7月29日 ―4―
「アリアちゃんは、今日は、寝てなきゃ、駄目だ」
「そん、ら……」
アリアちゃんが泣きそうな顔でこっちを見てくる。
止めて欲しい。アリアちゃんの体調は、俺にはどうにも出来ないのに。
「……、アリアちゃんは、寝てなきゃ、ね。……、でも、中止にすることは、ないよ」
でも、俺に出来ることはあると思う。アリアちゃんのために出来ることはやると決めている。
「兄、ちゃん?」
「おい、太郎?」
「アリアちゃんを、連れて行く、ことは出来ない、けど。俺が、……、俺が歌うよ。お爺さん達に、満足してもらってくる。昨日言ってくれたよね? 俺なら一人でも大丈夫だって。だから、それでいいかな?」
アリアちゃんに問いかける。少し間が空いてから、返事が返って来た。
「……、うん。兄ちゃん、が、行って、くれるろ、安心らよ。今日は、兄ちゃん、任せゆ」
俺に任せると言ってくれたアリアちゃんに笑って返す。それに譲司さんの声が重なった。
「太郎、何を言って――」
「はいはい、何をしてるのかしらー? 今すべきことは、アリアちゃんをしっかり休ませることよー。何が大事なのか、間違えないでちょうだいねー」
いつの間にか戻ってきていた麗華さんが、譲司さんの言葉を止める。
麗華さんは、いつも通りのようでありながら、病人をそのままに問答を続けようとする俺達に怒っているようだった。当然か。
「……、すまん」
「ごめん、なさい」
「わかってくれればいいのよー」
「太郎さん、とりあえずアリアを。あと、母さんお粥お願い」
「わかったわー」
そうして、彩さんに続いて今度こそアリアちゃんを寝かせるためにお店から、家の方へ。
その時、視界に入った佐橋さんの顔が、こっちは任せていーよ、と語っていた。さっきまでのことは一度忘れて頼らせてもらおう。
彩さんに付いて部屋に入る。どうやら、アリアちゃんの部屋のようだった。部屋には、麗華さんが用意したのだろう、既に枕元に氷嚢と桶に掛った濡れたタオルが用意されていた。
アリアちゃんをベッドに寝かせる。
「アリア、一応体温測るよ」
「うん」
アリアちゃんが、言われるままに体温計を受け取り測る。すぐに体温計が鳴った。
体温計を受け取り確認した彩さんの顔が少し険しくなる。アリアちゃんに布団を掛けてタオルを額に乗せながら、彩さんが優しく問いかける。
「お腹空いてる? 母さんが今、お粥作ってるけど、食べられる?」
「……、少し、空いてゆ」
「そう。じゃあ、目瞑って待ってよっか。寝ちゃったら起こしてあげるから」
ここは、彩さんが居れば大丈夫そうだ。なら、俺は俺でやるべきことをやろう。
「彩さん。俺、譲司さんと、話、してくるよ」
彩さんが俺の言葉に頷いたのを見てドアに向かおうとすると、アリアちゃんのか細い声に呼び止められた。
「兄ちゃん――待っれ」
「ん? 何かな?」
「ごめん。あたし、……一緒り、行けらくて。あと、……ありあと。中止、しないれ、くれて。今日、やる、言って、くれて」
「いいんだよ。謝らなくて。俺が、やりたいから、そうしたんだ。早く、直して、次は、一緒に、行こうね」
「うん。ありあと」
今度こそ、彩さんに静かに挨拶をして部屋を出る。しかし部屋を出る前に、アリアちゃんの小さな声が聞こえてきた。
「兄ちゃん。頼んら、よ」
「任せていいよ」
立ち止まって、静かに応える。振り返ると、彩さんもこちらを見ていることに気付いた。
「彩さん?」
「……、え? ああ、私も、太郎さんなら、大丈夫だと思う。頑張ってね」
彩さんが、今までに見せたことの無い表情をしていたと思った。でも、声を掛けるといつも通りの表情だった。気のせいだったか。
「うん。ありがと」
何か、別のことを考えていたみたいだったが、今はそれを聞くよりも先にやることがあった。
部屋を出て譲司さんの元へ向かう。途中で、お粥を持った麗華さんとすれ違った。
「郎ちゃん、アリアちゃんを運んでくれて、ありがとねー」
「いえ、もたついて、すいません、でした」
「いいのよー。郎ちゃんがああ言ってくれたから、アリアちゃんが大人しく休んでくれてるんだからー。お店の方で譲司さんと亮ちゃんが、お話中よー。頑張ってねー」
そう言って、麗華さんはパタパタとアリアちゃんの部屋へ向かって行った。それを見送って、お店の方に戻る。
ドアを開けると、朝食が並べられたままのテーブルに譲司さんと佐橋さんが向かい合って座っていた。俺が入って来たことに気付いた二人がこちらへ顔を向ける。
「太郎、本当にやれるのか?」
入って早々、譲司さんに問われる。俺は強固な意志を、言葉に乗せて答える。
「勿論、です。アリアちゃんとの、約束ですから。絶対に、やり遂げます」
「とまあ、本人もやる気満々な訳でー。何度も言うけど、実力は僕のお墨付き。だから僕としても、今日は太郎君に任せてもいいと思ってるんだけど、どうかな? 譲司さん」
佐橋さんも、俺に任せていいと言ってくれている。何としても、今日の公演を成功させたい。
「仕方ないか。これで延期にしたら、元気になってからアリアに何をされるかわかったもんじゃない。一昨日とは状況が違っちまってるし、これだけ亮が押すのなら任せてもいいだろう」
俺がアリアちゃんを運んでいる間に、佐橋さんが説得してくれていた様で、割とあっさりと譲司さんが折れてくれた。
「それに俺が取り仕切っちゃいるが、『彩』はアリアのために作った団体だからな。アリアが望まないことをするのは俺の本意でもない」
先方に連絡を入れてくると言って、譲司さんが席を離れる。お店には俺と佐橋さんが残された。
「ありがとうございました。譲司さんを説得してくれて」
「別に大したことはしてないよー。僕もやれると判断したから食い下がった訳だしねー。それに、大事なのはこの後だからね。大成功をアリアちゃんに報告しないと」
「はい。胆に銘じておきます」
「という訳で、僕が説得頑張ったんだからさっきのことは水に流してくれないかな?」
大事な話だと思ったからちゃんと聞いていたのに……。
感謝の気持ちは霧散してしまった。
「不満気だね。でも、僕にとってはどっちも大事な話だよ、太郎君」
「それは俺にとっても大事な話ではあるんですよ、佐橋さん。ただ、今する話ですか?」
「ところで太郎君。彩ちゃんは、今日どうするんだと思う?」
俺が呆れた目で見ると、佐橋さんが無理やりな話題転換をしてきた。あまりにも不自然で、見ていられなかったので乗ってあげることにする。
「どうするって?」
「いや、こっちに来るのか、アリアちゃんの看病をするのかって話」
「え? そんなの、アリアちゃんの看病をするんじゃないんですか? 見た感じ、そんな雰囲気でしたけど」
俺が答えると、佐橋さんがそんな答えは要らないとでも言いたげに顔を曇らせる。
「やっぱりそうかな?」
「何か問題があるんですか?」
「前に言った切っ掛け。太郎君の初公演がそれになったらいいなって、期待してたから」




