そのじゅうはち
――18――
「ふぇッくしょんッ」
「風邪ですか? 九條特別講師」
問われて、いや、と否定する。
関東特専中央棟最上階、理事長室。ソファーに座りながら話し込んでいた俺は、くしゃみのあとにただ首を傾げた。
「ま、俺は有名だからな。誰か噂話でもしてんだろ」
「はは、そうでしたか。それはそれは」
俺の言葉を笑って流すのは、この学校の長。
理事長、浅井狼だ。
「で、理事長、まだ見つかんねェのか? “これ”の元凶は」
「安全のために許可したダメージ変換結界が仇になりましたね。守護結界と混ざって、気配の元が特定できません」
「未知が普通に動けたら、いっそ“頼む”んだがな。ファンクラブのチョコレートゾンビ共に追いかけ回されてやがる。亮治と時子が守護に回っているから狩られはしないだろうが」
「これ以上、余計な要素が紛れ込んでいなければ、ですね」
「ああ」
もしプラスαで厄介事が起こったら、もうどうなるかわからねェ。
今はイベントの最中でダメージ変換結界があるから良いが、これはイベント終了の合図と同時に解除される、時間制限型だ。
となると、終了予定時間はあと一時間。
「これ以上の不在は怪しまれる、か」
「そうですね。ポーズでも良いですので、未知を狙っていただかないと」
「そうだな。ったく、状況が状況だから気乗りしねぇな。どうせ未知も、例年通り、“忙しいから市販品”だろ?」
この時期はひどく忙しくなるから、未知はいつも市販品だ。
学生時代は作ってくれたんだがなぁ。義理だが。
「いいえ、今回は作っていましたよ。愛情込めて」
「は?」
「生徒会から指定がありましたからね。作ってくるように、と」
「――理事長、イベントにリタイアしてから連れ回せば、より探しやすくなる。そう思わねぇか? 思うよな?」
「一理ありますね」
そうだろう、そうだろう。
未知とて異常事態には駆けつけたいはずだ。けれど、イベント中に告知して自分からリタイアさせたら、ファンクラブの連中が暴走しかねん。
だったら真っ向からチョコレートを回収して、改めて“異常事態”の犯人捜しに連れ回すのが人情だろう。そうだろう。
「クククッ、さぁて、争奪戦に参加してくるぜ。あとは頼んだぞ、理事長」
「ええ、異常があり次第、連絡しますよ」
「頼んだ」
理事長室を出て、“デカい気配”――時子の霊力をアテに探す。
さて、さっさとチョコレートをゲットして、犯人捜しと洒落込まねぇと、なァッ!!
――/――
神経を研ぎ澄ませる。
頼りになるのは、音。風切り音に反応して身体を傾けると、私を通り過ぎた弾丸が、木の幹に食い込んだ。狙い目は正確無比。今のは、腰につり下げたチョコレートを狙っていた。
「あなたの生徒は、相変わらずとんでもない腕前ね、未知」
「あはは、うん、否定できないかな」
「日頃の指導の賜物でしょうが、人格面の教育はどうなっているのでしょうね? 観司先生」
「め、面目ないです」
姿無き狩人。
音のない影。
学区内中規模公園に追い詰められた私たちを、木々の間から狙うのは、霧の忍者――夢さん、だろう。こちらが反撃できない以上、最善手は正しく“狙撃”だ。
防御と回避に徹しながらもじわじわと追い立てられ、こうして夢さんの行動しやすい木々のある公園に来てしまった。
「どうします? 観司先生」
「チームメイトの生徒が来てくれたら嬉しいのだけれど……今更ですね」
「そうでしょうね。そこで――【術式開始・信号弾・展開】」
瀬戸先生が打ち上げたのは、信号用の花火だ。
チカッと光るのは刹那。チーム魔女救援求むの一単語。次からは警戒されて打ち落とされるだろうし、敵を呼び込む可能性もある。だが、乱戦になれば逃げ場も出来るし、救援が来れば戦うことも出来る。
なんにせよ、見てくれていなければ話にならないが、逆にできることもこれしかない。
「ふぅ、ところで碓氷さんは、何故――よっと、私のチョコも狙っているの?」
時子姉が、霊力の籠もった式苻で弾丸を落としながら、そう問う。
ええっと、担任の新藤先生に教育方針を聞く、とか……うん、はい、たぶん暴走しているんだと思うけれどね。ストッパー役のいないチームに当たってしまったのだろう。
「観司先生? 彼女は思春期の男子生徒かなにかで?」
「し、思春期の一般的な女生徒です。あ、あはは、は」
「えいっ。チョコくらい作ってあげるのに、もう」
呆れた目で私を見る瀬戸先生と、可愛らしくため息を吐く時子姉。
うん、なんか、本当にごめんね? 夢さんは今度、膝をつき合わせてゆっくりお話ししなきゃ。
「――と、味方ではありませんが、引っかき回すための要員が来ましたね」
「え?」
瀬戸先生に言われて、左……公園の南側の入り口を見る。
そこには、“あらかじめ見て”から弾丸を避けているであろうアリュシカさんと、七の姿が見えた。同じチーム、だったんだ。
「ミチ! さぁ、その腰のチョコを渡して貰うよ!」
「……と、いうことなんだ。悪いね」
楽しそうに告げるアリュシカさんと、朗らかに笑う七。
「そ、そうはいきません! 勝つのは私たちです!」
「ええ、はい。ここまで来たら、優勝を狙いたいので」
次いで、右側、北側の入り口からやってくるのは、水守さんとイクセンリュートさん。
「おまえたち、わかっているな!」
『未知先生のチョコレイトォ!!』
正面、東側の入り口から現れたのは、黒装束の一団と金山君一行。黒装束の中に、頭巾だけ外した新藤先生と高原先生と香嶋さんが見えたのは、出来れば見なかったことにしたい。
そして。
――「おいおい、楽しそうだな。俺も混ぜろよ」
空から降り立つ、炎の翼。
不敵な笑みを浮かべて私たちの前に立つ、無駄に整った顔。
「獅堂……」
あれ?
これってひょっとして、乱戦どころか全員敵?!
「仕方ないわね……全員で牽制しているうちに、場を限りましょう。未知、瀬戸先生、私の近くに」
「うん」
「はっ」
時子姉の言葉で、三人で固まる。
なるほど確かに、獅堂を含めて一定の範囲から近づかない。なにせ、チョコレートを手に入れられるのは一人だけだ。全員が全員牽制しあって、身動きがとれなくなったいた。
「おいで、玄ちゃん――時間稼ぎをお願い」
「では、私にお任せ下さい」
懐から可愛らしい子亀を取り出した時子姉がそう告げる。
すると瀬戸先生は名乗り出て、私たちを庇うように一歩前に出た。
もう、本当に、もう、“アレ”がなければ格好良いことこの上ないのに、もう。
「亮治、おまえ、なんで未知の味方をしてんだ? おまえだったら、チーム操作をして敵対、チョコを奪う側に回れただろう? 学年主任」
「さて、なんのことやら」
え、あ、そういえばそうか。
立場を最大限利用すれば、できないこともない……のかな? それは、単にそこまでするのは大人げなかっただけではなくて?
そう思って、瀬戸先生を見ると、獅堂だけではなく、その場に居る全員を見渡した。
「クッ」
「は? どうした?」
「はははっ、いえ、なんというかこれは言わば、敗者復活戦でしょう? 九條先生、鏡先生、それから周りの君たちもそうだ。君たちと私は違うんだよ、残念ですがね」
「……テメェ、どういう意味だ」
あ、なんか久々だな、“悪役モード”の瀬戸先生。
そんな風にほっこりしていたのだが、瀬戸先生は、私がそんな風に一息吐くことを、許してくれる気は無いようだ。
「あなた方と違って、私は――“個人的にチョコレートを貰う約束”をしているのですよ。それも、手作りのねぇ!!」
『えぇええええええええええええええええっ!?!?!!』
途端――瀬戸先生の落とした“爆弾”は、周囲の生徒に爆発のような絶叫を与えた。
あー、そういえばしたなぁ、そんな約束。させられた、が正しいんだけど。なんだったか、そう、仕事のミスをフォローして貰ったときに約束させられたんだ。
確か、“お礼はママの手作りチョコ”で、って。
「【斗・牛・女・虚・危・室・壁・北方司る七星よ・我が約定かわせし式神に・その真なる姿を解放せん】」
その喧噪の間に、時子姉は準備を進めていく。
詠唱を紡ぎながら手でなぞるのは、二十八宿北方の星辰。
「【式揮顕現・現れ出でよ・五徳の智神】」
時子姉に、玄ちゃんと呼ばれた亀が輝く。
それに気がついた周囲の人たちがざわめくが、もう、遅い。
「特性型の異能者は、この機会によく見ておきなさい!」
私がそう叫ぶと、何人かの生徒が我に返ったような顔つきで足を止める。
そうだ、それでいい。こんな機会はそう何度も無いのだから、この機にどうか己の糧としておいて欲しい。これが、退魔七大家序列二位、黄地の式神揮なのだ、と。
「来たれいぃッ【玄武・急々如律令】!!」
巨大な五芒星の陣が私たちの足下から輝く。
そして、みるみるうちに亀の身体が大きくなり、中規模の公園のほぼ全域を隠すほどの大きさになった。
「全力で大きくはしていないし、“吹き飛ばし”ではなく“押し出し”だから、攻撃判定にもなっていないはずよ」
「これが、英雄の式神ですか」
「久々だなぁ、この乗り心地」
灰色の巨大な亀。
その足は長く、首も長く、尾は巨大な蛇。水を司どる灰色の大亀が、のっそりと起き上がった。
なるほど、上れた人間のみが戦うことが出来る、ということだろうか。
「チッ、居心地悪ィ。水気だから火気、火に由来する人間は全力が出せないっつぅことか」
炎の翼を展開した獅堂が、嫌そうな顔で降り立つ。
陰陽五行説か。土に弱く、火に強く、木を生かす。だったかな。
――「もしくは」
声が響く。
可憐な声だ。
どこから聞こえてきたのだろう。
首を回して、周囲を観察して、気づく。
「あれは、女の子? と、鈴理さん?」
小柄な、十歳前後の和服の少女。
少女に横抱きにされている鈴理さん。
「亀の象徴は長寿と不死。死無き者にも祝福を与える」
どのようにして浮いていたのだろう。
少女は私たちを視界に入れると、鈴理さんを優しく降ろす。高さは私たちと同じ位置。場所は空中。血色の板を空中に作り、足場にしているようだ。
「久方ぶりね、時子」
「あれ? メアちゃん、時子さんと知り合いだったの?」
「そう。同じような者だから」
目を白黒させる鈴理さん。
首を傾げる私と、獅堂と、瀬戸先生。
そして。
「なぜ――」
息を呑む、時子姉の声。
「――何故、おまえがここに居る! 不死にして紅き茨の魔女!」
「へっ、えっ、メアちゃん?」
時子姉の叫びに、目を瞠るのは鈴理さんだ。
鈴理さんは時子姉と少女を見比べて、比較的冷静な彼女にしては珍しく、混乱を隠せない様子だった。
だが、それは、私たちとて同じ事。今、時子姉はなんといった?
「ファリーメア・アンセ・エルドラド――魔龍王、エルドラドの魔女!」
エルドラドの魔女。
えっ、魔龍王? 七魔王?!
慌てて獅堂を見ると、獅堂は目を瞠りながら首を横に振る。つまり、七魔王トレーダーに映っていないということだろう。
そして、私とて未だ信じ切れない。だって目前の彼女から感じる空気は――“人間”のそれと変わらないのだから。




