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そのいち




――1――




 赤い水たまりがあった。

 夜霧に覆われた街道。電信柱にもたれかかるのは、白い制服の女生徒だ。彼女の足下には赤い水たまりが広がり、彼女の吐息は徐々に、徐々に弱くなっている。

 女生徒の前に立つのは、トレンチコートに帽子を目深に被った人影だ。男か女かもわからないが、背の低い人影だ。コートの人物の手には、ナイフが握られている。街灯の光を反射して、水たまりと同じ色の赤を、刃先から垂らしている。


「……」


 人影は、無言でナイフを持ち上げる。

 磨き抜かれた刃に映るのは、顔を青白くさせた女生徒だ。女生徒は、己に向かう兇刃に気を向けることは叶わない。ただ、人形のように、身動きすることもできず電信柱に身を預ける。


 そして。




「ッ――“幻視ファントムコート”」




 人影は、己に迫り来る炎の幻覚に、身を翻して逃げ出した。


「待て! ちっ、速い……!」


 夜霧に紛れた人影は、最早どこにも見えない。

 人影に炎の幻覚を放った男、陸奥は、急いで女生徒に駆け寄る。切り裂かれているのは腕と腹。致命傷ではないが、失血が怖い。陸奥は急いで止血を施すと、懐から端末を取り出して操作し、耳に当てる。


「居住区域にて要救助者! 繰り返す、居住区域にて要救助者! 端末座標送信します!」


 女生徒に息はある。

 けれど、もう少し遅かったらわからなかった。陸奥は己の無力に唇を噛みしめながらも、女生徒の状態確認から意識を逸らさない。


『了解、直ぐに向かう! 状態、名前は?』

「鏡先生っ……失血、脇腹に裂傷、彼女自身の異能である程度の止血、名前は水守静音、クラスは――」


 女生徒を介抱しながらも、陸奥は周囲の警戒を怠らない。

 深い夜霧。倒れ伏す女生徒。いずれも刃物による下腹部への裂傷。関東特専に起こり始めた事件は、以前の“通り魔事件”よりも遙かに不可思議で、深刻なものだった。

 霊力や魔力を対象とした索敵も、悪魔や妖魔を感知する結界もすり抜けて事件を起こす謎の通り魔。それはまるで旧世代のミステリーホラーを彷彿とさせるものだ。


「いったい、何が起きているんだ……くそっ」


 陸奥の、痛みを堪えるような声が響く。

 夜霧の晴れた空は、星の一つさえ見えなかった。

















――/――




 ここのところ、所謂“学園生活”というものから離れていたような気がする。

 時子姉のところまで行って、鈴理さんのスポンサー要請。それが終わったら、七魔王トレーダーを受け取りに、有栖川博士……アリュシカさんのご実家へ遠征。

 もちろん合間合間に授業を行ってはいたけれど、こうして特専に腰を落ち着けられると、教師としての本分を自覚する。


「聞いているのですか? 観司先生!」


 ――なんて。

 少しだけ、現実逃避をしてしまった。


「理事長からの極秘任務だとかなんだとかと言って遊び回り、ろくに学校に出勤もしていない有様! 一言いわずにはいられません!」


 放課後の職員室。

 そう、肩を怒らせて私に声を上げるのは、異能科の先生だ。異能科の中でも上位のクラスを担当する彼女は、非常にプライドの高い方だ。ひっつめ髪に眼鏡。きちっと着こなしたスーツにお化粧。年は四十手前だったか。

 ただ、ろくに出勤していない、とはどういうことだろうか。香嶋さんの優良生徒特別交流会と教員全員が駆り出された鈴理さん捜索以外で、授業を休んだことはないはずなのだが……?


「まぁまぁ柿原先生、観司先生はなにも遊び回っていたのではなく、理事長先生からの特別任務で出かけられていたのでしょう?」

「水沢先生も事情はご存知ないのでしょう?!」

「そ、それは、その、まぁ」


 咄嗟に庇ってくれたのは、陸奥先生の同期だという男性教員、水沢先生だった。天然パーマに眼鏡の数学教師で、気弱な方、とお聞きしたことがある。彼は私を庇ってくれたが、柿原先生の圧力に負けてあっさりと引き下がった。

 いえ、まぁ、ご無理はなさらないで下さいね? 私のことに巻き込んでしまうのは申し訳ないばかりだし。


「こんなときにのうのう飄々と、警戒に立ち会わずに旅行とは……これだから縁故採用は!!」


 そう、警戒だ。

 私が職員室で叱責を受けている理由。それが、特専内で起きている“刺傷事件”に関係のあるものだった。

 アリュシカさんのご実家で戦闘し、ご厚意で一晩泊めて貰い、博士の機械が大半おかしくなったために行きのようにショートカットはできず、車と電車と飛行機を乗り継いでようやく帰ってきた。

 その通算三日。たった三日の間に起こったのが謎の刺傷事件であり、深夜まで続く教員による地域警戒だった。帰ってきて休み明けに出勤した私にとってはまさしく寝耳に水であり、地域警戒に参加できなかったことについて言い訳をするつもりはないが、かといって遊んできたということでもない。

 別に、地域警戒は三日で終わるものではない。今日も勿論あるし、それには参加する。ううむ、一緒に通り魔対策をするのだし、なんとか相互理解が図れないものだろうか。


「警戒に参加できず、申し訳ありません。今後は十全に参加いたします。ご迷惑をおかけしました」

「できず? しなかったの間違いでしょう!」


 おおう、だめかぁ。

 私が速攻術式使いであり、私にしかできないことがあった。そう説明する訳にはいかない。なにせ、速攻術式使いであるのなら、縁故採用の必要はないからね。

 時子姉と親交があり、スポンサーとの交渉役に選ばれた。そう説明するのは、“また縁故”かという感想が一番に来てしまうことだろう。ううむ、どうしたものか。ちなみに、こういった事態にフォローしてくれる先生方は全員出払っている。陸奥先生、南先生、七、獅堂が主だが、彼らは警戒の要だ。


「だいたい、特異魔導士とかいう存在も疑わしい! Sランク稀少度の女生徒を使って、ズルでもしているのではないの?! 言い訳せずに、“今後は地域警戒に全部出ます”くらいの誠意は見せられないのかしら?!」

「あわわわ、柿原先生、それはまずいです、倫理会に怒られます」

「水沢先生は黙っていて下さい!」


 水沢先生にそう怒鳴りつける柿原先生。

 だけどこれは、ちょっと聞き捨てならない。


「柿原先生」

「なんです観司先生! また言い訳ですか?! そうやって自分に都合の良いことをぐちぐちと」

「柿原先生」

「っ、な、なんですか」


 背筋を伸ばして、まっすぐ彼女の瞳を覗き込む。


「私の落ち度をご指摘下さることに関しては、心して受け止めます。けれど、有栖川さんや笠宮さんたち生徒を不要に責め立てるような言い分は、許容できません。訂正を、お願いします」

「な、なんですか、私はただ」

「柿原先生」

「ひっ」

「訂正を、お願いします」


 しん、と、静まりかえる職員室。

 何故か私を見て震える柿原先生。


「……て、ていせいしま、す」

「はい。生徒たちを我々の事情に巻き込むのは、道理が通りません。ご提案いただきましたとおり、今後の地域警戒については、私は全てのローテーションに参加いたします。今回はそれで矛を収めて下さい」

「わ、わかりました、そう、おっしゃるので、あれば」


 ふらふらと立ち去る柿原先生。

 その背を見つめて、彼女が職員室を出て行くと、やっと気を緩めることができた。やっぱり、生徒を巻き込むのは違うからね。うん。


「み、観司先生、良かったのですか? 全てのローテーションに参加なんて。深夜まで続くんですよ?」

「いえ、まぁ、幸いなことに担当のクラスを持っている訳ではないので、なんとかします。ご心配くださり、ありがとうございます。水沢先生」

「ととと、とんでもない! なにもできませんでしたしね。あははは」


 そういってフェードアウトしていく水沢先生。

 そんな、怯えるように逃げなくても良いのに。どこか変身後の悪魔の反応を思わせるそれは、なんというか、傷つく。


 しかし、そうか、毎日か。

 生徒のため、とはいえ、体調管理には気をつけないと。


「?」


 と、ふと、視線を感じた気がして周囲を見る。

 だが、とくに周囲の風景は変わらない。みんな、何故か私から目をそらしているようにさえ見える。

 ううん、なんだったんだろう?


「気のせい、かな?」


 そう、溜まっていた仕事を続けるためにデスクに戻る。

 それから、留処ない厄介事の気配に、こっそりとため息を吐いた。





2017/04/03

誤字修正しました。

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