そのよん
――4――
自然と、まるでそうあるのが当然であるように笠宮さんが前に出る。横にポチさんが並び、私は二人の後ろ。遠足の時にも思ったことだけれど、笠宮さんたちは明らかに戦い慣れている。
――私は未だ、恐怖に震えているというのに。
「お、お願い。臆病な私にも、人を守る力を――【妖精姫の賛歌】」
喉に熱が満ちる。
歌うべき詩が心に満ちる。
吟遊詩人たちの声が、妖精の詩が聞こえる。
「汝は希望、汝は勇気、汝は闇を祓う勇猛なる戦士。なればその身は【勇者の旅団】と知れ♪」
範囲指定。
私と、ポチさんと、笠宮さんに平均能力向上効果。
――がくん、と、霊力が持って行かれる。けれど、これなら。
「ありがとうっ、静音ちゃん! ――ポチは前、わたしは付き従う!」
『我が勇者とは良い皮肉だ。――応!』
ポチさんが疾風のように駆ける。それを黒騎士は下から剣を振り上げる――ように見せて、肩でタックル。ポチさんは身体を翻して避けるも、後方に付いてきた笠宮さんに剣が向けられていた。
その一撃は、まるで黒い閃光だ。騎士の振り上げた剣は瞬く間に笠宮さんの首に吸い込まれ、けれど、“壁”に阻まれて弾かれた。代償に、笠宮さんの身体を闘技場の端まで、大きく吹き飛ばして。
「っ笠宮さん!」
『鈴理は無事だ! ゼノ、我を忘れて貰っては困るなァッ!!』
ポチさんが大きく前足を振り上げ、降ろす。
すると空間が歪み、巨大な爪型の斬撃となって黒騎士に降りかかる。
『狼雅“クロウ=オブ=ロア”!』
『力を封印されているな? 本来の次元断斬ならともかく――これでは、この身に届かない』
その、蜃気楼のように揺らめく爪撃を、黒騎士は横合いから剣を叩きつけて破壊する。返す刃で狙うのは、ポチさんの頭。脳天に振り上げられた剣を、ポチさんは残像を残すようなステップで横に避ける。
一進一退。けれど、押しているのは黒騎士だ。瞬く間にやりとりされる剣と風の応酬に、復帰した笠宮さんも入り込めずにいるようだった。
どうしよう。何が出来る?
どうしよう。みんな戦ってる。
どうしよう。私に、出来ることは?
どうすれば。私にも、やれることがある?
どう、すれば――ぁ。
そうだ。
黒騎士はポチさんに、彼が封印されているから自分にも対処できると言っていた。ポチさんの封印を解く事なんて能力的にもできない。だけど、もし、黒騎士をポチさんと同じ土俵に立たせられるのなら?
それなら、やれるかもしれない。私なんかでも、役に立てるかも知れない。
「汝は悪、汝は罪人、汝は希望を侵せし愚者。なればその身に纏うは【咎人の枷】と知れ♪」
詩が響くと、明滅する光の鎖が黒騎士に纏わり付く。
ほんの僅か。ほんの少しだけれど動きが悪くなる黒騎士を、見逃すポチさんではない。
『狼雅“ブレス=オブ=ロア”!』
『これは――ぬぅッ?!』
風の塊が黒騎士の腹に吸い込まれる。身体をくの字にして吹き飛び、けれど両足で着地する黒騎士。無理な体勢で吹き飛ばされたというのに、もう剣を構えている。鈍らせられるのは動きだけ。剣の冴えまでは変えられない。
けれど、動きが鈍れば充分だったのだろう。笠宮さんの投げた“盾”が、黒騎士の肩に直撃する。いや、違う? 肩の鎧で防がれた!?
『なるほど。真に警戒すべきは――』
そして。
黒騎士のヘッドギアから覗く赤い目が、私を捉えた。
『――貴様か』
「ひっ、ぁ」
身体が震える。
心臓の鼓動がうるさくて。
恐怖で、脳が凍り付くようにさえ思えた。
「ッ――“重力制御”!!」
笠宮さんの、“特異魔導士”だという彼女の異能が黒騎士を包み込む。闘技場の石畳が陥没するほどの超重力を、けれど黒騎士は一歩ですり抜ける。
『空間指定は避けづらいが、抜けやすい』
「ッ【反発】」
一息で笠宮さんに肉薄し、剣を振り下ろす。その一撃は最早、軌跡しか見えない。けれど笠宮さんは盾で弾くように防いで。
『一定方向への逆流は、攻撃に利用されやすい。その身に刻みつけておけ』
黒騎士は、弾かれた剣を遠心力に利用して、身体を回転させながら笠宮さんに斬り掛かる。頭上に掲げられた“盾”は吹き飛んでいて、手元には、ない。
「なっ、【速攻術式・結界・展開】――きゃあっ!?」
高速展開された結界が、笠宮さんの身を守る。けれど流れるようにたたき込まれた黒騎士の足が、笠宮さんの腹を捉えて吹き飛ばす。石畳の上を跳ぶように吹き飛ばされた笠宮さんは、闘技場の壁をひび割れさせながら叩きつけられる。
黒騎士はそんな笠宮さんに目もくれず、飛びかかってきたポチさんの横腹に、剣の柄をたたき込む。
『ぐはっ、貴様!』
『しばらくそこで燻っていろ。手負いの狼は想像を絶する力を発するが――脳を揺すられる程度では、それも難しかろう』
『なに? ガッ!?』
剣の軌道を中止していたポチさんの下あごに叩きつけられたのは、黒騎士の剣の、その鞘だった。その一撃で脳震盪でも起こしたのか、ポチさんはふらふらと崩れ落ちる。
動きが悪くなった。そうしたら、手数が増えた。なんて、デタラメ!
『そこで見ていろ』
黒騎士は、一言そう告げると、後方に離れていた私を見る。
剣を腰に構えて走り出すその威圧感に、足の震えが止まらない。後方支援でしかない私が狙われたら、その先に待ち受けるのは――冷たい、“死”の現実だ。
「い、いや、来ないで!」
『痛みはない。安心して逝け』
その、黒い斬撃が、私の首に迫る。
走馬燈? 命の危機で、周りの状況がよく見えた。踏み込む黒騎士の足が石畳を砕く様も、崩れ落ちながらも私に手を伸ばす笠宮さんも、石畳に爪を食い込ませて吠えるポチさんも。
隔離された空間。作られた風景。なのに、月だけがどこまでも綺麗で。
ここで死ぬ?
――過去に向き合えて。
ここで終わり?
――能力が上手く扱えるようになって。
ここで、失うの?
――掛け替えのない友達の、出来たのに。
こんなところで、終わりたくなんかない!
『さらばだ、吟遊の調べを唄う者よ』
「す――砂の声【―♪―♪♪」
『ぬぅ?!』
黒騎士の踏み込んだ先。石畳が脆くなり、剣の軌道がぶれる。少しだけ後ろに跳ぶと、剣は私を掠めることなく通り過ぎた。
「っ象の声【♪ ―ッ―♪】」
前のめりになった身体を、両手で押す。
けれど勇者の旅団で底上げされた力を、更に筋力特化で強化させたおかげが、大きな音を立てて黒騎士が後ずさった。
「隼の声【っ―♪―~♪】――からの、花の声【~――~♪】!」
『チィッ』
反応強化+魅了!
魅了対象は黒騎士。ほんのコンマ一秒反応を遅らせたら、強化した反応能力で揺れた剣先を避ける。通り過ぎた黒騎士の柄めがけて破れかぶれに手を突き出すと、強化された身体能力が功を奏して、黒騎士の剣をはじき飛ばした。
『なに?! こんな、ダークホースが――』
「っああああああッ!! 砂の声【―♪―♪♪】!」
後ずさろうとした黒騎士の、その足下を脆くする。すると、黒騎士はずり落ちるように、尻餅をついた。
「静音ちゃん、後にジャンプ!」
「蛙の声【っ♪ っ♪ っ♪】」
跳躍特化の歌で跳ぶ。
想定よりも遙かに跳んでしまったから、思わず尻餅をついてしまったけれど、問題ない。だって、体勢を立て直し切れていない黒騎士の後ろには、私の信頼する友達が居たから。
「“悪魔憑依” ――狼臨“ブリッツ=フォン=ロア”!!」
稲妻が奔る。
剣となったそれは、辛うじて片膝を突いた黒騎士の肩口を捉えて斜めに切り裂くと、跳ねるように跳んで私の前に降り立った。
黒い犬耳と黒い尻尾。あの日見た、笠宮さんの背中だ。
「ポチ、あとどれくらい?」
『危険域まで三十秒。それ以上の持続は止めておけ。混ざるぞ』
「うっ――なら、あと一撃?」
『いや、その必要はあるまい。これだけ、お膳立てされたのだからな』
肩口から大きな裂傷。
中身の入っていない黒騎士が、今にもばらばらに砕けようとする身体を、ゆらりと立ち上がらせる。
『――これにて、試練を終える』
黒騎士が告げた瞬間、笠宮さんとポチさんが“分裂”した。
肩で息をする笠宮さんと、心なしかツヤツヤしているポチさん。も、もしかして、けっこう負担のかかる技なのだろうか。
「ぁ、空が」
黒騎士の言葉は、真実だったのだろう。
空が晴れ、闘技場がかき消えた。その場に居たのは、傷もなく佇む私たちの姿。闘技場での怪我はなかったことになる。そういうことなのだろうか。勝たなければ、ならないのかも知れないけれど。
あれ? ということは?
「あわ、あわわわ、む、無傷」
「お、落ち着いて、静音ちゃん?」
そう、無傷の黒騎士が、私たちの前に佇んでいた。
剣を鞘に収めて、静かに佇む漆黒の鎧。その姿に、警戒を抱かずには居られない。というか、うん、怖いっ。
『戦績発表――!!』
「ひゃあああっ」
「し、静音ちゃん?!」
『む。こんなイベントがあるのか。同胞よ、座して聞くぞ』
黒騎士の叫びに尻餅をつく。うぅ、腰が抜けた。
というか、え、なに? 戦績?
『笠宮鈴理』
「ひゃ、ひゃい! うぅ、噛んじゃった」
『貴様は豊富な引き出しを活用し切れていない。魔導はともかくとして、異能を極めろ。後がないような力を扱うのもいただけない。それを用いるのであれば、後に手札を残せ。状況を乗り切る観察眼は目を見張る物がある。魔導、異能、観察眼。併用できるようになることが最善手だ』
「あぅ、は、はい。ええっと、なにこれ? あと、名乗ったっけ?」
『試練対象のデータは“見える”』
なにこれだよね、わかる。
だってさ、え? なんでさっきまで死闘を演じた相手とこんなことになっているの?
『魔狼王』
『応』
『能力封印がなされている貴様に言うことはない』
『なぬ?』
そ、そうなんだ。
しょぼーんと肩を落とし、顔を下げて残念そうにするポチさんは、可愛い。犬って可愛いよね。実家で飼いたいとは言えなかったから。
『水守静音』
「は、はいっ」
あわわ、私の番!?
ど、どうしよう。臆病者は死ね、とか言われたら?!
『序盤から己の力量に見合った最適な補助。後方支援でありながら、己に向いた矛先も対処しきる土壇場の胆力。臆病な性格を制する性根。“貴殿”に必要なのは、決定力であり強力な剣であろう』
「は、い」
『故に』
え、ほ、褒められてる?
『最優秀賞として我が身を扱え』
「はい?」
『最優秀賞として、魔鎧、ゼノ=クロスを己の武器とせよ』
「え? え? え? ――え?」
『受け取れ』
混乱して動けない私の手に、腕輪が差し込まれる。
承諾してないよね?! あわわわわ。きょうりょくなあくまが私の手に吸い込まれていくぅぅぅっ?!
「や、やだ! どうしようっ、外れない?!」
『良かったな。ゼノは生ける鎧だ。その気になれば纏うことすら出来ようぞ』
「ひぇぇぇぇ、そんなの無理ぃぃぃぃっ」
「し、静音ちゃん、ま、前向きに考えよう! これで、怪我とかはしなくなるよ?」
そういう問題じゃないっ。
あわわわ、どうしよう。悪魔が、あくまがうでのなかでらんでぶー……。
ふわっと、遠くなる意識。
緊張の糸が切れて、プラスでこんなことになって。
私は慌てて駆け寄ってくれた笠宮さんの腕の中で、ふわっと意識を手放した。
うぅ、本当に、なんでこんなことに?




