そのご
――5――
明けて早朝。
まだ小鳥の囀る音も響かぬ内から、職員会議が開かれることに決まった。集まり出すその前に、医務室で未知の様子を確認する。
「七、調子はどうだ?」
「容体は落ち着いたよ。寝不足は大した問題ではなくて、寝不足から来る判断ミスが招いた結果だね。普段の未知ならば、防御を完全に固めて、連絡手段を確保して、それからじっくりと犯人を炙りだしたはずだ。それが出来ていれば、“こう”はならなかっただろうね」
「疲労と貧血、だけじゃねぇな?」
「ああ、“毒”だよ。それ自体は浄化したけれど、蝕まれた体力は戻らない。しばらくは寝かせてあげよう」
「んじゃ、ポチ。たまには弟子の方じゃなくて、ご主人様の警備でもしてな」
『心得た。それと、濃霧の相手は七魔王であるのなら、警告だ。周辺被害には充分気をつけろ』
眠る未知の枕元で丸くなるポチに告げられ、頷く。
周辺被害も、名が知れ渡ることも、“発覚”してしまえば逃げはしない。悪の代名詞足る“魔王”の称号を持つ存在。
俺も居て、七も居て、瀬戸を初めとした優秀な教員もまぁまぁ揃ってる。生徒を駆り出すつもりはないが、いざとなれば鈴理も、生徒会の連中も尽力するだろう。安心できる状況ではないが、犠牲者を出さないように力を振るうことはできるはずだ。
「だから、安心して寝てろ。俺が、どうにかしてやるから」
眠る未知の髪を分けて、額に唇を落とす。
まったく、人の心配を余所にあどけなく寝やがって。元気になったら、覚えておけよ? 心配させられた分だけ、からかい倒してやるからな。
「さて、行くか」
「寝込みを襲う変態野郎に先導されるのは癪だけど、今回ばかりは見逃してあげるよ」
「はいはい、ありがとよ」
肩をすくめる七を引き連れて、会議室に向かう。
さてさて、どんな言い訳を聞かせてくれるのか、楽しみにしているぜ?
会議室に到着して席に着くと、部屋はしんと静まりかえっていた。
警戒に何人かの教員を残し、ほとんどの教員がこの場に集まっている。裂いた人員は……高原と、水沢と、陸奥か。水沢はほぼ当事者と言える立ち位置だったと思うが、まぁいい。矢面に立つために出席しているような主犯は、ここにいるようだしな。
「さて、メンバーも揃ったようだ。これより緊急で職員会議を始める」
そう落ち着いた面持ちで開廷を宣言したのは、他ならぬこの特専の理事長。七名からなる関東特専理事総会の決定権を持つ、実質的な支配者。
「会議の進行は私、関東地区特異能力者及び魔導術師育成専門学校理事長、浅井狼が勤めさせていただくよ。さ、まずは問題の提示から始めようか」
「理事長!」
ガタンッと立ち上がったのは、件の柿原だ。
ガッチリと着たスーツ、ひっつめ髪、細長い眼鏡、厚化粧。血色良いなオイ。ぐっすり寝てりゃそうなるか。
「まず、問題の提示から始めようか。私はそう言ったと思うのだけれど、聞いていましたかね? 柿原先生」
「し、失礼しました」
理事長、浅井狼は、俺をシンボルとする関東特専ではあるが、“共存型”の異能者だ。
涼やかに撫でつけられた髪と左目のモノクル。カッターシャツにスラックスと、ベスト。それから黒い手袋の中性的な男。どう見ても七とどっこいどっこいの見た目だが、未知の両親と旧知の関係であるというのだから、この人といい時子といい、よくわからん。
「さて、この特専内で起こっている連続刺傷事件。基本的には特専内の事件は特専内で解決するのが主流ではありましたが、一学期の連続通り魔、二学期の妖魔侵入事件を経て生徒への被害が懸念されるケースであれば、警察機構への捜査協力要請をする方針に固まったはず、ですが……柿原先生? あなたが深夜警備を率先して行うという報告でしたので、ではあなたを中心に複数名の教員で班分けをし、授業スケジュールを調整しながら事件の警戒を推し進めるはずでしたが」
あん? 柿原一人で行う日程でもなかったってことか?
おいおい。それだとなんだ、未知はずさんなスケジュール計画そのものに巻き込まれたのか?
「私の下に届いた報告、陸奥教員や瀬戸教員が受け取った報告、あなた方が管理していたスケジュール予定紙。全てが食い違っているのは何故か、まずは説明をお願いします」
そう、各員の端末の席に配置されたデスク一体型モニターに表示されるのは、三つのデータだ。一つは俺が高原教員に見せて貰った、未知のぎちぎちスケジュール。一つはそのデータのもとになったと思われる、柿原のぎちぎちスケジュール。そして最後の一つが、理事長に送られたとみられるデータ。そこには、柿原を中心に柿原派の人間が深夜警戒に組み込まれていて、その際の“必要予算”が提示されている。
だが、必要予算ってのは、なんだ? この異能者と魔導術師がなんでも提供してくれる学校で、必要予算? 特別手当ではなく予算ってどうする気だ。異能発動に必要な触媒? はぁ? テメェ、“発現型”の異能者だろうが。なんでそんなもん必要なんだよ。
「資料配付を担当した高原教員が間違えたのでしょう」
「ほう? では観司教員の深夜スケジュールを私に提出する予定であった、と?」
「ええ、もちろん。必要予算については、私の確認不足です。ですが振り込まれるのは給与受け取りの際でしょう? であるなら、今からデータを修正すれば間に合います。それよりも、観司教員の、犯人取り逃しの失態と体調管理のずさんさについて追求されるべきでは? “お身内”なようですから、理事長も目が曇っておられるのかもしれませんよ」
嫌みったらしく言い放つ柿原に、視線が集まる。柿原派の人間はその堂々とした態度に安心を見せ、そうでない人間は苛立ちを含んだ視線を放ち、中立派は俯いている。
これが会議? これが人間か? こういう時ばかり、仙衛門の言葉が蘇る。人に、我らが縋る必要があるのかと問うその姿勢が、胸の中で炎のように燃え上がる。
「あのさ、君――」
「理事長、発言をよろしいでしょうか」
俺よりも早く冷静になった七が発言しようと口を開き、けれど、被せるような声に気を留めたようだ。まぁ、後の未知の生活を考えれば、英雄である俺たちが口を出すのは最良とは言えない。それでも良い牽制になることには違いないのだから、一度絞り尽くしてやろうかと思ったが……。
ピシッと髪を撫でつけ、パリッとスーツを着こなし、クイッと眼鏡をあげたその風貌に、七と顔を合わせて苦笑する。まぁ、良いだろう。あいつなら、誰よりも鬱憤を晴らしてくれる。なにせどうも、神経を逆なでするような言い方で崩すという一点に関しては、俺も七もきっと及ばないのだから。
「ええ、瀬戸先生、構いません」
「ありがとうございます。では――」
瀬戸はそう言うと、虫けらでも見るような目で柿原たちを見回す。その視線、柿原の肩が僅かに揺れた。
「――まず第一に、スケジュール日程計画書について、柿原教諭に問いますが」
「それは、高原教員のミスであると申し上げたでしょう? 若い女に目がくらみましたか?!」
「こちらの質問は終わっていません。……人の話は聞くようにと小等部で学ばなかったのでしょうか? と、失礼。教師が無学を笑うものではありませんね。後ほど、道徳から学び直せるよう手配いたしましょうか? おや? 言うことはない? では続けましょう。まったく、話の腰を折る前に、無駄な自尊心を折り曲げて頭を垂れる練習でもなさったら如何か」
一つ言えば十返る。
そのことがよく理解できたのだろう。柿原は、顔を真っ赤にして動かなくなった。
「さて、話を戻しますが、このスケジュール日程の再調整を行った人物は柿原教諭で……はい、間違いないようですね。では質問なのですが、この日程計画書では当初、柿原教諭が深夜の警備に割り当てられた場合、午前の担当授業を他の教員に交代しているように見受けられます。その日程が観司教諭に引き継がれたあとも変更ないようですが、これはどのようにご説明いただけるのでしょうか?」
「それは、確認不足です。申し訳ありません」
「ほう? では何故そのことについて一切の言及なく、先ほど、観司教諭の体調管理について言及されたのですか? これは、日程計画書を任されながら観司教諭の午前出勤について管理しなかった貴女のミスでは?」
「き、気がつきませんでしたの」
「気がつかなかった? では、この該当日、午後出勤であることに気がつかず、過ごしておられた、と?」
「そ、それ、は」
柿原は、瀬戸にまっすぐと睨み付けられて、怯む。その動揺に口を挟まない瀬戸ではない。
「ああ、なるほど。午前中丸々寝ておられた、と。貴女の日常生活が生徒たちの規範となり得るかどうかについては後ほどの言及とさせていただきますが、いささかズボラさが過ぎるようですね。いったいどのような教育を受けておられたのか、一教師として今後小等部にて教鞭を執る機会がありましたときのために学んでおきたいものですが、まぁ今はそれは置いておきましょう。日程計画書をろくに練られないのにも限らず、また、最初から高原教諭に任せるのではなく何故か理事長への最初の報告だけは自分で行い、その後の報告は人任せにした上に確認もせず、高原教員に全てなすりつけようとしたことについて、言い訳はありますか?」
「わ、私は、手が離せませんでした、ので」
「フッ……午前中は寝ておられるのに? 寝るのに忙しいとは、柿原教諭は育ち盛りであられるようだ」
くすくすと、笑い声が漏れる。
しかし瀬戸よ、やめてくれ。俺は笑い上戸なんだ。さっきから過呼吸寸前で、苦しい……っ。
柿原の顔は真っ赤に染まり、けれど言い返すことも出来ずに震えている。
「さて。この分だと、必要予算申請書の提出が警備一新後の三日後であることについては夢遊病であるという分野のお話しになってしまうので、今は言及いたしません。それで良いですね? 柿原教諭」
「っ」
性格悪いな……。必要予算申請書類の提出、か。最初にやり玉に挙げられず、それを容認していたということは派閥の人間とのやりとりで、証拠を隠蔽していたのだろう。それを瀬戸は握っていたのにもかかわらず、この場面まで黙っていた、と。
くそ、いいぞ瀬戸、もっとやれ。俺は笑い声をあげないようにするので必死で、何も言えん。
「良いですね?」
「そ、それ、は」
「おや? では故意であると?」
「む、むゆう、びょう、かも、しれません」
「ハッキリと仰って下さい」
「夢遊病、です」
しんと静まりかえる会議室。
誰も言葉を発することが出来ずにいる中、最初に声を上げたのは、やはり瀬戸だった。
「よろしい。では鏡カウンセラー。言質が取れましたので、後ほど心理治療をお願いします。ご本人も記憶にないことが多々あるご様子です。もしかしたら件の刺傷事件に関わる重大な証拠も目撃している可能性もおありでしょう。なにせ、睡眠していたことと歩き回っていたこと、両方を認められましたからね。支離滅裂な言動も頷けます」
「ちょっと、待って下さい、私は正常です!」
「ああ、大変だ、もう兆候が出ている。先ほどと仰っている内容が食い違っていることに柿原教諭自身も気がついておられないようだ。鏡カウンセラー、早急に治療をお願いします。もし、万が一、故意であるのなら“他の証拠”が叩けば吹き出る埃のように出てきてしまうでしょうが、その心配はないでしょう。ほら、柿原教諭と懇意の先生方も取り押さえに手伝って下さい。もし、万が一、億が一、“治療”で埃が出てきたとき、一緒に掃除されるにせよ協力的な一面を見せたという情状酌量が欲しいでしょう? ――なんて言うのは、過ぎた冗談ですね。フフッ」
「や、やめなさい、あなたたち、こないで、ぎゃああああ」
冷笑に怯みながらも、暴れる柿原を取り押さえる柿原派の人間たち。
差し出された柿原を、慈愛の笑みを浮かべた七が受け取る様子は、ひょっとしなくてもコントかなにかではないのだろうか。
「では、理事長。僕は柿原先生の“治療”にあたりますので、先に退室いたしますね」
「いや! 触らないで、いやああああああっ」
「大丈夫、大丈夫だよ、痛いことは何もないから。ね?」
ずるずると引きづられる柿原。そんな柿原を掴む七。柿原が逃げないように周囲を固める柿原派。いやー、実に醜いものを見ちまった。あとで未知の寝顔で癒やされよう。
そんなことを考えながら瀬戸を見ると、机の影でぐっと親指を立てて頷かれた。おいこら、なんでわかった。
「――さて、静かになったことだし、今度こそ方針を話し合おうか」
理事長の言葉で、空気が切り替わる。
まぁ全員、あの惨劇から目を逸らしたいだけだろうが、それは仕方がないだろう。
その後は、とくに波乱もなくスムーズにコトが運んだ。
警察機構、“特課”への協力要請の決定と、それまでの間、瀬戸が警備日程を組む形だ。
いやしかし、時間の経ち方を見るに、本当に無駄だったな……。
さて、結果的に、ではあるが柿原には思い知らせた。
次はおまえの番だ。覚悟しておけよ? 七魔王。おまえの安息の地はここにはない。見つけ次第、今度は俺の手で、冥府の炎で以て焼き尽くしてくれよう。
俺の未知に手を出したんだ。それくらいは、覚悟して貰うぜ――!
2016/11/06
2018/01/04
誤字修正しました。




