第1話 与孤島町
与孤島町。人口12000人程で、自然に囲まれたそれなりに大きな町だ。
北には、近辺の山々の中でも特に巨大な荒斬山が、麓の与孤島町を覆い隠すかのようにそびえ立っている。
東西には、鬱蒼と生い茂った広い森林が町を挟みこむように位置している。
南には、与孤島町と他の町を繋ぐ唯一の交通機関である駅が、ポツンと建っている。
隣町にはデパートや娯楽施設、スタジアムなどが揃っており、ここから遊びに行く住人は多い。
与孤島町は面積が広く、町の中までもが自然豊かだ。
一面田畑だらけというわけではないが、車がたくさん走っているわけでもない。
町の至る所には草木が生え、空気も綺麗。様々な店が集まる商店街が町民の生活の中心だったりと、誰しもがのどかな印象を受けるだろう。
この町は、荒斬山から駅までの1本の細い与孤島川によって、大まかに東区・西区と分断されているのが特徴だ。
両区にはそれぞれ住宅街があり、町内の様々な職場に勤める大人達や、区内に1つずつある小中高の学校に通う学生達が、平和にのんびりと暮らしている。
そしてここにも、東区に住んでいる少年がいた。
「はぁ~……明日っからまた学校か……」
もうすぐで沈みきる夕日の光を浴びながら、少年は溜息と共に小さく呟いた。
彼の名前は白木竜斗。東区にある与孤島北高等学校、通称『北高』に通う普通の高校生で、もうすぐ2年生になる。
黒髪で整った顔立ちをしているが、ギラリとした双眸からは鋭い眼差しが放たれ、初対面の人は「目つきが悪い」という印象を抱くだろう。
男子高校生の平均と比べれば高い身長で、すらっとした体型だ。今は上下に紺色の無地のジャージを着用している。
面倒くさがりな性格で、口癖は「めんどくせぇ」。特にこれといった特徴も特技もない高校生である。
両親と竜斗の3人家族だが、親は2人とも別の仕事で海外出張をしているため、家にはいない。
たまに帰ってくることがあっても、すぐ別の仕事が入っていなくなる。なので竜斗は必然的に1人暮らしだ。
1人暮らしというのは、誰しもが一度は夢を抱くものだ。竜斗も例に漏れず、嬉々として馴染み深い与孤島町での新たな生活を受け入れた。
それが1年前の話で、今では面倒くさがりな竜斗も大体の家事をこなせるようになっていた。
そんな彼は、もうすぐ夜になる町の中を、ポケットに手を突っ込みながら歩いていた。
「……つーか、春休み短すぎんだろ。始業式が1日からってどんな嫌がらせだ」
竜斗の愚痴通り、北高の始業式兼入学式は4月1日である。今日は3月31日。
1年生の時に始業式の早さは体験していたが、春休みの貴重な就寝時間が今日で終わるのかと思うと、竜斗はガクリとうなだれた。
面倒な学園生活も始まってしまえば楽しいものであるが、「行かねばならない」と強制されてしまえば何事もつまらなく感じてしまうものである。彼は今まさにその状態だった。
悲しみに暮れながらも与孤島町を歩き続ける竜斗。
日はほぼ完全に沈み、街灯もぽつりぽつりと明かりを灯し出した。家に帰る途中であろう小さな子供達のはしゃぐ声が、竜斗のすぐ横を通っていった。
歩を進めていくと、静かになっていく夜の町とは対照的な、威勢のいい声がいくつも聞こえてきた。商店街が近づいてきたのである。
よこしま商店街。与孤島川に沿って両区に広がる、町自慢の商店街だ。
肉屋、八百屋、魚屋、雑貨屋、服屋、電器屋、本屋、ゲームセンターなど、食料品から娯楽関係まで、大型デパートなどには敵わないものの生活に必要なものは大体揃っている。
道の中央には橋が何本も架けられた川が流れており、景観も良い。
高校でも「とりあえず商店街」という言葉が流行るほど親しまれている、与孤島町の名所である。
よこしま商店街はいつも活気に満ちている。それは空が暗くなった今でも同じことで、多くの人々が買い物をしていた。
竜斗は商店街に入ると、川に沿って北に進み出した。
魚の特売日もうすぐだな、とまるで主婦みたいな事をぼーっと考えながら歩く。
いくつかの店から、顔見知りの男子高校生へと声が掛かる。それに軽く挨拶を返しながら、竜斗は目的地に向かった。
「さて、今日も走りますかね」
長い商店街を抜け、薄暗い夜道を歩き続けて辿り着いたそこは、『荒斬山』と乱暴に書かれた木製の看板が立つ、山の入り口だった。
辺りはすっかり、街灯の光も一切届かない森の景色になっている。
暗闇の中、竜斗は石畳の上で荒斬山を見上げていた。彼は、今からこの山の中腹まで駆け登ろうという気なのである。
荒斬山の中腹には、この町唯一の神社・荒斬神社がある。
山の平坦な場所を切り拓いて建てられたそれは、神社というほど大層なものではない。
小さな広場のようなところに鳥居が立ち、その奥の獣道を少し進むと、木造の大きな祠があるだけの貧相なものだ。
誰が管理しているのかさえ定かではない荒斬神社だが、消えることなく現在も在り続けている。
そんな怪しさ全開の上に、山の中に建てられているため神社にたどり着くまではかなり厳しい。
中腹と言う割には麓に近すぎるのだが、それでも山を登るのには体力を要する。
山道の入り口から神社までの道のりは1本の石造りの階段のみで、長さは約1.5キロ。
険しい自然の中、神社へ言って帰るだけで3000メートルもの距離の階段を歩かなければならないのは、誰であっても苦行だろう。
だが、竜斗は自らに「神社まで走って登る」という試練を課した。
1年前、竜斗が両親から1人暮らしに関わる様々な注意を受けていたとき、「日々を健康に過ごす為に、なんでもいいから毎日運動しなさい」と言われたのだ。
体を動かす事は嫌いではなかったので嫌がらずに承諾したのだが、そのとき突然生まれたストイック精神が「神社登り」を決断した。
持ち前の面倒くさがりが発動し毎日ではなくなったが、週に3、4回ほど神社に通っているのである。
万年帰宅部の彼にとって最初こそ地獄だと思い、自分の軽はずみな決断を呪っていたが、回数を重ねるごとに体力がつき、次第に余裕が生まれていった。
さらに、辛い運動の後に感じる達成感が素晴らしいことを知り、彼は積極的に走るようになったのだ。
疲弊しきった身体に染み渡る風呂や食事なども、「神社登り」に対する思いを変えていった理由の一つである。
竜斗は軽く屈伸をした後、よし、と気合を入れて、石造りの階段をいつも通り1段飛ばしで駆け上り始めた。
全身で風を切って走る。月明かりに照らされた山の風景が、次々に後ろへと流れていく。
気分がのってきた竜斗はペースを上げた。頬に受ける風の勢いは強くなり、世界はさらに速くすれちがっていく。口元からは自然と笑みがこぼれた。
山を駆ける影は、実に楽しそうに走るのだった。