そのろく
――6――
私の実家は関西にあって、表向きは老舗の呉服屋だった。長女として生まれた私は、一族の期待を背負っていたから、小さなころから我が儘一つ、褒美一つ許されることなく育った。
厳しい教育。厳しい折檻。家にとって有益な異能を持たずに生まれてきた私は、せめて他のところで役に立つしかなかった。どんなに努力をしても、どんなに結果を出しても、どんなに頑張っても、帰ってくるのは冷たい目と、厳しい言葉と、振り上げられた手。
手、とは、怖いものだった。物心つくと、期待に応えられないことが、もっと怖くなった。
『出来損ないめ』
『何故、水を持たん』
『守護も出来ん役立たずが』
『政略結婚の道具にするか』
『ダメだ。劣った血を余所に知られる』
『おまえさえ、マトモに生まれていれば』
マトモって、なんだろう。
人がこわい。人間の目がこわい。厳しい目が、こわい。
そうやって、檻の中で喘いでいたころ。
私に弟が、生まれた。弟は水の異能を持ち、水守の繁栄を約束されたような力を持っていた。六歳年下の弟は、私にとっても可愛い弟だった、けれど。
『良かった、これで恥を晒さずに済む』
『遠縁の子であることにしよう』
『特専に放り込め。一生出られん契約でな』
『せめて、人類の役に立って死んでゆけ』
特専に入学して。
人が怖くて孤立して。
友達も、親しい人もできなくて。
『初めまして、僕が君たちの担任の陸奥国臣です。よろしく!』
初めて声を掛けてくれたのが、担任だった陸奥先生。
けれど、私は気に掛けてくれる先生に、何一つとして返すことが出来なかった。
それでも、事件に巻き込まれたときも、誰も見舞いになんか来ない病室に、ただひとり、綺麗な花を持ってきてくれた。
そして。
『今回の遠足なんだけど、ちょうど一人足らないグループがあるんだ。良かったら、どうかな? きっと、良い出会いになると思うから』
陸奥先生の言葉を信じられるほど、人間を信用できた訳ではなかった。
けれど、それでお世話になった陸奥先生の評価が上がるのであれば、なんの価値もない私でも、役に立つと思ったから引き受けた。
だから。
私はきっと、夢を見ているのではないかと思うほど、びっくりしたんだ。
『静音ちゃんって、呼んでもいーい?』
絶対に合わない。こんなにきらきらしている人たちに並ぶ自分が想像できない。我ながら失礼な態度だし、もうダメだ、なんて、ずっとそんな風に思っていたのに。
普段なら、きっと黙り込んでしまうほどに強引に名前を呼ばれて、けれど距離や話し方が、絶妙なほどに私の意識を和らげてくれて。
こんな私を、友達だって言ってくれた。
碓氷さんは、すっごく合理的。
でも、根本に情があって、江戸っ子っていうのかな。サッパリしてる。
有栖川さんは、とても上品。
物腰は柔らかくて、王子様のよう。包容力があって、少しお茶目。
笠宮さんは、よくわからない。
暢気でほわほわしてて優しくて、踏み込んでくるのにやんわりと包み込むようで。
気がつけば、本当に短い間なのに、隣に居る安心感までくれて。
『わたしと、わたしたちと出会うことが運命だよ』
なんて、そんな、夢のような。
心の底から求めていたものを、温かい、怖くない“手”で渡してくれた、私の魔法使い。
だから。
目の前を通り過ぎたのは、笠宮さんの影。
追いすがる間もなくはじき飛ばされて、笠宮さんの姿が見えなくなる。
何が起こったのか、理解する間もなく。
できたばかりの。
はじめての、ともだちが。
「救助――って、石?!」
「ユメ、シズネ、固まって! 分断される!」
「わ、わかった、リュシー!」
碓氷さんとリュシーさんが、呆然とする私の周りに集まる。
木々にも、あの大きな魔物に、私たちにも平等に降り注ぐ石の柱。
轟音を立てながら雲から降り注いだ石の柱は、まるで囲いのように、私たちと笠宮さんを遮断した。
「まずい、鈴理の救助ができない、つっもう!!」
「ッ落ち着け、ユメ。早く救出に行くには、早くアレを片付ける! それしかないだろう!!」
「わかってる!!」
「ユメ!」
「ッ――ごめん、頭冷えた。静音、あんたは大丈夫?」
問われて、我に返って、頷く。
みんなの目に失望はない。私が失望された訳ではない。けれど、焦燥のみがある。
あれ? なんで、だろう。なんで私、あんなに怒られることが怖かったのに、詰られることを望んでいたのだろう。
ああ、そっか。
私が、私自身を責め立てているんだ。
笠宮さんを、“失った”かもしれないと思って。
「やだ」
やだよ。
せっかく、もう、孤独じゃなくて良いんだ。
せっかく、やっと、笑い合えるひとたちを見つけたんだ。
笠宮さんを、“友達”を失うくらいだったら。
痛くてもいい。苦しくてもいい。この先ずっと、良いことなんかなくても良い。
だから、お願い、答えてよ。
私と一緒に生まれた、私の半身。
どうか、私に応えて。まだ、私、笠宮さんに、みんなに。
友達になろうって、言えてないんだからっ!!
「謳い奏でろ、妖精の吟遊」
声に、喉に、エメラルドの力が満ちる。
霊力が、魂から昇る源泉の力が、私の異能を一つ上の階位へ登らせる。
これはきっと、この異能の本来の力。“水守”に疎まれた私が、水を得られなかったことで疎んできた異能の、真実の姿。
ごめんね。
私はもう、あなたを否定しないよ。
だから私に、“友達”を助ける力を貸して!
「【妖精姫の賛歌】」
謳え、唄え、歌え。
其は、幻想奏でる吟遊の妖精なれば――!
――/――
鈴理が吹き飛ばされて、苛立ちに叫んで、リュシーと静音に迷惑をかけて。
ようやく石狩兎モドキと相対するも、鈴理の抜けた穴が痛い。降り注ぐ石柱が石狩兎モドキの右腕を完全に粉砕しているが、それがかえって動きづらい障害物をなくした石狩兎モドキを、鋭敏にさせている。
もっとも、隻腕となった分、バランスが取れなくてすさまじい跳躍はできないようだが、強靱な腕を振り回されるだけでも厄介だ。
もし、出血があって、意識が飛んでいたら。
鈴理は、取り返しの付かないことになる。時間がないって、いうのに!!
「【斬撃】! ユメ、前に出すぎだ!」
「っ、ごめん!」
石柱の雨は止んだが、それだけだ。
無作為に散乱する石柱のせいで、うまく距離感が掴めない。もう少し空間は把握能力が高ければ、もう少し早ければ、なんとかなるのに!
「碓氷さん! 有栖川さん!」
「っ」
「シズネ?」
聞こえてきた声に、振り向かずに頷く。
乱戦の最中、だけど、彼女の声は怯えや恐怖の声じゃない。
なんだろう。さっきまでよりもずっと、力強い声だ。
「強化をかけますっ!」
「頼んだわ!」
「任せるよ、シズネ!」
強化。
少しでも早くなってくれるのなら、それに越したことはない。のに。
「汝は影、汝は闇、汝は暗闇を駆ける刃の心。なればその身は、【影の王と知れ】♪」
さっきまでの、音色ではない。
それは歌だ。長く綴られる歌唱が響くと、身体に力が満ちる。同時に、そう、“理解”した。この身は、この瞬間、誠に影の王であると。
「っ、うっそ、すっご……」
石狩兎モドキが、毛皮から針を飛ばす。
百はくだらないであろうその針を、身をかがめ、跳び上がり、石柱を盾にして避ける。その動きは、さっきまでの私にできた動きではない。
できる、と確信して放った鏃が、突き刺さった石狩兎モドキの影を縫い付けた。影縫いの効果なんて付与していない、どころか、魔導術で付与してもきっとあのクラスの敵を縫い付けるコトなんてできっこないのに。のに。
「やばい、私、今、忍者だ」
碓氷忍術の伝承技、今なら使えちゃう?
そうこうしているうちに、また、声が響く。
「汝は光、汝は剣、汝は主君を守る忠義の士。なればその身は、【騎士の王と知れ】♪」
とたん、リュシーの剣が黄金に輝く。
剣を構え、振り回された尾を切り落とす、振り上げられた手を避け、足の腱を切る。瞬きの間に繰り返された斬撃は、重く、鋭い。
啓読の天眼とも合わさって、まさしく鉄壁。あれなんだろう、格好良い。これなら、早く、鈴理を助けに行ける!
『――!』
うなり声を上げた石狩兎モドキは、丸太をむちゃくちゃに振り回す。
けれど最早、そんな攻撃に当たってあげられる私たちではない。でも何故か、リュシーは焦ったように振り返った。
「いけない、シズネ!」
「ッまさか!」
偶然、なのだろう。
石狩兎モドキからすっぽ抜けた丸太が、空を切って飛来する。
その先に居るのは、異能の反動からか、肩で息をする静音の姿。
間に合わない。
なんで、二度も、こんなッ!!
「静音――!!」
「ぁ」
そして。
静音の立っていた場所に、回転して飛来した丸太が、突き刺さった。




