口止めされているんだよね? もしかして、西之島異界に関わることを師匠たちがしている……ってこと?」
『うむ。そうだ。発言の条件は、“誰かが明確に気づいて、なおかつ巻き込まれていること”と思ってくれたら良い』
「つまり、わたしが感づいたって口に出さなきゃダメだったんだね?」
『うむ』
なるほど、それは――いつになく、慎重だ。
わたしたちが知っている、知る機会のあるということは、その時点で“関係者”として扱われる可能性がある。例えば敵がゼノのように、関係者に対して問答無用で試練を仕掛けるような敵であったら、知ることが不利になる。
色々な心配をしてくれて、その結果が、ポチへの口止め。ポチは示唆するようなこともできない。なにかするとしたら、ポチもわたしたちに秘密で動かなければならない。
「あの缶バッヂ、怪しいモノだったんだね?」
『うむ』
「本来は、船の運航も規制されるはずだった?」
『うむ』
「なら、師匠は――同じ島に、居る?」
『……わん』
そういうことか。つまり、もしかしたら福引きの時点で罠だったのかもしれない。
そうだよね、わたしの不運で特賞なんか当たるはず無いよね。しってた。
「す、鈴理の推理、すごいね、夢」
「推理っていうかアレは、ね、リュシー?」
「ああ、うん、経験則でこう、あらかじめ予感もあったのだろうね……」
うん、聞こえているからね?
あと別に予感があったと言うほどでも無いからね? ただちょーっと、自分の運が信用できないだけで! あれ、なんか悲しくなってきた……。
「それじゃあ、方針、どうしようか? 夢ちゃん議長!」
「誰が議長よ。……まぁ、ここで未知先生がしていることは重要なことなんでしょうね。その上で敵の狙いを考えると、ここに私たちをおびき寄せて人質にしたい、もしくは未知先生の足を引っ張らせたい、というところかしら。情報を整理するわ。ポチ」
『わんっ』
夢ちゃんが、とんとんとんと額を指で叩きながら情報を構築していく。
その間にリュシーちゃんが一般販売されている大雑把な地図を広げ、静音ちゃんが全体を見られる位置に移動した。
「あの缶バッヂで、こちらの戦力が漏れた可能性は?」
『ない。あの術は見たところ、合図で発動するトラップの類いだ。監視用では無いだろう。だが、破壊の事実は伝わっているとみて良い』
「わかったわ。ポチが居ることは知られていなくても予想はついていることだろうけれど、ゼノは秘匿できているかも知れない。ここぞという場面まではゼノは封印。良いわね?」
「わ、わかった」
「リュシーの手札は?」
「いつもの以上の情報は渡っていないと思うよ」
地図を見ながら、夢ちゃんは情報を構築していく。
その間にわたしは、探索結界を展開。周囲が監視されていないか、もしくは何か近づいていないか感知できる体勢を整えておく。
「よし、中央遺跡群に誘導されているようであれば、そこは避けたいわ。逃げ回るか籠城か選びたいところだけれど、逃げ回るのは私たちの体力では厳しいでしょう。本当はいっそ脱出してしまうのが良いのだけれど、敵の包囲網を考えるとリスクが高すぎる。だから、拠点はここ」
「これって……遺跡?」
「遺跡の中でも、洞窟のような形になっている場所ね。観光スポットの一つで、洞窟の奥にわき水があるみたい。ここで行きましょう」
「ということは、籠城?」
「ええ」
夢ちゃんの提案に、全員で同時に頷く。
拠点までの移動経路を確認。行動時間を算出。基本的に見敵必殺、仲間は呼ばせない。群れは狙わずやり過ごす。隠密行動を心がける。
そう簡単な打ち合わせをすると、みんな、こくりと頷いた。
「行動方針は単純明快。楽しい観光のぬか喜びの報復に、とことん敵の嫌がることをするわよ」
にやりと笑って告げる夢ちゃんの顔は、とてもとても悪どい。
けれどそれがなによりも頼もしくて、わたしたちもそれに似たような笑みを返した。
「正式結成前の初任務よ。魔法少女団の底力、敵に思い知らせてやりましょう!」
「うんっ」
「そ、そうだね! 目に物見せてやろう!」
「ああ、そうしよう。流石はユメだ」
『うむ、心得た』
危機的状況。
けれど、そんなのはいつものことなんだ。こんなことで怯むほど、生易しい“これまで”だった訳じゃない。
振り上げた拳は力強い。なんだか、どうにだってできるような気がしてきた。




