そのろく
――6――
瞼の裏を照らす灯りに、ぼんやりと目を覚ます。
今はいったい何時なんだろう。あれ? 今日って休みだっけ? ええっと、枕元に腕時計を置いておいたと思ったのだけれど……ん、ない。
「ふぁ……ふぅ、む。月? きれー……。あれ? 朝じゃなくて夜?」
灯りの消えた部屋。
瞼の裏を照らしていたのは、晴れた夜空に浮かぶ月の光であったようだ。それにしても綺麗な満月だなぁ。で、ここはどこだろう?
目をこらして周囲を見る。カーテン、ベッド、シーツ、寝間着、かけられたスーツ。枕元の眼鏡。腕時計は見当たる範囲にない。右手には包帯。包帯? ほうた――ぁ。
「い、今何時?! むしろいつ!?」
そうだ、どうしよう、思い出した!
深夜警備の最中に襲われて、寝不足と貧血で倒れたんだった。確か、七魔王トレーダーに反応があった以上、相手は七魔王に違いない。その危険性を伝えずに倒れるなんて、なんて失態!
体調、コンディションは万全。ここのところ疲れが溜まっていたからなぁ。この機に回復できたというのなら、急がない手はない。まずは状況確認。端末で連絡……って、端末どこ?!
「ま、まずは着替えよう」
深呼吸をしながらスーツに着替える。正常な思考だったらスーツに仕込んだ術式刻印で防御くらいしたことだろうに、寝不足って怖い。
三年くらい前までだったら、徹夜して仕事くらいなんということはなかったのに、年って怖い。うん、よし、落ち着いた。
「トランプはある。術式刻印も正常。破れた脇腹は? ああ、これ、予備のスーツか。誰が持ってきてくれたのかは考えないようにしよう」
もうこれがないとしっくりこない伊達眼鏡もかけて、用意してあった革靴を履いてカーテンを開ける。すると、医務机の上で寝こけていたポチが、身体を起こした。
『む、目が覚めたか』
「ポチ、状況は? 私が倒れた以降の経緯も教えてちょうだい」
『ボスを嵌めた人間が超人至上団体との繋がりで資金調達をしようとしていたことが発覚。七魔王探索は以降、特課との合同で行うことが決定。今日は、ボスが倒れて三日目の夜だが、今日まで姿を見せていない』
「なるほど。なら、今は特課のひとたちが捜査を?」
『うむ。獅堂と弟殿も参加をしている。だが、急いだ方が良い』
「え?」
ポチの言葉に、思わず聞き返す。
さっきから繋げようとしても繋がらない端末。焦りと緊張で、汗が流れる。
『満月は魔界との時限的な繋がりがもっとも強くなる。今日までことを起こさなかったということは、ことを起こすのなら今日、ということでもあろう』
「っ、ポチ、七魔王の位置がわかったりはしない?」
『途切れるまで、獅堂の匂いを追おう。あやつめ、ギリギリまでボスの毛繕いをしていたからな。ハッキリと匂いが残っている』
「け、けづくろい……と、ともかく、お願い!」
『心得た!』
ポチの先導に従い、走る。
獅堂、七、特課のみなさん。
どうか、無事でいて――!
――/――
結局、柿原のバックにいたのは超人至上主義団体だったようだ。
特異魔導士の出現をかぎつけ、傍に居るのが魔導術師ではせっかく発現した“選ばれし者”がダメになってしまうと危惧した連中が、教育に付いている魔導術師の排除と、ついでに資金調達のために権威と金に弱い柿原を使い、未知を追い詰めた。結局のところは蜥蜴の尻尾でしかなかった柿原だが、連中は、七を甘く見ていた。柿原から辿って、幹部の一斉検挙。そのために、今日の捜査開始間際までは参加予定だったが、証拠提示のために一時関東を離れることになった。
まぁポチには言い忘れたが、良いだろう。何かあったら俺の匂いを辿るように言ってある。
「俺一人で悪いな、柾」
そう、声を掛けると、茶髪を後でちょこんと結んだ、童顔の男が振り向いた。
「と、とんでもないッス! 楠先輩のご同輩で英雄の九條さんと捜査ができるなんて、感激ッス!」
ぺこぺこと頭を下げながら、柾はそうきらきらとした笑顔で言う。
特課所属の係長。エリートコースを邁進中の子犬系男子。そんな風に他の捜査員から言われていたのをふと、思い出す。
名を、“柾崇”。仙衛門の“楸”、正路の“楠”と並ぶ名門の出なのだが、そんな堅苦しい雰囲気が一切なく、真面目で接しやすい有望株だから、色々と期待していると正路のヤツが言っていたことがある。
「で、どうだ?」
「は、はい。秘術で捜査している限りでは、この辺りに“残滓”があるのは間違いないんスけど……」
端末を展開して、地図を確認する。
特専はどこもそうだが、街に降りなくても一通りの物は揃うようになっている。居住区と呼ばれる場所は校舎や教員棟よりも奥。校舎から見て手前に、通学期間内に使用される生徒寮と、教員寮がある。この生徒寮には碓氷や有栖川が住んでいて、その更に奥の立地に特専経営の街がある。衣類、食料品、学業必需品、娯楽施設となんでもある、ヨーロッパ風の街並みだ。この更に奥に、卒業後も特専に残って仕事に就くことを想定された施設、所謂居住区生徒寮があるんだが、今いるのは、そのヨーロッパ風の街の中だ。
特専からの指示で、全ての建物から人がいなくなっている。住み込みの従業員まで避難させる徹底ぶりで行う必要がある、と、理事長が判断したからに他ならない。まぁ、仮にも魔王相手だ。こうなるのも無理はない。だからこそ、特課からも精鋭が駆り出されているっつー話だし、な。
「しかし、今日は満月か」
「思い入れでもあるんスか?」
「ん? ああ、まぁな」
俺が、ポチを除いて唯一面識のある七魔王、ダビド。吸血鬼を名乗るあの男も、満月の夜を好んだ。
「なんでも、悪魔にとって満月は特別な意味が――あ」
「あ?」
「いや、そうだ。特別な意味があるんだったら、仕掛けるなら“今”だ。直ぐ、特課の連中に警戒態勢を取らせろ」
「はいッス! 信号――OKッス!!」
「よし、こっちの端末は……一歩、遅かったか」
端末の受信がストップし、圏外になる。
代わりに、太ももにくくりつけた七魔王トレーダーが、バイブレーションで俺に危険を伝えてくる。
「柾、おまえは回避に徹しろ」
「はいッス! 回避は得意中の得意ッスよ~っ!!」
リボルバータイプの拳銃を片手に気合いを入れる柾。
俺はそんな柾を背に、身体に霊力を滾らせる。
「よォ、ところで寒くはねぇか?」
「へ? 寒いッスね」
「んじゃ、しばらくホットに行くから、熱中症に気をつけな」
肌が粟立つ。
髪が、目が、舌が焼け付くような興奮に、高揚に、昂ぶりに燃え上がる。
「――おい、屈め」
「すわっス!」
動作は単調に。
ただ、手を振るだけだ。それだけで、纏わり付いた火炎が波打つ。技術も何もないただの火炎放射は、しかし奇襲を討とうとする相手には抜群の効果を持つ。
「チッ」
濃霧から身を翻し、月の届かない石畳に降り立つのは、トレンチ帽にコートの男。女? どっちでも良いか。不審者で充分だろ。
「よぉ変質者。赤い紙でもご所望か?」
「――シッ」
不審者はコートを翻し、再び濃霧に消えようとする、が。
「おいおい、夜はこれからだぜ? 【第三の太陽】」
「グッ……!」
濃霧を打ち消すように炎柱を放つと、不審者は濃霧に戻ることを止めて俺に向き直る。そうだ、それでいい。俺は全方位攻撃が得意だが、柾はそうじゃない。奇襲に再び移られる前に、俺たちが得意なフィールドに立たせる。
柾は、警戒を強めている。回避が得意なのは本当のことだろう。なら、こいつはこれでいい。濃霧からの奇襲さえなければ対応は可能であるはずだ。なら。
「火遊びの時間だ。魂の奥まで燃え上がらせてやるから、俺の炎に酔いしれな」
「……ザッ!!」
不審者は、ナイフを片手に走ってくる。到底人間の目で追える速度ではないが、そこはそれ。熱とは振動、振動とは波だ。周囲に放った熱のソナーが、知覚範囲の限界を越えて、俺に不審者の居場所を教える。
俺はなァ、ちっとばかり頭にキてんだ。この憤怒、熱で以て味わいなァッ!!
「【第一の太陽】!」
「チィッ!?」
うねるように膨れあがった炎が、球体となる。結果的にその炎に突っ込んだ不審者は、コートを焦がしながら大きく下がった。だが、逃がしてやれるほど俺は甘くねぇよ。
パチンッと指を弾くと、球体だった炎が爆ぜる。花火のように無数の火炎球となって飛来するそれを、不審者はナイフでたたき落として行くが、その隙に炎のブーストで駆け抜けた俺の足が、不審者の土手っ腹にスタンプを決めた。
「ガッ」
「おら、喰らいなァッ!! 【爆炎】」
爆発。
轟音。
コートが爆ぜ、肉が焦げる匂いが届く。
不審者はその場にトレンチ帽を落とすと、咳き込みながら焼けた肉を“修復”した。
「は、ははっ、謎の不審者では終わらせてくれないか」
天然パーマに眼鏡の、気弱そうな男。
だが細められた瞳の奥は、白黒反転した不気味な目だ。
「てめェ、確か――そう、水沢」
「あはは、ばれちゃったかぁ。もう少しこの身分も隠れ蓑にできると思ったんだけどなぁ。僕の“夜霧”と君の炎は、相性が良くないようだ」
水沢渉。確か、異能科の教員だったはずだが、これはどういうことだ? 七魔王にそんなヤツはいなかったと思うんだが……ま、偽名か。
「しかし、困ったなぁ。もう少し“蓄える”予定だったんだけど、こうなったら仕方ないか。君たちの肉の感触を堪能したら、ここから去ることにしよう」
「ハッ、そう簡単にいくか?」
「簡単さ。正体を隠す必要がないのなら――」
と、水沢の姿がかき消える。
出現位置は……熱のソナーが反応しない?
「――思い切り戦える」
「ぐぁっ?!」
「九條さん! このぉッ!!」
咄嗟に避け、腕を切り裂かれる。
反射的に打ち込まれた柾の弾丸も、水沢は軽々と避けた。
「あの街を思い出すよ。狩人たちを退けて、夜を駆け、女の肉を味わった」
水沢は、ナイフについた俺の血を、ぺろりと舐めて恍惚と笑う。ダビドのクソジジイによく似た雰囲気だが、決定的に違うものがある。
そうか、わかった、こいつは――。
「テメェ、“染蝕者”か」
「と、もうわかったのかい? すごいすごい」
ぱちぱちと拍手をして笑う間も、隙の一つもありはしない。
「では改めて、自己紹介だ」
水沢はそう、眼鏡を投げ捨て、髪色を黒からくすんだ金に変え、禍々しく笑う。
「僕は“魔塵王”、ジャック・ヴァン・リストレック。あの霧の街ではそう、ジャック・ザ・リッパーなんて呼ばれていたかな」
「で、伝説級の犯罪者じゃないッスか?!」
チッ、おいおいマジか。
こいつら魔の存在は、どういう訳か長生きするヤツほど強い。比較的新しい存在なのにこの強さってことは、相当な力を持つ存在ってことになる。
ドーピング用の“種”を呑み込むほどの“悪”である時点で、わかることでもあるが。
「柾、逃げられるか? ちょいと加減がきかんかも知れねぇ」
「はい、逃げることでしたらいくらでも、ッスけど……」
「んじゃ、行け」
柾はいくらか逡巡し、それでしっかり頷いた。自分の戦闘能力と、場の状況を判断できる。若いのにそれができるっつぅことは、それだけで花丸だ。
「ん? 逃がすとでも思っ――」
「逃げるッス! 秘術“開闢”!」
「――なっ」
柾は“空間を切る”と、その中に身を潜ませて、即消えた。何でも切り拓く切開能力。逃げることと捜査をすることに適性が特化しているせいで、戦闘には不向き、ということだけは惜しいが……まぁ、破格の能力だ。
「あーぁ、まったく。それなら君だけで我慢するよ」
「そう言うな。死ぬほど満足させてやるからよ」
「本当に? でも、もう効いてきたんじゃないか? 僕の“毒”が」
「あん? そんなもの」
身体から、炎が噴き上がる。
パイロキネシストの発火能力。まさか、舐めてた訳じゃ、ねぇだろうな?
「とっくに“灼いた”ぜ」
「――なるほど。確かに、愉しめそうだ……ッ!!」
水沢――いや、ジャックがナイフを投擲する。その数は八。高速で飛来するそれらを、炎を纏わせた手で弾くと、懐に入ってきたジャックと目が合った。から、切り裂かれる前に頭突きでヤツのスカした顔を凹ませる。
「ガッ」
「おい、どこ行くんだ」
「石頭がッ!!」
胸ぐらを掴んでもう一発。炎でブーストをかけた頭突きは、ジャックの足下に小規模のクレーターを作る。もう一発、は、夜霧から飛び出したナイフに邪魔をされて距離を取られるが、関係ねぇ。
足から噴出させた炎で近づいて、胴回し回転蹴り。かかとがヤツの頭にぶち当たると、轟音と共に火花が舞う。
「ギッ、つぁ、調子に乗るなよ、小僧ッ!!」
「耄碌してんじゃねぇか? あの世に引退しな、爺さん!!」
ナイフが頬を掠めて、燃え上がった火の粉が毒を灼く。
振り回した腕がヤツのレバーを叩き、宙に浮かせる。
夜霧から飛び出したナイフが背中に突き刺さるが、気にせず殴る。
手刀の形に作った手が、ヤツの腹を撃ち抜く。そのまま捕まれて手を切られるが、切り落とされる前に灼く。
「おらァッ!!」
「はァッっ!!」
拳が。
――街灯がへし折れ。
刃が。
――石畳が陥没し。
炎が。
――街壁が崩れ。
鉄が。
――水道管が、破裂する。
幾重にも交差して、やがて、顔に突き出されたナイフに距離を取らされた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ……幾つ持ってんだ、それ」
「くっ、はははっ、たくさん、だよ」
破裂した水道管から噴き出した水が、俺を濡らしていく。水程度で消えるほど軟弱な炎じゃないが、いや、重い……?
「シッ」
「今更ただのナイフ投げが――」
避けようとした身体を掴む、水の腕。
まさか、夜霧の能力を、水道管の水に練り込ませていた?
「――しまっ」
「たっぷり食べるといい。流石に灼かせはしないがね!」
視覚出来るほどの毒が塗り込まれたナイフを、すんでのところで避ける。
だが夜霧に跳ね返るように戻ってきたソレは、既に避けられる速度を超えていた。
「くそっ」
「はっはーッ! これで終演だ!」
『ふむ。やることがみみっちいな』
「は?」
そして。
『“狼雅ブレス=オブ=ロア”』
風の弾丸が、纏わり付いた毒ごと、ナイフをはじき飛ばした。
2016/11/09
一部用語修正しました。
2024/02/01
誤字修正しました。




