7月29日 ―3―
俺が朝食を今後作ることが決定したところで、譲司さんがカウンター脇の扉から出てきた。
「おはよう。皆揃ってるな」
「アリアちゃんがまだよー」
「そういえば、珍しいねー。アリアちゃんが最後なんて」
「どうせ一昨日に続いて昨日も寝付けなかったんじゃないの? それでもアリアはちゃんとしてるから、そろそろ下りてくると思うけど」
「そうだな。もう少し待って来なければ呼びに行けばいいか」
譲司さんも彩さんの隣の席に着き、皆で譲司さんと朝の挨拶を交わしていると、すぐにアリアちゃんも姿を見せた。
「……、おはよー」
寝起きでそのまま来たのか、ぽーっとしている。朝弱いのだろうか? 歩くのも億劫そうに、すり足でトコトコとテーブルに近づいてきた。
「おはよう、アリアちゃん」
「……、おー、兄ちゃんらー。おはよー」
挨拶をするとワンテンポ遅れて挨拶が帰って来た。そのまま、アリアちゃんは空いている麗華さんの隣の席に向かう。それを見ている彩さんが、何か考えている風だったのが目に入った。
「ねえ、母さん。アリア、なんだか顔赤くない?」
突然、彩さんが言う。言われてアリアちゃんの顔を皆で覗きこむ。確かに、昨日より赤い気もする。
「あら、本当ね。譲司さん、体温計取ってきてくれる?」
「すぐに」
麗華さんが言い終わる前に、譲司さんは返事をしながら飛ぶように体温計を取りに向った。麗華さんもすぐに席を立って譲司さんに続く。その間に、傍に寄りながら彩さんがアリアちゃんに優しく話しかけている。
「アリア、気持ち悪いとかない? 頭は痛くない? それ以外でも、何かいつもと違う所は? 無理しないで、ちょっとしたことでもいいから言ってね」
「……、うん。ちょっと、ぼーっとするけろ、へーきらよ。目、覚めて、きたし。えっと、いつもと、違うとこ、らよね。……、彩ねえが優しい」
彩さんが、最後の台詞を聞いた瞬間に、アリアちゃんの両のほっぺをムニュッと摘んだ。
たぶん、アリアちゃんが元気だったらグーだったんだろうなあ。まあ、元気なら彩さんもそんな風に話しかけることもなかったのかもしれないけど。
「もう、真面目に言ってるのに。呂律が回ってないわよ。本当に、ぼーっとするだけなの?」
そう言って、すぐにアリアちゃんの頬を摘むのを止めて、両手を包むように頬に添える。そのままアリアちゃんの額に自分の額を当てて、顔を顰めた。
「彩さん?」
「熱があるわ。とりあえず、寝かせておいた方がいいわね」
「待って。へーきらよ。ご飯、食べらら、元気、なるよ」
「そんな訳ないでしょ。太郎さん、アリア運ぶの手伝ってもらっていい? それと亮さん、父さんと今日のこと話しておいて」
「りょーかいだよ、彩ちゃん」
佐橋さんの返事に合わせて俺も頷き、アリアちゃんを抱え上げた。アリアちゃんの体に全然力が入っていないのがわかる。平気な訳がなかった。
目の前で挨拶を交わしたのに気付かなかったなんて、本当に俺は使えない。
「太郎さん、付いて来て」
「わかった」
彩さんに続いて歩きだそうとしたところで、譲司さんが戻って来た。彩さんが体温計を受け取る。
「父さん、今日のこと亮さんと何とかしといて」
「わかってる。長くやってるが、今まで当日に体調崩した事なんかなかったんだがな。まあ、仕方ないだろう。延期か、最悪中止か」
「待って、だめ、らの」
二人の会話を聞いていたアリアちゃんが、突然腕の中で身じろぎして喋りだす。
「じいちゃん、たち、みんら、楽しみ、に、してて、くれらの、に」
「だが、そんな調子で出来る訳ないだろう、アリア。延期にしてもらうから、その時に今日の分も楽しんでもらえ。幸い、あそこは何度も顔を出しているからな、聞き入れてくれるだろ」
譲司さんの言葉に、声が出ない分さらに激しく身じろぎして抗議する。俺は、アリアちゃんを落とさないだけで一杯一杯だった。
「あたし、頑張、から。じいちゃん、たちは、今日を、待っててくえらの。今日に、ややなきゃ、だメらの」
やるとは言っているものの、かなりしんどそうだ。無理なのは、誰の目にも明らかだった。
「アリア、お爺さん達もそんな姿のアリアを待ってる訳じゃないのよ。何とかしてあげたいとは思うわ。でも、言うこと聞きなさい」
「やら、絶対に、やら! 兄ちゃん、やらなきゃ、らめらよれ?」
そう言われても決定権は俺にはない。
それに、俺も今日、アリアちゃんがお爺さん達の前で歌うのは無理だと思う。だから、俺も首を横に振らざるを得なかった。