そのじゅうよん
――14――
――関東特専上空千四百メートル。
華々しく行われている祭り。
学校敷地には結界が張り巡らされ、その中には更にダメージ変換結界が張られ、隙間無く展開されている。
その光景を“それ”は、遙か上空から俯瞰していた。
『我が盟主の命により、我が琴は欲望の音色を奏でん』
――ポロロン
黒い皮膚。
頭に生えた捻れた角。
大きな一対の、黒い翼。
筋肉に覆われた屈強な男の身体でありながら、髑髏をあしらった琴を奏でる指は繊細だ。
『さぁ、愚かな人間共よ。愚かな英雄共よ。愚かな守護者たちよ』
――ポロロン
奏でる音は悼ましい。
美しくも悲哀に満ち、麗しくも悲観に濡れた音。奏でる音が届く先は、今まさに、熱狂に満ちようという学校の中。
その結界の、“あるはずのない”隙間は、普段とは違い二重に張り巡らされたが故の盲点。“音”という糸が、じわりじわりと侵食する。
『ああ、なんともどかしい。ああ、なんと悲しい。直接この目で愛に狂う愚かな人間たちを観察することが出来ないとは』
――ポロロン
悪魔は奏でる。
欲望の音色を。
情欲を弾く音を。
『ならば結末だけを見よう。うふく、くふ、ふっ、ひははははははっ』
――ポロロロロン
ただ、愉悦のままに。
誰に気がつかれること無く、悪魔はただ、雲の上で独りよがりの演奏に耽る。
――/――
開始の合図は、花火だった。
一斉に全員が動き出し、方々に散っていく。当然だ。いきなり誰かがリーダーシップをとって、それに偶然多くの人が賛同し、群になって動くことは難しい。
当然、どこのチームも“チーム分けされた個人戦”の領域は出ないことだろう。もっとも、そういう意味で紛れられると厄介な生徒、夢さんのような忍者タイプの戦闘方法の人間もいるのだが。
「あんなに激しく動いて、チョコレート、無事なのかしら?」
「そうだね、時子姉。確かにチョコレートは心配だね」
走り去るメンバーたちを見て、時子姉が呆然と呟く。
この様子を見る限り、関西特専はもうちょっと落ち着いているのかも知れない。というか、そうか、“特性型”の名門の集まる学校だし、お嬢様お坊ちゃん学校のようになっているのかも。
退魔七大家、退魔五至家、退魔三家、真伝十三家、四季家、その当主候補のほとんどは関西に通っているのだろうし。
出遅れた私たちは、さぁどうしようかと悩んでいた。
するとそこへ、見知った声が掛けられる。
「ダメージ変換結界によって、チョコレートは“生身の人間”と同列に設定されています。よって、傷つけることは勿論、イベント終了前に食べてしまうことすら出来ません」
「ぁ、瀬戸先生」
眼鏡をクイッとあげながら、瀬戸先生はそう告げる。
魔導科二年生の学年主任である瀬戸先生は、イベント準備に関わっていた。だから、こういったことも詳しいのだろう。
「ただし、生徒には内密に。チョコレートを盾にする生徒が出かねません。気づいてしまった場合はいた仕方在りませんが」
「そうなのですね。教えてくださり、ありがとうございます」
「いえ、この程度はどうということはありません。それより、そちらのお嬢さんは?」
私の陰になっていて全容が見えなかったのであろう。
時子姉に向けてそう言った瀬戸先生に、時子姉は笑顔で応える。
「お久しぶりです、瀬戸教諭」
「っ、失礼しました。黄地様であられましたか。クリスマス以来ですね」
「ふふ、今は祭りの場です。そんなに畏まらないでください。それに、当主の立場でもありません故、時子、と呼んでくださればかまいません」
「では時子様、と。此度は観司先生に会いに来られたのですか?」
「ええ。お祭りにも参加させていただけそうです。年甲斐も無く、心弾んでしまいますね」
「ではどうぞ、ご存分にお楽しみください。そうだ、せっかくです。此度の争奪戦、共に観司先生の守護をする、というのはいかがでしょうか?」
「ふふ、いいですね。私どもも守られてばかりでは性に合いません。いいよね? 未知」
は?
え?
ん?
なんだかほのぼのと会話をしているうちに、そんなことが決まってしまった。というか、私も瀬戸先生も“特別参加枠”の時子姉も、誰一人として生徒には攻撃できない。
必然的に教員同士でぶつかること以外は防御に徹するしかないのはわかる。でも、私を守護するってなに? どういうこと? どうしてこうなったの?
「はははは、それでは時子様、私にはどうぞお気軽に」
「ふふふふ、そうさせて貰うわね、瀬戸。さ、行くわよ、未知」
どうしよう、口を挟める雰囲気ではない。
「へ? ぁ、う、うん?」
右に時子姉。
左に瀬戸先生。
両隣を挟まれながら、校舎に向かって歩き出す。これっていったい、どうなるの??
校舎はしんと静まりかえっている。
いっそ不気味なほど、人影もなにもない。けれど、これは……。
「さっそくお出ましか」
「未知、解析」
「うん、わかった。【速攻術式・窮理展開陣・展開】」
解析をすると、直ぐに“本当の光景”が見えてくる。
そらかしこでチョコレートの奪い合いをする生徒もいるし、こちらを伺う人間もいる。その中で私たちに向かって一直線に駆ける姿。
「やはりか。見覚えのある光景だよ、“国臣”」
「ちッ……まさかおまえが大人しくそちらにいるとは思わなかったよ、亮治」
ぼんやりとした空間が晴れる。
元に戻った騒がしい風景。玄関ホールで私たちと対峙するのは、陸奥先生だ。スーツ姿に、何故か今日は競技用の複合弓を持っている。
「すごいわね、彼。音や匂いまで誤魔化す“幻覚”なんてそうそう扱えないわよ」
時子姉が感心したように頷く。
そうか、しかし、幻覚か。陸奥先生の“幻視”の異能か。確かに、“物音”一つ、“自分の足音”すら聞こえないからなにかあるとは思ったが、こういうことか。
「だが、見破ったところで逃げ切れると思うなよ。観司先生のチョコレートは、僕の物だ!」「度し難い。観司先生のチョコレートは観司先生のものだろう。言ってやってください、観司先生。“この節操無しのクズ”と」
「うぐっ」
「いや、言いませんからね?!」
言う訳ないよね?!
あからさまにダメージを受けたように後ずさる陸奥先生。けれど陸奥先生はそれでも引き下がることは無く、気丈に弓を構えた。
あれ、私たちって今、なにをやっているのだったかな?
「我が幻視に惑い狂え――“幻矢結界”!」
矢を番え、玄関ホールの高い天井に向かって放つ。
その矢は綺麗に弧を描き、下りの弧で“千に分裂”した。
「なっ」
「へぇ? 【式鬼召喚・ぬりかべ顕現・彼のものに立ち塞がる壁となれ・急々如律令】」
時子姉が式苻によって顕現させた妖怪、“ぬりかべ”が矢の雨に立つ。
けれど弾かれた矢は一本だけであり、他は霞のように消えていった。普通に考えれば幻覚だろう。だが問題は、“本来の軌道”ではないところに矢が降ってきたということ。
つまり陸奥先生は、“幻覚”と“実体”の位置を入れ替えることが出来る、もしくはそれに準じた異能の使用が可能ということだろう。なんで遠足で弓を持って行かなかったのか、問い詰める必要がありそうだ。
「【術式開始・形態・速攻詠唱・様式・短縮・制限・二十回・展開】」
「えっ、瀬戸先生、二十回ですか? いつの間に……」
以前はそんなに溜めておけなかったはずだ。
そう思って魔導陣を見ると、確かに以前よりもずっと洗練されていた。
「生徒も同僚も常に進化しています。私だけ留まっている訳にはいかないでしょう? これでも研鑽と錬磨は得意でしてね」
瀬戸先生はそう言うと、クイッと眼鏡をあげる。
……うん、そうだ。自分だけ留まっている訳には行かない。みんな、思っていたよりもずっとずっと努力して、己を伸ばしている。流石、瀬戸先生だ。勉強になった。
ふっ、と皮肉げに笑うそのニヒルな横顔は、切れ長の目によく似合う。私の視線に気がついて微笑むと、それが想像よりもずっと柔らかくて驚いた。どきっとした。え? あれ?
なんだろう。瀬戸先生ってこんなにかっこ――
「授業料はママの膝枕で良いですよ」
――うん、気のせいだった。
よし、気を取り直して陸奥先生対策だ。まったく、先生でありながら生徒たちを守らず真っ先にこんなところに出てくるなんてけしからん人だ。ちょっと懲らしめてあげなければ。
なにやら恥ずかしい感想を抱いてしまいそうになった八つ当たりとかじゃないよ?
「なに観司先生と良い雰囲気になってやがる代われ亮治――」
「【速攻術式・氷結縛鎖・展開】」
「――ってあれ?! 動けない!?」
瀬戸先生に向かって矢を番えた陸奥先生の足を、凍らせる。すると、その一瞬の隙に瀬戸先生が弓をたたき落とし、時子姉が腕章を奪う。
瞬く間に自らの腕章を失ったことに気がついた陸奥先生は、さっと青ざめる。うん、まぁ、そうだよね。
「では、これで失礼する。まったく、ポイントを稼ぐこと無く脱落とは良いご身分だな? 国臣。自分の生徒たちに泣いて詫びると良い」
「うぐぐぐ、亮治、おまえ、覚えておけよ――!!」
捨て台詞を吐く陸奥先生を背に、瀬戸先生はそれはもう良い笑顔で嫌味を言ってから私たちとともに歩き出す。
うん、ええっと、ちょっと悪いことをしてしまったかも?
「けっこう面白いわね、このゲーム」
「ふふ、そうだね、時子姉」
まぁでも、うん。
わくわくとしている自分もいて、うん、ちょっとだけ、ちゃんと楽しんでみようかな。
『未知先生のチョコレイトォ』
うん?
あれ? なにか聞こえたような気がして、周囲を見回す。そんな私の様子に気がついた時子姉と瀬戸先生も、一緒になって止まってくれた。
ざわざわとざわめく夜の校舎。玄関ホールの周囲には、なにもいないように見える。
「未知、上!」
「っ」
「【術式開始・二重結界・展開】!」
瀬戸先生が上に向かって張った結界に、複数の“何か”が衝突する音。その“何か”は結界にぶつかってはね飛ばされ、しゅたっと着地した。
頭からすっぽり被った黒ローブ。目元しか見えない三角の黒頭巾。頭に刻まれた“未”の一文字。怪しい頭巾の“集団”が、天井から降ってきた。
『<伝言:三班、対象を発見。行動開始>』
『未知先生のチョコレイトォ!』
え? え? えぇ……。
いったいなんだと言うのだろうか。というか、この集団はなんなの?!
「未知、友達は選びなさいね?」
「友達じゃないから!」
「観司先生、学内で宗教活動とは感心しませんね」
「いや、してませんっ!!」
頭巾の集団は、完全に統率された動きで包囲網を縮めてくる。先ほど使ったと思われる術は、おそらく特性型の異能だろう。メッセージを飛ばしてやりとりをする、という特性型異能者なら扱える汎用特性かな。
ということは、どこかしらに連絡をとって、その連絡を受けた相手がここに集約する、という流れか。ま、まずいっ!
「瀬戸先生、あなたはそのまま結界維持。未知は目くらまし。私が速度補助! いくよ、【式鬼憑依・韋駄天顕現・我らの身に疾風の加護のあらんことを・急々如律令】!」
「任せてください」
「わかった!」
私たち全員に宿る、速度上昇の加護。
同時に、私は不意打ち気味にトランプを投げつける。今回のは使い捨て。これなら証拠は残らない!
「【展開】!!」
『ぐぁッ?!』
閃光。
高音。
後遺症が残るほどのものではない。直ぐに目も耳も回復することだろう。それでも、数分は稼げる!
「完璧な統率ね。こちらは少人数。広いところだとやられかねないわ。このまま校舎を走りましょう。未知、瀬戸先生、案内は頼むよ!」
「わかった! 瀬戸先生っ、どこかに逃げ込みましょう!」
「ならば軽音楽部の部室が良いでしょう。角部屋で窓は無く、出入り口は一つ」
「! はい!」
このメンバーなら、どんな相手でも負ける気がしない。
構築は籠城戦。それまでの道すがらは戦闘に対して消極的参加。あくまで防衛に努め、向かってくる相手は“魔女”チームの糧になって貰おう。
2024/02/01
誤字修正しました。




