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3月 ―2―

 夜、親父が帰って来た。

「太郎、どうしたんだ?」

 開口一番、親父の台詞だ。家が片付いているのと、俺が飯を作っている様に驚いているようだった。飯を作るといっても、野菜を切って炒めただけの簡単なものだったが。

「ああ、親父。お帰り。これからは家のことは全部俺がやるから」

 俺が言うと親父の雰囲気が少し変わる。

「太郎? どうした?」

 もう一度同じことを尋ねてくる。

 何か回答に不備があったのだろうか?

「だから、家のことは俺がやるから。親父は会社の方に専念してくれ」

「馬鹿言うな。お前、高校生活はどうするつもりだ」

「どうするって。大丈夫、ちゃんと行くよ。……制服も、……買ったしな」

 家事にどれだけ慣れるかにもよるが、たぶん、授業が終わればすぐ帰ってくる生活になるだろうけど。

「行くだけじゃ意味ないんだよ。わかってるのか? 勉強するだけならわざわざ学校何て行く必要ないんだからな。お前に家事で時間を潰してる暇なんてないんだ」

「じゃあ親父がやるってのか? それこそそんな時間がどこにある? 親父がいなきゃ会社の人達が困るんだろ? 今が一番大事だって、さっさと軌道に乗せなきゃ話になんないって前に言ってたじゃないか」

 一気に捲くし立てる。親父が、何か言っているがそんなことは知らない。

 俺は、母さんをなぞって、母さんの様になる。俺が見つけた、たった一つの出来ること。母さんのためにもこの家に母さんを残す。

 それは親父にだって奪わせたりしない。

「ふざけるなよ、太郎。お前の事だ。会社がどうなるかなんて知ったことじゃない!」

「親父こそ、ふざけるな。あんたに付いてきた人達だろう? 糞の役にも立たないような俺なんかのために切り捨てていい人達な訳がないだろうが!」

 しばらく沈黙が降りた。親父がこっちを睨んでる。俺も譲る気はないが、こんな親父は初めてかもしれなかった。

「……理由を用意しろ」

 沈黙を破ったのは親父だった。

「理由?」

「そうだ。どうしてもやるって言うなら。僕が納得せざるを得ないような理由を今ここで、言って見せろ。もちろん会社のことは理由にはならないからな」

 理由、か。正直に、言うしかないんだろうな。

 親父には、現場にいて何も出来なかったなんて、言えなかった。母さんを前に何も出来なかったなんて言える訳がなかった……。

「……親父。俺は何も出来なかった。母さんのために、あの時、何も出来なかったんだ……。だから、この家で母さんがやってたことは、全て俺がやる。ここは母さんの居場所だ。だから、母さんのためにこの家は、俺がいつも通りに維持する。俺に今出来ることはそれだけだ」

「本当にそうか? それはお前がやるべきことか? 湊は間違いなく、お前にそんなことを望んじゃいないぞ。湊の望みは、お前が楽しく、面白おかしく過ごすことだ」

「どうしてもだ。何したって考えちまうよ。何も出来なかったのに。母さんはいなくなってしまったのに。俺が面白おかしく過ごすだって? 冗談じゃない! 俺の時間は母さんのために使う!」

 俺が言い切ると再び沈黙が降りた。眉間に皺を寄せて考え込む親父。もう俺は言う事は全部言った。これで、まだ親父が反論するのなら、残念だが実力行使しか手は残されていなかった。

「……、条件がある」

 親父が渋々といった感じで声を絞り出した。

「そこまで言うなら、会社が軌道に乗るまでだ。それ以上は認めない。僕が会社に付きっきりな生活から抜け出したらお終いにしてもらう。確かにお前の言う通り、現状で僕が会社から離れるのは厳しいものがある。母さんの好きなこの家は、一度お前に預けることにするよ。でもきっとそれは、高校生活を送る上で枷になる。お前は母さんがやってたことを、全部やるんだろう?」

「ああ。そうだよ」

「わかった。もう一度言うぞ。リミットは僕が会社を軌道に乗せるまでだ。それまでは認めてやる。それまでに、その後の事も考えておけよ。いつまでもそうしていられる訳がないんだからな」

 親父の言い方は癇に障ったが今はそれでもいい。先の事なんて知ったことか。大事なのは今だ。今、俺には出来ることがある。なら、それでいい。

 頷いて返した。これで親父は俺の邪魔はしないだろう。俺は間違っていない。俺はやれることをやるだけだ。


 それからは、家事に、家庭菜園にと、母さんがやっていた事すべてに没頭した。

 最初はどれも上手くは行かなかったが、色々と調べ、記憶を頼りに母さんの真似ごとをしている内に、随分と上達を果たした。それでも以前との差を感じたため、まだまだ努力は必要だったが。

 また、それと並行して救急医療の知識に関しても勉強した。あんな状況に出会うなんて二度と御免だが、また何も出来ないなんて嫌だった。

 家のことの合間に高校へ行く。高校では、あがり症で初対面に弱く、最初に誘いを悉く断ったので、ほぼ一人で生活をしているようなものだった。クラスの連中とは挨拶を交わす程度だ。俺には、やると決めたことがあったし、それは何よりも優先するべき事項だ。だからこの状況は想定していたし、望んだ結果でもあった。

 誘いは絶対に断らなければならない。付き合いが広がれば我慢する必要が出てくる。だったら、初めから誘われない方がいい。それに、人と関わりが増えると俺個人の興味の幅も広がっていく。その新しい興味がやるべきことと両立出来なかった時には、その興味も押さえこまなくてはいけない。なら環境を広げるのではなく、今ある環境の中で充実させていった方が楽だ。だから、クラスメートとの会話なんて今日の天気の話程度で十分。むしろ、それ以上の話はしたくなかった。

 俺が家事を始めてから親父の生活も少し変った。今まで以上に仕事の方が忙しくなってきたようで、平日は勿論のこと、土日も始発で出て終電で帰るような生活を送っていた。終電が無くなりタクシーで帰ってくることもあったし、会社に泊まることも頻繁にあった。

 いくら会社が忙しくても無理し過ぎだと思う。体を壊さないか心配だったが体調を問うと、「大丈夫だ。お前は気にせずやるべきことをやってな。ちゃんと休んでるから倒れたりはしない」と返すばかり。

 勿論、そんな生活で大丈夫とは思えなかったが、仕事が忙しければそうも言っていられないのだろうと休むことを強く勧めたりはしなかった。

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