悪意をばら撒こう2
「……またか」
「最悪なことに、今度は二人です」
「……はぁ」
報告にきた村人の顔色を見ただけで悪い知らせだとわかったが、実際に耳にしてみればため息しか出なかった。
「虎の足取りは? 巣の見当くらいはついたのか?」
「森を移動している痕跡は僅かに見つかるのですが……東西南北、どの方向に巣があるのかさえ」
「……わかった、今日の捜索は打ち切りじゃ。奴隷たちを戻すのじゃ」
「はい」
村人が退出するのを待ってから、村長は頭を抱えた。
「このままでは、村が滅びる……」
既に七人の獣人奴隷が虎の犠牲になっていた。
虎狩りの為に武器を持たせて森へと送り出した奴隷たちが、そのまま帰ってこないのだ。死体さえ見つかっていない。
一日に一人ずつ。昨日は北を探索していた奴隷がいなくなったと思ったら、今日は南を探索していた奴隷二人が消えている。明日は東か西か、他の方向か。
移動の痕跡はあっても虎の姿を目撃した者すら居らず、ただ犠牲ばかりが増えていた。
それに、これ以上捜索にあたる奴隷を増やせば村を守る奴隷の数が減ってしまう。
捜索網をやすやすと突破して叫び声をあげる隙すら与えないような猛獣である。気が付いたら村に入り込まれていました、村人が皆殺しにされてしまいました、なんてこともおかしくはない。
「来年の収穫にも影響が……税が納められん。じゃが、これ以上奴隷を売ってしまえばそれこそ……いや、その前に虎にみんな食い殺されてしまうやもしれんの……」
村長の苦悩は続く。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
捜索を打ち切り、足の速い獣人を数人選んで軍へ救援を送ってみたが、十日たっても何の便りもない。
おそらく道中で虎に襲われたのだろう。このまま待っていても助けは来ないだろうと村長は冷静に判断した。
ただ、一介の村長にはこれ以上はもうどうすればいいのかわからなかった。事態は彼の処理能力をすでに逸脱していたのだ。
「女神様……どうか我らに御慈悲を……」
不安に怯える村民を宥め、少ない食糧を費やしながらただ女神に祈りを捧げる。
この苦境も女神の与えた試練であり、きっと祈っていれば救いがもたらされる。
村民たちにできることは最早それしか残されていなかった。
「――村長っ!!」
静かな村に、少年の声がよく通った。
「馬車です! 馬車が、この村に近づいてきます!!」
村長の祈りが通じたのだろうか。
「お、おおお……め、女神様……ありがとうございます……」
村長の目から涙がこぼれた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
村に訪れたのは、大型肉食獣の獣人の戦奴を連れた若い男だった。
ここに来る途中に死に掛けの獣人奴隷に出会い、この村の状況を知ったらしい。
「俺たちは流れの傭兵業をやっていましてねぇ。出すもの出してくれりゃあ、その虎、狩ってみせますぜ?」
大型肉食獣――獅子と熊の獣人が二人。身に着けている装備も上等なもので、佇まいには歴戦の経験からくる凄味のようなものが感じられた。
この二人ならば、きっと姿なき人食い虎を退治してくれるだろう。虎に襲われることなく街道を通ってこれたことからも、その実力の高さが窺えた。
窮地に差し出された救いの手。村長には二人の獣人奴隷がとても眩しく見えた。
「で、お代の方ですが。現金はお持ちで?」
「む……そ、それは」
奴隷の主で交渉役らしい男と話を詰めるのだが、なかなか折り合いのつく条件が決まらない。
村には差し出せるような金銭も余分な食糧もない。
武器はあるが、これらは自衛の為にも手元に置いておきたいし、旅の傭兵業の男は重い荷物は好まない。
「……それじゃあ、こうしましょう」
しばらく問答をつづけた結果、男が言ったのはこうだ。
男に払うのは金銭と食糧。村人がしばらく食うに困らない程度の食糧は残しておく。
虎の討伐が終わったら村に報告をする、その後街の商人にこの村のことを伝えて武器の買取りをお願いする。
そして武器を売ったお金で食糧の補充をする。
これなら武器を村人たちの手元に残せるし、要らなくなったら食糧と交換できるだろう。
もしもこの条件を飲めないなら、俺たちは依頼を受けない、他の場所へ向かう。
そう男は告げた。
「……では、これでお願いします」
結局この条件で村長が折れて、契約を結ぶこととなった。
「任せておけ」
奴隷たちの主、黒髪の若い男が村長と握手を交わした。




