そのご
――5――
ダビドに連れられてやってきたのは、いつだったか、七が“魔人”と戦ったという洞窟だった。流れを遮断する結界、というヤツは、この近くで笠宮の寄生虫が暴れた後に解除されているはずだ。
と、なると、単純に戦いやすい場所に案内をしたってことか。
「よく見えておけ、英雄と呼ばれる悪魔の敵よ。ここが貴様の墓場となるのだ!」
「テメェの言い回しは嫌いじゃないが、大言壮語もそこまでにしておかないと恥ずかしいぞ?」
「クッカカカカッ、その大口がいつまでも開いていられるか、愉しみにさえ思うがなぁ?」
「そうだな。俺のアギトに食らいつかれるのが怖ければ、逃げても良いぞ? その背を灼いてやるからな」
「おお、怖い怖い。吾輩の背に追いつけると思っておるその自信、過剰にもほどがあろう? 背筋が寒くもなろうよ」
「暖めてやるから丸まってろよ。“十六年前”にこんがり焼いてやったろ?」
軽口をたたき合いながら、ゆっくりと霊力を身体に巡らせていく。ゆっくり、じっくり、染みこませるように。なにせ相手は吸血鬼。頑丈さと不死身が売りの悪魔だ、準備だけは怠らないようにしておかないと、なるほど、痛い目を見る。
なにより、“灰にしてやった”のに復活して、こうして俺の前に立っている。それだけで、顔にも態度にも出さないが、警戒レベルは跳ね上げておく。
に、しても。
いや、いつものことなんだが、“戦いにくい”場所だ。
洞窟、崩落、地盤。嫌な言葉だ。それを狙って指定した場所か? 笠宮たちのいるあの場所を離れない理由はなかったから仕方がないが――いつものように戦う必要がある、か。
「その軽口、いつまで持つか――試してやろう! 【血針蝙蝠】!!」
「試されてやるからかかってきな――【第一の太陽】」
ダビドのマントから現れたのは、大量の蝙蝠。
十羽二十羽ではきかない。血色の蝙蝠が広大な洞窟を所狭しと埋め尽くしていく。その数は百とも二百とも言い切れない。
その蝙蝠は尾に赤い針を持ち、この針で血を吸われると、ダビドに行動を縛られ、意志が弱ければそのまま操り人形になってしまう。大魔王がのうのうと生きていた頃、一つの街を沈めたダビドの得意技だ。
「征けェイッ!!」
「うるせぇ、燃え尽きろ!!」
発射した炎球が、蝙蝠たちを灼いていく。だが当然ながら、焼き切るには足らない。だからここに、もう一工夫加える。
「太陽よ、責務を果たせ。命の炎を燃やし尽くし、転生の光を呑め――【新星の鼓動】!」
「なにィッ」
太陽が爆発し、小粒ながら高い威力を秘めた炎球が蝙蝠たちを灼いていく。更に、洞窟の壁に当たって、綺麗に“跳ね返る”炎球は、隙間なく蝙蝠たちを灼いていった。
「このまま骨まで燃やしてやるよ!」
「クカッ、できるか? 貴様にッ!」
燃やす。
燃やす。
燃やす。
灰と、紅蓮に塗れた洞窟。
相当に冷え込んでいるはずなのに、火で炙られているかのように暑い。水たまりが蒸発したのか、陽炎のように揺らめく――いや、待て、水たまり?
「ッ――ぐぁっ!?」
「ハッハー、甘く見たな!」
太ももを貫く熱。
陽炎のように姿を消した蝙蝠が、俺の足を貫いていた。
「カカッ【肉体束縛】! 貴様のようなアホとしか言えん精神性では縛り切れんが、動きは悪くなるだろう?」
「はっ、それはどうかなァッ!!」
ちっ、灼かれるとわかっていて蝙蝠を出したのはそのためか!
蝙蝠たちが焼けていく灰と煙と、それから熱。それを用意して、完全に姿が消せはしないが、陽炎のように空間を揺らめかせて姿をかき消すことが出来るとかいう、吸血鬼の特性。
なるほど、こいつは効果的だ。ただの一撃で、身体が重い……ッ!
「【第三の太陽】――なぎ払え!!」
「ぬゥおッ?!」
炎柱を周囲に展開。
そのまま全方位に広げて焼き払う!
「もう一発【第三の太陽】ッ」
重ねて、もう一度展開。
今度はなぎ払わずに、周囲に固定。火力を上げて、盾に利用。あとは!
「我が炎、我が焔、我が腕に宿りて、彼の者を灼け。其は真紅、其は紅蓮、其は燦々た――ガッ?!」
詠唱を唱えきる前に、腹に熱を覚えた。
見れば、焼けただれながら俺の腹を貫く、元は一メートルはくだらなかったであろう蝙蝠。自分の眷属を犠牲にして、詠唱を中断させやがったか!
「そら、隙だらけだぞ!」
「ぐっ、テメェ!!」
炎柱が解けると、飛び出してきたダビドが爪で俺の腕を切る。そのまま飛行し、高速で飛び回ると、足を切り裂き腕を切り裂き頬に裂傷を刻みつけ、少しずつ、嬲るように俺の体力を削っていく。
まずいな。このまま続けば、どっかで体力が切れる。だが、この状況で切れる札はない。ならばどうする? どうすれば、この包囲網を切り抜けられるのかッ!
「こんなもんか?! 英雄よ!! クッカカカカカッ、驕ったなァ、人間ッ!!」
そして、ダビドが――離れた。
「は?」
「下を見てみろ」
「な、に?」
言われるがままに目を遣ると、そこには、“俺の血”で描かれた方陣。その強烈な血色の輝きに、眉を顰める。
「おいこれは、どういうことだ?」
「クカカカッ!! これこそが、我が秘策! 貴様を最高の舞台に案内してやろうぞ!!」
「な、にッ?!」
赤い魔法陣は光を放ち、熱を持ち、脈動していく。
おいおいこれは、ちょっとマズイか。くそっ、肉体が縛られているせいで反応が悪い。何が起こってんだよ、これはッ!!
「さぁ、来たれ! 貴様の命運もここに尽きると知れ!! 【不夜結界】!!」
そして――
「これ、は」
――世界が、塗り替えられた。
空は夜。浮かぶのは、血色の月。
見渡す限りの荒野。草木の一本も生えず、ただ、骨で出来た兵士たちが剣を持って、カタカタと嗤っている。これは、まさか。
「異界化、だと」
「そのとおりだッ!! ククッ、カカカカカッ」
笑い声が耳に響く。
特別な効果を持つ異界を形成し、俺を閉じ込めたということか? いや、身体が重い訳じゃない。さっきまでの重さと変わらない。ダビド自身は強化されているようだが、肌で感じる圧力に、そこまで大きな変化はない。
ならば、この異界の能力は、骨の兵士か? 眷属を多量に召喚して、“俺を逃がさない”為の結界。だが、それは。
ああ、だとすれば、これは――
「カカカカカッ!! 吾輩は勤勉でなァ、ずっと解析しておったのだよ。おまえはいつも、自身がピンチに陥ると、“誰か”に助けて貰うのであろう? ジャックと相対したときは魔狼王に助けられたな? 十六年前、吾輩を灼いた時は忌々しい鋼腕に助けられただろう? 故に、貴様は英雄などと持て囃された真の理由はその“強運”だろう?! であるならば、これでチェックメイトだ! この異界は特別製でな。決して貴様を逃がさないためだけの結界だ、さぁどうする? ここから逃げられない。誰も助けには来ない。吾輩は、貴様の対策は知り尽くしている。であるならば、どうする? 命乞いでもするか? いいぞ、嘲嗤いながら見てやろう。面白かったら、我が眷属にして貴様の仲間を殺し犯しつくさせて――」
「――ク、ははっ」
身振り手振りで熱演していたダビドが、ぴたりとその動きを止める。その顔に浮かぶのは、わかりやすい憐憫だ。ああ、わかるよ、おまえの考えていることが手に取るようにわかる。おおかた、おかしくなった、とでも思っているんだろう?
「狂ったか。興ざめだ。四肢をもいで殺してやろう」
――ああ、そうだ。これは、なんて、“都合が良い”のだろうか。
「ははっ、く、くくっ、は、はははははっ、っははっ、はははははははっ」
耐えきれない。
ああ、耐えきれないよ、ダビド。
こんな展開になるなんて、想像もしていなかったさ。ああ、なるほどダビド。俺はどうやら、おまえの言うように、相当に“強運”みたいだ。七に幸運を集めて貰っても、こうも良い環境は整わなかっただろう。
「もういい。死――ね?」
笑うのも、ここまでだ。呼吸を落ち着かせて“背を向ける”。
なに、ここまで笑わせて貰った礼をする必要があるだろう。たっぷりと堪能させてやらないと、英雄の名が廃る。
「潔く死ぬということか。まぁ、いいだろう」
「――おい、いいのか?」
「は?」
「俺の後に立ったヤツは、皆、灰燼の神に捧げられる」
爪を振り上げたダビドが、困惑の声を上げる。
その声に応えるように指を鳴らすと、ダビドの身体が轟と音を立てて燃え上がった。
「ぐがあああああああっ?! な、なにを?!」
「おいおい、良いのか? 俺ばっかり見ていて。見えるだろう? おまえにも。深淵より来たる炎獄の輩たちが、我が焔帝の証に歓喜の歌を唄っていよう」
「は?」
燃え上がりながら、炎を振り払うように後退するダビド。
その周囲。まるで俺へと続く花道を、民衆たちが狂喜に彩るように火種が出来る。それに答えるように俺は、両手を振り上げた。
「喝采しろ! “紅蓮公”の凱旋だッ!!」
轟音。
「いぎゃああああああッ!!」
爆発。
小さく振動を繰り返すように、ドドドド、と絶え間なく、爆炎の花道でダビドと骨の兵士を灼いていく。その炎は容易く大地を抉り、空を焦がし、潰していく。
「ああ――聞こえるだろう? なんと可憐な声か。おっと、もう、聞き惚れていたか?」
「っざけるなァァァァッ!!」
「心地よさに溺れたか。闇に還るには早かろう? 我が腕は炎、赤にして紅蓮、紅蓮にして煉獄。燃える檻に閉ざされし、悲劇を背負いし紅蓮の帝王」
ぼろぼろに灼きただれながらも、血で出来た赤い剣を振りかざすダビド。その姿は手負いなれど、油断のならない獣のようだ。
「この剣は千もの血を吸い上げた魂の結晶だ! 炎だろうが一撃で切り落とし、魂を砕く吸血王の遺産!! これに貫かれる不幸を、その身で味わうが良いッ!!」
「――悪いな」
剣を受け入れ、途端、俺の身体が“炎に融ける”。
魂を砕く一撃というのは本当だろう。俺を通り過ぎた剣は数キロに渡って大地を切り裂き、空を割り、月に罅を入れた。
だが、“炎”は斬れない。仮に斬れたら魂も斬られていたかも知れないが、火とは、消せても斬れるものじゃない。だから、俺の姿は陽炎のようにかき消えて、ダビドの後に形作られた。
「蜃気楼でも見たか?」
「な、に? 貴様、詠唱は――がっ!?」
パチンッと指を弾く。
すると、熱線がダビドを貫き、その身体をはじき飛ばした。しかし、吸血鬼ってのは丈夫だな。まだ息絶えんか。
「詠唱、は、どうし、たッ」
「は? 俺のこと、勉強したんじゃねぇのか?」
「な、に?」
「ははっ――“発現型”に詠唱は不要だぜ」
「は、いや、だが、え?」
頭が追いつかないのだろうか。
右手を顔に当て、左手を挙げて皮肉げに笑う俺の姿に、見惚れているのか。
ダビドは傷の再生も忘れて呆けていた。
「なら、ば、詠唱、は?」
「は? そんなもの――“そっちの方が格好良い”だろう?」
ふっ、決まった。
「………………………………………………………………………………は?」
そりゃおまえ、“特性型”や詠唱が必要な“共存型”ならまだしも、“発現型”に必要なのは俺の意思のみ。
詠唱をして格好良く決めることで、威力を調整。地形やらなんやらに影響を与えないように、これでも一生懸命やってたんだ。
だが、まぁ。
「いや、助かったぜ」
左側を向き、左手で顔を隠しながら右手を掲げる。
「ここならどんなに全力を出しても」
格好良く両手をクロスさせ、広げ、戻す。
「街は壊滅しないし、地形は変わらないし、なにより仲間に――“恥ずかしい真似は止めてくれ”と、失礼なことを言われない。存分に全力が出せるんだからな!!」
一番うるさいのは、拓斗だ。何故か顔を真っ赤にしてキレてくる。キレた後はたいてい悶えているんだが、それは今は良いか。
未知にも止めてくれと懇願されるからやってなかったが……いや、こんな舞台を用意してくれるなんて思わなかったよ。いや、本当に。
「な、ならば異界をかいじょ――」
「俺がなんのために、格好良いポーズをとっていたと思う?」
「――な、なに?」
片目を閉じ、天に指を向ける。
それに釣られるように、ダビドも空を見上げた。
「な、にもないではないか」
「刮目せよ、我が太陽の理。煉獄の大公爵よ、帝王の呼びかけに応え、真紅の裁きを与えん!!」
極限まで満ちた気合いで、ダビドに近づき、襟首を掴む。
「ぐぇッ、ひ、卑劣なッ」
「誰が空に何かあると言った? ――戯け。王の御前だぞ! 俺を見ろッ!!」
気が満ちる。
霊力が俺のテンションに引きずられて、俺までをも呑み込む。
これぞ、俺の見せる最高に格好良い奥義!
「や、やめろ、こ、こんな――」
「“紅蓮公の凱歌”!!」
「――こんな、阿呆にィィィィイイイイイイッ!?!?!!」
世界を裂くような轟音。
全てを真紅に染め上げる爆炎。
そして。
威力に耐えきれずに、世界が、割れた。
「ふぅ、スッキリした!」
最早原型はなく、土塊のようになったダビド。
割れて消えた結界。不思議なことに場所が洞窟のある崖の上に移動していたが、異界特有の空間の歪みだろう。
それにしても――いや、心の底からスッキリした。ここのところ、ストレスばっかり溜まるような戦いばっかりだったからなぁ。異界の一つも潰させてくれないものか。ダメか。ちっ。
「さて、七の方はどうか? まぁ、心配は要らんか」
土塊からでも復活しかねないダビドを見る。
一応、消滅するまでは見張るつもりだが、さて、死んだのか否か。まぁ、見ていれば解ることだろう。
さてさて、それじゃあ。
「七のヤツが戻るまで見張らせて貰うぜ? ダビド」
トドメに爆破しておいて、と、これで復活されたら困るが……ま、良いだろう。復活できなくなるまで灼いてやるから、頼むから、大人しく逝ってくれよ? 吸血鬼。




