そのはち
――8――
打って変わって、静音ちゃんのクラスは正方形の箱のような形をしていた。音楽室風、とでも言えば良いのだろうか。防音仕様になった壁だ。
開け放たれた扉の外から中を眺めながら夢ちゃんを見ると、夢ちゃんは“しょうがないなー”とでも言いたげな顔で頷いてくれた。
「“音”系異能者が配属される教室は、必ず“こう”みたいね。全員じゃ無くても、強いて言うのなら一人だけだったとしても他のクラスへ配慮するために一室はあるみたいよ」
「そうなんだ。あれ? でも、“音”系異能者って、珍しいんだよね?」
「そ。だから、年によっては一人もいない、なんてこともざらみたいよ。その場合でも教室として機能が違う訳じゃないから、普通に使われるみたいね」
うーん、詳しい。
ここのところ、夢ちゃんはこれまでよりもずっと情報に精通するようになった。なんでも、もうすぐ二年生に上がるというところなので、“碓氷”としてさらなる修練を課されるようになったのだとか。
十八歳になると、そのまま碓氷の“秘伝”を伝授されるらしい。
「私の学年では、シズネの他にもう一人、“音”系異能者がいるらしいよ。クラスの都合で、シズネと同じクラスのはずだ」
「へぇ……じゃあ、音楽系の出し物なのかな?」
「入ってみたらわかるでしょ。行くわよ」
先頭を歩く夢ちゃんと一緒に、室内に入っていく。
中心に向かって円陣を組むように配置されたソファー。部屋の中心には、楽器を持った動物たちの人形が置かれていた。
人形たちは思い思いに演奏をしているように見えて、けれど肝心の“音”は一切聞こえてこない。でも、ソファーに座る人たちは、心地よさそうに耳を傾けているように見えた。えーと、これはどういう?
「あ、静音ちゃん!」
「か、笠宮さん? 碓氷さんに、有栖川さんも」
「シズネ! そろそろ、名前で呼んでくれても良いんだよ?」
「よ、呼ばれるのはいいけれど、呼ぶのは恥ずかしいよ……。き、きてくれてありがとう」
静音ちゃんはそう、頬を上気させながら、控えめに微笑んだ。
「あ、改めまして――ようこそ。“静かな森の音楽会”へ。ソファーに座ってくださいますか?」
「はいっ、お邪魔します」
三人並んでソファーに座る。
すると、兎の人形がわたしたちに気がついたように向きを変え、カクカクとした動きでぺこりと挨拶をした。うぁ、か、かわいい。
「みなさん、どの動物の音楽が聴きたいですか? 複数でもかまいません」
落ち着いて、静音ちゃんがそう問いかけてくれたので考える。
兎さんは手にバイオリンを持っていて、熊さんはコンガ、鳥さんは横笛、狸さんは木琴、ポチみたいな犬はラッパで、猫さんがアコーディオンだ。
「ええっと、じゃあ、兎さんとポチで」
「なら私は、猫と狸にしようかな。狸の術って忍者みたいよね」
「はは、ユメらしいね。なら私は、そうだな、熊と鳥にしよう」
「では、招待状を承りました。どうぞみなさま、お楽しみください」
それぞれの動物たちが、わたしたちに向かって礼をする。
すると、一斉に演奏を初めて――兎さんとポチ、じゃなくて、犬の演奏のみが、わたしの耳に届く。
「ほぁ――きれいな音色」
流行の音楽くらいしか聞かないわたしでも、耳にしたことがあるようなクラシック音楽。
柔らかい音色で奏でられる演奏は、身体を内側からなだめてくれるような、そんな優しさに満ちていた。
数分で演奏が終わると、動物たちはぺこりと礼をする。かわいい……。
「すっごく良かったっ! でも、わたしたちにだけ向けて良かったの?」
「う、うん、実はこれ光の屈折を利用した装置で、どの角度から見ても正面からの姿に見えるんだよ。音楽はクラスメートの“音”系異能者の力で、対象にだけ届くようになってるの」
「確か、シズネの他の“音”系異能者というと――ユメ、知っている?」
「“あなただけの音楽会”かな? たぶん」
「そ、そうだよ。碓氷さん、すごいね……」
静音ちゃんは夢ちゃんに小さく拍手をしているが、気持ち的にはわたしたちの方が静音ちゃんに拍手を送りたい。それほどまでに楽しくて、優しい演目だったから。
「と、ところで、あの、か、かしゃみやさ――こほん。笠宮さん」
静音ちゃんは、何故か、すごくなにかを決意したような目でわたしを呼ぶ。けど、うん、なんというか。
(……噛んだ)
(……噛んだね)
(……噛んだか)
かわいい。
「な、なに、目が怖い? ……こ、このあと私、休憩時間だから、三人と一緒に行っても良い?」
静音ちゃん自身が、自分からそう誘ってくれた。
嬉しくて夢ちゃんとリュシーちゃんを見ると、二人も笑顔で頷いてくれる。
「もちろん!」
「まぁ、休憩時間の終わりまで付き合えるわよ。そのまま、うちの店で持て成してあげる」
「ははっ、それならシズネ、四人で回った後は私と一緒にティータイムだ。いいかな?」
静音ちゃんはがばっと顔を上げると、花開くように笑う。
「う、うんっ、ありがとうっ!」
そう、言ってくれるのならわたしたちも嬉しい。
なんだか、少しずつ、ほんのちょっとずつだけど距離が近くなっているような気がして嬉しい。静音ちゃんの笑顔を見て、なんだかそんな風に思った。
異能科の校舎を出て、魔導科の校舎に向かう。
綺麗に舗装された石造りの道。整えられた街路樹も、今は華やかに飾り付けられている。
快晴の空に舞うのは、誰が飛ばしたのだろうか、鮮やかな小鳥や蝶だ。毎年見ていたはずの光景なのに、今年は一段と胸躍る風景に思えた。
「じゃ、じゃあ、笠宮さんも知らないんだ」
「うん。師匠に聞いてもわからなかった。夢ちゃんは?」
「情報規制が厳しすぎて無理ね。影都あたりの仕業でしょ」
「“闇の影都”――ユメのライバルだね」
静音ちゃんに尋ねられて、首を振る。
わたしも、楽しみ半分不安半分、というか。
「本当に、なにをやるんだろーね、バレンタイン」
「生徒会長も、自分で参加できる最後のイベントだし……張り切るんじゃない?」
「次期生徒会メンバーも関わっている、ということだろう? 大規模なことをするのかな?」
「チョ、チョコ、持ってこいとのことだけど、どうするんだろう?」
うーん、気になる。
気になるけど、夢ちゃんが収集できなかった情報ということなら、明日まで無理かも。
「後夜祭でやるんだっけ?」
「そうなるわね。関係者以外の観客をあらかた帰した後ね。中等部と小等部は日中にイベントを開催するみたいだけど、高等部と大学部は夜よ」
「そ、そうなんだ。毎年引きこもってたから、わ、わからなかった」
「なら、シズネは今年で初めてだな」
「よろしくね、せ、先輩?」
あ、あはは。
引きこもってたんだね……って、うん、わたしも自分の殻に引きこもっていたという意味では全然変わらなかったり、とか。
「まぁ、チョコレート作りはみんなで協力したんだ。無様は晒さないさ」
「う、うん、そうだね、有栖川さん。私も――」
「っ、姉上?」
聞こえた声。
訝しむような音。
思わず止めた足。
正面から歩いてきたのは、十歳前後の和服を着た少年だった。
鮮やかな海色の髪と黒い目の少年は、お付きの人間かはたまたご家族か、神経質そうな男性を伴っていた。
というか、え、姉上? 目と髪の配色が静音ちゃんと逆の少年。彼が零したワードを引き継ぐように、目を見開いた静音ちゃんが小さく、呟く。
「――静騎」
名を呼ばれた少年は、ほんの少しだけ目を瞠り、それから直ぐに苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
そして、少年が何かを言う前に、傍に居た神経質そうな青年があからさまに見下したような目つきで口を開いた。
「現当主を呼び捨てにできるほど上等な存在にでもなったつもりか? 貴様のような落ちこぼれのせいで静騎様の品格に差し障りがあったらどうする。静騎様にご迷惑をおかけしないよう、日陰で過ごすことが水守の穀を無駄に潰してきたことへの償いだとは思わないのか」
強い口調だった。
傍らの少年も、それを止めることは無い。
ああ、だから、わかってしまった。“これ”が、静音ちゃんが生きてきた世界なのだ、と。
「静音ちゃん?」
青年を無視して、静音ちゃんに声を掛ける。
夢ちゃんは静音ちゃんに直ぐに寄り添い、リュシーちゃんは一歩前に出る。わたしは、静音ちゃんが心配になって、顔を覗き込んだ。
「姉上。重圧から逃げ、責務を放棄し、よくもそこまでのうのうと過ごせましたね」
ついには弟であろう少年からも、厳しい言葉が飛ぶ。
重圧から逃げた? 責務を放棄した? わたしたちが、静音ちゃんからなにも聞いていないとでも思ったのだろうか?
俯いてしまった静音ちゃんの顔は、見えない。だからわたしは、静音ちゃんを庇うように一歩前へ――出ようとして、静音ちゃんに止められる。
「勝巳の言うとおりだよ。姉上は笑顔で過ごすことが出来るほど、上等な身分ではないのでは? 陽向に居られるほど高潔で無いから逃げ出したのであれば、日陰に籠もって責務を放棄した償いを果たすべきではありませんか? そうしてやっと――」
「ふっ」
「――姉上?」
「ふふっ、ははははははっ」
し、静音ちゃん?
お腹を抱えて笑い声をあげる静音ちゃんを、思わず二度見する。すると静音ちゃんは、くるっと身体を入れ替えて、少年たちに背を向けるように立った。
その、なんだろう、満面の笑みで。
「寂しいんだと思うよ、静騎は。なんていったって昔は“おねーたまー、おねーたまー、あそんでー”って言って縋り付いてきたからね。水守は情緒教育に興味の無い人間たちだったから子守は私がやったの。もう玉のように可愛い子でね? 当時一番好きな遊びは人形遊びできっと今でもお人形さんの一つや二つ持って――」
「わー! わーッ!! ああああああ、姉上!? ち、ちがう、ぼくはそんな趣味は無いんだ!!」
慌てて遮る少年の様子に、少しだけ印象が変わる。
そんな静音ちゃんと少年の様子を見ていた夢ちゃんは、ふと、口角をつり上げた。
「リュシー、ほら、あれがいわゆる“かまってちゃん”よ」
「日本文化は奥が深いな。つんでれ、ではないのか? ユメ」
「ツンデレって呼べるほどデレに自覚していないわね。たぶん、自覚すればシスコンを一つ飛ばして重度のシスコンになるタイプよ。間違いないわね」
「すごいな、ユメは。なんでも知ってる」
黒い笑みを浮かべる静音ちゃんに、綺麗に便乗する形で夢ちゃんはそう言った。次いでリュシーちゃんの反応に少年はぷるぷるしているが、残念ながらリュシーちゃんのあれは素だ。
素で、感心している。
「き、貴様ッ! 静騎様になんたる言い分! 現当主であらせられるこのお方をなんと存ずる!!」
「――勝巳さん、柴田勝巳さんは静騎が生まれてからついた御側付きなんだけどね。当時私のことを世話していたひとを好きになって、その人の前で私のことを貶しに貶した上で告白して凄惨にフラれたから私のことを逆恨みしているの。でもさ、笑っちゃうよね? その告白のし方っていうのが窓辺に腰掛けて“フッ、ぼくの女になる気は無いか?”だよ? ふっ、はははっ」
「や、ややや、やめろ、ちち違う、違うんだ!」
「し、静音ちゃん? それ、なんて言ってフラれたの?」
「“……気持ち悪い。視界に入らないように努力をしてくださるのであれば、せめて蛇蝎の如く嫌うのはやめますね?”」
「静音、それってアレよね? 存在を記憶から抹消したいってことよね?」
「そうだよね。だって、見るたびに使用人の女性全員から虫を見る目で見られていたもの! おまけに、私を蔑んでいた側の女性たちからも“これはないな”って見られてたからね!」
バタンッと音がしたので顔を向けると、青年は泡を吹いて倒れていた。
ブラックモードの静音ちゃんの朗らかな声に、精神が過負荷を起こしたのだろう。というか、“音”系異能者だからか、静音ちゃんの声はすっごく綺麗だ。そんな、透き通った海の様な綺麗な声で突き刺されたら、うん、“ああ”なるのもわからないでもない。
全面的に自業自得だとは思うから、同情はしないよ?
「ああああ、あねうえ、あなたというひとは……!」
「あれ? どうしたの? 静騎。おねーちゃんと、遊んで欲しいの?」
いっそ妖艶と表現しても良いような笑顔を浮かべた静音ちゃんは、艶のある声でそう告げる。
「はえ? ち、ちがっ、くそ! いつまで寝てるんだ勝巳! もう行くぞ!!」
「(……)」
そんな静音ちゃんに、少年は顔を真っ赤にして後ずさり、それから無理矢理青年を引きずって消えていく。
えっ、あれ? なにその反応。もしかして、本当に? だって今“視”た表情に込められていたのは、怒りでも屈辱でも無く、ええっと、照れとか羞恥のような? あれぇ?
「勝て、た?」
「静音ちゃん……うん、うん、格好良かったよ」
「やるじゃない、静音。やっぱりかまってちゃんにはガツンと言ってやるのが効くわね」
「シズネ、よく頑張ったね。踏み出せたじゃ無いか。偉いよ」
静音ちゃんを取り囲んで、三者三様に声を掛ける。
すると静音ちゃんは泣き笑いのような表情を浮かべて、それから直ぐに目元を拭って微笑んだ。
「あ、ありがとう……っ。みんながいなかったら、わ、私、きっと震えてなにもできなかった。ずっとずっと、頭の中で“ああ言ってやろう”とか“こう言ってやろう”とか、できもしない自分に嫌気が差してたのに、た、たくさん、言えた。み、みんな、ありがとうっ」
たどたどしいながらも、喜びに満ちた声。
その言葉をしっかりと受け止めて、どこか面はゆい気持ちになる。
でも、それが静音ちゃんの一歩になれたことが嬉しくて、わたしたちは静音ちゃんにべったりとくっついて、笑う彼女と歩き出した。
この後は、わたしたちの喫茶店でたっぷりもてなしてあげないと。静音ちゃんが、今日という一歩を、最高の思い出にできるように。




