そのご
――5――
道行きは順調。最初に大紅鳥を倒してから三十分あまり。誰にも怪我一つなく進んでいる。
ということで、わたしたちは雑談に講じていた。もちろん、警戒自体は怠らないけれど、ほどほどに肩の力を抜いておかないと、正直、身が保たないのだ。緊張してばかりだと、いざという時に全力を出すことが出来ない。
「そ、それじゃあ、笠宮さんは、み、観司先生のお弟子さん、なのですか?」
「そうだよ! 師匠はねー、強くて優しくて、すっごく格好良いの!」
「え、ええっと女性の方、なんですよね?」
「そうだよ?」
夢ちゃんが後についてリュシーちゃんが前衛につくと、自然とわたしと静音ちゃんは並ぶような位置になる。けれど声は前後の二人にも届いているようで、時々、忍び笑いも聞こえてきていた。
「静音ちゃんは? 陸奥先生と、仲が良いの?」
「良く、して、くださっています。きょ、境遇が似ている、と」
境遇。
一瞬、ぼんやりと揺れる瞳。不覚なる瞬き。嫌な思い出? それに、どこか苦しそう。踏み込むか、踏み込まないか、決めたのは一瞬だった。
「境遇?」
「は、はい、その、私の家は、れ、歴史の古い、家で」
流されるようにぽつりぽつりと話し始めてくれる、静音ちゃん。その声は、言葉は、どこか重い。それに、苦しくさえ思う。それでも、踏み込むと決めたのはわたしだ。友達になるって選択したのは、わたし自身だ。
もしかしたら、傲慢なのかも知れない。それでも、どこか昔のわたしに似ている彼女と、笑い合う未来が欲しい。なんて。
もし、拒絶されたら絶対に踏み込まない。
けれど、揺れる瞳の奥に宿るのは、“はき出したい”という、そんな、はっきりとした形のない感情に見えた。
「み、水を扱う、秘術を扱う、その、家で、だ、代々、主君を守る家であると聞かされて、そ、育ちました。で、でも、“発現型”だったので、あ、あんまり期待はされてなくて。し、静騎が、弟が生まれたら、用済みで、特専に来ました」
短く語られた言葉に込められた、裏側の歴史。
自分に価値がないと叫んだ、静音ちゃんの声。
紐解いて良かったの? 苦しめるだけじゃない? 彼女を助けるだなんて、なんて傲慢? 出会ったばかりの女の子に、できることなんてあるの? そんな資格が、あるの?
自分の中でリフレインする言葉の数々は、けれどいつも、自分に返る。出会ったばかりの女の子でしかなかったわたしに、放っておけないからと差し出された手。最初は夢ちゃんで、その次が、師匠。
その手が、あたたかかったことを、知っている。
「なら、きっと運命だね」
「う、疎まれることが、運命、なら、わ、私は――」
「わたしと、わたしたちと出会う運命だよ。だって、もう」
「――ふぇっ?」
静音ちゃんの手を取って、その冷たい手に、あたたかさが伝わるように。
「友達だから。これから、一緒に色んなコトで笑って、泣いて、乗り越えていく友達だから。出会ったばかりなのに、こんなにわたしは静音ちゃんと一緒に居たいから」
「と、ともだち、うんめい、運命?」
「そう! さっき、バスの中で友達になったよね? そうしたら、次は親友!」
「わ、わたし、私、なんか、が?」
わたしの手を握る静音ちゃんの掌が、小さく震える。
静音ちゃんが前を見ると、リュシーちゃんが親指を立てていた。振り向く前に、夢ちゃんが静音ちゃんの背を優しく叩いた。
わたしはほんの少しだけ、強く、静音ちゃんの手を握る。
「な、なんの役にも立てないよ?」
「ダウト! 静音は我が班に於いて優秀よ」
「み、みんなと違って、可愛くもない」
「謙遜かな? シズネは可愛いよ。スズリなんか、君の瞳に夢中だ」
「じ、自分に自信がなくて、力も上手く使いこなせなくて、なんにも持ってない」
「やった! 静音ちゃんの思い出のアルバム、最初の一ページ目はわたしたちだね!」
「ぁ、ぁう――わ、私、で、いいの?」
もちろん!
声が三つ重なると、静音ちゃんはまた、涙を流す。けれど小さく微笑まれた顔立ちが、泣いていたときよりもずっと可愛くて、ちょっとだけ、その横顔に嫉妬してしまいそうになった。
大丈夫。大丈夫だ。仲良くなれる。きっと、うん、誰よりもわたしたち四人は仲良くなれる。なんだか、そんな確信が、わたしの中にはあった。
きっとその確信は、夢ちゃんとリュシーちゃんの中にも。
「む、ユメ、あそこ」
「お? っコカトリスの幼体、ね」
リュシーちゃんが見つけて、夢ちゃんが頷く。
わたしは涙を拭った静音ちゃんに拳を差し出すと、きょとんとしたあと、こつんと拳を合わせてくれた。律儀だ。嬉しい。
雄鳥の胴体と蛇の尾を持ち、吐く息で相手を石にするという魔物、コカトリス。
彼らの幼体は鶏冠が小さく毛色も黄色で、蛇の尾も小さい。だが、そのサイズは幼体から既に人間の子供ほどもあり、成体になると成人男性ほどのサイズにまで成長する。
石化能力事態もまだ弱く、相対して長く吹きかけられるとまずいが、逃げる最中に少し当てられる程度なら魔導術で癒やすことが出来るという。あとをつけて彼らを狩る石狩兎を探すのは、比較的容易なことだ。……うん、夢ちゃんの受け売りです。
「そ、そうだ。えっと、く、草の歌【――、~♪】。少しだけ、気配を薄めます」
「お、ありがとう。静音」
おお、そんなこともできるんだ。応用力がすごく高い。
わたしの異能はこう、こういうことに使ってたらすごく“疲れる”からなぁ。なんというか、基礎消費MPが高い、みたいな。攻撃に使用すると、更に倍でドン、だし。
息を潜めて進んでいく。ざわめく森の、暗い、しめった草が気持ち悪い。肌を撫でる風も刺すように冷たいのに、触れる木々はじっとりと温かい。なんでも、寒さから薪にするために木を切り倒したら、中心から火が出た……なんてこともあるらしい。なんなの。
「ん、足を止めたね。スズリ、シズネ、ユメ、一時停止」
リュシーちゃんの言葉で、全員が動きを止める。
見れば、コカトリスの幼体は、足を止めてきょろきょろと周囲を警戒しているようだった。索敵範囲は半径三百メートル。その周囲に敵性反応はない。なら、なにをしているのかな?
ざわめく森。
じっとりと湿った空気。
ぐらぐらと色を変える雲。
コカトリスが草を踏む音が、聞こえる。
「っ」
そして。
「スズリ、対衝撃!」
「ッ?! 【力量遮断】」
出しっ放しの平面結界と共に、干渉制御を発動。
その間にリュシーちゃんは静音ちゃんを素早く背に庇い、臨機応変に動く夢ちゃんが、巻物を口にくわえて手甲を向けた。
瞬間。
轟音。
コカトリスの幼体が、灰色の“何か”に押し潰される。
それだけでは威力は収まらず、衝撃で周囲の木々が撓み、引きちぎれ、地面にはクレーターが出来た。
「冗談でしょ……“索敵範囲外”から、一息に跳躍してきた?!」
「私の“眼”に映らなければ、衝撃で吹き飛ばされていた、かな」
灰色のナニカは、形容しがたい形をしていた。
大きさは二階建てのビルほどもある。身体を覆う毛皮は針のように尖っていて、背から生えるのは竜の翼。尾は二股に分かれている蛇のもので、尾の先は蛇の顔がついていた。
腕は爪の鋭い人間のもの。おそらく、オーガの腕だろう。鬼、と形容しても良いかもしれない。顔は兎、なのだろうか。鋭い鉤爪が生えた足は兎なのだが、顔は形こそ兎だが、黄金に光る眼は左右合わせて八つあるし、耳は甲羅のようだし、巨大な角が三本も生えていた。
「ベースは石狩兎ね。他は混ざりすぎて判断が付かないわ。でも、おそらくあの尾、あれ、バジリスクよ」
「逃げるが勝ち、で良いのかな? 夢ちゃん」
「正解。でも」
石狩兎モドキは、足下のコカトリスを食べているようだった。その間に逃げ出したいのだが、相手は少なくとも三百メートル超を一息に跳躍する相手。
音を立てて逃げ出せる相手ではないだろう。戦うのも論外。逃げるのも難しい。なら、どうする?
「【屈折迷――」
「スズリ、反発!」
「ッ――【反発】!」
ズンッと腕に乗る衝撃。
前衛を完全に無視して、わたしだけを潰しに来た?! もしかして、強い異能に反応しているの? だとしたら、なんて油断!
反発で辛うじて跳ね返すと、石狩兎モドキは警戒したように下がる。その一歩が、見えない。
「接敵警戒! 戦闘準備移行! フォーメーションセット!」
夢ちゃんの号令に合わせて、フォーメーションを整える。
前衛はリュシーちゃん。中衛はわたしで、その後に静音ちゃん。最後尾の夢ちゃんは、後方の木に飛び乗った。
「負担掛けてごめん。リュシー、迎撃指示は任せたわ」
「任せて。頼むよ、相棒。【啓読の天眼】」
石狩兎モドキは、攻撃を仕掛けようとはしない。その理由を、“観察”で探る。攻撃には反撃をする。まず、実力も確認した。彼にとってわたしたちが、とるに足らない餌であり、遊び道具だとしたら?
逃がさないけど、一息に殺しもしないはずだ。
「夢ちゃん、わたしたちはたぶん、オモチャだよ」
「……あー、おーけー。静音、反応強化お願い」
「は、はい! 隼の声【っ―♪―~♪】」
綺麗な音色が響く。敵、味方の区別しかつかないそうだけど、十分だ。わたしたちに今必要なのは、リュシーちゃんの見た風景に対する指示に、正確に従えるだけの反応。
それが整うならば、まだなんとかなる。
どくどくどくと、心臓の音がうるさい。
目がちかちかするほどの緊張に、身体が強ばる。
「【起動】」
振り抜くような音。
握りしめられた石狩兎モドキの腕が、リュシーちゃんの構える剣に当たった音だ。
「づっ、ぁああああ! 【衝撃】!」
返す刃が石狩兎を切りつける。けれど針のような毛皮を傷つけただけだ。後から飛来している夢ちゃんの鏃も、さっきからずっと跳ね返されていた。飛び道具は、きかない。
どうする? 干渉制御で表皮に干渉をかける? いや、さっきのが干渉制御に反応した動きだったら、また防がれるだけだ。どうする、どうする、どうする。
「け、気配を薄くして、に、逃げましょう、こ、こんな!」
静音ちゃんの、震える声。
逃げ出したい。けど、戦わなければ打ち勝てない場面で、逃げることは出来ない。それはわたしの矜持を傷つけることだから。友達と交わした、わたしの矜持が、低くうなり声を上げている。仲間を、群れを不安にさせる長を、情けないと笑っている。
だから。
自己暗示の詠唱なんて必要ない。極限まで、わたし自身を研ぎ澄ませ。わたしは、狼の友なんだから!
「ッ【速攻術式・身体強化・速攻追加・二倍・展開】――わたしが、前に出る!」
「リュシーは援護射撃に切り替え! 静音を守りながら狙撃! 静音はリュシーの援護のみに集中! 私は攪乱に出る!」
「わかった! シズネ、私が君を守るよ」
「わ、わた、私が、変なことを言ったから、笠宮さん、が」
「いいや、違う。スズリはああいう子なんだ。逃げること知らない子なんだ。だから一緒に、サポートを頼むよ、シズネ!」
「――~っ、はい!」
周囲の風景が加速する。
二倍で捉えられないならもう二倍、もう二倍、もう一個二倍!
ぎしぎしと身体が軋む音がする。きっと、クリスマスはベッドから動けない。でも、みんなで明日の朝日が見られるのなら、安すぎる代償だ!
「【回転】!」
『――?!』
石狩兎モドキに、高速回転する盾が当たる。
ぎゃりぎゃりと高音を立て、削れるのは針のような毛皮ばかりだ。それでも、確実に削れては居る。場所に狙いを定めることが出来ないほどの高速移動。通り過ぎ際にぶつけるだけの稚拙な攻撃。それでも、今は、追いつくだけの速度があれば充分!
「あああああああっ!! 【反発】!」
足裏に反発。
振り下ろされるハンマーフィストを跳ね、避ける。
轟音、潰れる地面。跳ねるように動いて、蛇の尾を躱す。発動していないだけ? 石化の邪眼はないのだろうか。この状況でバジリスクの目まで使われたら、死ぬ。
「【圧縮射出】!」
『――!!?』
初めて見せる、石狩兎モドキの苦悶の表情。
その理由は蛇の尾、バジリスクの瞳が四つ全て、撃ち抜かれていた。
「石化の瞬間、バジリスクの瞳は脆くなる。そのタイミングは極めてシビアだが、“来るとわかって”いれば、撃ち抜くのは容易い……!」
リュシーちゃんの射撃が、バジリスクの目を撃ち抜いてくれていたのだろう。それならずっと、戦いやすい!
「鈴理、一歩下がって! 【起動術式・忍法・雪矢痕混・展開】」
一歩下がると、石狩兎モドキを覆うように矢が降る。その矢一本一本が氷が出来ていて、当たらない範囲にいるわたしですら、肌を刺すような冷たさを覚える。
それは布石だ。どんな生き物でも、寒さは筋肉を緊張させる。元が蛇や兎であったのなら、それはより顕著になる!
『!! ッ!!』
暴れる石狩兎モドキの動きも、今や硬い。これなら!
「【回転・回転・回転・回転・回転】」
回転を、重ねて、重ねて、重ねて。
空気を切るほど回転した六角形の盾は、最早、円形にしか見えない。わたしは盾を“縦”に振りかぶると、勢いを付けて投げた。
「【加速・投擲】!!」
――ギュリィィィィィィィィンッ!!
高速回転する盾は、石狩兎モドキの右腕を切り裂く。
流石に切り落とすことは出来なかったが、再生しようとする傷は瞬く間に凍り付き、動かなくなった。半ばまで切り裂かれた腕は、それで使い物にならなくなる。
残った左腕が、わたしを捉える前に離脱して――
「え? ぁ」
傾く視界。
足が、とられる。
躓いた? 何に? ……ひび割れて、隆起した大地に、だ。
『――ッ!!』
轟音。
超強化された身体を、衝撃が貫く。
わたしに突き刺さる巨大な拳。あばらの折れる音、だけで済んだのは、身体強化のおかげだろう、けれど。
ただの一撃で砕け散った身体強化。衝撃は勢いを殺してはくれず、舞う身体。
「鈴理――!!」
遠くに聞こえる声。
驚くほど瞬く間に、みんなの姿が遠くなる。
「づっ、うぁっ!?」
ずぶり、という嫌な音。
枝が、腹から突き出て、折れる。
そして。
「ぁ」
手を伸ばす視界を、覆ってしまうように。
「し、しょ」
――“石の柱”が、突き立った。




